玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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Gのレコンギスタ 第12話「キャピタル・タワー占拠」VVV松尾衡の劇場版Z風絵コンテとは?

監督=富野由悠季/脚本=富野由悠季
絵コンテ=松尾衡/演出=松尾衡
キャラ作画監督=可児里未
メカ作画監督=高瀬健一
戦艦作監=戸部敦夫


第10話の荒木哲郎氏のWIT STUDIOグロス回以来2週ぶりの斧谷稔以外の絵コンテなんですが。松尾衡さんは最近では昨年の監督作革命機ヴァルヴレイヴで勇名を馳せたのですが、新訳機動戦士Zガンダムのスタジオ演出の人でもあるのです!(GレコのOPの演出でもあるがーっ!)
てなわけで、今回は劇場版っぽかったと言ってもいいでしょう。実際、今回は富野監督が脚本を書いたにせよ、すごく情報量の圧縮が強く。劇場版ガンダムのリズム感に似ていた。戦闘がメインではあるけど、戦闘自体はBパートの中盤で終って後半に各国首脳でミーティングをする時間を取っていた。(戦闘で終らず戦闘後に反省会と次回への引きをするのはGレコのテンプレートにもなりつつあるが、古くはイデオンダンバインでも見られた富野アニメの構成パターンの一つ)
じゃあ、その圧縮手法のプログラムはどういうもので、どういう理論で情報を整理して圧縮しているのか?単に情報を詰め込むだけでは乱雑になるだけで。そうではなく圧縮して時間内に伝えるべき情報を盛り込むために整理するのがプロの演出の仕事ですんで。

  • 劇場版ぽさ1>凝ったレイアウト


この一枚の画像で、ほぼ今回の演出プランは見えたと言っていいでしょう。
斜め!ナメモノ!画面奥フォーカスぼかし!立体感!
宇宙の無重力空間を表現している!
ガンダムらしく宇宙編に入ったんだなーということが強調されています。


斜めに飛ぶラライヤ、斜めに立つベルリ。こういう細かい宇宙空間演出で静止衛星軌道まで上がってきたと実感させてくれる。宇宙を舞台にしたアニメは多いんですが、割と宇宙なのに上下の縦方向のカメラワークが垂直なままの作品が多い。ですが、ひと手間をかけて斜めレイアウトとか立体パースで描いてくれることで「ガンダムらしさ」を感じさせてくれている。
むしろGレコは今までキャピタルタワーや地球の重力の制約の下にあって垂直方向の動きや四角形を意識させるレイアウトが特徴的だった。が、今回から本格的に無重力状態での遊撃戦となることで斜めの手法を使っている。
これは富野監督の指示なのか、あるいは松尾さんの中にある「ガンダムらしさ」の表現なのか。10話の荒木哲郎さんも富野ファンの人だし10話では荒木さんなりの「ガンダムらしさ」を表現されていたと思う。今後、再来週の14話では望月智充さんも絵コンテに参加するのだが、各監督級演出家の中での「自分なりのガンダムらしさ」を富野総監督作品ガンダムと言うフィールドでデュエリストのように繰り出していくのかもしれない。残り1クール!


ナメモノという点では、空間ディスプレイを突き抜けてサラマンドラ艦長とクリム・ニックに話しかけるミック・ジャックも見逃せない。ディスプレイが壊れたり人体に影響したりしないんだ…。これは∀ガンダムでアグリッパからの通信ディスプレイを刀で刺したギム・ギンガナムからの流用っぽい。
普通に話せばいいのに、わざわざ凝ったレイアウトのためにディスプレイに上半身をミック・ジャックが突っ込むことで、この時代の技術レベルとかSFっぽさとかミックの性格づけ(せっかち)とかの情報量をワンカットに突っ込んでいる。
ミックがテレビに突っ込むという変なことをやることで、彼女とクリムが「キャピタルタワー憲章のビーグル」の法の解釈を曲げて作戦をするような外道で血気に逸っている人物だと描写している。










基本的に構図が斜めっている。
また、旋回するモビルスーツの中のパイロットを映すカメラの回り込みも劇場版アニメのような(具体的には逆襲のシャアのような)豪華さを感じさせてくれる。


ただ、それが単に複雑なレイアウトでメカ戦闘を盛り上げる、と言うだけでは無いというのが面白い所。





ぐるんぐるん周りながらビームを撃つマックナイフのマスクに対して、

ピンクのマックナイフに乗ってるバララ・ペオールが「ダメでしょ大尉!焦りが丸見え。それじゃあ青いジャハナムにやられる!」って警告している。
戦闘シーンでのカメラワークやメカの動きの演出を中の人の感情にリンクさせている。こうすることで戦闘シーンと同時に人間感情を描けて圧縮率が上げられる。


でも、それも映像の演出としては基礎中の基礎で、今回の斜めで一番面白いのはメカじゃない、と言う所がエポック。

マスク部隊もクリム部隊も斜めになっているというのに、アサルトパックを装備したG-セルフは非常に水平の位置で登場する。当初はベルリは精神的にも安定していると示されている。


