玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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Gのレコンギスタ第5話「敵はキャピタル・アーミィ」後編 Gレコを面白がってはいけない5つの理由



ハッキリ言ってガンダム Gのレコンギスタの5話は面白かった!
リアルタイムオンエアーからニヤニヤしっぱなしだった。
メカ戦闘も前回のブログで解説したように、非常に映像の原則を駆使して映像の快楽を見せてくれてワクワクできる楽しいアニメーションだった!
でも、これを面白がってはいけないと思うんです!これは表面的には楽しいように見えるオブラートにくるんでありますが、低俗なアニメーションなので、お子たちに見せてはいけません!(風紀委員並感)
お子たちは、もっと岩波文庫とかを読むべきなのです!


アニメブロガーのおはぎさんもGレコを面白がっている。

実際に戦争が起きているシリアスな世界観の中において
「Gのレコンギスタ」はキャラクターを通したユーモラスな姿を描くことで、
落語家:桂枝雀の理論である「緊張と緩和」によって
生み出されるユーモアを表現していると思う。
失われた何か 「Gのレコンギスタ」5話の画面作りの面白さ-シリアスとユーモアの混在

僕も前回のブログで、どのような演出だから面白さが発生するのか、逐一トリックを分析した。
Gのレコンギスタ第5話「敵はキャピタル・アーミィ」感想前編 メカに見る黄金の回転など - 玖足手帖-アニメ&創作-


面白いのは分かる。ユーモアの仕掛けは分かる…。でもダメなんです!
戦場でふざけちゃあいけないんですよ!!!!すさんだ心に武器は危険なんです!

面白いアニメを見て面白いという所で止まっては人類はこれからも過ちを繰り返すんですよおおおお!


と言うわけで、なぜこのアニメが低俗なロボットアニメーションなのか、5つの結論を導き出すッ!
1.テロリストを奨励している
2.主人公が自分をごまかしている
3.演出も視聴者をごまかしている
4.人の命の扱い方が残酷
5.行き過ぎたサイコパス(神経症)的な科学技術
以上.


なので、こんなアニメはスリリングすぎるし、日本が世界に誇るアニメ文化の最底辺のロボットアニメだから見なくていい!


では、各論に入る。ここから先はいい子は読まなくていい!

  • 1.テロリスト推奨

暴力の推奨と言ってもいい。

まず、冒頭からキャピタルアーミィが軍拡をしている。地球全体の人類の平穏な安寧を守るためのキャピタルタワーを擁するスコード教宗教国家であるキャピタルテリトリィが軍備を発展させるのはタブーに抵触する邪悪なことだ。
キャピタル・アーミィはアメリア軍とゴンドワン軍の戦争と言う外患や世界情勢の緊迫化を理由に、自衛や路線の保守点検でしかなかったキャピタルガードをアーミィにつくりかえようとしている。

そのアーミィをでっち上げた黒幕である諜報部、スパイの調査部のトップであるクンパ・ルシータ大佐は「法皇も許可したのです」とキャピタルタワー運行長官のウィルミット・ゼナム長官の苦言をスルーする。

演出的にも、今回の冒頭は1話のサブタイトル開けの冒頭と同じくスコード教の聖堂と讃美歌から始まるが、法皇の穏やかな説法を開かれた聖堂に聞かせていた1話

と違って、今回はゼナム長官が「タブーは守られているの一点張り!」と憤慨しながら退出する場面だった。
1話ではキャピタルテリトリィは自由な観光都市国家っぽい雰囲気だったが、

いつの間にか軍事拠点に成ってしまった。



あきまん安田朗氏のtweetによると、キャピタルテリトリィは「宇宙エレベーターのふもとにバチカン市国がある感じ」だったのだが、そういう穏やかな伝統を守る国家だったのが軍拡をする。これはよくない。
ゲル法皇ももしかしたら、∀ガンダムのムーンレイスのギンガナムのように穏やかな停滞の政治をする自分に嫌気をさして、「チェンジ」を求めたのかもしれない。自分が生きている間に革命が起こることを望むというのは、エゴだよ!それは!
でも、宗教国家なので「法皇が反対していないのだからいいんじゃないかな」と言う感じで組織が改変されていく。その裏に諜報部の暗躍があっても、宗教のトップが権威付けをしているから大丈夫、と言う風に国ぐるみで戦争に突入していく。アメリアとゴンドワンの戦争もキャピタルテリトリィの物資配給のバランスの偏りから引き起こされた可能性もあり。


