玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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暗黒!闇Gレコトミノアニメブロガーナイトグダちんの原稿公開!

昨晩行われました、大阪ロフトプラスワンウエストでのおはぎさんとあでのいさんと僕とでのトミノアニメブロガーナイトですが。
大盛況のうちにTwitterブログ界隈でお知り合いの方々にお越しいただき、刷って行った同人誌「ガンダムの見方」も黒字売り上げを達成しました。
あと、ゲストのぬまっちさんと綺月鏡水さんにもアラフォーのガンダム世代とかプロの芸人やシナリオライターとしての意見を拝聴させていただき、ありがたく思います。
実際素人の進行なので、トークには難があった部分がありますし、立地や時間帯の問題からお越しいただけなかった人もいらっしゃいます。また、トークの内容をかなり多めに見積もっていた割に途中で時間が足りなくなるという体たらくだったのです。
やっぱり事前に台本打ち合わせはしないとだめですね。(ちなみに私は原稿を主催者にメールしたんですが、いろいろ台本打ち合わせの前段階での企画段階での作業がアレだったので、リハーサルもないという結果になり、お客様には大変ご迷惑をおかけしました。特に補償はしません。保障NG)


そう言うわけで、グダちんが喋った内容(というか事前の原稿)を公開いたします。
実際には掛け合いやアドリブもあり、また、原稿に書いたけど割愛した部分があります。
そういうわけで、リアルなイベントとブログの両面からグダちんのことを心に刻んでください。
ていうか、グダちんは徹夜でイベントをした後、睡眠リズムを朝方にするために昼間も寝ないで大阪をぶらぶらしていたので、雑に原稿を転載するのです。


えっ?
有料でイベントをした内容を公開すると次のイベントをする時に損になるって?
闇ブロガーがそんな損得を考えるわけないだろ!データは共有して拡散させてナンボ。ダンピングだ!!!


(でも、イベントでは画像を100枚くらい使ってトークしたけど、今はメチャクチャ眠いので、その転載はしないのです)
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自己紹介
・ブログの紹介(立ち上げの経緯と主な内容について)
「玖足手帖」
立ち上げの経緯。大学時代、大学のカリキュラムについて行けない上に精神を病んでしまい、引きこもってテキストサイト夢日記を毎日書いたりしていた延長線で、ブログを開設しました。丁度キングゲイナーとか引きこもりがブームだったんですよ。
しかも、僕の夢日記を別次元から観察している脳内妹を主人公にした小説をブログで連載したり…と言う。狂った企画をしていましたね。10年経ってるんですが、まだ書き終わってないw小説家になろうとかに連載したり中断したりしてます。
で、非コミュすぎて大学に行く気力が無くて、しかたなく大学に1日行ったらガンダムブレンパワードなどのビデオを視聴覚室で見るというセラピーを自分でやって、その感想をブログに書いていたのが10年くらい前の新訳Zガンダムの頃です。
それで勝手に好き勝手に感想を書いていたのが、あの、富野アニメ世代のブロガーの囚人022さんなどに見ていただいてブックマークしていただいて、世に出て行った感じです。
主な内容は、ガンダムの全シリーズや富野作品全部の感想を書いてるブログですね。富野小説はまだ読んでないのが90年代のいくつかがあるんですが。
で、現在のコンテンツというか他のアニメブログとの差別化と言えば、圧倒的な長文ですね。これは自分でも反省してるんですが、3000文字くらいでテーマと画像をパッと提示するのがアニメ感想として読みやすいと思うんですよ。でも、僕は平気で3万文字とか書きますから。
なんか、ワンテーマに絞って作品の印象を断定した感じになるのが嫌で、あれもこれもって書くと自然に長文になっちゃって。以前、Gセルフのデザインの安田朗さんにも「日本でこれだけガンダムについてグダグダと長い文章をかけるのはグダちんさんだけ」ってmixiで言われたことがあります。
あー、あと、グダちんというハンドルネームの由来は仮面ライダークウガグロンギ怪人ネームのヌ・リョウグ・ダというやつを省略した感じなのでグダグダのグダちんではないです。ちんはAIR観鈴ちんのちんです。ゼロ年代前半にオタクとしてのハンドルネームを作ったので。


