玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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無敵超人ザンボット第20話 決戦前夜 富野のツギハギ総集編とプロの兵士と、水爆

脚本:荒木芳久 絵コンテ・演出:斧谷稔
あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story20.html

  • 追加されたエピソード

上記の名無し・A・一郎さんのホームページでの解説にもあるが、今回のエピソードは1話分の追加発注で最終回制作後に穴埋めとして製作されたものらしい。
なので、総集編っぽくバンクシーンをツギハギの名手斧谷稔(富野喜幸)の技を駆使して、以前と同じ怪獣が登場するエピソードだが、製作者側の体力を温存する、という点での総集編とは違う。
だが、まあ、連続して無敵鋼人ダイターン3を製作しているので、やはり総集編を入れることで製作陣に多少は休息が得られるという面もあるのか?
しかし、全23話なのに、(あの壮絶な)最終回の後に追加エピソードを製作して、しれっと放送するというのは、テレビアニメの歴史の中でなかなか珍しいことだと思う。
(まあ、放送のスケジュールとかあるし、もしかしたら20話は欠番で後から埋められたら埋める、と言うスタンスだったのかな?20年目のザンボット3は持っているが、まだ読んでない。新世紀エヴァンゲリオンの4話と3話とか、制作の順番が前後逆転しているのは他の作品でもある。しかし、最終回後に追加と言うのはやはり珍しい)


で、このエピソードは、あの有名な「プロの軍人がザンボット3に乗れない」エピソードでもある。
なのだが、追加されたエピソードであると踏まえて考えると、色々と腑に落ちるところがある。
ザンボット3に乗り込む日本軍のパイロットのパイロットスーツが、ダイターン3破嵐万丈のパイロットスーツに似ている所とか。(また、ガンダムのハロはダイターン3のマスコット用にデザインされたが、ガンダムの方に移動された)
こういう作画の遊びや、少ない設定素材をやりくりする所に富野っぽさがある。(余談だが、Gガンダムの最終回に次番組の主役のウィングガンダムが前倒しで登場して撃墜されるのにも、似たようなところがある。Gガンダムの終盤にはガンダム連合としてザンボット3が登場している)
あと、キングビアルを接収する日本軍(自衛隊とは言われていないが日本人)の隊長の髭とヘルメットとトレンチコートがランバ・ラルにも似ている。安彦良和さんのデザインだが、今回の隊長をガンダムの時に使いまわ(リブート)したのかな?


