玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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#Gレコ感想 第三部でベルリを許すアイーダとカーヒルについて #Gレコ

  • みんなと意見が違う

 僕はロリコンだし少女革命ウテナの鳳暁生とか好きだし、そもそも19歳くらいの美人女性が処女なわけねーだろって思ってる。(∀ガンダムのソシエも美人だし土地を持っているのでロランに振られても普通に男は引く手あまただろうと思っている)
 なので、Gのレコンギスタのアイーダ・スルガンの恋人だったカーヒル・セイント大尉のことは結構好きだったりする。
 ネットでは年下の女の子に手を出す悪い大人とか出世目当てとか、メガファウナの他のクルーがカーヒルのことをほとんど喋らないので嫌われていたんじゃないかとか、カーヒルの悪評が、わりとある。


 ただ、僕としてはアイーダさんには素敵なヒロインでいてほしいので、悪い大人に引っかかった馬鹿な女、みたいに思いたくないんです。やっぱり富野アニメ最新ヒロインなので。見た目もすごい好みだし。
 それに、カーヒル大尉は劇中で2番目に登場するし、最初の放映前の予告でも重要人物っぽく描かれていたので、僕は嫌いになりきれない。


 というわけで、劇場版第二部でアイーダさんが悪夢で悪者っぽいカーヒルに「みんな笑ってますよ。姫様姫様っておだてられて」「多少の才能は認めますが、その偉ぶった性格は海賊部隊で直してさしあげます」「直してくださらなければ、怖くて私がプロポーズできません」と言われるシーンが気に食わなかった。富野由悠季監督のアニメなのに分かりやすい悪役っぽい雰囲気を出すのも気に食わなかった。ディズニーのアニメかよって思った。
 もちろん、TV版のGのレコンギスタは各々が本心を隠したり言い訳したり虚勢を張ったりしていて、本音が見えづらいアニメだった。そういうわけで、他のアニメや分かりやすい顔芸の日本ドラマとは違って、本音を言葉ではなく行動などから推察する楽しみがあった。
 でも分かりやすい話を好む大衆には受けなかった。


 そういうわけで、Gのレコンギスタ劇場版についてネットの意見や口コミで「分かりやすくなった」という意見が多いのが正直、嫌だった。話の内容は変わっていないけど、モノローグが増えたりカメラの距離がキャラクターのプライベートな領域にまで入っていることで、「この場面はこの感情が正解」ってガイドを出すバラエティ番組とか人物の恥を売り物にするリアリティ・ショーみたいな下品な演出になったのでは?とすら思った。


 そういうわけで、Gのレコンギスタを応援したい気持ちはありつつ、なかなか第二部の感想の筆が進まなかった。
 TV版を50回くらい見て全26話に各6万文字くらいの注釈を書いてきた僕だからこそ、「わかりにくいアニメならわかるまで見る」ということをやったからこそ、表面的なモノローグとか本音っぽい恥のシーンの追加でテレビ的に分かりやすくされてるのがちょっと嫌だった。
(めんどくさいオタク)


 ただ、劇場版第三部を見ることで「恥」という要素がキャクターをバラエティ番組みたいにネタにするような下品なだけではないということがわかった。
nuryouguda.hatenablog.com


 ベルリが恥さらしで泣いているところに、ノレドも自分の恥ずかしい感情を吐露して寄り添ってあげる、という新作シーンで「恥」の扱いについて一通り納得できた。
 ノレド・ナグさんについて書いたので、アイーダさんについて書く。本来はもうちょっと早く映画館で上映が続いているときに書くべきだったんだが、僕もまあ、色々と家事とか金策とかゴタゴタしていた。

  • カーヒル大尉は悪くないと思う

 たしかにメガファウナのクルーはカーヒル大尉についてほとんど言及していないので「いなくても困らない人だったのでは」とか言われている。
 でも、注意深く見るとアイーダさんが「キャピタル・タワーを占領するというカーヒル大尉の作戦は…」とか「カーヒル大尉の作戦はやる意味がなくなったのですから」とかカーヒル大尉について言及しているときに、操舵士でアイーダの友人のステアやブリッジチーフのギゼラさんなどの女性クルーが仕事をしながら横目でアイーダのことを心配そうに見る、という芝居があった。なので、アイーダさんがカーヒル大尉のことで悲しんでいることを察して心配していると僕は思っている。だから誰もカーヒル大尉のことを言わない。劇場版ではクリム・ニックの「あの年でふざけているから!」という怒りもカットされている。(この男2人の戦友としての距離感も短い回想シーンしかないのだが)