・富野作品との出会いのキッカケと、ハマってしまったキッカケ
めぐり合い宇宙とイデオン映画とザブングルの年に生まれたので、コミックボンボンSDガンダム世代なんですが。ガンダムは再放送でファーストとZを飛び飛びに富野監督を意識してなくて見てました。
富野監督とは意識しないでF91を劇場版に見に行ったのが初リアルタイム富野ですね。そのあとテレビで何故が逆シャアがやっていたのを見て内容は全く分からなかったんですがスゴイと引き込まれました。
本格的にやられたのはやっぱりVガンダムが小学6年生の直撃世代と言うのがきつかったですし、鮮烈な印象がありました。
アニメージュとかアニメ雑誌は小学生の時から読んでいたんですが。
富野由悠季という名前は基本的に中二ネームで読めなかったというダメな子供でした。
なので、富野由悠季と言う名前を意識しだしたのは∀ガンダムの放送後で高校三年生と言うくらい遅かったですね。ただ、富野作品や富野ガンダムだけは他のアニメや他のガンダムとは違うと思っていました。
自分は共感覚があるんですが。小説と絵本と絵画と映画とアニメでは、文字と映像と動きのの比率が違うだけで同じものだと思ってるんですが。その中で、富野監督のアニメはアニメの中だけど実写や文学に近いシリアスな物だと思ってました。
富野監督の発言で有名な「子どもは真剣に語れば内容が分からなくても真剣だというのは分かってくれる」というのが「ガンダム者」で出てたと思うんですが。実際そうで。Vガンダムの設定とか、なんでガンイージが空を飛べるのかと言う時点で分からなかったんですが、「Vガンダムは違うぞ」って思ってましたね。それで中二の時に今度はエヴァに直撃して、高校の時に∀ガンダムに直撃したんですが。
まあ、大学受験に失敗したあと入った大学に馴染めなくてメンヘラだったんですが。富野監督がメンヘラから立ち直って∀ガンダムみたいな壮大な全否定と全行程の物語を作って、キングゲイナーみたいなアッパー系アニメを作ったと知って、それで元気を分けてもらうつもりで、ゲイナーみたいに引きこもりだったんですが大学に通いながら一日一個富野作品を見ていくと言う感じで社会復帰しました。
富野作品ってバッドエンドだったりハッピーエンドだったり色々あるんですが、見ているとどれもなんだか元気が出てきて興奮するんですよね。鬱だとか言われているZやVとかダンバインの終盤もかなりテンションが高い。
それでハマっちゃって、現在も侍ジャイアンツの富野コンテ回とかを見て、毎日富野コンテか富野演出を見ないと落ち着かない体になって、ほとんど中毒ですねw




第一部「Gレコ基礎篇」
1.PV、先行配信時の『Gレコ』に対する第一印象
普通にワクワクしました。
富野監督ってガンダムと言うものすごい一大ブランドを作った人なんですけど。割と自己批判的でガンダムを潰そうという作品を作ったり、ガンダム以上のものを作れなかった自分を比定したがったり、って言うちょっと歪んだところがあったんですよね。そういう葛藤も富野監督のフィルモグラフィの魅力と言うか、ルサンチマンから来るパワーみたいなものがあるんですが。∀ガンダムZガンダム劇場版もガンダムブランドを立て直そうって言う政治的な面があったと思うんですよ。作品とは別の次元で。
自分の書いた過去のレポート記事を読んでほしいんですけど、2007年に京都精華大学と京都マンガミュージアムの主催で富野監督と杉井ギサブロー監督が公開対談をしたイベントがあるんですね。その時に、富野監督は「Zガンダム劇場版で気が済んだので、SEEDのスタッフを殴るのを我慢できるようになって、後5年生かさせてもらっている時間が自分の中にあるならば、もう一度こうやってガンダムの新シリーズをやらせてもらえたらいいな、とは思います。
ただこの場合にはもう「ガンダムワールドの中の一員」としての、「自分にとっての新しい作品」でしかなくって、ガンダムワールドを根底から覆すような物を作ることは絶対に無いでしょう。」
Zガンダムのようにフィクションワールドでさえ全否定するような作品を作るというようなことは、とてもその、個人的な思いの強い作品になってしまって、これは、作品として“片輪”だという事も、僕は勉強させてもらいました。」
と仰っていて、だから僕はGレコの先行配信や初期は「富野監督が作った純粋なエンタメとしての作品」とか、「富野監督が作ったアナザーガンダムの一つ」という風に楽しませてもらえたらいいなーって思ってました。ONEPIECEに富野監督が関心を持っていたので、ONEPIECEガンダムなのかなーとか。



2.率直なGレコの感想
やっぱり変なアニメですよね。ものすごく変ですね。
まず、富野監督が「ガンダムワールドの中の一員」としてGレコを作りたいって言った2007年からずっと7年もかけて企画やデザインをしていたというのが本当に異常な作品だと思います。60代後半のおじいさんの企画に7年も付き合ったスタッフがいたというのがかなりありえなくて、富野ファンじゃなくてもアニメ史に残る異常な作品だと思います。
2007年から富野監督がGレコを作っていて、その間に00もAGEもGBFも有ったわけで。2010年ころにはコヤマシゲトさんや吉田健一さんも「夢企画なんじゃないのか」って不信感を小形プロデューサーにぶつけたこともあったらしい。
だから、富野ファンとしてはとりあえずオンエアを落とさず、途中で監督やスタッフが死んだりしないで無事に放送できたというだけで奇跡だと思ってます。
アニメファンとしてはですね。ブログを書く際に15回くらいは全話見直したんですが、全然退屈したり見るのが苦痛だと思えないんですね。純粋なエンタメかどうかっていうと、かなり思想性が突っ込まれていて、これはこれで変なアニメなんですけど、それはそれで面白いし、アニメーションとかコンテの快感をぼけーっとみてるだけでも退屈しないという事は保証できますね。
なんか楽しい気持ちになるんですね。人が死ぬ回でもなんか興奮する要素が入っていてテンションが上がります。