追記:
スコード教の敬虔な信者であるベルリが「キャピタルタワーの上部のトワサンガは神聖な場所」と言って思考停止している、キャピタルテリトリィの宗教原理主義国家ぶりも現実の宗教原理主義勢力に似せた感じで怖い。逆にアメリアの海賊軍たちにはトワサンガからの技術情報の提供があり、ミリタリーバランスを崩そうという動きがあって、政治的にヤバい状況だ。
宗教国家と自由主義国家の争いや、バッテリー強奪の国家犯罪を海賊に押し付けるとか、国際政治の闇の部分を描こうとしていて恐ろしい。


なので、世界情勢が緊迫化しているから軍備が必要なんです!と言う右派の言い分も自作自演かもしれないのだ。こういう暴力の連鎖がGのレコンギスタではサラーっと当たり前のように描いているので、非常に怖い。暴力を当たり前にするアニメと言うのは危険なのではないか?


で、それを若い女たちが褒めるのだ。
女学生のチアガールが戦隊の発進に動員されて応援する。チアガール自体はそんなに深いことを考えてなくて先生に呼ばれたから来ただけのようだが、とにかく組織はそう言う若い女を利用する。



喜び組


軍隊に入れば女の子に褒められて飯が食えるぞ!
って、まるっきり大日本帝国北朝鮮のやり口じゃないですか!
富野監督曰くAKB48の要素も取り入れた美少女アニメということだが、軍事の発奮に利用される若い女性アイドルと言うのは、悪意を感じる作劇ではないだろうか。
Gのレコンギスタ第2話「G-セルフ起動!」は女に褒められたい - 玖足手帖-アニメ&創作-
と、私は2話の段階からこの「女に褒められたいから暴力を振るう男」と言う構図に気づいていたのですが、どんどん露骨になってきている。EDを見るとマニィもアーミィ入りするらしいし…。女性が戦場に利用されるのは良くないよ・・・。


それは、海賊部隊でも同じ。というか、海賊部隊って明らかにテロリストじゃん。


この、隙あらば才能のある人間をリクルートしようというのは最近噂のISISイスラム国のやり口に似ている。クリム・ニック君の振る舞いは「大統領の息子として革命戦争のエースになりたい」と言う感じで、重戦機エルガイムの「軍に入って立身出世」という騎士道にも近いんだけども。クリム・ニック君は彼なりにキャピタルの独裁の下にある母国を独立させて発展させたいという独立戦争的な野心と愛国心を持っているようだ。しかし、やってることは殺人だ。


ISISが話題になったのは今年からなので、Gレコの原案である「はじめたいキャピタルGの物語」で宇宙海賊を富野監督が出した時期の2010年11月は、アルカイダとかソマリア沖の海賊を受けてのことだと思うのだが。
機動戦士Vガンダムで富野監督は当時のユーゴスラビア紛争に着想を得て東ヨーロッパの宗教民族戦争に参加する少年兵を描いたのだが。今回も世情を反映したものになっているようだ。
ちなみに、アメリアと言うのは北米大陸にある国家だが、リギルドセンチュリー11世紀の時代には南米赤道のキャピタルテリトリィが現在のアメリカ合衆国のような中央集権大国で、アメリアがそれに対して海賊に扮した部隊を送ってきているというのはアメリカが逆転した感じで皮肉が効いている。
∀ガンダムでも、20世紀初頭の南北戦争当時のアメリカ合衆国のようなアメリアに20世紀末の自由なアメリカ人のようなムーンレィスが攻めてきて、アメリカVSアメリカという皮肉を描いた。
リアルのアルカイダやシリアのゲリラも元はアメリカが軍事物資を供給してできた組織だし、Gレコのアメリアもキャピタルの物資を横流しされて軍拡してるし。自作自演の皮肉かもしれない。


Gのレコンギスタの5話の時点ではアメリアの一般国民が描かれていないので何とも言えないが、海賊部隊のメガファウナのクルーは自由なフロリダ沿岸に居るアメリカ人っぽい服装だ。アロハシャツなんでハワイかもしれない。(艦長の椅子に描いてある美女もアロハオエ号っぽいし)