 第二部の公開前にカーヒル大尉を上げる記事を書いた。

nuryouguda.hatenablog.com


 また、アメリア軍でのカーヒル大尉の地位だが、カーヒル大尉が死んだ後も劇場版Iの終盤(5話、6話序盤)でもカーヒル大尉の立案したキャピタル・タワー占領作戦のためにメガファウナは動くという方針は継続されている。なのでカーヒル大尉は戦略家としても大統領やグシオン総監の信頼をえているし、死んだ後もメガファウナはその作戦を継続している。(8話でウィルミット長官をメガファウナに乗せて、キャピタル・タワーを強引に占拠しなくても話し合いができたり、キャピタル・アーミィが守りに入ったので強襲は無理という情勢の変化があって、タワー占領作戦をアイーダは辞める。でも、クリム・ニックはザンクト・ポルトを占領したつもりになっていた)
 2話相当のカーヒル大尉がキャピタル・テリトリィを強襲する作戦でもジョバンニ以外にも複数のグリモアやフライスコップなどがいたので、カーヒル大尉だけが突出したわけではなく、同調者はいる。(ジョバンニのグリモアがどうやって撤収したのかは描かれてないので謎だが)
 なので、カーヒル大尉が海賊部隊では浮いていたと言うのはおかしい。

 カーヒル大尉とグシオン総監が立案したキャピタル・タワー占拠作戦は、ズッキーニ大統領が予算を使いまくって宇宙艦隊を作ってしまったので、グシオン総監本人がキャピタルのウィル長官や法皇様と会談して戦意をなくしても「軍令を出してしまったから」と、強行されてしまう。その程度にはカーヒル大尉はアメリア軍の中で地位があったのだと思う。
 単に逆玉を狙った男ではないと思う。


 ∀ガンダムのウィル・ゲイムと同じく、オタクの僕としては素敵なヒロインにはつまらない恋愛をしてほしくないと思っている。(まあ、それがうまくいかない場合も多いんだが)
 ウィル・ゲイムさんのことはあきまんさんのキャラクターデザインブックのアイディアコメントに従って、脳内で元ネタのブラッド・ピットに置き換えて見ている。
(青髭の作画は難しいよね)


 なので、劇場版第三部でアイーダさんがカーヒル大尉のことを「いい男だったんだから」と、とても素敵な笑顔で言い、ベルリも「アメリア軍を改革するかもしれなかった人」と評価したのは個人的に嬉しかった。


 アイーダさんには自分の恋愛を失敗だったと思ってほしくなかったので。死に別れになったとしても、好きになったことを後悔してほしくなかったので。(僕も肉体年齢は40歳になったけど、オタクなのでガンダムの女性主人公には素敵なヒロインでいてほしいので)
(ちょっとブレンパワードのネリー・キムのことを吹っ切る伊佐美勇と、その横にいた宇都宮比瑪みたいなシーンだと思う)


  • 自爆テロみたいな作戦とは

 ノレドに促されてアイーダさんのところに戻ったベルリは、姉だとわかったアイーダさんにカーヒルを殺したことを謝る。アイーダさんもベルリに「あなたに自爆テロのような作戦をさせて恨みを晴らそうとしていたのかもしれない」と言って謝る。
 でも、ちょっと言葉のチョイスが引っかかった。たしかに現在の21世紀は自爆テロが多い。そういう時事ネタに乗っかったワードチョイスだとしたら、ちょっと嫌だなあと思った。
 ていうか、G-セルフは基本的に無敵なので自爆テロのような作戦にはならないのではないか?


