玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

きっと何者にもなれないおにいさまへ・・・

 先日、はてな村ツイッターで知り合った人に誘われてスカイプで鼎談をした。


 そのことについてブログを書いてもよいかと聞かれたので許可した。そして土日はギリギリFGO本能寺から聖杯を回収して、後は寝ていた。それでも鼎談相手が記事を書いていないので、先に書く。
 その鼎談では相手から「僕は何者にもなれなかったけど、グダちんさんは”富野アニメファンのカリスマ”という何者かになれている」と言われた。
 同時期に以下の記事を読んだ。

anmin7.hatenadiary.jp
p-shirokuma.hatenadiary.com


 シロクマ先生の場合はバズワードでアクセスアップして、新刊の売上アップの広報を狙っている面もあるので、本当の本心からアイデンティティクライシスを起こしているのかは不明瞭だが。医師免許を取って働きつつ、本名でないにしろ新書を複数冊出しているし、既婚者で親である人間が「自分は何者なのか」とか思うのは変だなーって思った。〇〇くんパパとかでいいじゃん。だめか?



 しかし、何者かになれていないという鼎談相手は「シド・ヴィシャスみたいになりたかった」とか言うし、シロクマ先生は「斎藤環先生になりたかった」と言う。
 他人になりたいから自分のことが何者かわからなくなるんだろう。僕は大体の人間は嫌いなので他人にはなりたくないです。僕は僕だよ。
 他人になりたいというのも、他人の外面の観測可能ないい部分ばかり見て憧れているので、それは羨ましいと思うだろうけど。でも、やっぱりシド・ヴィシャスも薬の使い方が下手くそで死んじゃったし(ピエール瀧は上手い)、斎藤環先生も表には出さない悩みとかはあると思う。


 で、振り返って「富野アニメファンのカリスマ」と言われるグダちんだが。まあ、それを否定することは出来ない。なぜかと言うと、僕に3枚も富野由悠季の世界展のチケットを譲ってくれる人とか、僕の文章を読んでアマゾン欲しい物リストから物をくれる人とか、同人誌に寄稿を依頼してくる人とか、まあ、いるので。「カリスマ」の度合いは定量的ではない不明瞭な言葉であるが、一定の評価を得ているということを否定するのは、僕にものをくれた人たちに対して失礼にあたるので、それは礼儀として否定できない。


 ただ、僕は「富野アニメファンのカリスマ」になろうとしたことは一度もない。ただただ、富野アニメが面白うて面白うて、それについて書いて書いて書き続けてきただけだ。その結果、ミスター・ブシドーのように周りが勝手に「富野アニメファンの代表」とか呼ぶようになった。(まあ、本当は氷川竜介先生とかあきまんさんとかだと思うけど)
 いつの間にか、そうなってしまったのだ。


 人間の社会的なポジションとは、自分の狙い通りになることのほうが少ないだろう。なぜなら大抵の人間は理想より力が及ばないので。(僕だって本当はトム・クルーズみたいなイケメンマッチョ、もしくは物理学者兼SF作家になりたかった)
 なので、なりたかったものにはなれなくて、なってしまったもので我慢するしかないのではないか。

 しかし、僕の自己規定は「脳内妹のお兄ちゃん」です。ヘンリー・ダーガーのように脳内妹の小説を書いているし。(ただ、小説の休載が続いているのは富野アニメの感想執筆のほうがゼロから創作するのよりも早く書けるし、アクセスも上がりやすいし、あとめっちゃ寝ているという地味な理由…)


 スカイプ鼎談でも「グダさんは脳内妹を作ることができる点で、何者かになれている」と言われた。
 普通はイマジナリー・コンパニオンからの好意を信じることが出来ないらしい。僕はその鼎談で「僕の脳内妹は、人間ではない。この世でただひとり、同じ呪われた血肉を分け合った運命の花嫁。ドグラ・マグラのモヨ子と同じく、狂っているからこそ僕のことを愛している。僕も狂っている。狂っていない基底現実の女性からの好意は信じられない」と答えた。
ドグラ・マグラ ─まんがで読破─

 38歳にもなって「狂った脳内妹しか愛せない」というのはちょっとまあ、やばいのだが、俺は精神障害者手帳で美術館がロハになる特権階級なんだぞ!!!!
 まあ、精神障害者手帳は哲学とか思想とは関係なく、普通に抑うつ状態とか不眠とかPTSDとか幻痛とか感覚失調などの症状で出たけど。