なので、メガファウナクルーは服装から自由な印象を受ける。エウレカセブン吉田健一さんがキャラデザインだし似たような戦艦だし(弾道飛行もする)、交響詩篇エウレカセブンの「人民解放軍最新鋭戦闘強襲母艦月光号」のゲッコーステイトのメンバーに似てもいる。(キングゲイナーのヤーパンの天井にも似ているが)(コヤマシゲトさんもGレコとエウレカセブンの両方にデザインワークスで参加)


∀ガンダムのムーンレィスやゲッコーステイトに共通するデザインラインはアメリカのサブカルチャーっぽい自由っぽい服装だ。
なので、カリブの海賊のイメージとも相まって、「海賊軍に入れば自由が手に入る!」という感じでアメリア軍は徴兵をしているのかもしれない。アメリア本国の状態が描かれていないので何とも言えないが、キャピタルテリトリィの近く以外の地球の環境は悪化して、フォトンバッテリーの配給で細々と生活しているという設定らしい。で、近年になってフォトンバッテリー強奪の海賊行為と宇宙から流れてきたヘルメスの薔薇の設計図によるMS建造でアメリアが国力を増強しているらしい。となれば、良い油を使って良いものを食べていられるメガファウナは本国よりも豊かな生活と自由が手に入るという点で兵の士気を保っているのかもしれない。


わたしからも礼を言うつもりですが、姫様からもベルリ・ゼナムをほめてやってください

それね、姫様の任務です
義務かもしれません
アイーダ「義務…ですか?」

あなたは、姫様になられる方だからです

と言うドニエル・トス艦長がアイーダに言った事もキャピタルタワーのチアガール部がエルフブルックを褒めたのと同じだ。
戦って女に褒められたい!という情動を戦闘に利用しているのだ。ここら辺も「戦士には女が与えられる!」というイスラム国のリクルートに似ているのだ。なので、Gのレコンギスタは近年のリアルは地獄だという情勢を反映して、かなりえげつないことをやっている。



自分の恋人を殺した相手を軍の士気高揚のために褒める姫!
かなり残酷である。
Gレコは富野小説とは違ってテレビ放送のアニメなので、兵士にレイプ権が与えられるようなイスラム聖戦士とは違って女が犯されるとかセックスシーンは出ない。だが、「姫は国のために人殺しの兵士をねぎらう」(しかも自分の恋人を目の前でぶっ殺した相手)と言うのは身体的レイプではないけど精神的にかなりエグい。
富野作品において「姫」とは「国のアイドル」と定義されることが多く、つまりこれもAKBみたいなアイドルの文脈なのだが。
殺戮をすると女性からの承認と自由と権力が手に入るぞ!
というテロリズム(暴力政治)の誘惑をキャピタルテリトリィもアメリア軍も使っていて、非常に危険な現代思想をアニメにぶち込んでいる感じがして、かなりヤバい。
なので、「戦って美少女に褒められた!Gレコは面白いなあ!」と思ってしまうこと自体が作り手の「戦闘アニメを楽しんでいる視聴者も残酷行為の当事者なんですよ」という禍々しい意図に取り込まれることなので、本当にこれはヤバいアニメだ!
だから、スリリングすぎるから見なくていい!平和なドラえもんとかの世界に戻るんだーっ!(でもアニメファンのガチ勢は逆に劇場版アンパンマンとかサザエさんマニアになるのでやはりアニメはヤバい)


で、前回ちょっと触れたが、操舵手のステアが片言日本語で英語訛りでしゃべるのも、海賊部隊が雑多な人間を集めているものだって言う演出だと思う。
この時代の人は多分英語をベースに喋ってると思うのだが、ドイツ語ロシア語中国語もそれなりに生き残っているらしい。


だから、他のキャラクターが日本語吹き替えで喋って、ステアが日本語はカタコトなのに英語訛りと言うのはちょっと捻じれた感じでおかしいんだが。エウレカセブンの操舵手のムーンドギーが妙な訛りをしていたのにちょっと似ているだが。
意図的に訛りの強いキャラクターを入れたって言うのは富野的な意図があると思いたい。そうすると、ステアも違う言語の国から自由を求めて海賊部隊に身を投じた人なのかもしれない、と過去が推測できる。(Vガンダムのシュラク隊も作中ではほとんど過去が描写されないが修羅場をくぐった経験があると匂わされていた)
そんな外国人かもしれない言葉が不自由なステアが、アイーダを黙って見守ったり触って元気づけるようなところはちょっと人間関係の深みを感じさせるんだが。アイーダも海賊軍の一人ぼっちの姫様と言うわけではなく友達がちゃんといるって言うのがいい。ギゼラやミック・ジャックはちょっとお姉さんというか大人の女なのでアイーダとは友達っぽくないかな。


ですが、そう言う風に自由と承認を求める人の欲求に付け込んで戦争を喚起するというのはやはりいけないことだと思うので、Gレコは低俗なロボット戦争アニメーションなのです!!!


