玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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Gレコのためにその2ヒットするアニメのレイヤー構造 後編

前編から続き
nuryouguda.hatenablog.com
 色々と例を上げたがアニメだけでなく、ゲームで考えてみてもいい。
(あー、後編ですけど、Gレコの話が最後にあるので2万文字もあります。ひでえ文章を量産してしまった)


 実はドラクエやってないんですけど、これが一番シンプルなのでドラクエIII。小説版は読んだ。
 色々な土地を探索して、アイテムを集め、探索範囲を広げていくのがドラゴンクエスト
 それで、普通なら手に入らない特別な精霊の加護を受けた鳥ラーミアとか装備とかアイテムを手に入れて、勇者は存在力を強化していく。
ドラゴンクエストIII そして伝説へ… ブリングアーツ 勇者

 その際、世界の成り立ちとかのメタ情報を得て、特別な存在に成る。
 ゲームなので当然なのかもしれないだが、これは将棋に似ている。
 コマをレベルアップさせていって、敵陣の世界に入ると、飛車が竜になったり、角行が馬になったり、歩がと金になったりする。
 まるで将棋だな。
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 宇宙戦艦ヤマトイスカンダルの領域に入ってアイテムを貰うのも似ている。
 これは西遊記の天竺でありがたいお経を貰うという伝説の構図に似ている。
 

 何が勇者を勇者たらしめるのかというと、別に暴力が強いからというより、そのようにメタ情報領域の精霊にアクセスして特別なアイテムやメタ情報を付与されて、存在力を強めるからで、それだからこそ大魔王と決戦をする権利を持つ。そして、魔王を倒して世界の均衡を回復させる。
 これはスター・ウォーズとかもそうです。ルークもヨーダからメタな修行をさせられてジェダイになって、父を説得してフォースのバランスを正す。
 

 ドラゴンクエストと同じ鳥山明ドラゴンボール孫悟空は最初の方はドラゴンボールを地道に集めていたが、徐々に「神様」や「界王」などの、あの世のメタ情報存在とのコネクションを得て、それを利用してさらに修行して強くなっていった。スーパーサイヤ人はちょっと急なパワーアップだが。
 しかし、物語後半では孫悟空は死んだり生き返ったりし過ぎて存在係数が実存よりもあの世の概念に近くなってしまう。そこで、神様とかよりも人間社会とのつながりのつよいミスターサタンが世間の人との仲介者になって元気玉を作成させたりした。

 もう、図を作るのも飽きたので適当に言うけど、かばんちゃんは自分が何のフレンズかわからんという欠落があった。
 んで、ヒロインのサーバルちゃんと一緒にメタ情報をくれる図書館に行って「ヒトのフレンズ」ということを知ったり、ミライさんのことをラッキービーストから教えられたりして存在力を高めて、フレンズたちとの絆を深めて、四神アイテムをそろえて、巨大セルリアンをやっつけて、パーティーをして、新世界に旅立ちます。
 すごくテンプレ。だけどけものフレンズはそれをテンプレと感じさせないたつき監督のセンス具体的にはバスに軽卒に轢かれる感じでおもしろくしていた。

 ドラゴンボールのことを言ったが、ロボットアニメや冒険アニメだけでなく、スポーツや料理萬画にもテンプレートは応用できる。
 テンプレートのパワーポイントを作るのが飽きたので、読者の皆さんが考えてください。


 例えば、あしたのジョーでは風来坊の矢吹丈丹下段平からボクシングのメタ情報を教えられてボクサーとしての力量を上げていく。
 丹下段平のレベルを超えると、力石の死の経験やどさ回り、カーロスとの死闘と廃人化などのエピソードを乗り越えて強くなる。
あしたのジョー2 Blu-ray Disc BOX1

 そして、あしたのジョー2では白木の様々な刺客を倒してランクアップしていく。
 同時にパンチドランカーなどのデバフにかかってしまうが、のりちゃんとの会話で「真っ白に燃え尽きる」というメタ概念の悟りを得て、白木葉子から愛を受け取ったのかはよくわからんのだが、世界チャンピオンのホセ・メンドーサとの最終決戦に進む。


 ジョジョの奇妙な冒険第三部は最初からジョースターのメタ因縁を持っている空条承太郎が最強だが、旅をするうちにできた仲間との絆とその喪失をきっかけにしたプッツーンの怒りで「時の世界」のメタ情報に入門してスタープラチナ・ザ・ワールドに進化する。
超像可動 「ジョジョの奇妙な冒険」第三部 12.空条承太郎・セカンド(荒木飛呂彦指定カラー)(再生産)



 北斗の拳ケンシロウは敵ボスの技の情報をインストールして強くなっていき、最後に「かなしみ」のメタ情報で悟りを啓いて拳王と闘う。
 聖闘士星矢セブンセンシズに目覚める。
 キン肉マンにはくわしくないのだ。


 料理萬画とかでは、料理勝負をしてライバルとの縁を得つつ、料理バトルのルールをつかさどる味皇料理界とか、運営との縁も得て、試練を与えられたりしつつ、レベルアップして料理の概念とかのイメージの世界に行く。
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 大体そんな道筋がある。

 で、この回路をちょっといじると恋愛ドラマにも応用できる。
 アニメしか見てないけど、「恋は雨上がりのように
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 バトルアニメの「交戦」が「交際」になり、ヒロインとおじさんはヒーローと敵とは違い、同じファミレスのガーデンで働く仲間。と、同時にヒロインの橘あきらは高校の陸上部にも所属している。
 で、バトルものだと敵対とか殺害だった関係性が、「友情」とか「仲良し」とか「助言」とか「反発」(加瀬との関係ね)とかになる。
 あと、吉澤とユイが仲良さそうにしているのをあきらが見て、影響を受けたりする。(原作では吉澤があきらのことを好きだったり、ユイがバイトを辞めたりするらしいが、アニメでは無かったよね)


