玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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「花の詩女 ゴティックメード」を楽しめたこと

 というわけでドリパスの再上映で「花の詩女 ゴティックメード」を見てきました。
 前日にやっとFSS14巻まで読み終わるという突貫作戦だったので、6日前の10月21日の日曜日に見たのですが体調を崩してしまった。
nuryouguda.hatenablog.com


 おもしろかったです。面白かったのですが、面白がるには視聴者側のスキルも必要な作品だと思いました。
 なぜかというと、萬画ファイブスター物語萬画の文法をガン無視している異常な作品なので、その劇場版のゴティックメードは当然映画の文法を無視しているからなのです。(MHがGTMに置き換わる事件はリブートと単行本13、14でそれなりに納得したので、そこに対する怒りとかはないんですが。元々そんなに思い入れはないし。いや、模型雑誌を見て作例がかっこいいとは思ってましたけど、本編を読んだのが最近だったので)
(あと、MHからGTMへデザインが変わると同時に名前も変わっているのは不親切なようでもあるが、過去のMHは別物のデザインとして尊重する、という意味合いもあるという意見を読みました。僕もそう思う。(この映画の後もMHのキットが出てるしね)あと、遠い宇宙のおとぎ話を日本のコミックに翻訳した歴史ものとして考えた場合、新資料が出たら名前が変わるのは歴史学ではよくあること…?もともといきなり英語でラップしたりフランス語を話しはじめたりするやつだったので…)
花の詩女 ゴティックメード ワールドガイド


 まず、上映時間が短いんですよ。70分。普通のアニメ映画は90分から120分。
 なので、戦闘シーンが1回しかない。トリハロン皇子のカイゼリンが2体の敵GTMを旅の途中で撃退するのですが、その後に旅のゴールの前にもう一回敵が攻めてきて、カイゼリン以外のドナウ帝国の母艦に積んであったGTMを交えて大決戦!というような盛り上げ方はしない。
 戦力のインフレがない。



 普通のロボットバトル映画だったら、戦闘シーンは2回はやります。初戦闘と、ラストバトルの2回。
 しかし、この映画は1回しかロボット戦闘シーンがない。


 それは予算の都合なのか、描けるアニメーターがいなかったからか、楽屋裏を想像することもできる。母艦が先制攻撃を受けて、カイゼリンしか出撃できないというのもわりとご都合主義と言えばそうなのだが。


 だが、ここで思い込みがあるわけです。「ロボット映画なのだからロボットの見せ場があるはずだ」とか「既存のバトル映画なら2回は戦うべき」という思い込みが視聴者にあるわけです。僕にもあった。なので、1回しか戦ってないのは肩透かしを覚えた面もあるのだが、そこが注意点。


 「文法やお約束を外すのが永野護流」これを意識すると、戦闘シーンは1回で十分なのです。ロボットバトル娯楽アニメだと思い込んでいると戦闘シーンが少ないと思うんですが、「トリハロン皇子と詩女べリンの旅」だと思えば、戦争嫌いのべリンが「美しい、ロボット…」と思ってしまった時点でテーマとしては十分達成しているのです。もし、普通のバトル映画やRPGのように旅のゴールに立ちふさがる敵との大決戦が描かれたとしても、そこには迫力はあってもべリンとトリハロン心理的変化はあまり期待できないのではないだろうか。
 終盤にべリンをトリハロンが守る展開があると、逆に「守り、守られる関係」が強調され過ぎてしまい、「共通点を持つ二人」という心理的ゴールから逆行してしまうのだ。

  • ロボットアニメではないです

 世界最高峰のデザインのロボットは出てくるけど、主題はロボットではないし、ましてやバトルでもないという、ちょっとややこしい作品である。永野護監督の弁によれば「FSSはおとぎ話」だということなので、花の詩女も同様におとぎ話なのでしょう。


 なのですが、やっぱりロボットの描写が素晴らしかった。モーターヘッドからゴティックメードに取り換えられたわけで、ファティマスーツも一新されたのですが。関節や部品がほぼ独自に動くカイゼリンの起動シーンやレーザー索敵の描写、そして機動音は80年代ではなく、2012年のコンピューター技術と色彩表現技術の向上でやっと描写可能になったものなんだろう。


 それでも、その技術を「どうだ、すごいだろう」と見せるのはほとんど数秒で、GTM戦闘はほとんど一撃のもとに終わる。
 機動戦士ガンダムの殺陣が忍者のチャンバラ映画だとしたら(富野由悠季監督は実際に闇夜の時代劇で忍者を主人公としている)、ゴティックメード椿三十郎。無駄を一切省く。
 