ザンクトポルトの前で混戦しているマスク部隊とサラマンドラ部隊から離れた所に安定した位置取りをしつつ、フォトンアイを使った遠距離スナイピングをする。
(マックナイフ編隊のフォトンアイミサイルよりもG-セルフが遠距離から狙撃することで地味に同じフォトンアイでもG-セルフの方が高性能だと示している。これもナイス)
なので、今回のG-セルフは混戦している戦場の手前で数発遠距離砲撃をしただけで、あまり戦場に介入していないのだが。



「あんたたち!ザンクトポルトの目の前でモビルスーツ戦なんて、人類のやる事じゃありませんよ!」
「あ・・・そう!ベル・・・」


戦闘シーンでグリグリカメラが動いてメカの動きやレイアウトが斜めになっているということに視聴者の目が慣れたころに、「動きではなく心情の混乱」を示すために「斜め」を使う。今回、このベルリとアイーダが一番斜めっている。ほとんど横になる勢いで斜めっている。
これで対して戦場に介入していないしともすれば地味になりがちな狙撃役のベルリの主人公としての重みを付ける効果になっているし、戦闘シーンや宇宙空間での物体的な斜めのレイアウトの積み重ねが「スコード教の信仰心が揺れ動くベルリの心情」を描くための伏線とか助走として相乗効果を起こしている。


ここでベルリが演出的に最大限に斜めになることでフィルムの気分としては戦闘がクライマックスになり、特に実際のきっかけは無いのだがクリムのマスクも撤退する。
一応、ザンクトポルトを占領するためにはこの空域で戦闘を続けてはいけないっていう判断がクリムにもマスクにもあったから戦闘が終了したわけで、ベルリが斜めになって叫んだ声がクリムやマスクに聞こえたわけではない。が、ベルリの斜め叫びが戦闘を終わらせたようなタイミングに編集してあるので、何となく映画としては主人公が頑張ったように見える。
ここら辺のレイアウトを生かした演出の妙と圧縮手法が劇場版っぽさだと感じられる所です。
(あと、こういう面倒くさいレイアウトや、同フレーム内の複雑な同時芝居の作画はアニメーターにとっても描きにくいので、それをやらせるのも劇場版っぽさがある。)


また、出撃した時のベルリは他のキャラクターに比べて斜めになっていなくて、ザンクトポルトの前での戦闘を目撃した時に斜めになって心理的に揺れるというのも彼の性格の芝居付けとして面白い。
メガファウナを発進した時にベルリはアサルトパックのマニュアルを残り5ページ読み残しているのに読み終わったと嘘をついているが、カメラの構図としては全く不安定感が無い。本人の表情を見てもハッパさんに対して嘘をついていることに全くうしろめたさを感じていない様子。読みかけのマニュアルを投げ捨てても不安がなさそうな軽い感じで、不安感がなさそう。

ただ、姫様のアルケインが出ると、気にする。ベルリはMS戦闘には自信を付けていて戦うことや殺すことへの恐怖感や嫌悪感は今のところは表面化していないようで、むしろ姫様に注意が向いている。ケルベス・ヨー教官が海賊の仲間になったことで、デレンセン大尉を殺害したことの後ろめたさも薄まっているのだろうか?

で、姫様を掴まらせて加速するんだが、ここの構図も水平で安定感がある。

「マスク部隊の攻撃をとめりゃあいんです!」と、楽観的な感じ。

むしろ、アイーダ・スルガン姫様の方が顔に影が落ちて不安そうでベルリに対して「あ、ありがとう。マスク部隊はキャピタル・アーミィなのに、よく決心してくれたと思って…」と言って、彼が安定して戦いに臨んでいる姿勢に違和感を表明している。以前ドニエル艦長に「ベルリに礼を言うのが義務」と言われたのもアイーダの心に残っているのかもしれないが、キャピタルガード候補生であったベルリがアーミィに戦いを挑むのは意外だし褒めるべき事だとアイーダは思っているようだ。

だが、ベルリは「仕方がないじゃないですか!」と力強く安定したレイアウトの真正面顔でアイーダ姫様に答え、自分が戦うことを彼女が思うほど意外だとは思っていない様子。
ここら辺の齟齬も会話が噛み合わない個性派ぞろいのGレコらしいんだが。ベルリは恋するアイーダ姫のために戦うことにもはや疑問や怖れは無いのだが、思われている方のアイーダにとってはベルリの行動は変に見えるようだ。
で、ベルリは謎のMSに乗って戦うことや狙撃すること、外国のアメリアの軍艦から自国の軍隊へ攻撃をすることには精神的な動揺が無い。
で、冷静にキリッとした顔で狙撃をしてミサイルを撃ち落とす。