しかし、先日NHKスペシャルだかクローズアップ現代だかのイスラム国とアメリカの若者の特集を見たのだが、アメリカの軍事技術であったインターネットでイスラム国が世界中から不満のある若者を兵士として募集して勇敢な兵士の豊かさとか充実感を宣伝して、逆にアメリカ人やドイツ人がネットの書き込みで「イスラム国は本当は残虐だから考え直せ!」と言いながら空爆してるのがとても面白かった。どっちもどっちじゃん。
ちなみに、私は邪悪なので私のために死んでくれない命には価値が無いと思ってます。豚肉グラム90円です。

  • 2.主人公が自分をごまかしている

ベルリ・ゼナム君は「一目惚れした姫様を自由にしたい、あわよくば褒められたい!」「姫を殺した借りを返すために戦う、あわよくば褒められたい!」
という理由で姫を2話3話で逃がしたりG-セルフを動かしたりする。
そういう個人的な承認欲求から戦闘をしている海賊部隊に身を置いている。戦場でふざけているのか?


「海賊軍のデータをスパイしてキャピタルタワーに持ち帰る。(あわよくば母や教官や級友に褒められたい!)」
と、ノレド・ナグに言っている。これは恋心だけで動いていないと自分とノレドをごまかす言い訳っぽい。

「敵をスパイするんです」と言いながら敵側に順応してしまうとか、機動戦士Vガンダムカテジナ・ルースじゃん。しかも、恋心も絡んでいるのでそっちの意味でもカテジナっぽい。
主人公がカテジナ・ルースと同じ行動原理で動くとか、ヤバい予感しかない。
敵と味方を行ったり来たりして見聞を広げるのは、聖戦士ダンバインエルガイムリーンの翼でもあったことだが、過去作ではドレイク・ルフト、ポセイダル、迫水王が「悪のカリスマ」としての威厳を発揮してくれたので主人公が裏切ったり反乱しても悪い印象はなかったが、Gレコは現時点ではクンパ・ルシータ大佐が多少地上でスパイ活動をしていると言う程度で明確な悪が見えない。
機動戦士ガンダムジオン軍が開幕コロニー落としをしたりアムロをいつも死地に追いやっていたので敵は悪だなーとか、戦って殺してもいいなーと思うんだが。
Gレコはむしろ「1000年続いた平和な祖国をぶち壊す手伝い」をベルリ・ゼナムがやりそうな予感がして、ヤバい。ベルリがG-セルフに乗って頑張らなくても宇宙から来る脅威とかアメリア軍とかキャピタル・アーミィの紛争で平和は崩壊しそうなんだけど、そこに主人公が立ち会ってさらにひどいことになりそうなんですね。
ガールフレンドのノレド・ナグは何度も「この船を降りて帰ろうよー」って「バッドエンドから日常エンドに戻るイベントのフラグ台詞」を言ってるんだが、ベルリはそれを拒否して戦闘ルートに乗る。で、殺し合いをやっている軍隊に馴染んで行く。ヤバいって!
実際、無能な弱者を装って泣いて頼んだらアイーダはノレドとベルリを3話と4話の間で途中の漁村かどこかで降ろしてくれたかもしれない。だが、ベルリはアイーダに有能な男だと見せたいので逃げるチャンスを逸している。
で、4話ではクリム・ニックにも有能さを認めさせてしまってスカウトされる状態になる。同時に、ラライヤ・マンディもトワサンガとの関係をドニエル・トス艦長やアメリア軍に認知されてしまい、ますます逃げにくくなる。



明らかにヤバい方向に進んでいるのに、ベルリは「護るって約束したから」とか自分の行動が善意だと表明している。で、ノレドもメガファウナの中でカットシー編隊からの砲火に晒されるとベルリに「ベル、何やってんの!メガファウナを守るんじゃなかったのお!?」と、励ましてしまう。女に褒められるってのがこのアニメの一つの行動原理なんだが、ノレドもイノセントに争いを嫌がる汚れない少女ではなく、戦いを肯定する行動をとってしまう。
どんどんズブズブになっていく・・・。
うーん。これでいいんだろうか。