また、このエピソードが追加されたものだと考えると、最終回を作り終わった後に、振り返って足りなかった設定の説明を改めてやり直す、という点で追加されたとも考えられる。
ザンボット3は神ファミリーの子供たちしか運用できない」という謎と、「神ファミリーの子供たちは睡眠学習で恐怖を取り除かれている」という強化人間設定の説明になっている。これは、「どうして子供たちでなければいけないのか説明すべき」とか「もし、神ファミリー以外の人がザンボット3やキングビアルを使ったらどうなるか?」という最後まで作った後に生じる疑問に基づいているような気がする。こういうアイディアは良い。
どこがなぜいいのかと言うと、ロボットアニメのお約束である少年少女がロボットに乗るというところで思考停止せずに、「普通の感覚だと子供ではなく軍人が乗るのが順当だよな」という普通の感覚によるツッコミから来るアイディアを使って新しいエピソードを作った所。「アニメは普通の人が見るものだから、オタク的な感覚にならず普通の感覚を大事にしろ」というのは、近年でも富野監督が言っていることだ。
そして、その「普通の感覚」が「リアルロボットもの」への発想の原点になっているという面もある。
人間爆弾編からメカブーストは複数展開していたが、「別に怪獣は1話に1体でなくてもいい。むしろ作戦として考えると敵もたくさん連携した方が普通」というのも、リアルロボット的発想だ。もちろん、初代ウルトラマンから怪獣無法地帯での複数怪獣とか、ジェロニモンの再生怪獣とかはあるのだが。マジンガーZでも複数機械獣はあった。だからザンボット3だけが特別ではないのだが、やはり機動戦士ガンダムで敵も味方も量産型だらけの戦争ロボットアニメというエポックへのつながりは意識しておきたいところ。
ザンボット3での敵が同じ再生怪獣を使うというのは、再生怪獣の面白さで過去を振り返ったり、総集編にすると言うよりは、敵のメカブーストも「同じ型を量産する」というリアル的な発想だろう。それが、今回は登場していないがセリフでは示される「神北兵左ェ門が渡した設計図で量産型ザンボット3とキングビアル型戦艦が地球人によって建造中」ということの説得力にもなっている。敵のメカも量産できるが、主人公のスーパーロボットも量産できる!という。
これもコン・バトラーVやボルテスVで「何故か量産されないくせに1体で世界を守るロボットのアニメ(ガルガンチュアとかありましたけどー)」にスタッフとして参加した富野監督の自己反省でもあろう。(富野監督が原案に関わったライディーンは魔法で作られているから量産できなくて当たり前だけどね。長谷川裕一先生のゴッドバードでは量産化されたけど。マジンガーZも地味に量産型バイオンβ・ミリオンα・ダイオンγがいるよな。量産は大事!鉄人も28号機だしなー)
やっぱり、量産型はリアルだし、戦いがインフレしてる感覚がありますね。エヴァンゲリオン量産型も迫力があったし。ガンダムが2号機で機密保持のために1号機を焼き払うと言うのもインパクトがありましたよねー。
また、「ザンボット3睡眠学習を受けて恐怖を取り除かれた少年少女しか動かせない」と言っておきながら、ザンボットに乗ったプロのパイロットの日本人兵士たちも、おびえながらも、作戦行動中は意外ときちんと戦っていたのが印象的。
ちゃんと合体できたし、武器も発射して命中させたし、必殺技のザンボット・ムーン・アタックも発動させられていた。「勝平たち以外の人間は恐怖でザンボット3を操縦できない」ということは他のネット掲示板で知っていたので、彼らが意外に善戦したことは意外だった。(むしろ、彼らが負けたのは、敵の装甲が厚いという神ファミリーのアドバイスを指揮官が聞かなかったことの方が大きいような?)
ただ、ザンボット3を降りて見学に回った後、テストパイロットたちは核爆発におびえて椅子の影に隠れたりしていて、作戦中は我慢するけど、作戦が終わったら普通に恐怖する普通の人、と言う性格付けが、セリフではなく芝居で示されていたのがすごく上手い調節の度合いだと思った。リアルとスーパーの調節の度合。主人公たちの特別さと、普通の人との対比などの度合。
彼らは全くダメなパイロットと言うわけではない。だから、兵左ェ門も「彼らもこの経験があれば、次には良いパイロットになるでしょう」と言う。物事を一面的に描かないのが富野的だなー。
これは、量産型ザンボット部隊の建造に向けての布石となるセリフ。
だが、前回、内部でダメージを負った敵のガイゾックのバンドックを攻めるには、2か月後の量産型ザンボットを待つより、すぐに最終決戦に神ファミリーが出かけなければいけない、というギリギリのライン。
リアル的に考えると量産を待った方がいいのかもしれない。テレビ的に考えると23話までにやっつけなければいけない。戦略的に考えると敵が回復するよりも先に攻撃すべき?
そんな選択肢を兵左ェ門の「我々は今、感情的になっている。だから、攻撃する」という割と理不尽な富野節で決定づけるというのがすごい。
このエピソードは最終回を作ってから逆算して考えられたもの、だとすると、最終局面の展開の無理な所を自己反省して、それを補完するエピソードを最終回の前に挿入した、ともいえる。なので、最終決戦は少し急ぎ過ぎだと視聴者からツッコミが入りそうなものだが、それを事前に自己反省して「我々は感情的になっている!」で動機を表明するというのがなかなか複雑で面白い。ファ・ユイリィの「人間は感情の動物です!」とかねー。


また、この時期のアニメは子供の見る幼稚なテレビマンガだから、展開の無理とかリアルさは考えなくてもいいようなものだが、そこをわざわざ最終回を作った後に見直して、最終回までの流れが自然になるようなセリフを自己批評的に入れ直すのは、富野監督の真面目さや熱意がうかがえる。
また、自己批評的に自分の作品を最後から見直して、足りない部分を補完する作業には、富野監督の単なるアニメ屋とか芸術家ではない、職人的な構成の意図を感じる。
富野監督は先日の細田守監督との対談でも、自分は職人だ、と仰っていたし。

 作り手の僕は『2001年宇宙の旅』を観て、映画の中に足りないものがあると感じ、どう補完するかを考えて、『イデオン』を作ったわけです。
 作家論ではなくて、組み合わせ論ができる職人だったら、このもの作りはできます。僕の場合は、TVアニメと巨大ロボットというジャンルがあったおかげで、『2001年宇宙の旅』をベースにしてそういうことがやれました。
富野由悠季さん&細田守さんが『イデオン』を語る。ハイビジョン版『伝説巨神イデオン』テレビ初放送記念・対談レポート&インタビュー - ライブドアニュース

