玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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無敵鋼人ダイターン3 789話 雑感とニーチェ

前作の無敵超人ザンボット3がシリアス路線だったので、ダイターンはコメディー路線。
そういうわけで、新造人間キャシャーンテッカマンの後の破裏拳ポリマーみたいな感じです。富野監督もキャシャーンとポリマーに参加してたし。なんか、絵の感じとかもタツノコっぽいっすね。あ、メカデザインの大河原邦男先生がタツノコ出身だったか。キャラクターデザインの塩山紀生さんもポリマーとかガッチャマンとかタツノコ作品によく参加していた。マッチョなアメコミ劇画系です。
で、コメディーアクションは面白いんだけど、あんまり感想が思いつかない。
なんか最近疲れてるし。まあ、そう言うわけで雑に見た感想です。

  • 第7話 トッポの出撃大作戦

脚本:荒木芳久 絵コンテ・演出:広川和之 作画監督:林良男


子供が勝手にダイターン3に乗る回。子供会。オッサンなので、あんまり子供回は面白くないのだが。
まあ、70年代ロボットアニメには不可欠な子供回です。最近のアニメ、子供回なくなったよね。
まあいいんだけど。
アニメファンの年齢が上がったことと、子供用アニメとオタク向けアニメが分かれたこと、作り手が子供っぽくなったこと、などが要因ですかね。
でも、大人っぽい作り手が大人目線での子供向けに子供回を作るより、子供っぽいクリエイターのスラップスティックなアニメの方が僕は好きだったりするし、笑えるので、作り手が子供っぽい感性でふざけるのはいいと思います。
具体的にはミルキィホームズとかMLPとか赤ずきんチャチャとかカブトボーグとかです。
そして、富野監督はなんだかんだ言って理屈っぽい人なので、子供に向けて本気でメッセージ性の高いアニメを作るのは得意だけど、自分が子供っぽい感性でギャグを作るのはちょっと下手なんじゃないかとか思ってるのです。


あー、でも、ダイターン3がたくさん武器を使って暴れまわるのは楽しいです。


今回はテレポートマシンでドイツ、デンマーク人の優良種のゲルマン民族を誘拐するのがちょっとガンダムに近い思想でしたね。
あと、ロボットはいくら壊してもいいけど、子供は作り直せないって言う万丈の台詞はダイターン3のテーマに近いですね。


あと、今回の敵のコマンダーダストンがテレポートマシンに激突させられて、土星に転移させられて死ぬ、って言うの、ワンカットだけだけだし、大して面白くなかったけど、まあ、そう言うSFネタを入れたいんだなーって言う感じではある。
ちなみに、今回の敵のコマンダーダストンはデスラー総統も演じた伊武雅刀さん。

  • 8話 炎の戦車に散るジーラ

脚本:星山博之 絵コンテ:斧谷稔 演出:広川和之 作画監督:西城明


万丈の美人助手のレイカの幼馴染のモテない陰気なマリーネさんが整形手術で美人で派手なメガノイド・コマンダージーラに変身して、女サイボーグ軍団を指揮して万丈とレイカを殺害しようとする話。
ジーラが地味に面白くて、メガノイドになって強い肉体と美貌を手に入れたのに、幼馴染のレイカとトニーにこだわって生まれ故郷に誘い出して殺害しようとしたり、微妙に執念を捨てきれない所が面白かった。モテない女の陰気な復讐な。まあ、だからといってものすごく面白いわけでもないんだけど。
幼少期のマリーネさんはモテない上に、死んだ愛犬の遺骨の入ったペンダントを持っていたので、トニーに告った時に「犬の骨とかキモいし、レイカの方が好き」って言われて振られた。ちなみにレイカは特にトニーと付き合うこともなく、万丈と同棲している。
なんだかなー。
そんで、ジーラになったマリーネに万丈は「子どもを作れないメガノイドになったら、お前は女ではないのだ!人間のままでいればいつかは伴侶が見つかったかもしれないのに!」とか説教をする。
うーん。
モテない女が整形で人間を超越したのに、万丈は説教ですよ。うーん。この。
まあ、万丈的にはメガノイドと戦争してるし、おびき出されて殺されかけたのでジーラを殺害してもいいんだけど。女相手でもムカついたら殺すに決まってんだろ。
そういうわけで、ジーラは死にました。
今回の作画監督・西城明さんは中村一夫さんの弟さん。他の作品での中村さんの担当回でも原画で活躍されていましたので、そのせいか中村さんのゴリゴリと太いタッチそっくりです。
中村プロ回はガンダムにもたくさん参加してるけど、安彦良和先生が病欠した後のテキサスコロニーの線がくどいゲルググとギャンの回とかマグネットコーティングのモスク・ハン博士チームのマッチョぶりとか、そんな感じです。