 ただ、自爆かどうかの細かい言葉の揚げ足取りをいったん辞めてみると、まあ、確かにアイーダさんがベルリを危険な戦いに向かわせていたのはあるだろう。G-セルフも戦力的には偶然手に入った拾い物だし、ベルリのことは途中で撃墜されて死んでもいい、くらいのことは思っていたのかもしれない。
(ベルリはベルリで恋心とカーヒルを殺した後ろめたさがあるので戦いに出てしまう。同時にキャピタル・ガードとしてアメリア軍を偵察したい気持ちもあるので少し複雑だが)


 リフレクターパックを付けられたG-セルフについてベルリが「生体実験のようなものじゃないですか」と抗議したところ、アイーダさんは「あれだってアメリアいちの技術者がカリブ海洋研究所で建造したものです」と言っている。励ましているというか、やはりアイーダさんもベルリをバックパックの実験に使うことに多少後ろめたさがあったのだろう。
 ここで劇場版第三部でベルリが「バックパックを使いこなせる僕は天才だと思っていた」と泣いてしまうところの補強になっている。


 アイーダさんはベルリに強すぎるバックパックの実験を次々とやらせて後ろめたさがあって、ベルリは逆にそれをうまくやって調子に乗っていた自分がバカだったと泣いてしまう。
 安田朗さんがぶちこんできたロボットもののおもちゃみたいなバックパックが映画的な芝居の要素に昇華されている。


 で、ベルリは色々と激戦をくぐり抜けてきたが、一番自爆テロっぽかったのはやはり6話のデレンセンとの戦いだろう。精神的にもベルリは傷ついたし。
 次に4話で無理やりカットシーと戦わせたのと、5話でコア・ファイターを機銃掃射の中を飛ばせたのと、ザンクト・ポルトでのクリムの白旗作戦でアイーダさんがベルリに「さっさと行かないとマスクに舐められます!」と急かしたあたりかな。(実際、G-セルフの無敵シールドがなかったらクリムもマスクもベルリもドレット艦隊の砲撃で死んでただろうし)
 トワサンガに向かう途中で、アサルトパックで砲撃をさせて、アサルトパックが破損してアリンカトと激戦になったのもかなり危険度は高い。


  • アイーダさんの反省

 しかしまあ、よくよく考えてみればアイーダさんが父親のグシオン総監の反対を押し切って海賊部隊のアイドル(機動戦士ガンダムF91のクロスボーン・バンガードのベラ・ロナみたいな旗印)をやって前線に出たり、G-セルフを軽率に動かして一人で突出してキャピタル・ガードに逮捕されたのも割と自爆テロみたいな向こう見ずな鉄砲玉っぽい行動だ。
 

 もちろん、アイーダさんが高貴な思想で「姫である自分は先頭に立たなくてはならない」とクロスボーン・バンガードのコスモ貴族主義みたいな考えでいたのもあるだろう。カーヒルと一緒にいたかったというのもあるだろう。
 TV版のアイーダさんはベルリに「能力のあるものはそれを使う責任がある」と、ベルリに人殺しをやれって言っていたが、これもコスモ貴族主義に近い。


 富野監督にとってクロスボーン・バンガードの思想というのは割と本心に近い部分があると思う。小説版のF91の描写ではクロスボーン・バンガードはあくまでバンガード(前衛)であって、一時的に急進的に建国するための強硬手段としての軍隊であって、コスモ・バビロニアが国家として安定した暁には解体されるべきとされている。前衛が永遠に前衛であることはないので、地球連邦軍のように年金をもらうためにダラダラと組織を維持するための組織になってはいけないという意味が「バンガード」に込められている。クロスボーン・バンガードも海賊のような部隊だけど、過去の大航海時代の私掠船海賊のような「国家に所属してはいるけど、正規軍ではなく一時的なもの」ということ。


 で、機動戦士クロスボーン・ガンダムを経て、またしても宇宙海賊のG-レコ。この海賊部隊も「アメリア軍の正規部隊がキャピタル・タワーに対してバッテリー強奪作戦などをしたら国際問題になるので、どの国の軍隊かがわからないように偽装していて、いざというときは本部から切り捨てられる非正規部隊」という忍者みたいなハードな境遇。