40年近く前のザンボット3のころから富野監督は姿勢が一貫しているのだなー。


  • 炸裂!富野節

今回はツギハギ演出で絵コンテの富野監督の癖が炸裂しまくっている。第9話「危うし!キング・ビアル」に登場した水爆怪獣アンモスガーもそうだが。
まず、冒頭の勝平の台詞も富野節である。また、野崎副総理の声が先日亡くなられた石森達幸(ドバ・アジバ、カミーユの父、など)さんという事で、非常に富野っぽい。


勝平「ザンボット3にしてもキング・ビアルにしても、地球の戦闘メカとは違うことくらい知ってるんでしょ?」
野崎「ああ、それぞれのメカを運転する人の精神と反応する仕掛けがあることは知っている。だから、戦闘の専門家に」
勝平「メカブーストの闘いを一番よく知っているのは俺たちなんだ!地球上の武器があっと言う間にやられても、おれたちは戦い抜いた。これは、戦闘の専門家にとって、絶対的条件なんですよ!」
野崎「勝平君!」
勝平「今ならバンドックも動揺してるし、その隙を突けば少しは勝ち目があるんですよ!」


この「人の精神と反応する仕掛け」とか「絶対的条件なんですよ」とか「動揺してるし」とか、非常に富野的な言語感覚だなー。


野崎「政府は民間人の戦闘を認めるわけにはいかない」
兵左ェ門「建前など...ふん、地獄にでも落ちてから通せば良い」
とか、富野セリフやで!


兵左ェ門「素早い反射神経の動きをザンボットのコンピューターにストレートに送り込むには、あの年頃の子供の神経が必要であり、そのためには戦闘を恐れさせてはならんのです。ですから、バンドックとの作戦にはあの子たちを使うのが最善の策でしょう」
とか、非人道的で功利主義的で逼迫した戦闘の中の論理展開とか、この文脈の接続詞の言葉づかいとか、非常に富野っぽいなー。反射神経とコンピューターとか、サイコミュブレンパワードでも同じような会話があったな。


また、終盤で「勝平たちは戦うために睡眠学習で恐怖を麻痺させられている」という外道設定が明かされるが、戦闘技術をプレインストールされているというのは一話でも言われていたことだ。その最初にあった設定を改めて、普通の感覚の視点の角度から描き直すことで、神ファミリーと戦闘の異常性が浮き上がっている。こういう契約させてから外道設定だった、と言うのは仮面ライダー龍騎とか魔法少女まどか☆マギカとかselector infected WIXOSSの無限少女とか、あとホラーものの猿の手などで見られる手法。
しかし、それに対してザンボット3がもう一捻りしてあるのは、「人格を否定される条件で戦う契約するのは割に合わない!」と言うよりは「人格をいじられても、戦って生き延びられるならその方がマシだ!」と思ってしまうくらい、周りの普通の人が死にまくっていて地球が滅びかけている。
人間爆弾編は富野監督が脚本の五武冬史さんに「やっぱり考えたら人間爆弾をやらなくてはいけなくなったので、やります」と断行したらしい。なぜ、そう言う断行をしたのかと言うと、やはり主人公たちが強化人間で恐怖感を麻痺させられているというロボトミー手術的な呪いをかけられていることに、(操縦するためのエクスキューズだが)吊り合うためには周りの人にも不幸になってもらわなくては釣り合わない、ということなんだろう。ひどいなあ。まどかマギカとか龍騎もあんまり一般人は死んでないですからね!サークル内の内輪揉めの殺し合いの方がピックアップされている。最近のアニメはモブに優しい。(ただし、仮面ライダークウガはモブが毎週大量に殺戮されていて、クウガオダギリジョーも人格をむしばまれているので、面白いです。久しぶりにクウガのムック本を読んだら滅茶苦茶人が残酷に殺されてて気分が悪くなった)


だが、ビアル星人はトリトン族のように戦う方法を知らなかったから滅ぼされた、ということも序盤で明かされているので、「命や人格が犯されても戦って生き延びた方がマシだ」という、非常に好戦的でシビアな価値観がある。これは戦後民主主義憲法九条への批評でもある。富野監督は「人類は核技術を使いこなせない」とは発言しているけど、富野監督は憲法九条への発言はあったっけ?


(ネットを検索)

里:子供に見てもらうという意識はあったんですよね、ガンダムとは・・・


富野:もちろん、もちろん。


里:そういう意味では、人同士が戦うシチュエーションを作り出すとか、そういった部分というのは子供が見る世界観にとっては非常にある意味しんどいというかショッキングではないかなと思うんですが、そういう意味でたとえば見る人に伝えたかったってことは何ですか?