 で、ここで恋愛ドラマとしては面白いな、と思ったのは、単純におじさんが若いヒロインを手に入れる話じゃないところ。
 結局、二人は別々の道、文学趣味のファミレス店長と陸上部の高校生に戻る。
 戻るっちゃ戻るんだけど、交際している時に二人が図書館に行ったり親交を深めなければ、「ちひろの本」や「陸上の写真集」のメタ概念から影響は受けなかったわけで。
 それで、おじさんは早稲田で同じサークルだった九条ちひろと旧交を温めるし、あきらは陸上に戻ることに真剣みを出す。九条ちひろは売れっ子作家なので、おじさんはあきらから影響を受けなかったら連絡を取ろうとは思わなかっただろう。(ちひろの性格が面白くてよかった)
 (はしょった他校のキャラクターとか、家族関係とか、図解に入れきれなかったのもあるけど)
 互いに文学と陸上と道は違うけど、交際した期間があったからこそ、向き合い方の真剣さが変わって高い次元の活動になっている。それは確実に恋愛ドラマがあったからこそだっていう。端的に言うと出会ってよかったねという。


 出会ったからこそ、おじさんとあきらは「成る」ことができて、高次元の目標のエンディングに到達できたとみることができる。単純に結婚、とかではないのですが。


 あと、恋愛萬画は「ディスコミュニケーション」と兄妹恋愛少女漫画をいくつか読んだくらいなんですが。
 バトル萬画で「高次元の要素から影響を受けて、主人公が己を高める」という要素は恋愛ものでもあるわけです。
 まあ、「僕は妹に恋をする」で兄妹が海外の弁護士と外資系OLになるのはちょっと頑張りすぎな気もしたけど…。
 僕は読んでないけど、ラブストーリーの古典(といってもいいのか?)の「めぞん一刻」は主人公が未亡人を愛するにあたって、存在力を高めていく修行みたいな要素もあるらしい。

 で、いろんなアニメや萬画の話をしたけど、本当にしたかったのはガンダム Gのレコンギスタの話なんですが!もう!本当に脇道!
 何でここまでいろんなものを図解にしたのかというと、みんなが「Gレコはわかりにくい!」って言うから、「じゃあわからせてやるよ!」という気持ちです。わからせていきます。
 いろんなアニメを対立軸とメタレベルで図解していくことで、Gレコわからせおじさんとしての説得力のゲージを溜めてきました。
 

 で、!
 Gレコが分かりにくいという前に、そのガンダムシリーズの最初の機動戦士ガンダムを分からせていきたいと思います。
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 というか、初代ガンダム、そんなに分かりにくくない。
 宇宙戦艦ヤマトに似ている。


 ただ、特筆すべきは、世界が見えるニュータイプが、他の図と違って、敵側(厳密にはシャアの近く)にいることです。そして、ニュータイプは「世界や刻が見える」けれども、世界観の秘密や宇宙の真理を知っているわけではない。ということが他のSFアニメとは違う。ララァは世界が見えるけど、ガンダムには「メタ情報領域」に隔離された超越者がいないんだ。ほとんどすべての登場人物がドラマが起こる黄緑色の範囲に入れられている。神様とか精霊とか解説役がいない。(ナレーターの永井一郎がギリギリ…?)
 そういう点では、恋愛ドラマに似ている。ピンク色の恋愛線が多い。ただ、ほとんど点線なので、死んでるし、成就した恋愛がブライトとミライくらいしかないのだが。


 テム・レイガンダムを作ったことでかなり高次元かもしれないのだが、痴呆になった。


 重要なのは、世界の真実をララァアムロに教えて導いてくれるように見えて、ジオンの遺児のシャアとセイラがブッ込んできて滅茶苦茶になってララァが死ぬところです。
 宇宙戦艦ヤマトでもスターシャが死んでるバージョンがあるんだけど。
 セイラもシャアを殺すつもりで突撃してきたし、ララァは巫女ポジションなのに、シャアに肉親殺しをさせたくないという生々しい感情で盾になってアムロに殺されてしまう。ここら辺の交錯の因縁は、ベルセルクのガッツとグリフィスやデビルマンとサタンよりも生々しいし、なんとも言い難い。


 また、終局後の目標が「人の革新は密会に過ぎない」という小説版と「子どもはみんなニュータイプで未来への希望」というアニメ版の二通りがある。ここがまたハッキリしない。


※追記 しかも、アムロガンダムの戦いはア・バオア・クーの防衛線に穴をあけることには成功したものの、一年戦争終結という大きな目標にはあまり関与していない。シャアとはほとんど私闘。

密会―アムロとララァ (角川スニーカー文庫)

 アムロは結局、ララァと共鳴したことで「特別な主人公」に成れたのかがハッキリしない。ドラゴンクエストの勇者が「特別なアイテムで特別になる」という分かりやすい図式なのと対照的。もちろん、ガンダムを一番うまく使えるという点でアムロは最強なんですけど。
 シャアとの剣での対決で、アムロララァのことを持ち出すが、それで同志になるのかいまいちハッキリしないまま爆風に流されてしまう。
 ここら辺の現実の戦争の爆風とかの要素でキャラクターの都合と関係なく死んだり物別れになってしまうっていうニヒリズムが富野監督作品にはあるのかもしれない。
 イデオンも世界の真実のように見えて、第六文明人という結局滅びた種族の残滓に過ぎないし、イデが発動しても結局死ぬだけだし。(永劫回帰かもしれないのだが)