3.Gレコの魅力
(・好きなエピソード、シーン
あえて4話「カットシー乱舞」ですね。先行上映とか配信で3話までは10回くらい見たんですが。そこからどうなってしまうのかーって言うワクワク感がすごくあって。あと、接触回線が全編を通じてテーマみたいになってますけど。4話は接触回線でデレンセン・サマター大尉とベルリ・ゼナム君が会話できるのか?和解できるのか?って言うハラハラ感がすごくあったんですが。それをぶっちぎるのが3話ではコメディー要員だと思われていたクリム・ニック中尉で。クリムのせいでベルリは反射的にカットシー部隊の隊員を虐殺してしまうわけなんですが。ベルリはその罪の意識が無いというか、殺したことも気付いていない。
そんな破壊行為をやってしまった事に、ベルリは震える。Zガンダムでヒルダ・ビダンを殺害した時のジェリドのように。ジェリドもスパロボではオールドタイプって言われますが、基本的にZ以降のガンダムのキャラはニュータイプの芽、萌芽は持っている。

恩師を攻撃をした実感に生理的に震えるベルリはニュータイプっぽいんですが、そのベルリに対して画面の右手の「映像の原則では”好意的な位置”から」虐殺をおこなった張本人であるクリム・ニックのモンテーロが接触する。

これで、画面的には安心感が得られる。で、「戦闘状態で誰とも話が出来なかった!コワイ!」という状態から「敵であっても話が通じて安心」と言う感じをベルリはクリム・ニックに感じてしまう。そして、ベルリは生理的にやっちゃったザラッとした感覚に震えて上着を脱いでしまうが、クリム・ニックが「実戦であのような撤退の決断ができる有能な軍人」と恩師を評して、ベルリは自分に対して「相手を攻撃した」のではなく「相手が引き返してくれた」という言い訳の記憶を自分に対して上書きしてしまう。生理的にはやった感覚を感じているが、理性で自分に嘘をつく。自分自身でもディスコミュニケーションが起こる。
こういう、エンタメの中での戦場のリアルな怖さとか、武器を使うことへの批評意識とか、自分の意志も自由にできないのが人間だって言う人間観とか、すごくリアルでシビアで、ザンボット3みたいだと思って、好きでしたね。
他の話数でも、ベルリは割とアサルトパックとかで虐殺してるんですが、その度に殺した相手のことを考えないようにしてる面がある。そういう主人公が酷いことをやってるのに、そんなにひどくなくアッサリ動画として見せてしまう演出の怖さみたいなのがしびれますね。
ザンボット3は「リアルなドラえもん」に近いレベルの「リアルなロボットアニメ」っていう露悪性があったと思うんですが。Gレコの殺人描写はそこまでセンセーションに強調していないで主人公が殺人をしちゃうって言うのがすごい。で、毎回エンディングで明るい曲調の歌に合わせて殺した相手と腕を組んでいて罪の意識が明るく描かれていて、本当にヤバい。


  ・好きなキャラクター
男性キャラだと、トリーティですね。最高ですよ。一番槍でG-セルフに立ち向かったし、メガネ男子なのに宇宙飛行士を目指しているし、ベルリとルインの次に優秀なガード候補生だし、生死不明の上に女装少年と恋愛していて振られるという。ガールフレンドがいる候補生の中でもモテるのに、あえて女装男子と付き合うというのがすごい。脇役なのに設定盛り過ぎですよ。眼鏡男子いいですよ。ハッパ中尉もいいです。
女性キャラは、基本的に元気なピンク髪が好きなのでノレド・ナグさんが好きですし、血縁関係萌えですし、凛々しい志と同時にドジっ子要素もあるのでアイーダさんも好きです。けど、この二人は男性に対するハードルが結構高そうで、ベルリとかカーヒルくらいの超イケメンじゃないと全然見向きもしてくれない感じがする。付き合えなさそうなんですね。アイーダさんは最終的の女王になってしまうし。なので、あえてマキ・ソールが好きですね。メガファウナの電気係の金髪そばかす娘。金髪萌えの富野監督もキャラデザの初期ではマキ・ソールが好きだったらしいんですが。ミッシェル・ユミコ・ペインさんの声に萌えちゃって監督はステアさんに行っちゃったんですね。w
で、マキ・ソールちゃんは地味子なんですけぢ、基本的に美人でさっぱりした顔立ちでスタイルもいいのに化粧ッ気が無くて理系女子っぽくてさばさばした感じで、なおかつ脇役なので割と僕の話にうんうんとうなずいて聞いてくれそうなのがオタク男子としては理想ですね。僕は長文ブロガーなので話が長いんですけど、マキ・ソールちゃんは適当に相槌をうってくれて、その上であんまり僕の話にダメージを受けたりしないで受け流してくれそうな包容力が良いです。アイーダさんって変なことを言ったら怒りそうじゃないですか。



  ・好きなMS)
エルフ・ブルックですね。プラモデルをいじってるんですけど。飛行形態と人型形態があるんですが、ガウォーク形態とかギャオスみたいな超音速高速形態にも変形できるんですね。メカニックとしてもカッコいいんですが、「ここで死ねや宇宙海賊」ビームのポーズとか外連味のあるヒーロー性のあるポーズもできるのでカッコいい。シドニアの騎士の衛人に近いニュアンスもあります。
で、各関節の長さとか角度とかのマッチングがすごく面白くて、色んなポーズができるんです。このパーツがぱちぱちとハマる感じはカトキハジメさんのデザインにも通じるんですが。序盤に出てくるエルフ・ブルックでこのパーツの立体デザインをガンプラの製品レベルまで考えて設計できた刑部一平と言う人はすごいぞと思いますね。
ブロック遊びが好きな幼児みたいなキッズなので、ブロック感で玩具をいじって色んなポーズに変えられるのが面白いです。これはプラモデルを買っていじってほしい。