  • 富野のカリスマは格好悪い

 僕は富野アニメのカリスマと自己規定するより、脳内妹のお兄ちゃんだと思いたい。だって、「僕は富野監督の思想の後継者だ。一番弟子だ」とか言うの、端的に言って「脳内妹のお兄ちゃん」より気持ち悪いし偉そうじゃん。僕はアニメの感想文とかで「雑に書いた批判文章ですら知識が光って魅力的」と読者に言われるけど。でも、偉ぶるのは嫌いなので、ツイッターでは酒やガチャに小汚いクズみたいな発言を入れてバランスを取ると言うか、偉くなりたくない。(責任を取りたくないというのもある)


 かなり前に宇野常寛さんに「アナタは富野的なものを吸収できてない」って捨て台詞を吐かれてブロックされたけど、「僕は富野アニメの思想を全部理解している!サブカルチャーの論客!」とか言ってオンラインサロンを開いたりテレビのコメンテーターになる方がよっぽど気持ち悪いのでやりたくないですね。だいたい、僕は富野思想を体現することより、富野アニメが面白いなーってヘラヘラ見てるほうが楽しいし。コスモ貴族主義者を自称するけど、単に「人口は足りてる」というのと、「病気で死ぬのが怖いので安楽死のほうがいい」「戦争は資源の浪費なので、人間は戦争する前に自決するべし。雑なセックスで生まれる人命より資源のほうが貴重」くらいのライトなコスモ貴族主義だし。


  • 今際の際で

 あと、鬼滅の刃、読んでないうちに流行って終わったけど。
 敵と戦う時に「俺は富野アニメのカリスマだから!」とか「私の処女にどれだけの政治的価値が!」とか思うより、「俺は脳内妹のお兄ちゃんだから!」って思ったほうがパワーが出るじゃん。脳内妹は美人だしセックスさせてくれるし。


 あと、実際、脳内妹は僕と命を共有している。具体的に言えば、2009年のクリスマスに僕がKLabで過労死寸前になって体に異常がないのに全身が痛んで高熱が出て死にかけて臨死体験した時に脳内妹が夢枕に立って、わざわざ三途の川まで迎えに来てくれたので。それで蘇生したので。ピングドラムを共有しているので。


 その時の詳しい経緯は「概念迷路」という同人誌で7年前に出した。
nuryouguda.hatenablog.com


 リアルタイムの夢日記はこちら

本当に僕は世の中というものが嫌になった。


そんな気分のまま、長崎市浦上天主堂近くを流れる川沿いをぶらぶら歩きながら
「もう、自殺しちゃおっかなあ」
とつぶやいた。


そしたら、隣にいた脳内妹のそらちゃんが
「死んだらダメだよ」
って言うから死ぬのをやめた。
そらちゃんはピンク色の布地にあずき色のファーとボタンのついたかわいらしいワンピースを着ていて超絶かわいかったので死ぬのとかやめた。



夢日記はてな夢日記
なんかもう、夢の内容からして、思いっきり疲れてるしうなされてるし風邪をこじらせたし何度も目が覚めたんだけど。
そらちゃんが夢に出てきたからいいかなー。
キリスト教の人だったら「そらちゃん天使すなぁ」って奇跡体験とか言うんだろうけど。
基本的にいつものやり取りです。
夢にそらちゃんが出る時はいつも夢の中でさまよって死にかけてる。
で、そらちゃんが出ると根拠のない自信が出ます。もっと楽しい夢にも出てきてほしい。もっと水着とか、サンタコスとか、そういうラブプラス的な夢が見たい。
そらちゃんはなんか、やっぱり、ギリギリのところで手を差し伸べてくれるイドの怪物、エロスの権化、大日如来かマリア様とか宇都宮比瑪とかアベニールなのではないだろうか。


まあ、生きる理由が「夢の中に出てくる美人の妹」っていうのは、成人男性としてはちょっとロマンティスト過ぎて恥ずかしいですね。
メリー・クリスマス!
メリークリスマスそらちゃん天使すなぁ - 玖足手帖-アニメブログ-