 カーヒルは逆に、そういう本流とは違うところだからこそ、そこで実績を上げればアメリア軍を変えられるという志を持っていたのかもしれない。大統領の息子であり要人のクリム・ニックも海賊部隊のほうがゴンドワンとの大陸間戦争よりも、戦果を挙げられると期待して所属したのかもしれない。まあ、クリム・ニックはサラマンドラ艦隊ができたらそっちに行ってしまうけど。
 アイーダさんも「姫である自分は最前線に行くべき」と思っていたのかも。実際に海賊部隊はいつ切り捨てられるかわからない隠密部隊なので、大統領の息子と総監の娘がパイロットとして所属していると、戦意高揚になると公式サイトにも書いてあったような。


 なので、自爆テロみたいな作戦というのは、アイーダさん自身が海賊部隊でバッテリー泥棒をしていた頃の自分を自己反省して言った、という部分があるのだと思う。単に自爆テロが現実ではやっているから、G-レコでそういう言葉遣いをしたと言うより、端的にアイーダさん自身も「後先を考えないことをしていた」という反省の意識を込めて「自爆テロのような作戦」と言ったのではないかなあと。


  • 悪いのはカーヒルではなくアイーダさん

 そこで、第二部の悪夢のシーンを見返してみると、アメリア大統領やグシオン総監は、(この夢のシーンの時点では本編に登場していないのに)悪そうに描かれている。
 カーヒルの口調も悪役というかディズニーのアニメのヴィランっぽい。
 これは第三部でアイーダさんがベルリをどう受け止めればいいのか自分の中のカーヒルに問いかけたり、カーヒルを殺したベルリを許していいのか悩むのと少し矛盾する。
 アイーダさんが悪夢の中でカーヒルは悪い大人だったと思って断罪するんだったら、第三部でアイーダさんがまだカーヒル大尉のことを想っているのはおかしい。


 しかし、「夢は(モノローグと同じく)真実」というわかりやすさ優先の演出ではなく、むしろ「この夢の登場人物は全てアイーダさん自身」ということなのではないだろうか。
 逆襲のシャアでアムロが夢に見るララァは多分、ララァ本人だと思うのだが、G-レコは死生観がガンダムシリーズとちょっと違うので(死者は力になってくれないので)、アイーダさんの悪夢の中のカーヒルはカーヒルの霊ではないと思う。(リーンの翼でも死んだものの力は使ってはいけないと、Zガンダムとは逆の意見になっている)


 なので、「偉ぶった性格」「怖くてプロポーズできません」というのは、アイーダさん自身が自分の中の「悪」と直面して、それを自分で恐れている、という夢なのではないかと。
 アメリアの人たちに裏で笑われているというのも、姫様と呼ばれているが本当の娘ではないという不安だろうか。


 僕はTV版の2周目の感想を「ベルリの殺人考察」として、「ベルリが毎回、やりたくもない殺人をして、自分が悪なのではないかと思うけど、そう思いたくないので無理して良いことをしようとして、また戦場に出てしまう話」と見ていた。
 ベルリは戦士であり殺人者であるという自分の行動の悪い部分の事実と、それを自己認識として否定したい気持ちの間で葛藤していたと思う。


 反面、TV版のアイーダさんは「ベルリの反射神経に比べて自分はバカ姫でしかない」と、ベルリに比べて「能力」が劣っていることを気にしているが、自分の中の倫理観に不安を持つ描写は少なかった。(ノレド・ナグさんに「アメリア人の感覚でしゃべるな」と注意されたくらい)


 劇場版ではアイーダさんも「女王誕生の物語にするため」なのか、「ダブル主人公とするため」なのか、自分自身の中の悪い感情、つまりベルリが死ねばいいと想った「悪」を認識して向き合う過程が必要になったのだと思う。
(機動戦士ガンダムZZの最終回でセイラ・マスさんも兄のシャア・アズナブルについて「死ねばいい」と言っていたが、ダイクン兄妹はその後も交わることがなかった。20世紀末に出たガンダムアルバムの井荻麟作詞の井上大輔さんのイメージソングではセイラさんは罪に近い近親相姦願望があったと臭わされているが。G-レコはダイクン兄妹より踏み込んだ関係にするということだろう)


nuryouguda.hatenablog.com


 アイーダさんが悪夢を見たのはベルリがデレンセンと戦った後の夜。(ここで数日間経過したように見せることで、マスク部隊との次の戦闘ではベルリの落ち込みが多少改善されたようにも見せてるが)
 そして、アイーダさんが夢の中でカーヒル大尉に「怖くて私がプロポーズできません」と言われたあとに思い出すのは、デレンセンと戦ってトラウマになっているベルリが苦しんでいるところ。
 ベルリを苦しませた自分を、アイーダさんは夢の中で「自分は悪なのでは?」と反芻しているのだろう。