 そして、ガンダムが異常なのは物語のテンプレートとして大塚英志氏が上げていた「欠落の回復」がないことです。
 ララァは死ぬ。
 いや、ララァとはいつでも遊べるし、ホワイトベースの仲間に迎えられて一見回復したように見えるけど、「亡くなったものは亡くなる」という冷徹さはすごくある。
 まあ、デビルマンとかホラー映画も喪失体験の悲劇なんですが。
 ガンダムは単純に悲劇って言えるかって言うと、そこもハッキリしない。むしろ、悲劇なのか喜劇なのか王道なのか邪道なのか決めずに、「実際殺し合う戦争だとこういう風だろ」という「現実認知」の哲学があるように見える。
 なにしろ、富野作品のヒロインを今思い出してみたが、主人公と対等に恋愛してきれいに結ばれる恋愛はほぼ一つもない。
 大体喪失体験。
 新訳ファは尊いんだけど、ファはニュータイプじゃないからなあ…。フォウは死ぬ。
 ニュータイプが主題のように見えて、「ニュータイプの力でよかった」というのがほとんどない。シャアは一年戦争から15年以上ずっとこじれる。
 セシリーの花は見つけるんだけど、クロスボーンガンダム木星戦役が終結するまで10年も結ばれないという。いや、10年かけても結ばれるのは富野ガンダムではレアな方か。

 
 だから、戦争はそうなんだよ!っていう話。


 戦争をファンタジーや分かりやすいエンターテインメントにしてやるものか、という意地すら感じる。
 戦争なので、偶然飛んできた砲弾の破片とかでうっかりすぐ死ぬ。ニュータイプが未来予知とかできても、ちょっと反射神経がいいくらいの扱いで、取り返しのつかないことをしてしまう。


 ただ、この図解に意味があるとしたら、ホワイトベースニュータイプ身分関係でしょう。
 戦隊もののように、底辺にリュウ・ハヤト・カイがいて、それをフラウが支えて、中心に艦長のブライトがいる。(ブライトはリュウにちょっと頼りたかったんだけど、死んじゃって、)
 ここら辺のデブとチビとニヒルとリーダーの人間関係はコン・バトラーVやゴレンジャーの安定した伝統的テンプレートと言える。

 
 しかし、ミライとセイラがニュータイプとして少し高くいて、その上に未来への希望(一年戦争当時)のカツレツキッカがいて、頂点に主人公で最強のアムロがいる。ここはちょっといびつで、アムロが突出しすぎ。
 アムロは最強すぎて、ホワイトベースの人間関係からもちょっとはみだしがちなんだが、そういう点では、アムロは十分特別なヒーローではある。めっちゃジオン殺すし。
 ただ、それが個人的な幸福に結びつくのかって言うと、そうではないのがF91Vガンダムにまで続く富野ガンダム世界観。ベルトーチカの出産には立ち会えないわけですし。

 で、ここで読者諸氏は「富野ガンダムは1stガンダムからハリウッドや神話の構造から外れていて物語の体裁をなしていないじゃないか」と、ツッコみたくなるかもしれない。
 そう、富野アニメは異質なのだ。そのことについては大塚英志氏は「キャラクター小説の作り方」の終盤でわざわざ紙面を割いて富野作品についてハリウッドとは別枠だと解説している。(手塚治虫の影響も大であるとしているが)
 引用する。

キャラクター小説の作り方 (星海社新書)

P279(出版社ごとにページ数が違うかも)

 さて、もう一つ、この際ですから日本の戦後まんが・アニメ史は「戦争」をめぐってハリウッドと異なる手法を開拓していることにも触れておきましょう。
 富野由悠季が「ガンダム」を作るより七年前に演出した「海のトリトン」というアニメによってそれは示されています。小学生のものであったアニメに10代半ばの視聴者がついたのは「ヤマト」が初めだと思われがちですが、実は「トリトン」が最初です。
(中略)


P281
 トリトンは主人公の男の子が敵と戦いつつ成長していく、そして思春期の少年少女であった当時のぼくたちはそれに自分の成長を重ね合わせて見ていくという、前述の『ハリウッド脚本術』のセオリーに忠実な話でした。それがとても心地よかったのです。
 ところが最後にそれがひっくり返されるのです。トリトンが正義と信じていた行動は、ポセイドン族の側から見れば侵略であり、彼は「敵」を倒したつもりだったけれど、その結果、ポセイドン族の側の一般市民をも殺してしまった、という「戦争」の持つ現実を突きつけられて物語は終わるのです。
(中略)
 富野由悠季が戦後アニメ史に残り得る価値があるとすれば、それは、「ガンダム」の商業的成功ではなく、「トリトン」で与えた衝撃の大きさにおいてだとぼくは考えます。
 そんなふうに、ハリウッド映画とは違うやり方でぼくたちは「戦争」を描けるのです。少なくともこの国のまんがやアニメはハリウッドとは異なる「戦争」の描き方を積み重ねてきました。(後略)
海のトリトン コンプリートBOX [DVD]

 というわけで、富野作品は異常です。トリトン以降の他のアニメを色々と図解してみたが、ほとんどが「ハリウッド脚本術」に近い「欠落の回復と成長」で「世界観を分かった気になる」作品が多い。
 デビルマンエヴァもヒロインや人間関係では悲劇なんですが、「世界観が分かる」という点ではテンプレートが安定している。サタンも碇ユイも最後にちゃんと解説してくれるし。「悲劇なんだな」と納得はできる。(エヴァは気持ち悪いけど)