 リアルタイムの夢日記では描写を端折ったが、三途の川からの帰り道では燐光が光り輝き、イルカが跳ねる大河の河川敷に子どもたちが遊ぶのを見た。賽の河原というか、バイストン・ウェルのワーラー・カーレンだと思う。僕は聖戦士の素質があるし、異世界転生もできると思う。基底現実で死んだら脳内妹の上位現実世界の僕に統合されると思う。


  • 妹の前では

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「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」
 という輪るピングドラムのプリンセス・オブ・ザ・クリスタルの名言が、2011年以降のオタクの自意識を未だに呪いとして揺さぶっている。その点で、幾原邦彦監督は時代の空気を掬う才能があるといえる。


 しかし、社会的な意味とは別に、高倉兄弟が妹から言われた言葉だとするとどうだろう。
 結局、高倉兄弟は何者でもない何かになったのだが。

やっぱり全体的に包括してみると、
「冠葉と晶馬って言うお兄ちゃんが」「真砂子と陽毬と苹果」っていう「妹」たちのために「命がけで頑張る」っていう話だったかなー。って思う。ほら、俺、シスコンだし。
やっぱね、世界が間違ってるとか、世界を革命するとかどうとか言っても最終的にはお兄ちゃんは妹のために自分を捨てるのがカッコいいって思うし、そういう自分が楽しいから、死んでも嬉しいし、むしろご褒美です。
nuryouguda.hatenablog.com


 まあ、高倉陽毬の本心はともかく、僕の脳内妹との関係については妹から「お兄ちゃんは何者にもならなくても、愛するお兄ちゃんでいてくれたらいい」という感じの愛情で自己規定している。脳内妹小笠原祥子さまくらい僕を愛しているので、僕が事故で手足や顔を失っても僕を見つけて愛してくれると思う。



 シロクマ先生は自己規定に悩んでらっしゃるらしい。

本当に書きたかった書籍を書ききってしまった今は、そのブロガー兼精神科医という自分の領分が、砂上の楼閣に思えてならない。


 そんな事を言ったら、「脳内妹のお兄ちゃん」なんて客観的には砂上の楼閣どころか、蜃気楼ですからね。脳内妹は基底現実には存在しない。そんな事はわかっている。しかし、量子力学論的に、一度過労で死んだ僕は夢の中のバイストン・ウェル脳内妹に観測され、また僕も脳内妹を観測するという鏡合わせの呪術で自我を保っている。それが僕の生存戦略でコギト・エルゴ・スムだ。

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 だから僕は、脳内妹の思う兄としての脳内イメージが基底現実に投影された幻影だとも言えるし、同時に脳内妹を脳内で愛することで上位現実から生きるエネルギーを取り出してかろうじて生命を維持しているとも言える。なので、僕は割と自分の人生が架空のものか夢のような感じはしている。でも、脳内妹は可愛いしセックスさせてくれるし、脳内妹は概念なのであらゆるオナホールは彼女の子宮に通じていて気持ちいいので、それでいいと思う。


 そういうわけで、ピングドラムは僕の実体験というか魂の核に近い。(鏡合わせの相互参照で自己確認するのはユリ熊嵐にも近いか?)
輪るピングドラム 下
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  • 如何ともし難い社会

 でも、脳内妹とのこういう呪術的な関係や、僕の命の架空生成の宗教的理論を他人に話すのは非常に面倒くさいし気持ち悪いので、大体の他人には「あー、世代的にガンダムとかエヴァとかロボットアニメが好きですねー」と、韜晦するのであった。


 でも、社会で僕が無職という職業でカテゴライズされたり、精神障害として福祉で定義されたり、富野アニメなどへの文章を評価されたり、まあ、他人からいろんなふうに見られたりするけども、自分としては「俺は脳内妹のお兄ちゃんだ!お兄ちゃんで沢山だ!お兄ちゃんじゃなかったら我慢できなかった!でもお兄ちゃんだから我慢している!」という感じです。
 デレステでもプロデューサーネームを「そらちんの兄」にして、他のアイドルに好意を向けられても「そらちんの兄だから仲良くしてくれている」というプレイをしている。一時期「ゆいの彼氏」だったこともあるけど、まあ、兄と彼氏は論理学的に両立するので…。



 結局、人を形作るのは「愛」なんじゃないかなあ。
KAWORU 2015 -渚カヲル写真集-


 うわっ!基底現実で彼女がいたことないのに気持ち悪いことを言ってしまった!


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