性能で言うとチートのパフェパ一択ですね。
でもカバカーリーが破嵐万丈みたいなポーズで射撃するのも好きです。マスク大尉は自覚的に格好をつけているので、反射神経だけで動いているベルリ以上にヒーロー性のあるアクションをしていて楽しいですね。
G-アルケインがリボンの騎士のサファイアがモチーフで、ヘカテーに乗ってるミック・ジャックがリボンの騎士のヘケートに似ているって言うのはメカとキャラクターデザインの相関と言う感じで良いです。たぶん、企画段階が長くてメカデザとキャラデザが微妙に関係してたからだと思います。安田朗さんが両方できる人でスーパーバイザーっぽく動いたらしいし。


4.Gレコのテーマ
「先祖がいるという事は先人の魂の上に生きているのだから」という事がエンディングの絵コンテに注釈で書いてあって、それを毎週半年間見せられたわけですけど。オープニングでもデレンセン大尉を殴りつける所や殺すところが半年間印象付けられた。このしつこさはテーマと言えるんじゃないかと。
ベルリは殺した相手と腕を組んで、黄泉の世界と隣接しているって言うことが絵コンテの演出指定で書いてあるんですが。それがあまりダークなイメージではなく、からっとして描いてあるというか、エンディングの曲調やラインダンスも明るい。ラインダンスではベルリは殺したロックパイとも腕を組んでいて、生者も死者も踊っているという幽幻な感じがあるんですが。それがあまりオカルトとか悲壮感があるわけではなく、明るく描いてある。
ブログにも書きましたが、人の死の上に生きているということについて、そんなに罪の意識とか特別さとかグロテスクさや残酷さを強調しているのではなく、人の歴史と言うのはそういう屍の上に生きているのが自然なんじゃないの?という動物としての開き直りがある。
親が死んでも子が育つというのが、Vガンダムブレンパワードのテーマで、∀ガンダムリーンの翼では王の死を乗り越えた上に人々の世界が続いていくという物語がありました。
で、Gレコですが、アニメでは人を殺した罪の意識や贖罪のために主人公が行動してさらなる活躍をするって言うのがあります。Zガンダムもそうですし、ガンダム00とかコードギアスとかもそうなんですが。Gレコはもっとそこから獣道に踏み込んで「人を殺しても生きてるのは人としてそんなに珍しくないのでは」という「殺人への肯定」という、かなり過激なテーマをやってると思います。ただし、「先人を殺しても、その魂の上に生きている」ということは自覚するという、お盆の日本人の先祖供養のような土着的な感覚をSFで描いている。キア・ムベッキ隊長が戦闘を放棄して目の前で死んで見せたことがかなりベルリに影響してると思うんですが、それも結構サラッと描いている。
Vガンダムだとやっぱり特攻とか死んじゃうシーンはかなりショッキングに描いているけど、Gレコは敢えてそこは死の重さとかグロさとかショックは描かないで、ドライに流している。ものすごいのは、21話でキア・ムベッキ隊長の死の直後にコスプレした子安さんが登場して、その秘書さんが転んで頭を打つって言うギャグを入れて、キアが死んじゃう感動シーンを感動させないというものすごく邪悪な劇構成をしてるんですね。人が簡単に死ぬっていう事がかなり、明治時代以前の日本人の感覚のように当たり前のものとして描いている。
これはすごくテーマ性がある演出意図だと思うわけですよ。「サラッと人はあっさり死んじゃうし、それを過度に引きずることはないんだ」ということと「でも、忘れたり消したりはできないよね」と言う事を同時に描いている。
で、それはベルリの個人的な殺人とか戦闘と言うだけにとどまらず、宇宙世紀の滅亡の上にあるリギルドセンチュリーとかクンタラの犠牲の上の歴史とか作品世界の描写に説得力を与えている。そのうえ、現実の世界でも人が死んだり殺し合ったりしつつ歴史を紡いでいるという事実を描いている。こういう世界観の認識がGレコのテーマだと思います。
進撃の巨人を富野監督はかなり批判していて、同時に進撃の巨人荒木哲郎監督をスタッフに招くという事もやったわけですけど。進撃の巨人では「世界は残酷だ」とか「なにかを得るためには何かを捨てなくてはいけない」とか、少年向けにかなりキャッチコピーを出しているわけです。で、Gレコでも残酷で人の屍の上に生きてるんだって言う世界を毎週毎週エンディングやオープニングで強調しているんですが、進撃の巨人ほど若々しく世界が残酷だという事は協調してない。むしろ、Vガンダムが地球クリーン作戦とか海洋汚染で死んだクジラの匂いとか特攻シーンで世界が残酷で屍の上に生きてるって強調していました。でも、Gレコではそれを取り立てて強調しなくなっている。
これは富野監督が実際ガンダムのスタッフとかキャストとか出崎統監督のような同年輩の知人が死んだ上でアニメを作っているという自覚の上だと思います。