 僕は大塚氏とは少し違って、トリトンはちょっと若さゆえの粗削りさがあって最終回がちょっと唐突に見えたな、という評価です。ポセイドン族が被害者になるという最終回は、富野監督は他の脚本家に黙ってぶち込んだらしいので、テロに近い。
 で、ガンダムララァへのアムロの恋心を丁寧に描写した上で、一緒に世界を見る気持ちよさを描いた直後に、世界と通じているララァをぶち殺します。真実なんかないんだ。ララァが精神体になってアムロと一緒になった、という風に小説版の「密会」は読めるのだが、そこにララァの「肉感」を手に入れて因縁を深めたシャアが立ちふさがる。そのシャアを殺したり改心させるわけでもなく、奥歯にものが挟まったような感じで終わる。
 アムロホワイトベースの仲間の所に帰るのは感動的なのだが、世界の真実の巫女であるララァを手放して、欠落して存在レベルを低下させてるようにも見える。(まあ、「人間は逆立ちしても神様にはなれないからな」って言うのが富野監督の哲学なのかもしれない)(無敵超人ザンボット3無敵鋼人ダイターン3機動戦士ガンダムニーチェの超人思想の影響のもとにあると僕は思っているのだが、超人になったからめでたしめでたし、とはなってない、人間が人間を超えることができると良いけどできない、という歯がゆさがあるし、それがリアル)(イデオンはやっぱり永劫回帰なのかなあ)
 そして、やっぱりシャアはこじれたまま、やけくそでほとんど戦略的な意味がないのにキシリアをぶち殺す。後年、クワトロ大尉は親が殺された直後のカミーユくんに「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破するうえで一番重要なことではないかと感じたのだ」と、「やけくそになろうぜ」みたいな暴言を吐いています。


 そういうわけで、ガンダムはなんだか落ち着かないのである。
 落ち着かないゆえに続編がもう膨大に出まくる事態になってしまうのだが。
 (そう考えると、ガンダムXのD.O.M.E.の設定語りと締めは演出技法としてはキレイだったんだよなあ。富野監督は縮小再生産と言ってたけど)


  • 低次元の存在の意味

 大塚英志氏がわざわざトリトンを2001年のアメリカ同時多発テロ事件(9.11という気取った言い方は嫌いである)の直後の著書で触れたのは、それが対テロ戦争の最中だったからなのです。で、それは戦時中世代の手塚治虫を連想させたからなのです。
 手塚治虫について、大塚氏はトリトンについて書く直前にこう述べている。

 ディズニーのまんがやアニメで育ち、まんが表現に魅せられながら、他方で、本物の戦争が日本で行われていて目の前で死んでいく人たちを自分の目で見なければならなかった子供時代の手塚治虫は、まんがやアニメの「死なない身体」に「死にゆく身体」を与えてしまったのです。
 この手塚の「発見」がいかにこの国のまんがやアニメの歴史を本質から規定しているかについては繰り返しません。
 けれどハリウッド映画が「ダイ・ハード」主人公を生身の人間が演じるドラマでありながら民話やアニメの「平面性」からなるキャラクターを無批判に継承してしまったのに対して、手塚に始まる戦後まんがは「記号的」で「平面的」な主人公でありながら生身の人間のように傷つき死んでいくキャラクターを創り出すことになっていきます。

 と、おっしゃっている。
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 まあ、それも15年前の議論で、アメリカ映画はその後「ドキュメンタリー路線」で「死」を描くようになっている。イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」とか「硫黄島からの手紙」とか。アメリカは戦争しすぎだし。
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 逆に、萌えアニメが一般化したゼロ年代以降、ここ15年の日本アニメこそ「死なないキャラクター」を強調している面がある。これは長期不況で自殺が増えているからか、中国の台頭で日本海を前線とした戦争が起こりそうだと予感している恐怖の反動からなのか…。
 艦これとか、大破しても死なないキャラである。むしろ大破が見世物になっている。
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 そして、アイドル物が隆盛して、若い子に苦労させて実際に自殺者も出ているのに、「死なないアイドルの偶像」が理想化されているように見える。僕もTHE IDOLM@STERのプロデューサーだし。その延長線に初音ミクVTuberがいることは当然です。
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 なので、15年前の大塚氏の意見には、若干の疑念がある僕なのですが。
 ここまで図示していた「存在身分レイヤー」について、「低次元」の意味を書こうと思う。
 ここまで、「高次元で世界の情報を握っている」存在を強調して図示してきたのだが、高次元のララァを主人公がぶっ殺すようなガンダム、しんどいですよね?(実はこの文章を書いている時の僕は歯を食いしばりすぎて奥歯から出血している。しんどい)
 逆襲のシャアまで時間がたっても、「ララァが死んだ時のあの苦しみ、存分に思い出せ!」っていう話ですからね。
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 物語や英雄譚は高次元の存在に注目して進んでいくことが多い。
 だから、低次元の人には「みんな私を見下しているんだ! 何の苦労もなく、持って生まれた力を誇ってな!! だからお前たちは、みんな平然と....人を踏みつけにできるんだあああ!」
 という気持ちがある。ウテナさまは気高いので、いまいちピンと来てなかったようだけど。
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 そう、低次元の大衆はワイドショーとかユーチューバーやアイドルの事件性を安全に消費しているように見えて、実はそれは錯覚なのです。なぜなら、一番たくさん死んでいるのは、一番たくさんいる低次元の大衆なのです。あと、低次元の大衆はすっとろいのでつまんねーことですぐ死ぬ。
 ワイドショーはそういう大衆が「自分はまだマシ」と思うような装置なんですが、僕は親が自殺してるし、自分もまともな死に方をしないと思ってるので。


 当然、精神を病むわけです。現実を直視して自分の死を常に意識していると、生物としてストレスがすごい。人はそれをうつ病と呼ぶ。僕は精神障害者なんです。


 じゃあ、多くの健常者はどうするか。


 「切断操作」です。SSSSグリッドマンでもシン・ゴジラグリッドマンゴジラに踏みつぶされて死んだような大勢の人の死の痛みは脱臭して演出しています。(SSSSグリッドマンはあの世界がアカネちゃんの創作なので、6話でグリッドマンと怪獣の戦いに巻き込まれても、嫌いな人以外は生き返るって補則されました。やさしいせかい)


 それについては、大塚氏が興味深い文章を「キャラクター小説の作り方」に載せている。

P221
 「世界観」とは読者がキャラクターの目を通じて「観」る「世界」でなくてはなりません。

 という前提はあるのだが、人やキャラクターは往々にして自分の都合の良いものばかり見たがるところがある。なので、世界の真実だと思って見たものが歪んでいるかも…?