 また、デレンセンはG-セルフと接触する初手でブースターを切り離してぶつけに来ている。

 僕はこれを「ベルリはブースターのことを知らないので、初手で特攻してきた戦闘機を反射的に撃ち落として殺したと思い、その次に来たエルフ・ブルに対しても殺意を持ってしまった」と解釈した。
 劇場版第二部の付録の絵コンテ(京田知己さんの執筆部分)でも、そのブースターについて「特攻してくる」と明記してある。富野監督はリーンの翼の主人公が特攻兵だったり、戦闘機や特攻が好きなので「体当たり」には意味をもたせてくる。


 なので、アイーダさんが言う「自爆テロのような作戦」とは、デレンセンとの戦いをベルリを生体実験のようなリフレクターパックを背負わせて、やらせたことだと思う。



 TV版ではアイーダさんが「ベルリ・ぜナムを休ませてください」と思いやっていたけど、劇場版ではアイーダさんは「そのパイロットは彼の教官だと」とは言うけど、「ノレドさん、ベルリくんは休ませてやってくれ」と言うのはドニエル・トス艦長の役割に変わっている。
 劇場版G-レコでは割合にベルリの周りの人達が優しくなっていて、殺人のストレスを軽くしてくれているのだが。TV版ではアイーダさんがベルリに(6話の時点では)珍しく思いやりを見せたけど、劇場版ではドニエル艦長に変わっている。(ノレドさんの優しさを増やすシーンでもある)アイーダさんは苦しんでいるベルリを見てるだけ。


 劇場版第二部を見た段階では、「テレビでのベルリは恩師と戦ったあとに表面を取り繕うが、劇場版では分かりやすく恥晒しのように苦しんでいる描写に変わっている」という程度の理解だった。
 アイーダさんの悪夢についても「姉弟だから苦しみがシンクロしたのかな」「互いに師をなくしたことで自分が習っていたことに疑問を持ち始めたのかな」という程度だったのだが。


 劇場版第三部を見たら、「アイーダさんももう一人の主人公として立つために、ベルリと同じく自分の中の悪を自覚するのが必要だった」という解釈になった。


 だから、悪夢の中での悪そうなカーヒル大尉はカーヒルそのもの本人の霊ではなく、「ベルリなんか死ねばいい」とか「人殺しをして苦しめばいい」「自分の味わった苦しみを味わえ」と思ってしまう自分の性格がカーヒルを怖がらせていたんじゃないかとアイーダさんが自分を恐れている気持ちの表現なんじゃないかなあと。
 劇場版のアイーダさんにとってカーヒルは優れた大人というより、「誰よりも私の欠点を分かってくれていた人」なんだよな。(ステアも自分以上にアイーダさんのことをわかってくれる友人とのこと)だからアイーダさんの反省のきっかけになる


 この夢の解釈は第三部まで見ないとわからんという点で、単発映画としてはちょっとどうかと思うのだが。まあ、一応あらすじはもうテレビで放送してるし…。


  • 許させるノレド・ナグさん

 トワサンガの屋敷のバルコニーで、アイーダさんは弟だとわかったベルリの嗚咽を聞きながら「あの子を許していいの?」と自分の中のカーヒルに問いかける。
 で、G-レコは機動戦士ガンダムとは違って死者は答えない世界観なのですが。アイーダさんは「カーヒルが許してやれと言った」と、ベルリを許す。


 それはやっぱり、ノレド・ナグさんが仲介しているというのがあると思う。ベルリが苦しんでいるだけだと、「自分も苦しんだんだからおあいこだ」と思うだけだろうけど、ベルリのことを心配して、自分の恥も晒して、そのうえでアイーダさんの寂しさも思いやっているノレド・ナグさんの姿をアイーダさんも見たわけで。女性同士だからなのか、アイーダさんも「カーヒルが苦しんでいたら、自分もノレドさんみたいに心配するだろう」と思って、ノレドさんの善性が感染って、「そういうふうに心配してくれている大切な人を持っている弟を苦しませたままにしているのは良くない」と反省したのだろう。そして、アイーダさんは「ベルリに自爆テロみたいなことをさせた自分の悪」を自覚した上で、カーヒルを殺したベルリの悪を許す。
 善人同士だからと言うより、悪い部分をお互いに持っているから、あえて許すことができる、みたいな?