 映画として無駄を省くのと同時に、「これがこの世界での当たり前の動き」との世界観を提示することがロボットエンターテインメント映画にすることよりも優先されている。映画の文法とか娯楽のお約束よりも、世界観を守ることが優先。そういう点では不親切な映画なのだが、圧倒的戦力のカイゼリンの見せ場は短いのに滅茶苦茶格好良くて、しかもこの世のものではないロボットの動きを見せてくれてシーン単位では非常にカロリーが高く、満足できてしまう。
花の詩女 ゴティックメード オリジナル・サウンドトラック

  • ロボットデザインとして

 日本の巨大ロボットは鉄人28号マジンガーZの円柱主体のロボットから、大河原邦男系列の箱の組み合わせのロボットになって進化してきた。また、ポピー(バンダイ)の村上克司のロボットデザインもやはり箱の組み合わせと言える。
hobby.dengeki.com
ガンプラ HGUC 191 機動戦士ガンダム RX-78-2ガンダム 1/144スケール 色分け済みプラモデル


 そこに、エルガイムで関節機構の考証を取り入れて入ってきたのが永野護デザインなのだが、GTMを見てしまうと、やっぱりモーターヘッドといえど、モビルスーツヘビーメタルのボックスの組み合わせを引きずっていると感じてしまう。特に初期のもの。
EMOTION the Best 重戦機エルガイム DVD-BOX1
アシュラテンプル リファイン FSS 1/100 ボークス ガレキ

 二重関節と言っても、ガンダムのプラモデルを見ると、関節部分も上腕と下腕をつなぐ小さめの箱に過ぎないんじゃないのって思ってしまう。(シド・ミードによる∀ガンダムの肘関節の球形間接に見せかけた引き出し構造くらいだろうか?まあ、∀ガンダムの駆動系はまた独自のIFB駆動で、関節にはモーターもエンジンも無いんですけど)
MG 1/100 WD-M01 ターンエーガンダム (∀ガンダム)

 大河原デザインは好きなものもあるし僕はガンダムのオタクなのだが、村上克司バトルフィーバーロボのような鎧武者を基本としている。で、やっぱりモーターヘッドも基本的には角が生えた兜をかぶった武者、というラインからは脱却できていなかった。というか、それを脱却できているロボットはほとんどない。ほとんどのアニメのロボットは大きさのバランスをアレンジしてはいるが、基本的なユニット構成(頭、胸、肩、腕、手、胴体、腰、太もも、脚、足、踵、翼)はほとんど村上、大河原のデザインの変奏に過ぎない。
(ぼくらの。とかはどちらかというと怪獣的なアプローチだし)


 そこで、ゴティックメードのデザインはそのロボットの体形を根本から見直している。異形である。特に胸から肩と肘、膝が生物の人体を模した人型ロボットの文脈からは大きく逸脱している。

そして無敵のMH「LEDミラージュ」はGTM「ツァラトゥストラ・アプターブリンガー」に


………まぁー、30年近く同じ“ネタ”いじってりゃ、まともなクリエーターなら
「飽き」がくるのは当然の話、だわなぁ
長年の間に追従者も出てくる(そんな奴、まだ見た事ないぞ!!)だろうし
「メカ表現」自体も“古臭い”ものになっていくだろうし……

しかし何より永野氏が悩んだのは、MHは「騎士の身体の動きを完全トレースし
その“剣技”をそのまま再現できる」という設定なのに
MHのデザインでは人間のように「身体の正面に剣を両手で構えて持つ事ができない」
といった、構造上の問題だったらしい

かつて、「箱&筒デザイン」だったアニメロボに
内部骨格フレームという概念を持ち込んで“革命”を起こした永野氏&MHだったが
それでも、いくらデティールに凝りまくろうとも、まだまだ「箱&筒デザイン」から
完全には脱しきれていなかった、という事か

確かに「見かけの“カッチョ良さ”」を考えれば、ゴテゴテした外装(箱&筒)ってのも
ある程度必要なんだろうけど……「そのマシンが本当に、嘘無く、ちゃんと“動く”のか?」
という“疑問”が頭に浮かんだ時、あらゆる事に安易な妥協を一切許さない性格の
永野氏は、その事に我慢が出来なくなったのであろう