ベルリは水の玉を使ったり、なるべく敵を殺さないように戦っている。
ロラン・セアックとかキラ・ヤマトみたいな近年の倫理的なガンダム主人公っぽい態度。(ソレスタルビーイングは偽名を使って世界平和を影から守るって言うことで殺人に言い訳をしていた)
G-セルフにドッキングしても、防戦だ。





だが、「キャピタル・アーミィがそんなものを持っちゃあいけないんですよ!」とエルフ・ブルックの高性能ビーム兵器に向かって言い放つベルリには矛盾がある。

ベルリはキャピタルガードという中国語表記では首府後衛の護国士官を目指していたので防戦意識が強い。
だが、「守るだけでは勝てないから!」
とビームを放ってしまうのは自分をごまかしている。
自分のやっていることが人を守る正義だと思って正当化しながら刃物を振り回しているのだ。ヤバい。これはよくない。


前回もやられそうになったところを正当防衛した形で武器を振るったんだが、ベルリが知らない所で7人の死の片棒を担いでしまっている。


ベルリは自分がやっていることが「正当防衛」で「正義」で「キャピタル・ガードの志に沿っている」と思っている。全く無自覚。戦場で人が死ぬって言うことをまだリアルに感じられてない。ゲーム脳
自分が『悪』だと気付いていない 最もドス黒い『悪』だ…。
主人公がジョジョの奇妙な冒険のラスボス級の人格とか、Gレコはまともじゃない!


次回はそのしっぺ返しが来るので、スリリングすぎるから見なくていい!
その後ベルリは漆黒の意志を持つのだろうか?カミーユは戦闘マシーンに成ろうとして、壊れた。

  • 3.演出も視聴者をごまかしている

前回、ベルリがデレンセン大尉のカットシー部隊を追い返した時、ベルリは正当防衛だと思っているけど、ベルリが知らない所で人が死んでるという演出のトリックが使われている。
また、前回の戦闘の後、ベルリは震える。Zガンダムでヒルダ・ビダンを殺害した時のジェリドのように。

恩師を攻撃をした実感に生理的に震えるベルリだが、そのベルリに対して画面の右手の「映像の原則では”好意的な位置”から」虐殺をおこなった張本人であるクリム・ニックのモンテーロが接触する。
で、「戦闘状態で誰とも話が出来なかった!コワイ!」という状態から「海賊であっても話が通じて安心」と言う感じをベルリはクリム・ニックに感じてしまう。そして、ベルリは生理的にやっちゃったザラッとした感覚に震えて上着を脱いでしまうが、クリム・ニックの話を聞いたベルリは自分に対して「相手を攻撃した」のではなく「相手が引き返してくれた」という言い訳の記憶を自分に対して上書きしてしまう。生理的にはやった感覚を感じているが、理性で自分に嘘をつく。


こういう風に、キャラクターの生理的行動とセリフが噛み合ってないというかなりズルい叙述トリックを使っている。
なので、ベルリも自分をごまかしながらずるずると海賊に協力しているけど、それを楽しんで見ている視聴者も共犯者にする、っていう罠がある。だから、このアニメを楽しんでいいのか?という自分がいる。
前回解説したように、確かに5話の空戦の戦闘シーンのカット割りやレイアウトや動きは映像の原則の強さ比べの生理を刺激して面白く見える。しかし、「戦闘シーンが面白い!」と思う闘争本能自体が人の邪悪さなんじゃないのか?という疑問符も浮かぶので、このアニメは大丈夫ではないと思う。


また、富野由悠季監督は公式サイトインタビューで
http://www.g-reco.net/special.html

──『G-レコ』のキャラクターはこれまでのガンダムキャラクターとはかなり違いますね。
富野 (前略)昨日アフレコもやったので、これで「アイーダは、くるな」とかいうのは分かりました。「あの子は賢くないよ、バカだよ!」って言える部分がとても可愛い。ギャップのあるキャラが多いわけではないんです。そういう意味では凄く分かりやすくなっているはずです。そういう風に配置したつもりです。僕のような年齢でアニメを見た時、キャラクター作りでは『魔法少女まどかマギカ』には勝てないなっていうプレッシャーはあるんですよ。今時のああいうものは絶対にできないぞって。