 本当にカーヒルの霊が許してやれと言ったかどうかはアイーダさんの内面なのでわからないが、アイーダさんは気持ちとしてはそのように許せる自分になりたいと能動的に思って、悪夢を振り切って成長したのだと思う。
 そこにはノレドさんという触媒もある。富野監督はG-レコを作る前に「女性の復元力を描きたいとおっしゃっていたが、TV版ではいまいちピンと来なかった。でも、アイーダさんとベルリの仲を取り持つノレド・ナグさんは女性の復元力なのかなあ。



 単純に自分は善人って思い込んでいるより、悪いこともしたけど、それでも良くありたい、と思う復元力が成長なんじゃないかなあと。
 ベルリはTV版では最終回でルインと激闘してマニィにも攻撃されて自分の中の悪を明確に自覚して旅に出てしまったが。劇場版第三部ではベルリが「自分は天才だと思いこんでたけど、バカだった」とTV版より早く気づいている。
 劇場版ではアイーダさんも自分の中の悪と向き合って乗り越えたのだろう。こう考えると、ダブル主人公っぽさは劇場版の方が増していると思える。(第二部だけでは悪夢のシーンはどう解釈していいかわからんかったけど)
 さて、ラストの女王誕生はどうなるのか・・・。


  • きれいな姉さん

 それで、話はクレッセント・シップのエンジンルームまで飛ぶけど、ベルリは「姉さんってきれいですね」と言い、アイーダさんも「はい、私はきれいですよ」とサラッと返す。
 僕は2015年の夏コミでのG-レコを特集した同人誌に寄稿して、「ベルリは去勢されたように見えて、近親相姦の生々しさが伝わってこなかった」「弟に性欲を向けられたアイーダさんのリアクションが薄い」とかシスコンっぽいことを書いた。
nuryouguda.hatenablog.com


 劇場版第一部ではアイーダさんのアンダースーツがセクシーだったり、アイーダさんに性的な視線を向けるベルリが追加されていた。
 劇場版第三部はその近親相姦についての回答というか、「きれいな姉さんはきれいだから好きになって当たり前だろ」と肯定している。
 そしてアイーダさんの方も嫌がらずに「そうですよ」って返して弟に対してきちんとしてるお姉さんらしい態度をやる。すごいですね。


 こういうやり取りができるようになったのは、やっぱりベルリが恥を晒して泣いて、ノレドさんに見られて、アイーダさんが自分の中の悪を自覚して、「良くあろう」と思うようになったからなんだと思いたい。
 顔がきれいなだけでなく、心持ちもきれいであろうとしているというか。


「良くある」というのは富野監督の40年前の代表作の「伝説巨神イデオン」のテーマであると同時に、達成できない目標としても描かれた。
 しかし、現実がテロとか戦争でフィクション以上にひどくなり、富野監督は人類が滅ぶかもしれないと思いながら、孫と同年代の子どもには絶望してほしくないと海原雄山みたいに思ったので、劇場版Gのレコンギスタでは「良くある人」と「許し」を描こうとしているのだろうか…。


 まあ、アイーダさんと打ち解けたあと、ベルリくんは「良い弟であろう!」として張り切ってしまい、TV版の暴走と同じようにガランデンとガヴァン隊に喧嘩を売りに行ってしまうわけだが。そう簡単に悟りを開けるわけでもなし、っていうところもあるのが富野アニメ。


 というわけで、G-レコの感想を書いてたらまたしても徹夜です。徹夜は本当に体に悪い。頭が痛い。だから上映期間中に書けなかったんだが。(公開翌日にワクチンを打って寝込んだのもある)すまない。


 まだ書きたいことはあるので頑張るぞ!


  • ほしい物リスト。

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