P133

  • ハリウッド映画の主人公が不死身な理由

(前略)
 いうまでもないが、そもそもの草創期から、映画というジャンルは、<壊れない人間>を描くものだった。そういうヒーローを見ている間、観客は自分が<壊れもの>であることを忘れる。単純なカタルシス作用の仕掛けだったんだ。不死身のヒーローにバタバタ斬り殺される、その他大勢の脇役は確かに<壊れもの>だよ。しかしかれらは映像の記号にすぎない。たとえば脇役の、一個の人間が斬り殺される苦しみを強調して、同情をこめて映し出されるということはない。そんなことをしてみろ、たちまちスーパー・ヒーローと脇役とは、役割が逆転してしまう。一方で、クルクル廻したピストルをガンベルトにしまい込むヒーローを映し、他方に、きみ式にいうなら「異化」された傷口をさらけだす脇役とを想像してくれ。(大江健三郎『取り替え子』)
取り替え子 (講談社文庫)

 ガンダムの図を見ると、重大なドラマはほとんどアムロとシャアとセイラとララァで済んでいる(事実、「密会」でそれで短く再構成されている)のですが、低次元のキャラクターも濃い。
 オールドタイプのランバ・ラルや不器用なニュータイプのシャリア・ブルや哀れなガルマとイセリナなどのドラマがある。
ガンダムの現場から―富野由悠季発言集 (キネ旬ムック)

 富野監督はランバ・ラルについて、「アムロニュータイプになる前に、オールドタイプの普通の人間を知る必要があるから、ランバ・ラルと絡ませた」と言っている。英雄譚の主人公や勇者が「メタ情報」を手に入れて存在を特別にするのとは違い、アムロはほっといても修羅の連続の中でニュータイプに覚醒するので、逆に低次元の人と絡ませるのが重要だ、と言っている。ガンダムの企画段階の富野メモの「シャリア・ブルのニュータイプ論」とかはかなり観念的なのだが、それに対するカウンターウェイトとして世間一般の普通の人の作劇を重視するところも、富野監督にはある。バランス感覚?


 ホワイトベースの中でも脇役メンバーのカイとミハルの悲劇やハヤトのみっともなさやフラウのアムロへの苦手意識が描かれている。
 特にひどいのは子供の食べ物を盗む避難民の老人と、それを目撃するアムロアムロは子供に食べ物を分けてやるが、パイロットなので多めに食事をもらってるだけなのです。
 つまり、存在身分レイヤーを意識すると、「人を見下す」ということに富野作品は自覚的だと発見できるのです。大抵のアニメはモブはモブとして、ほとんど意識しないように主役周りばかり丁寧に描きます。ウテナの若葉を描いた幾原邦彦監督は自覚的なので、それゆえにこそモブをピクトグラムとして処理しています。
 富野監督は「ノブレス・オブリージュ」(高貴なるものの義務)をテーマにすることが多いのですが、その反作用としての「下の者を見下す」ということにもかなり自覚的です。
 (闇夜の時代劇の下忍の扱いや、ダイターン3の第37話 「華麗なるかな二流」とか。それは東京出身なのに小田原という中途半端な田舎で育てられた富野監督のいびつな差別したりされたりという感情の生育経験から来ているのかもしれない)
 それが、最新作「ガンダム Gのレコンギスタ」の「クンタラ」として明文化されます。「ふつうの人が安心して見下せる身分」として「クンタラ」が設定されているのです。そして、それは富野アニメの脇役への目線からちゃんと地続きのものなのです。
 (ダンバインのガロウ・ランとか、ブレンパワードのオルファンに蹂躙されるアジア人や、∀ガンダムの運河人やリーンの翼在日朝鮮人など被差別階級を結構描いている。それも、高貴なるものを描くために無視できないという富野監督の誠実さだろう)
 (ていうか、ララァは売春婦だし)
 (歴史オタクの安彦良和先生は絵が上手いのに、英雄以下の大衆はゴミのように殺すことが多い。元のシャア・アズナブルとか)(逆に、ORIGINはランバ・ラル黒い三連星を過度に英雄っぽく描いてたな。プラモを売るためかもしれないけど。)


 やっとGレコに話を持って行くことができたぞう。


 では、Gのレコンギスタのテンプレートを書いてみましょう。
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……
………
   書けない!!!!!ぐっちゃぐちゃ!!!!機動戦士ガンダムのテンプレートの時点でかなり発狂しそうだったのに、Gレコはもうハチャメチャすぎるのだ!!!!


・まず、主人公のベルリ。
f:id:nuryouguda:20161001140933p:plain
 とにかくこいつの所属がはっきりしない。最初は「キャピタル・ガード養成学校のエリート飛び級生」というすごく堅実な場所にいたのに、アイーダさんに一目ぼれしたのと、G-セルフを動かせることに調子に乗って、メガファウナに行く。メガファウナに行くが、ベルリは途中まで「キャピタル・ガードのままです」と主張している。でも、ガードの恩師を殺している。

戦闘の後にたくさん人をぶっ殺したベルリはお姫様に褒められます。

「今日の見事な戦い方で知りました。あなたは立派な戦士です!違いますか?能力がある人は、その義務を果さなければならないんです!」
と、ベラ・ロナやディアナ様が放棄した「騎士を叙勲する」っていうコスモ貴族主義の姫様、女王様の義務を果たすアイーダは「その代り、騎士は義務を果たして戦いなさい」と言う。