そこで「人間のように(それ以上に)可動する巨大マシーン」というものを
完璧に追求するべく、さらにもう一段の“革命”を永野氏は試みる

永野氏は考え抜いた挙句(一番の悩みだったのは、従来の関節部の軸構造において
可動の急開始時と急停止時に発生する巨大な慣性モーメント処理の問題だったそうな)
関節での回転式の軸構造を捨てて、「ツインスイング」方式と言う、複雑怪奇でゴツい
(まぁある意味“単純化”されたとも言えるのだが)関節構造と
「誰も見た事がない」ような、更に徹底した“内骨格構造”化と
その動きを阻害しない、全く新しい外装を採用する
zaredeto.blog.fc2.com

F.S.S. DESIGNS 5 LITTER.pict

 デザインズ買わないとなあ。
 しかし、美しい。究極の機能美であるのだが、それだけでなく、ハイヒールや半透明装甲や謎の突起物や各部の曲線など、ハイ・ファッション・デザイン・センスを前提にした装飾の装甲もある。が、それが機能的骨格を邪魔しているのではなく、双方の異質さが「美しさ」としてまとめ上げられている。あんまり美術の理論的な所は学習していないのでわからないのだが。
 それがまた、「騎士とGTMは国の威信」という騎士道精神と政治的カリスマを要求するメカデザイン、という独自の世界観を強化する説得力になっていて、たまらん。

  • ボーイミーツガール&セパレイテッドスター・ロマン

 オタクなのでメカデザインについて長々と語ってしまったが、そもそもこの映画の企画はもともと30分くらいの短編だったらしい。それで、戦闘シーンでGTMを見せるには十分だろう。しかし、70分になった。それでも映画としては短いのだが。
 じゃあ、なんで増えたのかっていうと、旅する二人の主人公の心情のリズムがその時間的ボリュームを必要としたからなのだろう、ということ。ともすればFSSは永野のデザインの発表会と自嘲されることもあるのだが、かなり人間ドラマのロマンを重視していると思う。
 14巻のツラック隊に人が集まるところなどは逆襲のシャアの終盤をもうちょっとマイルドにしたようなドラマの精密さがあった。
ファイブスター物語 14 (ニュータイプ100%コミックス)


 で、この映画で着目して作られたのはべリンとトリハロン皇子の親密度の接近のためのやり取りでしょう。これがほぼメインであって、ゴティックメードのデザインの姿も戦争嫌いのべリンに「美しいロボット」と言わせるための機能にすぎない。無駄を一切省いている。
「すごいデザインだろー!」とはしゃいでメカ作画を動かして悦に入る段階はとっくに過ぎている永野である。映画を作っているのだ。


 で、他のキャラクターは申し訳ないがほとんど掘り下げられない。まあ、尺と予算の都合もあるだろうけど、やっぱり主役二人をフォーカスしたかったんだろう。(やろうと思ったらトリハロンの部下の騎士とか新米兵卒とか、べリンが立ち寄った先の人々などで膨らませて100分くらいのスタンダードな映画にすることはできたと思う。が、そこはばっさり切る)しかし、システム・カリギュラの変形GTMは特に何もしてないのに、かっこいいだけで雰囲気を作っていてずるいんだけど、FSSではロリロリ法違反のコメディーリリーフになってて…。
 上映時間が短いことで損したと思うような貧乏くさい客は相手にしていないのだ。
 というか、そもそもアニメーションとか映画って90分や二時間のフォーマットにしなくてはいけないなんてことはないわけです。アンパンマンとかパンダコパンダとか短くても名作の映画はたくさんある。
 必要なものだけを描く、これがゴティックメードという映画の独特な感性だ。そういう点では、ゴティックメードの映画は最近の娯楽アクションムービーというよりは、古典中編映画に雰囲気が似ている。
 それは、FSSがロボット萬画ではなく本質的にはおとぎ話という永野護の言う感覚にマッチしている。


 で、感動したのは、べリンとトリハロンが恋仲にならないことです!ボーイミーツガールで恋愛ムービーにする娯楽映画も多いけど、その路線にもいかない。
 しかし、じゃあ、何の感情もないのかというと、まったく違う価値観を持っている二人が出会って、衝突して、協力して、共通点を見つけて、共通の目的のために生きようとする、っていう点で「もののけ姫」にも近いラブロマンスにしようと思えばできる、けどやらない、きっぱり別れる。っていう永野護の独自の美学がある。これはダイ・グ・フィルモア5とクリスティン・V の13巻の関係で映画の回想シーンと共にリフレインされている。位置はきっぱり別れているけど、目的意識の心はずっとともにあるというような。