富野:だから殺し合いはつらいぞ、やめなさいって。


井上:企画書のテーマが修羅の連続って書かれていて、それが逆にいうとよく通ったなと当時としては、企画書が。


富野:つまり怪我をしない戦闘なんてないわけだし、アクションなんてないのに、怪我をしないで済むと思わせるほうがよほどひどいんじゃないですか。その部分に関しては嘘をつかない。それだけは伝えたかったといえば伝えたかったこと。そしてそれは大人に知らせるよりは子供に知らせたほうがおそらく記憶として残ると思う。もっと言っちゃうと、僕にいちばん力がないと自覚するのはどういうことかと言うと、現実的な世間に対して教訓とか打撃になるようなところまで評価されてないってのは無念だということ。これオフレコにしていいです。改憲論者が平気で出るっていうことに対して、阻止できなかった自分っていうのがやっぱりつらい。



NHK BS2 BSアニメ夜話スペシャル「まるごと!機動戦士ガンダム
2005/8/20 22:50〜

富野、吠える!
富野由悠季ロングインタビュー


ÉÙÌî¡¢Ëʤ¨¤ë¡ª

ああ、この動画は見たことがありますね。


やっぱり、富野喜幸監督は憲法9条を批評するような「戦わなければ生き残れない!」という悲壮感と戦いの辛さとリアル感をこってりと盛り込んだザンボット3ガンダムを作っておきながら、内実としてはバトルを肯定して軍靴の記憶を賞賛するのではなく、逆に戦いの辛さとか、戦わなければ生き残れないという状況自体の恐ろしさを描いて、子供に平和のありがたさを逆説的に教えたかったようだ。
(しかし、富野監督のこのインタビューは9年前に見ていたのに、監督の意図を忘れて再検索してしまった私はやはり愚かだ)
だが、富野監督が平和の安心感を逆説的に伝えるために作った機動戦士ガンダムはそれから外れて、今は戦車プラモデルや戦記物貸本萬画の代替物とか、ミリタリーオタクのなりそこないのガノタの受け皿になって、バカみたいにナチスの真似事の真似をして「ジーク、ジオン!」とか叫ぶファンを生み出してるんだぜ。そりゃあ、富野も鬱病になるよな。

  • 総集編職人と、原子力論者としての富野らしさ

なので、今回は総集編で、最終決戦前の決戦前夜でまったりするかと思ったら、4体も敵怪獣が出てきてバトルロワイヤルになるし、以前使った戦法が使えなかったりと、なかなか緊張感の高いエピソードだった。さすが、鉄腕アトムの時代からガンダムまで既存の作画を編集でやりくりして新作フィルムをでっち上げる技に長けた富野監督。
(アクションシーンやアップカットはほとんどバンクだが、新規作画は劇画風のタッチで丁寧な芝居をしていてきれいな絵だというのも、新訳Zガンダムみたいで富野作品らしい)


9話に出た水爆怪獣アンモスガーが再登場するというのも非常に富野的だ。富野監督作品には必ず、時代劇以外にはほぼ必ず、核兵器が登場する!執念とも言える。
そして、その水爆怪獣に必殺技のザンボット・ムーン・アタックをぶつけて爆発するか?と思わせておいて、ブッチャーが「起爆するのはまだ早い」と言って自爆させないで、そこにキングビアルがさらに強力な戦艦のイオン砲をぶち込んで強制的に核爆発を起こさせ、他の装甲の固く必殺技が効かない再生ガルチャックと再生トラシッド(こいつはそんなに装甲は強くない)を核爆発に巻き込んで粉砕する、という核爆弾の二転三転する恐ろしさは∀ガンダムの夜中の夜明けっぽいし、正義である主人公側が敵の核兵器を利用してまで戦う、と言うやけくそさとか必死さとか、核兵器の倫理よりもとにかく勝たなければ殺されるというシビアな感じはVガンダム的です。
だから、すごい富野らしい。
って言うか、本当に富野監督は核兵器を書くのが好きだよね…。いや、富野監督は核兵器自体は嫌っていて、その恐ろしさを子供たちに伝えることで平和を作ろうとしてらっしゃる人なんだが。ここまで自作の核兵器率の高い作家は珍しいのではないだろうか?