アイーダが好きって言うだけで(キャピタル・ガードとして海賊や宇宙を調べるという言い訳をしつつ)戦ってきたベルリはめちゃくちゃうれしいはずなんだが。「やったぜ!これでセックスさせてもらえそうだぜええ!」と、おはぎさん流に言えば半勃起で先走り汁が出てる感じなんだが。

すっげえ顔で反論する。
「人をおだてたって、早々乗れるものじゃありませんよ?おだてには…乗りません…!」
と、ベルリはすごい汗をかく。汗もかいてるし先走り汁も出てるんだろうね。
これは、あれだ。姫騎士が「クッ殺せ…」→「チンポには勝てなかったよ…」となるのの男バージョンで
「女のおだてには乗らない!」→「女には勝てなかったよ…」でしょうね。


そんな王子様騎士のベルリに対して、片思い中のノレドちゃんが

「男をやれって言われてんだろ!うれしがってやりな!」って言うの、おつらいでしょう・・・おつらい・・・。


そんな風にせっつかれて、ベルリは「僕がここに帰って来られたのも、みんながいてくれて、メガファウナがあったからです!だったらやることはやってみせます!」と、すごい表情を殺して優等生発言を。そのみんなの中になぜか捕虜のリンゴ君が入ってるのもじわじわ面白い。
nuryouguda.hatenablog.com

 第10話でベルリがメガファウナを帰る場所と認識するのは、まだ「キャピタル・タワーの母が許してくれる」という感じ。で、第14話でベルリが「メガファウナに帰ってこられた」と言わされるのは建前という感じ。
 どこでベルリがキャピタル・ガードじゃなくなったのかが分かりにくい。
 その上、レイハントン家の皇子と言われて、戸惑っている間に金星旅行をしてしまう。それで帰ってきたら地球人同士とトワサンガ人で戦争をしている。で、アイーダとベルリはアメリア軍に帰属することをグシオン総監に対して断る。「海賊部隊のメガファウナということにしてください」というふうに言うが、海賊部隊なんてものは最初からダミーなので、とにかく帰属意識が安定しない。図にできない。


 メガファウナ。これの所属もわかりにくい。アメリア軍がバッテリー泥棒をするためのダミー組織だったのに、いつの間にかアイーダが舵取りをして月に行ったり金星に行ったりして、完璧に軍の指揮系から逸脱する。(ガンダムZZネェル・アーガマみたいなものかもしれんのだが)それで、いつの間にかクレッセントシップの一部みたいになってしまう。

  • 敵味方が分かりにくいGレコ

 基本、敵と味方に分けて図にすることができた。デビルマンエヴァンゲリオンでさえ、怪獣の裏にいた真の敵は人間だった!ということで、敵の構造を2重にするだけで図解にできた。
 しかし、Gレコは敵対組織が多すぎる。その上、どの組織も守旧派と急進派に別れて内紛をしている。なので、分かりにくさも二倍。
 しかも、クリム・ニックのようにメガファウナからアメリア軍の艦隊司令になって、でも最後は船が轟沈したので一人の戦士になったりする。所属が点々とするのはベルリだけではない。
 マスクもガランデンの所属ということにはなっているが、ガランデンゴンドワン外人部隊という面もあり、しかもクンタラ部隊はその中でも差別されている。なので、マスクがどこに帰属意識を持っているのかがわかりにくい。終盤でGit団の一味から「ビーナス・グロゥブクンタラのようなもの」と聞かされて最強ロボを渡されるけど、G-Itと呼ぶのは避けてクンタラの神、カバカーリーと名付ける。
 脇役のフラミニア先生もスパイだったり小人だったりして印象がコロコロ変わる。
 特に物語上重要ではないリンゴ君が軽率に裏切って仲間になったりする。
 ラライヤに至っては月のトワサンガレジスタンスのスパイとしてドレッド艦隊に潜入した上で、G-セルフで地球の偵察をしろと命令されて地球に降下するが、そこで酸欠事故を起こして幼児退行する。で、そこで幼児のままかというとそうではなく、ベルリにくっついてキャピタル・ガードからメガファウナに行ってしまい、そこで戦士としての本来の自分を取り戻したり、妙な男に好かれたりする。
 ノレド・ナグちゃんもベルリの金魚のフンだと言われるようにくっついて転々としている間に、看護師になりたいと言ったり歴史を学ぶとか言ったりしつつ、結局G-ルシファーを軽率に窃盗して軍艦並みの超巨大ビーム砲で砲撃したりする。
 で、メインヒロインのアイーダさんはものすごい美人の報酬対象としてすごくほしいと思わせるキャラクターとして登場しておいて、姉でしたー。ですよ。ハ?で、姉になっちゃって、ベルリの好意とか恋人を殺されたこととかを結構雑に扱う。まあ、姉なるものはそういうところがある。で、弟のベルリに頼るでもなく、自分の意志で割と好き勝手に行き先を決めたりする。機動戦士ガンダムのセイラさんはああ見えてすごい近親相姦願望を隠していて(イメージソング「セイラ・ネイキッドナイフ」参照)兄のシャアにすごくこだわるけど、アイーダさんはベルリが最後に日本で別れてもサバサバしてる。なんだこの女。しかも富野監督が自分で「処女じゃないから描写をするやる気が減ってしまった」とかすげーどうでもいいモチベーションの低下を告白している。おまえ、さあ、富野監督も70すぎで孫もいるんだからさあ、ヒロインが処女じゃないくらいで自分でショックを受けるなよ…。