──富野監督の『G-レコ』制作に対しての思いというのは?
富野 おそらく今の日本の状況でいうと、子供たちに“冒険しろ”というのは、大人が子供たちに言ってはいけないことなんでしょう。これだけ子供に安全な国を作ってしまったから、冒険しなくたってお前たち生きていける、っていう錯覚を与えています。だからアニメみたいな媒体で、こういうキャラクターを描いてみせておくことで、リアリズムで子供たちに外に出てほしいなと思えるし、外に出てくれるようなモチベーションを持ってくれたらありがたいなと思っています。それは『キャプテン翼』があったおかげでサッカーする子が世界中にこれだけいるっていうのと全く同じで、だけどそれを声高に作り手が言ってもしょうがないこと。だから作品でそれを語りたいな、アピールしたいな、とは思っているんだけれども、さぁ、どうなりますかね。(後略)

と、表明しているんだが。
まどか☆マギカが今回の仮想敵なんだー!そりゃあ、あれだ。先輩は死にますね。マミさん!ちょうど1クールだったまどマギの2倍の2クールなので、6話はちょうどマミられる回。

しかも、魔法少女まどか☆マギカはハッキリ言って説明セリフと段取り芝居が多くてかったるかった。で、富野監督はGレコではかなりズルい感じの叙述トリックで映像を演出しているので、説明や段取りをすっ飛ばしてセリフではなくフィルムのシルエット自体から物語を紡ごうとしているんだと思う。

「僕のような年齢でアニメを見た時、キャラクター作りでは『魔法少女まどかマギカ』には勝てないなっていうプレッシャーはあるんですよ。今時のああいうものは絶対にできないぞって。
(でも、キャラクターではなく物語の演出ではベテランの僕の方が強いですよ!)」

と、シャフトの新房昭之監督や虚淵玄さんに対して謙遜しながら含みを持たせるところがあるように見える。富野監督はライバル意識の塊みたいな手塚治虫の弟子ですからね。美少女アニメに対しても、全力で勝ちに行きます。勝ち負けにめちゃくちゃこだわります。こわいこわい。
本当に老成して「若い人の作品はお爺ちゃんには理解できませんよ」って言うじゃなくて「勝てないなっていうプレッシャーはある」と言うわけで、「あっ、この爺さん勝負に行くつもりだ」って闘争心を燃やしてるのが感じられてヤバい。


そう言うわけで、魔法少女まどかマギカは設定とか物語運びでトリッキーだった。善意の塊のような鹿目まどかが酷い目に合う話だったので、微妙にGレコに似ているかもしれない。
で、富野監督はキャラクター作りでは負けてるけどストーリーでは負ける気がしてないっぽいので、類型的な魔法少女の闇堕ちアニメとかとは違って、もっと多重的に雁字搦めに成った業と執着としがらみと恨みつらみと義理人情の物語展開をしてくるものと予想される。


そう言うわけで、今後は修羅の連続!

これだけ子供に安全な国を作ってしまったから、冒険しなくたってお前たち生きていける、っていう錯覚を与えています。
リアリズムで子供たちに外に出てほしいなと思えるし、外に出てくれるようなモチベーションを持ってくれたらありがたいなと思っています。

お子たちに「世界のリアルは地獄だよ。でも外に出ないと生まれずに死ぬぞ、お前ら!」とかなり切迫した脅しをかけてくる予感がする。


だから、富野監督が「大人になったガンダムファンの方は、自分たちのお子たちに見せて下さい」と言い、ファンがSNSで「親子でGレコを楽しんでいます!」と発言をするのを見るにつけ、独身の僕なんかは
イデオン並みにヤバいシーンが出たらぜったい気マズくなるだろ!大丈夫か、お前ら!富野アニメで安心したらやられるぞ!」
って思う。
ガンダムって玩具カラーで実寸大模型も大衆に支持されてるけど、あれは平気で人殺しなんだぞ!へらへら楽しんでるんじゃあない!!!


まあ、子供たちに対して

こんな風に思っていて、現代には評価されなくても百年後に作品が残っていてほしいとか言うのが富野監督だからな…。

  • 4.人の命の扱い方が残酷

前回のデレンセン戦隊や今回のカットシー編隊は出撃する時はアーミー記念式典やチアリーダーの応援で栄光に満ちて送られたが、敗者には栄光はない!