そして、ランバ・ラル似の日本軍の隊長が核爆発の閃光を見て、
「お恥ずかしい話だが、水素爆弾の爆発があんなにも恐ろしいものだったとは…」
と言うのも、富野由悠季らしい台詞。
戦後に原水爆が配備されても核戦争を経験していなかった戦後日本の軍人の想像力の無さや普通の人間の感覚の劣化を指摘しているのだ。この核兵器や核技術に対する意見や、愚民どものインテリジェンスや想像力の欠如に対する批判は、富野監督は現在でもいろんな雑誌のコラムやインタビューで発言している。
富野監督は色々と意見を変えたり、ミーハーに有名人や流行の話をする所もあるが、このように数十年も変わらない所もある。


しかし、そのように水爆を知らない軍人に対して、「想像力の無い大人め!」とストレートに批判せずに、兵左ェ門が「いや、その感じ方が当たり前なんじゃて」と言ってフォローしてやるのが、無敵超人ザンボット3のひねりの効いたところ。
その水爆の恐ろしさの描写をドラマツルギーのスプリングボードとすることで、それに続く兵左ェ門の発言の「あの子たちには睡眠学習をした時に戦闘の恐ろしさを感じないよう暗示を与えてあります」という非人道的な人間兵器を育成したという告白とか、主人公の勝平たちの異様さをさらに盛り上げている。
つまり、無敵超人は水爆よりも脅威である、と視聴者にすごさをアピールしている。すごさをアピールして俺TUEE!のように見せると同時に、「主人公が強すぎて恐ろしい」と言う感覚や、「強さを持ちすぎた人間はどうなんだ?」という疑問を視聴者に抱かせる伏線になっている。
そして、それが最終回のガイゾックにつながるんですね。


  • 再戦、太平洋戦争

ザンボット3の中盤で、神ファミリーを批判する日本人は戦後民主主義教育に洗脳された日本人のメタファーだと、私は書いています。で、敵のガイゾックのブッチャーの贅沢は、アメリカ合衆国の繁栄のメタファーではないか?
で、江戸時代から日本の地下に埋まっていたザンボット3江戸しぐさであり、第二次世界大戦で大敗を喫する前の勇ましい日本の象徴だと思う。
なので、無敵超人ザンボット3第二次世界大戦の再戦とか、架空戦記という面もあるのですねー。
そこで、今回のラストで神ファミリーのおばあちゃんが、野崎副総理に「私たちはお国のために命を投げ出したと、お国の偉い人に伝えてください」と言うのも、戦時中の日本の特攻隊の名誉回復とか、描き直しと言えます。
特攻隊員が主人公のオリジナル富野処女小説のリーンの翼とか、ガンダムジオン軍とか、特攻や第二次世界大戦の焼き直しは富野監督のよく用いるドラマ要素ですね。
また、戦中生まれの富野監督には「あの時ああしておけばアメリカに勝ってたのにー」というリベンジ欲求は幼児体験に基づくものかもしれん。
しかし、その太平洋戦争のやり直しを子供たちにさせることが正しいのか?と言うのも、最終決戦で考えられる要素の一つでもあるか。
「戦うのは子供たちに未来を遺してやるため」というのはザンボット3のテーマの一つではあるが、同時に、「そのための戦いを子供たちにさせていいのか?」という二律背反も重要である。
人間が戦うことの本質的な意義を考える大事なことである。そういう事を本気で子供向けアニメとして子供に突き付けて考えさせるのは富野監督がザンボットの頃もガンダムでもイデオンでも、Gのレコンギスタでもやろうとしていることなので、そこも一貫していますねーと。
アメリカやガイゾックみたいな強者に目を付けられないようにして戦わずに済めばいいけど、戦わざるを得なくなった時は悲惨…。どういう世界を作ればいいんだ…。

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現実の付き合いが難しいのではなくて、リアリズムで話をするときにはリアリズムだけで突破できるかというと、突破できません。特に政治家と経済人がいるところではできません。で、そこで突破するにはどうするかというと、(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?

そういう物語を作っていきたいということで、「Gのレコンギスタ」(の制作)を始めたということなので、(客席の大人たちに向かって)皆さん方は見る必要はありません!!(笑)


(観客、大爆笑)


子供たちに、(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!(笑)


(観客、大爆笑)

だが、大爆笑している大人たちは、かつてザンボット3の時のお子たちが大人になった姿である。
その大人たちが37年経っても世の中を正すことが出来ず、富野監督にも「あなたたちは見なくてもいいです」と失敗作の落胤を押されたというのは、笑いごとじゃない…笑い事じゃないんだ…。
僕も富野監督に誇れる生き方をしていない…。
どうすればいいんだ・・・。と、とりあえず交通ルールを守ろうか

戦争と平和 (アニメージュ叢書)

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