 そんで、敵。敵がはっきりしない。どの組織も内紛している上に、絶対的な悪が存在しない。ドレッド家のノウトウ・ドレッド将軍はベルリの実家を滅ぼした家の当主だし悪そうに見えて、最後に男気を出す。アイーダの父のグシオン総監は優しい父に見えて、死んだ後に「キャピタル・テリトリィを侵略する艦隊の用意をしていた」という。
 アメリア大統領はすごく典型的な悪の大統領に見える。でも、あれはあれでアメリア合衆国というキャピタル・タワーに近い立地で、ゴンドワンと戦争中で、文明をイノベーションさせて行っている途中の国の政治としてはスコード教に反旗を翻すのが国益としては正しい。だけど、最後、クレッセントシップと息子に雑な示威行動をされて雑に終わる。
 んで、色んな組織に火種をまいていく黒幕、ピアニ・カルータ大尉の数十年にわたるテロ活動の人生の旅路はすごくどうでもいい終わり方を迎える。
 キャピタル・アーミィはガードより悪そうに見えたけど、最終的にクレッセントシップを軽率に応援して、なんかグダグダな感じになった。幹部があらかた死んだので、解体されたのかもしれないけど。
 ジット団とフルムーンシップも、クレッセントシップやビーナスグロウブからのスパイを吸収していったけど、地球圏についたらなんかグダグダのまま技術を各陣営に拡散させるし、クン・スーンちゃんは夫を殺したようなベルリと仲良くなる。ジット団は一つ!と言いながら、G系の技術を研究しまくるマッドサイエンティストの組織とかマジンガーZのDr.ヘル軍団みたいな結束力はなかった。ていうか、そもそもリーダーのキア隊長がすぐ死ぬし。
 そして、ベルリとアイーダの忠臣に見えたロルッカとミラジさんもジット団のメカを軽率に横流しして戦争を拡大するし、それを特にとがめられもせずなんとなく最後の航海にも同行してるし。


 もうね、図にならない。あきらめた。善悪とか無いです。なんとなく流れでグダグダの戦争をしてるだけです。


 主人公のベルリ君は最後まで悪役探しをしてフォトンサーチャーで「一番強くて悪い奴は誰だー!そいつを叩けば平和になるはずだ!」ってやって、結局戦う相手が「個人的にベルリのことを嫌ってた学校の先輩とその彼女」。
 んで、アメリアとキャピタルのでかい戦艦はラライヤとノレドが雑に轟沈させるので、主人公のベルリ君は大局的な戦闘には大して影響してない。
 ラライヤとノレドに戦艦を潰させたのに、戦争終結の宣言はアイーダさんがしれーっと出す。これ、何気なくものすごく怖い描写ですよ。だってアイーダさんが友達の女の子に軍艦殺し(しかもアメリアの戦艦は父親が用意したもの)、の戦闘をさせておいて組織的な戦闘ができなくなったタイミングでG-アルケインフルドレスがすごくかっこいいし、姫だからというだけの理由で戦争を終わらせる。
 まあ、ギアナ高地の混戦がグダグダになりすぎて、遭難者の救出をさせるタイミングをどの陣営も欲しがってたので、そこにアイーダさんが上手く乗っかったんだろうな。という政治的な動きをするヒロイン。これは報酬対象にはならんだろ。強すぎる。
 ベルリは最強のマシーンを与えられたのに、ヒーローになりきれない。

  • Gレコのメタ要素。

 世界の真実を君の目で確かめろ!というキャッチフレーズで、ヴァルヴレイヴの松尾監督や進撃の巨人の荒木監督やプリティシリーズの菱田監督を演出陣に迎えて、すごい期待感があった。
 スコード教の教えと配給制に捕らわれているベルリたちが世界の真実を知って海賊として反旗を翻す話になるかな?みたいな期待感があった。
 ……スコード教、結局悪のカルト宗教とかじゃなくて普通に「いや、タワーとバッテリーは大事っすよ」くらいのふわっとした宗教団体だった。後、マナーを作る宗教だったり。そして、法皇様は最後まで普通にいい人だった。
 しかもどの陣営もスコード教を信じてはいるんだけど、自分の都合で細かいタブーを破っていく。現実のムスリムがカツ丼を食ったりするのと似てるのかもしれんけど。
 だからスコード教の総本山のトワサンガビーナス・グロゥブをその目で見たけど、1パーセントも見てないわけで。一番技術と資本を持っていそうな金星のヘルメス財団の子安のラ・グー総裁は「エネルギーを溜めて地球を別の銀河にワープさせる」とかものすごいトンチキなことを言っているけど、特にそれは物語に影響しない。むしろ、「ムタチオン」と「人類の女性として健康!」の演出の方が大事に見える。
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 「世界を理解したぞ!」という快感もないし、「世界を理解した特別な勇者」という風にもならない。G-セルフはレイハントン家のものしか動かせないので勇者の装備みたいなところがあったのだが、建造したロルッカとミラジは「ヘルメスの薔薇の設計図で適当にガチャを回して建造したら偶然強かった」ぐらいの雑な建造。しかもモランにコンペで負けるし。クレッセントシップとG-セルフとレイハントン家が特別なつながりがあるような描写はあるのだが、それでベルリが「レイハントンを復興していこう」とはならない。アイーダはクレッセントシップを抱き込んで世界一周で示威行動をして金星と地球の結びつきを云々する政治家になりそうだけど、ベルリはそれを支えようという流れにはならない。富士山を登りに行く。


 宇宙世紀の技術を保管している金星とかまで旅をしたら、普通は物語のメタ情報のタグ付けで勇者としての俗性が高まってしまいそうなもの。(ダイの大冒険のダイはそれで強くなり過ぎたので失踪する)
 で、ベルリも失踪したようなものなんだけど、「宇宙世紀の真実を知った!」とか「世界のエネルギー問題を知った!」とか「人類の進化とは!」とかの頭でっかちな大上段に構えた感じではなく、「金星まで行ったけど、逆に地元の地球のこともあんまり見てなかったので、ブラブラ歩いて行っていろんな人の生活を見て行こうかなー」くらいの、ふわっとした感じ。富野監督によればアイーダさんを忘れるための傷心旅行という要素もあるらしいけど、二足歩行バイクで富士山を15分で降りて楽しいぜー!日本海を渡って大陸横断するぜー!地元のおじさんとも仲良くするぜー!というヤンキーっぽさというか、まあ、楽しそうですよね、ベルリ君。だからあんまり仮面ライダークウガの五代君みたいな辛さがない。
 クリムもハワイで恋人とイチャラブするし、ルインも彼女とゆるキャンコーンスープ。