カットシーは8機くらい出たようだが、3機しか生き残れませんで敗走。ひでえ。前回は7人戦死。
ちゃんと視聴者に「これだけ死にましたよ」ってサラッと絵で見せることで重さを見せつける。逆にベルリは自分がやったことの重さがいまいち分かってないが、デレンセン大尉とマスクには「同僚を殺した憎い奴」と認識されて業が深まる。
目の前で戦友を殺されるって言うのは最悪に憎しみが深まるが、やった本人は認識すらしない。また応援する女も送り出す時は声援を送るが、負けたらみじめ…。
こういう残酷でシニカルな人の死の見せ方は本当にヤバい。

カーヒル大尉の「うっかり姫様が裏切ったと思って、たまたまベルリの引き金がオート射撃を作動させた」っていうだけの理由であっさり死ぬ作品だし。
あきまん安田朗氏のtweetによると、「カーヒルが死ぬ時の演出があっさりしてるのは、姫様から見るとすごいドラマチックなBGMがかかるけど、キャピタルガードから見たら秋葉原の加藤の数百倍悪い奴が死ぬ所だからBGMが無くていい」とのこと。
こういう「人の命は絶対に重いんだ皆大事なんだ!」ではないドライさがヤバい。
今回生き残ったメインキャラクターも、



「ちょっと打ち所がずれていたら即死だったけど、今回はたまたま助かりました」という見せ方で、死に隣接した戦場での命の軽さが暗示されていて先行きが不安になる。
みんなが生きてるのは必然とか努力の結果とかじゃなくて、偶然の連続でしかないんですよ。っていう人生観がすごいヤバい。人権もへったくれもないな。(ていうか、人口が10億人以下に減ってるというカタストロフ以後の世界だし、ガンダムで開幕虐殺は基本)
挟まってたハッパさんとか、ユーモアで片づけられるレベルじゃない。ハッパ中尉はアルケインが近づいてきたことに気づくのが遅れたことを見るに、通信もできず身動きもできない状態で空中戦場に放り出されてたようで、絶叫マシーンとかのレベルじゃない。それでもベルリが落下するとハッパも死ぬので必死に「腰と膝の噴射で落下速度を落とすんだ!」って、説明セリフのように見えて命がかかってますからね。しかも滅茶苦茶うるさい戦場でベルリに自分の声が届いてるかわからんけど、とにかく怒鳴って指示するハッパさんってシャレにならない恐怖体験だと思うだが。肝が据わってるのか、アドレナリンが出まくったのか。そんな命がけな場面でもアニメブロガーのおはぎさんは「ユーモラスで面白かったです」って感想を書くわけじゃん。
もう、命の重さって何だろうね…。ぺらっぺらですよ。物理的には命の重さなんか実態がないわけですよ。じゃあ、何が命の重さなのかって言うと、遺された人の辛みなんですが。
アイーダさんはカーヒル大尉に遺されて辛みを背負っているのに、任務のためにベルリに礼を言えって艦長に言われる。



殺した相手にお礼を言う姫様のどこも見てない顔がすごく迫真に迫っていてヤバい!




で、姫様は周りのみんなが気付いてない所で一人でカーヒル・セイントに謝って泣く。
辛い!
あんまりアニメ感想ではこういうことは言いたくないけど、私も母親が目の前で自殺したし心に深い傷を負っていて未だに耳栓をしたりイヤホンでアニメを見続けないと「お母さんが死んでしまった…」と独り言を言い続けるPTSDを発症しています。目の前で人が殺されるって言うのは、もう、心の芯から冷たくなるような嫌な感じなんです。
なので、Gレコの感想で「またアイーダは泣いてるのか」「まだカーヒルを引きずっているのか」って言われると非常に辛い。2年経っても僕は立ち直ってないです。自殺遺族会などにファイト・クラブっぽく行ってきたんですが、一生ひきずりますね。
アイーダは自分の無能さがカーヒルを殺したって言う自責の念もあるので、辛い。僕も京都大学で働いていたけど給料が安くて父親の退職金が安く資本主義者の銀行屋に無理な投資を進められて地域社会が見殺しにして母親が自殺した。辛い。資本主義が憎い。
僕はラブライブ!のKLabを過労で退職したのに、スクールアイドルなんとかフェスティバル糞が儲かっているのを見るのは本当に悔しい。
母親の初七日に位牌を持ってくるのを忘れてダラダラ取りに戻って俺を無駄に待たせた源光庵の坊主が憎いので袈裟まで憎い。法事の時は僕も目を坊主に合わせないようにする。
とか俺が言っていても、お前らはだらだらスクフェスを楽しむんでしょう!俺の気持ちなんかわかってくれないでさ!無視して!