周りの人がバタバタ死んでいるのに、自分は生きている。なんだろう。という、生死が隣接している感じですね。富野監督も半分棺桶に片足を突っ込んでいる年齢なので、進撃の巨人の30代とか20代の作者の気分ではない。富野監督も若いころのザンボット3では世界の残酷さをすごく描いてたと思うんですが。今回はまた違っている。
残酷な世界で73まで生き延びた上で、そういう世界を肯定してみせたんじゃないかなあ。
だから、富野監督版の「風立ちぬ」とか「崖の上のポニョ」とも言えます。宮崎駿監督の作品も最近、死の世界と隣接しています。
ですが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」とか「ポニョ」みたいなファンタジーとか主人公の周辺だけの内向する話ではなく、世界を広く見据えたのが違いですね。
殺した人や死の世界と隣接しているんだけど、ベルリはその地平線を越えて広い生き生きとした地付きの世界に旅立つわけです。金星まで行って帰ってきたけど、地球自体がもっともっと生命に溢れていて、宇宙船やコロニーの中よりも広がりがあるんだって言う認識を示しているんですね。
この生命感と言うか死を背負った上で生に向き合うという人間のサガの肯定が描かれている。これは、Vガンダムでウッソが「僕たちが出来なければ次の世代がやってくれます」っていう命を紡ぐこと、世代を重ねる意味を言い放ったことを具体的に描いたことだと思います。
Vガンダムのエンジェル・ハイロゥは地球人を全員幼児退行させて、つまり永遠の赤ちゃん人間にしてマリアという母の愛のもとで平等に人類補完計画のもとで永遠の安息を得るという計画だったわけです。ですが、それは敗れるものだってウッソは看破したんですが。
ウッソが急にエンジェル・ハイロゥに作戦の本質を看破したのはVガンダムと言う作品においてはかなり突発的で訳が分からない台詞だったんですが。
「生き物は親を越えるものです。親は子を産んで死んでいくものなんです。その真理を忘れているこの作戦はもともと敗れるものだったんですよ。」という、「オトナは子どもの礎になって死ね」という台詞はよくわからなかったんですが、Gレコでカーヒル大尉、デレンセン大尉、キア・ムベッキ隊長が死んでベルリの人生とか海の礎になって見せることで、Vガンダムをやっと解釈できた感じがします。
急にガンダム業界の話になりますけど、ORIGINとかUCとかファーストガンダムの世界観の中で閉じた再生産になってるガンダム業界と言うのがある。これってエンジェル・ハイロゥみたいな「永遠に世代交代せずに赤ちゃんとか子どもとしてオタクをしている」状態に似てるんですね。ファーストガンダム世代と言うのが私の2,3個上にいまして、そういう人たちは還暦を手前にしても「ファーストガンダムやSFブームを牽引した我々は若者で新人類だ」とか「アニメの発展は我々の青春と同時に合った」とかおっしゃるわけです。そういう人は自分が大人になって下の世代がいるという事をあまり見ていない。
で、Gレコはそういう大人たちに向かってガンダムを作った本人が「お前らは大人なんだから子どもの礎になって死んで見せろ、世代交代しろ」って言ってるわけで、かなりヤバい。ムタチオンって言う一見ストーリーにほとんど関係してない要素もこれでして。Gレコのムタチオンしてるラ・グー総裁もエンジェル・ハイロゥみたいな金色のわっかの所に住んでて、「200歳近いのに体はメカで武装した幼児」って言うビジュアルで、これはエンジェル・ハイロゥのオタク批判に近い。ガンダム世代の大人は自分が年を取った幼児なのかもしれないっていう事を気づけ!という富野監督のメッセージにも見えて、こういうクリティックなことを視聴者が気付かないギリギリのところに入れ込むのは本当にヤバい。
Vガンダムのカガチみたいに頭でっかちなクンパ大佐の死に方もVガンダムで問題視した大人のオタクへの批判だと思える。Zガンダムカミーユのころからオタク批判作品を作っていたわけですが。
しかも、それを「お子たちに見せてあげなさい」と富野監督が言っているので、二重の意味でヤバい。以前富野監督は京都精華大学の講演会で、学生たちに「プロを目指すなら友達を踏み台にしろ。そしてまた、自分も良き踏み台になるように努力しろ」と仰ったんですが。死ぬにしても踏み台になれと言う思想は富野監督にあると思います。
めぐりあい京都より富野監督
「革新を生み出すスプリングボード(反発板)として、伝統・保守派は必要」
「だけど、我々大人は次の世代にこの地球を受け渡すにあたり『この程度のレベルにしかできなかった』という謙虚さを持たなくてはいけない」

「次の世代に伝えることは、「教える」という態度ではなく、「申し訳ないが次に頑張ってくれ」というお願い」

「だが、そのお願いは謙虚に子供たちに頭をたれながらも、溌剌とした態度であるべき」

「我々はこの程度のレベルにしかできなかったけど、「このレベルにしかできなかった」ということを伝えていくことはできる」「そのように謙虚に自分にもできることがあると思えるのは喜びだ」