  • 第9話 おかしな追跡者

脚本:吉川惣司 絵コンテ・演出:藤原良二 作画監督:加藤茂

あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/nichirin/story/story09.html
メガノイドでありながら恋する感情を持ったために、メガノイドを追放されたマリアを逮捕しようと、メガノイドの風紀委員長であるフランケンが追跡するも、何度も万丈にボコボコにされるという残虐スラップスティックコメディー回。
フランケンがメガノイドになったのは、ごつい体で不細工だったため、女にモテなさ過ぎて「恋する感情をすべて否定するのだ!」というモテない男の恨みが募ったため。かわいそう。
でも、マリアが恋していた相手はフランケンその人でした。それに気づいたフランケンはマリアと幸せに暮らしました。
っていう、雑なオチでな。まあ、スラップスティックの連続とどんでん返しの連続で面白いんですけど。そんなにものすごく面白いと言うわけでもない、微妙な面白さです。
前回はモテない女で、今回はモテない男の話で、モテない人が精神をこじらせて、モテモテの万丈にボコボコにされるっていう連作ですけどね。
しかし、万丈は前回「子どもの作れないメガノイドの女はただの飾りだ!」とか、その前に「メガノイドには人を愛する感情がない!」「メガノイドは悪魔以下だ!」とかめちゃくちゃ差別発言を言いまくっていたのに、メガノイド同士の恋愛感情でハッピーエンドになるとか、設定がばがばですね。
まー、そこら辺、作中の設定も覆しまくるどんでん返しの連続とか何でもありのバラエティー感覚がダイターン3の作風なのかなー。
前作の無敵超人ザンボット3が設定やシリーズ構成がきっちりと組まれたものだったので、その反動でダイターンは意図的にゆるく作ってるんだと思う。
そういうバラエティー感覚の習作意識がある。ザブングルもそういう所がある。

  • 超人と鋼人

あと、無敵超人ザンボット3のラストについて、私は「ニーチェ哲学的な規範意識を超越した超人が無敵超人だ」と書いた。
で、ザンボット3のラストで勝平がニーチェ的な超人に覚醒した後の番組がダイターン3だが。
ダイターン3でのメガノイドは自称「人間を超えたスーパー人間」という事で、やはりニーチェの超人思想を意識している。
しかし、超人となったメガノイドは規範を超え、「力」を手に入れても自分勝手なエゴを増長させて好き勝手に暴走するだけなのである。それに対して、万丈が対抗する。
なので、ダイターン3は、「メガノイド=超人となった前作の主人公に対する自己批評」という、連作としての連想意識があると見えるんですよね。
「メガノイドのように手軽に超人になることが出来た場合、人間はそれでいいのか?普通の人間の感情やモテたいとかかっこよく活躍したいとかいう欲望をもっと大事にした方がいいんじゃないの?」という思弁的な、ザンボット3に対する自己批評的な態度が、ダイターン3にはある。
まあ、前作を超えるものにするために、自己批評的にアイディアを練っていく、と言う創作態度を富野監督が取るのは理に適っている。


で、ザンボット3で宇宙人のテクノロジーの睡眠学習とシビアな戦闘で勝平が超人となり、ダイターン3でサイボーグ超人と万丈が戦う、と言う超人の思想を推し進めていった後、機動戦士ガンダムでよりリアルな世界観と演出で、宇宙に進出した人類が超人に進化する、って言うニュータイプを描いたわけです。
作り手の意識が連続していますね。


で、ニュータイプニュータイプで、ニュータイプになったからと言って哲学的な超人になれたわけでもなく、単なるサイキッカーだった、って言う風に回収されて宇宙戦国時代に行くので、ガンダムシリーズも自己批評的な作品だ。


というか、ニーチェ自身、「超人は固定された状態ではなく、変化し続ける」としたので、超人であり続けるのは難しいのだなー。と。
ダイターン3のメガノイドの恋愛感情とかの設定がガバガバ変化し続けたり、話が何でもありだったりするのも、安定してとどまらず変化し続ける超人と言う物を描いたともいえる。
いえるし、特にあんまり考えなくて適当に色々やっただけともいえる。