という気持ち。
人の命が踏みにじられるって言うのは残された人の内面を踏みにじる事なんですが。人の内面なんかみんな知ったことじゃなく生きてるわけですよ。見えないし。
そう言うわけで、僕やアイーダは隠れて泣くわけですよ。残酷だよなあ…。つらい。辛くて泣いてても助けてはくれないのだ。しかも、俺はアニメの美少女ではないのでさらに誰も助けてくれないのだった。まあ、リアルの女性も風俗から精神障害というコースがざら。飯島愛さんとかね。

まあ、マスクの事なんですが。


10メートルくらいの距離で恋人に気づかれないルインってなんだよ。
キャピタル・アーミィ記念式典のデレンセン大尉の前回の出撃から1日か2日くらいしか経ってなさそうだけど、

リアクション芸まで豹変し過ぎだろう。
富野監督によれば「短期間で精神を強化した強化人間のようなもの」と、(それが強化人間では?)という微妙な紹介。心肺機能を強化したロザミアやじっくり育成したフォウや遺伝子をいじられているプルとは違って、短期間で精神だけを強化したという点で強化人間ではないらしい。分かりづらい。
とりあえず、マスクの精神が踏みにじられているっぽい。
見た目は面白いけど、やり方が汚い。こんな非道を面白がってはいけないのだ!

↑絶対に笑ってはいけないキャピタル・アーミィ



生徒想いで優しくて熱血漢でキャピタルガードを引っ張っていく優れた大人のデレンセン・サマター教官殿だが、マスクを見て「あのマスク何です?」
と聞いてベッカー大尉に
「モニターになっている。一つ二つの操作も助ける」と答えられて何となく納得してしまう。
教え子に気づかないのか?
教え子が強化されることを知っているのか?マスクの出撃は目の前で黙認してしまうのか?
デレンセン・サマター大尉も前回敗戦したので発言力が弱くなっているのかもしれない。これはこれで、人の気持ちが踏みにじられるところかもしれない。それと部下の死に責任を感じたデレンセンは次回…。
やべえ・・・ヤベえよ・・・


また、僕はオープニングムービーから
Gのレコンギスタの歌とPVに潜む暴力と狂気 - 玖足手帖-アニメ&創作-
という感想を書いて、「G-セルフの暴走モード怖い!」と言っているが怖い。


毎回オープニングのラストでG-セルフがエルフ・ブルをボコボコに追いつめてぶん殴るのだ。こわい。
毎回エンディングで死人に連行される。こわい。


なので、G-セルフのパワーにもサイコマシーン的な科学技術の行き過ぎを感じる。


パイロットが意識してなくても勝手に出る機銃。



ベルリのハンドルを無視してオートでドッキングするレーザーセンサー。




勝手に光って発動する謎パワー。


怖さしかない。
なので、マスクの精神コントロールも怖いんだが、主役ロボのG-セルフすらイデオン並みの恐怖マシーンなのだ。
そんな怖い道具を使っているつもりで、マシーンの意志に飲み込まれてパイロットの方が使われているんじゃないのか?
と言うのが、富野アニメの一貫している道具と人のテーマです。Vガンダムとか。∀ガンダム核兵器とか。


ですが、道具やロボットがどれだけ発展しても、人間とは決定的な違いがあります。
どういうことかと言うと、道具を使って酷い結果が起きても道具は絶対に人の代わりに責任を取ってはくれないということです。
なので、「道具が勝手にやったんです」という言い訳は通じないで、人はどんどん業を背負っていくのです。


だからGレコは先が見えない。いや、まあ、エンディングの感じからデレンセンがやられるところまでは予測できたんだが、本当に7話からは全然予測できない。宇宙に行くんだろうなーってくらい。


なので、スリリングすぎるから見なくていい!


見なくていいぞ!


マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)

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見なくていいってこれほど言ったのに…。


ついにここまでこの記事を読んでしまいましたね。これまではただの読者だったあなたも、これから先はこの物語に巻き込まれていくことになります!

新装版 デビルマン(4) (講談社漫画文庫)

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