そして、子どもたちは「オトナをぶっ殺しても俺たちは生きててもいいんだ」という事と「しかし、そうやって殺したことは真摯に受け止める」という事を学ぶ。これは∀ガンダムのアデスカ編でも同じなんですが。それをGレコではゆっくりと半年かけてやってたんだと思います。ベルリは劇中ではほとんど反射神経のように戦って殺してきたわけですが、最終的には殺したことを償う鎮魂の旅に出たようにも見える。しかし、カミーユほど死人に引っ張られたり、ウッソほど土地に縛られたり、アムロのようにガンダムに縛られたりはしてない。その罪の意識と自由とのバランスがかなり絶妙。実際、ベルリは表立って人を殺した自分が辛いとか言わないけど、毎週のエンディングで殺したことをかみしめてたんだと思うんですよ。仮面ライダークウガのラストにも近いんですけど、ベルリはヒーローなんですが殺してしまうことを辛いって表に出さないけど思っていた。それで、最近のアニメだと殺していい相手をすごくゲスみたいに描くことが多い。女性を人質にしたり演技が悪そうだったり。でも、ベルリが殺した相手は割と人格者で。人格者でも殺さざるを得ないことがあるというのを表現しているのはかなり戦争に対するリアルな目線だと思うし若者はそこを気を付けて見てほしいですね。
だから、上の世代への鎮魂歌とかおじいさんの遺言でもあるんですが現在進行形の若者への応援歌でもあるという二重性があります。
Gレコはエンタメガンダムだと思っていたんですが、やっぱりエンタメだけでなく富野監督からのガンダム世代とかガンダムを取り巻く周辺状況に対する意見の申し立てが入ってたんじゃないかなあ、って思います。


第二部「ブログ話篇」
1.Gレコのブログを書く時に気を付けたこと
基本的にファンなので売れてほしいし褒めるんだけど、変な所は変だと正直に言うこと。そして、なんで変だと思ったのかを突き詰めて考えて、それをとっかかりにして次の段階に思考を飛ばすって感じですね。変なアニメだし変な部分があります。ベルリが人を殺したくない!と言いながらけっこう殺してる所とか、変なことがあります。
11話「突入!宇宙戦争」で敵側であるはずのクリムとマスクが同じようなアングルで戦艦から出てとっ散らかるのは変だなーとか。
それを演出と絡めてどういうことなのかと考えることを辞めないという事を気を付けました。変な点があるから欠点だとか、欠点があると書くのは富野監督に悪いから黙っておく、という事はせずに。
「変な所は変だ!」と言うのと同時に「なんで変に見えたのか」「その変になったのはどういう理由や意図があった結果なのか」というのは気を付けました。
妄想トークもやるし思考を何段階か飛ばして考察したんですが、同時にGレコの感想を書く時は画面から読み取れる証拠以上の類推は避けて画面の証拠を丁寧に見ていって我田引水にならないようにしました。


2.Gレコの感想書く時に特に他のアニメと比べて大変だったこと
情報量がアホみたいに多い所ですね。端的に数字を述べても毎週3日徹夜して、16時間くらいかけてブログを書いてました。木曜の夜に関西で放送したのをリアルタイムか金曜日に録画で見て、その感想を書きながら金曜の夜のリアルタイムTwitter実況を見て徹夜して書き直して土曜日にアップするというようなブラック企業みたいな感想をやってました。
なんでこんなに長文になっちゃうのかって言うと、やっぱり色んな要素が詰め込まれて圧縮されてるからなんですね。で、番組としては圧縮されいるドラマとかメッセージを解凍していく作業がすごく楽しくて、いろんな考えが湧いてきて止められなかったから、長くなったんですね。あんまり深く考えてなくて、放送を見ている30分の間に思い付いたことを文字にするだけでも十数時間かかるって言う。
なので、寝れないことが大変でしたね。アニメーターじゃないんですが、正月に放送が1周休みになった時はちょっと安心しました。
しかし、そのタイミングで友達に「Gレコのメカは分かりにくい」と言われたので、1クール目の全メカ、エフラグとか戦艦も含めて全メカに誰がいつ何に乗って何に乗り換えたり撃墜されたりしたのかと言う解説を画像付きで書いてしまって、死ぬかと思いました。
本来はこういうのは公式でやるべきことなんですよ。



3.ぶっちゃけ互いのブログをどう思っていたのか
おはぎさんのブログみたいに書きたいと思っていました。というのは、おはぎさんはGレコ以前からアニメの感想で1話1テーマみたいにまとめて書いてらっしゃいました。いつも文末に「まとめ」って小論文みたいに書いているスタイルでした。
で、僕は基本的に滅茶苦茶長文を書くタイプなので、全話の感想を書くにあたって全カットの全印象の全感想を書くと絶対破綻すると思ったので、自分も1話1テーマで決めて書いてまとめようと思ってそうしました。
で、同じことは二度と書かないという縛りも自分に課していたので後半になるにつれて書くことが無くなるんじゃないかとか、おはぎさんに同じことを先に書かれるんじゃないかって言う恐れがありました。なので、かなりライバル視していました。はてなブックマークもたくさん付いていたので負けるかーって思ってました。おはぎさんのブログは実際ブックマークも多いし読みやすいし人気があったので憎らしかったですね。
「Gのレコンギスタ」はカッコイイロボットアニメである事を訴えたい。という記事をおはぎさんが18話の「三日月に乗れ」で書いたんですが、僕はそのカードを温存しておいて20話「フレームのある宇宙」で「今回の方がカッコいいロボットアニメだった」って書いたりしました。
「カッコいいロボットアニメ」と言うカードは絶対切るお題なので、いつ出すのか迷っていた感じですね。