 だから、これまで図解してきたいろんな物語のテンプレートが「上昇」や「勝利の積み重ね」や「上位存在との接触」という右肩上がりの「目標達成」だったのに対し、Gのレコンギスタは金星まで太陽系を上昇して世界の仕組みを見に行くという社会見学要素があったにもかかわらず、最後は一番底辺の「大地に立つ」。
ロックじゃん…。かっこいいよ。
HG 1/144 ガンダム G-セルフ (パーフェクトパック装備型) (ガンダムGのレコンギスタ)


 最強のガンダムは真っ白いパーフェクトパックで、地元に帰ってきた その日に先輩とケンカして たたき壊しました!ガンダムの主人公なんてそれでいいんだよ。


お前…カッコイイぜ。

 唐突なBOY!!!!!
BOY 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)


 ガンダムってひねたオタクの理系のミリオタのおもちゃか、ニューエイジをこじらせた文系オタクの経典だったりするわけでしたが。
 もちろんGレコは宇宙エレベーターとかコンピューターなどの国際規格とかのSF要素があるにもかかわらず、最終的な着地点が、
ヤンキーの富士山爆走!
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 しかも登山マナーで一番やっちゃダメな山肌をガンガン削るドリフトで富士山を下山するし、ハチャメチャです。でも爽快感があるし山の風と地球の立体感が感じられて楽しいから良いんだ!
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  • ハチャメチャだけど文脈的には一貫してる

 だから、ファーストガンダムも最強ニュータイプアムロ君が主人公だけど、底辺の人々との交流が大事だったし。
 Zガンダムカミーユも最強ニュータイプ能力を超えて幽霊召喚とかするけど、人を高みから家畜にする偉そうなシロッコをぶっ殺したいっていうヤンキーぽい暴力性は一話からずっと一貫してた。
 ガンダムZZのシャングリラ魂って完全にヤンキーだし木更津キャッツアイ
 逆襲のシャアの奇跡も、アフリカやインドで走り回る子供たちのエネルギーと大差ないかもしれないし。
 F91クロスボーン・ガンダムも結局海賊野郎集団のヘッドの代替わり物語ですし。
 Vガンダムも地元愛に溢れてるし(マイルドな表現)。


富野監督って70歳超えてるけど、実はヤンキーなのでは?
アイドルマスター シンデレラガールズ WILD WIND GIRL【電子特別版】 1 (少年チャンピオン・コミックス エクストラ)


 という発想にぶち当たってしまった。まあ、∀ガンダムキングゲイナーのお祭り感覚とか、完全にヤンキーなんですけど。(エイサップ鈴木君は差別用語としてのヤンキー。でも変な鎧を迫水王に着せられる)
 ていうか、富野監督が育った小田原、ヤンキーの巣窟だしな。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/travel/3866/1148278246/-100jbbs.shitaraba.net
 しかも、富野監督はヤンキーや地付きの人間があふれる公立学校で「俺は本当は東京人なんだ。神奈川県民とは違うんだ」という気持ちで、周りの男子がみんな坊主頭なのに整髪料をキメキメのロックな小学生だったらしい。(だから禿げたんじゃね?)


 最近のサンライズガンダムの年表の歴史とかニュータイプとかの小難しい要素でおもちゃを買う大人の購買意欲を煽るような企画を立てているらしいですが。名前は出さない。


 富野監督の感覚ってそういう小難しい抽象概念じゃなくって、「結局、地付きの人間の皮膚感覚と人生」なんじゃねえのかなあ。しかも、マシーンで戦争する話だけど、鉄血のオルフェンズ以上に「ケンカでぶっ殺す相手の血の温かさを忘れるんじゃねえぞ」という、あしたのジョー的な殴り合い精神がすごくある。


 いや、ここまで僕自身がいろんな作品をメッッッッチャ小難しく解説してきたけど、それは全部ゴミ!
 リアルの生がすべて!考察するんじゃない!感じろ!


 という、深夜に文章を書いてるテンションでヤンキーになってしまった…。俺、喧嘩メッチャ弱いのに…。


 あと、俺は富野監督の影響で愚民をめっちゃ嫌ってるしぶち殺したいし人口削減論者だけど、富野監督は根っこの部分で「普通の人間の良さを信じたい」みたいなところがある。ねじれてるけど。
 愚民を見下すことの差別意識に自覚的な富野作品なんですが、差別する対象のことを自覚しているという点で、抑圧している底辺のことを知らずに見向きもしないではしゃいでいるリベラルの金持ちのセレブとは目線が違うんだよなあ。富野監督のことを考えると、人間観を考え直させられちゃうなあ。(まあ、富野監督がガンダム著作権でめっちゃセレブになってたらまた違ってたかもしれないですけど)
 未だにアニメ雑誌で大衆のお便りに人生相談とかしてるおじさんだしな。
富野に訊け!! 〈怒りの赤〉篇
富野に訊け!! 〈悟りの青〉篇
富野語録―富野由悠季インタビュー集 (ラポートデラックス)


  • でも、実はGレコを図解にする方法を知っています

 それは察しの良い読者ならもうわかってるかもしれないけど。
 次の記事で書きます。


 華麗に続く



目次
nuryouguda.hatenablog.com

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nuryouguda.hatenablog.com
 本当に深夜まで疲れたのでねぎらってほしい。
(いや、アクセスのことを考えたらグリッドマンのネタ記事なんか書かないで12時前に出すべきだったんですけど、なんか深夜のテンションになってしまった)


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