  • 高貴なるもの

 べリンは終盤、トリハロンと自分の共通点は「生きているだけで血が流れること」と語った。これはかなり重いのだが、つまり、「高貴」であることとほぼ同義だと感じた。
 何代にもわたる記憶を受け継ぐ詩女(川村万梨阿の演技の幅のすごさ!)と、戦闘マシーンとして改造されて生まれた騎士(ウォー・キャスター)の力を持つ皇子。
 普通の人とは決定的に違うけど、普通の人の国の象徴として見られる詩女と皇帝は、個人的な幸せを求めてはいけないのだ。ここで、男女の恋愛と国の間で葛藤する、というのが割と定番の映画のスタイルなのだが、そういう葛藤は見せず、互いの国のために別れていく。
 クール…。
ユリイカ2012年12月臨時増刊号 総特集=永野護 『ファイブスター物語』の普遍、『花の詩女 ゴティックメード』の衝撃


 もちろん、その葛藤に近いものはむしろ二人の距離が近づいていく過程での雨のシーンや戦闘シーンの中で同時に咀嚼されている効果を感じた。ともに高貴なものとして民を導くものだという共通点を互いに感じながら、男女として平凡な家庭を作ることは無理だろう、という雰囲気を同時に醸し出していた。


 しかし、あの雨の描写はすごい!雨の筋の作画の細やかさと雨音の立体感のこだわりが、トリハロンの誠実さというなかなか目に見えない性格を表現していた。いや、あそこで雨をあそこまでこだわるのはすごいぞ。


 で、二人は各々の責任感を持って別れるのですが、べリンが自分の仕事にしている道中の種撒きの扱いについて、トリハロンがすごく繊細な線引きをしていて、そこがまた国家を背負う高貴な人が自然にできる発想という感じで。茜の星の荒野に種をまくのはべリンの仕事だから手伝わず、自分は自分の国にそっと少しだけ分けてもらった種をまくという、そういう繊細な判断ができるトリハロン、かっこいい。


 富野由悠季監督もかなり高貴さを目指しているので、その弟子筋の永野護、という言い方もできるのだが、富野監督はやっぱりまだ男女の関係を重視している。永野護は京都人だからなのか、その世代で自分たちが結婚できなくても未来の世代が志を継ぐことを重視している。それは達観なのか冷徹なのか、ちょっとよく分かんないんですけど。

 その点、宮崎駿高畑勲ロリコンすぎてダメだね。真実は子供時代とか、そういう作風なんだよなあ。


 むしろ、永野護監督の奥さんでもある川村万梨阿さんが演じるべリンが恋愛感情とか結婚抜きで使命を果たす独立したプリンセスという感じなので、ロボットアニメだからと言って敬遠せずに女性やフェミニストにも見てほしいです。というか、富野監督の女性キャラも強いけど、永野護の女性キャラも強いんだよなあ。

  • ラストシーン

 そして、花の道が作られたのです…。というおとぎ話のような終わり方をするんですが、そこにFSSのキャラクターが登場して、爆エモ。
 うわーーーーーーーっ!つながってるんだーっ!とエモエモのエモ。


 それでエンディングテーマは地味に終わるかと思ったら、かなり彩度の高いフォントでメインキャラクターの名前とキャストをバーン!っと出して気分を上げて劇を閉めてくれるんで良い。マスコットキャラのラブの動きも良かった。
 ジョジョの2部とかD4プリンセスみたいなエンディングでエモいよな。

  • 余談

 しかし、あんなに謎めいて格好良かったキャラが14巻で年増コスプレ女子校生ロリロリ法違反になってしまうとは…。

  • 結論

 映画としては短いし、ロボットアニメとしてはバトルが足りないし、恋愛もしてないので、色んなものの文法やお約束を破りまくっているので、変な映画なんですが、ジャンルとかお約束をいったん忘れて、「ゴティックメードのジャンルはゴティックメードだ」と思えば楽しめました。

ファクトリーズ 2010―The five star stories mod

  • ドリパス

まだこの映画の販売中の所があるので。11月の奈良はやる気を出したら行けるかもしれない。
www.dreampass.jp

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著者へのプレゼントはこちら
nuryouguda.hatenablog.com
 でもゴティックメードは置物として鑑賞するにはいいけど、ガンダムの方が稼働フィギュアで遊べるよな…。MHやGTMは転んだだけで大破するときあるし…。



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