あでのいさんはブロガーとしては私やおはぎさんよりも新人ですが、トミケットで湖川友謙さんの前で講演したり、今回のイベントを組んだりしてくださって、すごく頭のいい人だなーって思ってました。
僕は割と親しみやすい文章と言うかボンクラっぽさを残した文体で書いてたんですが。あでのいさんの自信がありそうな書き方は若いころの20年くらい前の氷川竜介先生に似てると思いました。
あでのいさんは2週間遅れのバンダイチャンネルの時点で感想を書いてらっしゃったので、最速レビューとしてのライバル視は少なかったんですが、あでのいさんのブログを読んで改めて「こういう見方もあるのか」って再発見してました。そういう他の人の意見を読むのも楽しいし、自分一人で書き切れたり全部見切れたりもできないので、自分のブログを書く時は意見を断定口調にしないように気を付けた面もあります。
ただ、あでのいさんは全部書いてないので、それは書いてくださいよーって思いますね。
まあ、全話感想を毎週書いた自分の体験談として、ものすごく時間と体力が削られるから働きながらやるのは大変だよなーって思ってました。



第三部「Gレコ応用篇」(発展篇?)(接触篇、発動篇でも良いかもw)
1.世間で思われているGレコの評価を見直したい
(・なぜGレコは人気が無かったのか
  ・そもそもGレコは本当に人気が無かったのか)
7巻時点でも7000枚以上は売れてるらしいので、及第点だと思います。
○2015年冬期放送開始TVアニメ 累計平均ランキング ***=0
19,437 03/09 黒子のバスケ 3rd SEASON
18,727 04/06 艦隊これくしょん艦これ
13,498 02/05 THE IDOLM@STER シンデレラガールズ (※G4U版を含む参考数字:33,864)

7,892 05/06 蒼穹のファフナー EXODUS

6,563 05/06 美男高校地球防衛部LOVE!

6,146 04/05 ALDNOAH.ZERO (第2期)

○2014年秋期放送開始TVアニメ 累計平均ランキング ***=0
37,829 Fate/stay night [Unlimited Blade Works]
14,771 SHIROBAKO (6巻/8巻)

9,998 四月は君の嘘 (5巻/9巻)

8,981 結城友奈は勇者である

8,657 弱虫ペダル GRANDE ROAD (7巻/8巻)

7,422 ガンダム Gのレコンギスタ (7巻/9巻)

6,175 PSYCHO-PASS 2

5,951 甘城ブリリアントパーク

5,573 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 (7巻/8巻)

4,718 七つの大罪 (7巻/9巻)

3,891 ガンダム ビルドファイターズ トライ (BD:2巻/2巻、DVD:7巻/9巻)

http://www38.atwiki.jp/uri-archive/pages/216.html

売上的にはトップ10に入ったので十分かと。
日5を奪った七つの大罪よりも売れたわけで。


あと、言うタイミングが難しいので今言いますが、モビルスーツの塗りがマーカーで手塗りしたような質感なのが最高ですね。アナログ志向は新訳Zガンダムのエイジングでもやってましたが。Gレコではアニメの鉛筆画っぽい質感を強調したり70年代アニメっぽさをデジタル技術で強調していて、かなり先進的と同時に回顧主義を70年代アニメからの当事者が自覚的にやるという表現技法をやっていてすごい。こういう技法論はもっと注目されるべきだと思う。
吉田健一さんも最近のアニメが塗り絵だっていう事にかなりインタビューで怒っていて、もっと線の強さをアピールしたいって言ってて、それを劇場版アニメではなくテレビアニメというスピードが要求されるところで実現したのがすごい。しかも、そんなにGレコって画面を見ただけでは「映像がすごい!」とかドヤ顔はしてなくてサラッと「ちょっと昔のアニメっぽくした」という見せ方をしている。すごくさりげないんですが、滅茶苦茶大変だったと思うし、放送が落ちなかっただけで僕は偉いと思ってます。
途中で作画の密度が落ちた回やカットもあるんですが、作画崩壊とか誰も言ってないでしょう?シンデレラガールズでもちょっと絵柄が違っただけで「今回は作画崩壊だ」って言われるんですが、Gレコはほとんど作画崩壊とは言われてない。元々の絵柄が古臭くて受け付けないって言う人はいるんですが。
それは何でかって言うと、やっぱり元の吉田健一コヤマシゲト西村キヌのラインでのキャラクターの特徴づけ、アニメーションとして誰が書いてもどの程度は似せられるというシルエットの造形が旨かったからだと思います。だから多少線を減らしたり萬画っぽくデフォルメしても作画崩壊とか絵柄の変更とは思われない。ここら辺の作画技法はかなりすごい。でもそれはあんまりピックアップされなくて哀しい。
でも、pixivとかTwitterにGレコの絵をかくようなイラストレーターのファンの人にはキャラの魅力は伝わっていたと思います。ビビッドです。
で、こういう塗や線も含めた絵の作り方とか照明の演出技法でもGレコは結構凝ったことをしている。富野監督は絵コンテ主義の人で映像の原則とかを書いている人なんでプリプロの人当面が強いんですが、演出家としてとかポスプロ段階でのディレクションをする監督技法としての面も評価してほしいですね。勇者ライディーンみたいなアブノーマル処理の背景とか色使いも70年代っぽくて最高でしたね。
ただ、そういう70年代アニメっぽい描線とか、記号化された顔のパーツではないキャラデザが最近のアニメとは雰囲気や匂いのレベルで違っている。キャラクターデザインも萬画っぽい部分と生っぽい実写の外国人に置き換えられそうな部分が混在してる。なので、アニメの小ざっぱりした絵柄が好きって言う人には合わない面もある。


あー、あと、内容面については、私はあんまり世間のことは知らないし、あんまり世間が好きじゃないので、それについての意見は覚えてません。僕は好きですよ。
僕は富野台詞が好きすぎるので、富野節が苦手とか価値が無いとか言う人のことが本当に分からないんです。
(あとはお二人の意見を聞いて流れで。)


オープニングがパッチワークなのはシドニアの騎士も一緒ですけど、シドニアの騎士の方が器用でしたね。


2.ぶっちゃけ『Gレコ』の不満点って?
エンタメじゃないところですね。今度こそ富野監督がエンタメに徹したガンダムを作るのかと思ったんですが、やっぱり世界観を語るって言う理詰めの方に行ってしまった。これは富野監督も自己反省している。
先人の魂の上に生きているというテーマは、もっと情やドラマチックなエンターテインメントとして見せることも出来たと思うんですが。
やっぱり富野監督は頭が良い人だし企画の7年間で勉強した世界観とか、歴史政治学を入れて語りたいという欲求が出ましたね。金星まで行かなくても月にラ・グーがいたらもっと短くしてドラマが増やせた。ムタチオンの下りとかクンタラの話とか、ちょっと説教臭いというか詰め込みすぎだった。
でも、遺言とかの気持ちで作ってるなら詰め込みたい気持ちは判る。でも、富野監督って逆シャアのころからずっと遺作のつもりで作ってたところもあるので、その点ではいつもの富野とも言える。
もっと肩の力が抜けた晩年のいとしこいし師匠の漫才や桂米朝の落語のような匠の技を見たかったんですが。でも、まだまだ若いということの表れかもしれないんですかねえ。
テーマ性とか世界観のメッセージを抜きにしてドラマや演出の面白さに特化した富野作品が見たいです。戦闘シーンは純粋に面白かったんで、出来るとは思うんです。


3.最近流行のポリコレ的に『Gレコ』ってどうよ?
ポリコレとは?
ちょっとこれはよくわからないです。
おはぎさんの同人誌にも書いたんですが、近親相姦を描くんならもっと近親相姦願望をするに至ったベルリの感覚を突き詰めてほしかった気もします。その点ではウテナの薫幹編の方が分かりやすかった。
ベルリがアイーダが姉だと知る前からアイーダとキスしたりしてないし、一線を越えてなくて、アイーダに認められた次の週で都合よくアイーダが姉だと知らされてベルリが去勢されちゃうのがちょっと残念。タブーがテーマですけど、アイーダが姉だけどセックスはしたい気持ちとか、そういうインセストタブーは描かれてないですね。
まあ、ベルリは童貞という描写なんでしょう。
ただ、ベルリ以外のキャラがガンガンセックスしてるので、逆にベルリだけが童貞臭くてもいいのかも。
トリーティとローゼンタールは脇役だからゲイでもいいんじゃないかなーって思います。その同性愛をテーマにしたらまたカミーユのコンプレックスみたいにこじれるので。カミーユが医師の少女とか言うのは好きなんですけど、それをするとややこしくなるので。
でも、初期案ではベルリは中性的で萩尾望都先生っぽいラインのデザインだったんですよね。そこが謎い。
セントフラワー編も見て見たかったです。
(あとはお二人の意見を聞いて流れで)


4.今後の展開、劇場版や続編について
うーん。出されたものを受け取るしかないのでは?
続編は、トリーティのスピンオフかなあ。だれかトリーティを主人公にしたスピンオフをガンダムエースで描いてほしいですね。夜のGレコ研究会によると生きてるらしいので。バララも実は生きているらしいので。マスクとベルリがモビルスーツを降りた後の時代にキャピタルガードを担うトリーティの活躍を見たいですね。トリーティは地味キャラなので単独では動かないかもしれないですが、実直に働いてくれそうです。
富野監督は総集編は過去の手法と言っていましたけど、結局総集編をやるんですかね。また新訳でラストを作り直すんでしょうか?まあ、富野監督の演出としての面白さは安心しているので、面白くなると思います。


最後に
・Gレコとは何だったのか?
ちょっと変だけどスゴイスタッフが集結して熟成された面白いアニメですよ。
アニメを見るだけでも充分に面白いし、メカもカッコいいしキャラクターも可愛いし、視聴するだけで楽しい。
で、ストーリーや世界観や演出で変な部分もかなりあるので、そういう引っかかり感を考えて行ったり、富野インタビューを読むオタクになって行ったりしたら、またいろんな楽しみ方ができる。
ガンプラも楽しい。
なので、楽しいアニメですね。何度見ても飽きない。実際20回くらい見てBDも買ってるんですが。芝居のパワーもある。いい。