が、宗教的な聖地が戦争によって侵されようとしているタブー破りを見ると、

真横になるような勢いで斜めになって動揺する。
戦いや同族殺しよりも、聖地の前で戦争が起きていることに対してベルリが動揺を見せることで、ザンクトポルトが宇宙から地球全体にエネルギーのフォトンバッテリーを供給している重要拠点だと演出的な重みづけをしている。
未来人の宗教観や倫理観と言うのはいまいち分かりにくいのと同時に、それがきちんと描けたらSFとしての世界観を示すテーマになれるんだが。
ベルリが何に動揺して、何に動揺しないかの描き分けが意識的だ。


また、ベルリが「人類のやることじゃないですよ!」と動揺するのとほぼ同時に、


マスクの焦りが丸見えだったり、



動くものを全部撃ち落す勢いのクリムが味方のジャハナムに銃口を向けてしまったり、



サラマンドラの艦長がテンパって戦闘中に「歴史的なモビルスーツ戦をアメリア軍がやれるようになるなんて、私は感動している」と航海日誌を書きはじめたりしていて、ベルリだけでなく他の人々も聖地の前で戦うことに動揺を見せている。
で、動揺しているから戦闘を中断して母艦に戻る。

マスクは母艦のガランデンに戻ってレイアウトレベルでも斜めが無くなって安定を取り戻す。


G-セルフとG-アルケインもメガファウナに戻りつつ


アイーダが「144番ナットなら入れるんでしょ?」「アッハイ、桟橋もあります」とベルリとやり取りをして、宗教的に激しく動揺していたベルリも安定を取り戻す。

アイーダがベルリの安定を取り戻させるようにも見える。なので、アイーダ様は戦闘ではほとんど役立たずでみんなにポンコツ呼ばわりされているけど、政治的、人間的にカリスマ性はあるのかもしれない。
だから戦士ではないけど姫様に成るべき方なんだろうな。


ザンクトポルトの大聖堂(聖餐室?生産室?)の中での首脳会談でも、




大人たちと、はしゃぎ性の若者のクリムたちがカメラを忙しく切り替えて言い争っていた中、


アイーダ姫様が中央構図できりっとしている。戦闘ではベルリの方が前に立っているが、政治的にはアイーダにベルリが従っている。
ここら辺は、富野監督が描きたいと言った「女性の持つ復元力」なのか、松尾監督のヴァルヴレイヴの指南ショーコ第三銀河帝国教母なのか?
というか、ヴァルヴレイヴ自体がGレコの企画中のサンライズがGレコを参考にしつつ練習台のように作った所があるよな。バックパックの色変わりとか。
エルエルフとアードライもキャラクターデザインの記号の銀髪三つ編みおかっぱとしてはクリム・ニック君と同系列だし。ハルトの逢坂良太さん・・・。どっちが先なんでしょうねー。
Gレコの企画作業は2007年ごろから有ったらしいですけど。

  • 劇場版ぽさ2>宇宙の空間イメージ

斜めっているのも宇宙空間なんだが。
前回の第11話「突入!宇宙戦争」でもクリム・ニック君が自称したように「とっちらかったんだろう」で、今回も宇宙での混戦だ。
また今回も複数の陣営の同時作戦だし演出的にも圧縮率が劇場アニメ並なので若干分かりにくい所がある。でも、とっ散らかっているように見えて、未来のロボットアニメの演出は計算されている。角度とか。

ほぼ、この図に従っていて、ザンクトポルトに接近するにしたがってサラマンドラやガランデン、メガファウナの人々を映すカメラがどんどん斜めになっていく。

前回、私が書いたこの図とも同じ。
ザンクトポルトがイメージ上の上手の最上の位置に有って、ザンクトポルトを目指す軍隊はみんな画面の下手(向かって左側)から→向きに動く。
何でそう言う決まりがあるのかって言うと、富野流の映像の原則では上手の上側というのは「安定しているもの」のメタファーというお約束なので。松尾さんもそれを守っている様子。


映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

宇宙空間の静止衛星軌道上に位置しているザンクトポルトに宇宙船が向かうので立体的な移動なんだが、それを平面的な画面の上手下手、上下のイメージに整理してカメラワークを使って視聴者に見せている。なので、とっ散らかっていて忙しいし圧縮率も高いのだが、なんとなく空間のイメージはつかめる。
上手の置物が安定していて、下手から登場人物が出てくる、と言うのは歌舞伎舞台でもある。




発進した時はクリムもマスクもあんまり斜めになっていないが、


徐々に斜めになっていって








ザンクトポルトの目前ではカメラに近づきすぎたようにぐるぐる回転する。



神聖視されている宇宙エレベーターの前での戦闘と言うなんだかよくわからないものを表現しているしカット数と視点も多いし忙しいのだが、一応「ザンクトポルトが上手の一番上」というお約束で整理をしようとはしている。


また、面白いのはマスク部隊とクリム部隊は→向きに進撃しているが、メガファウナのベルリは出撃する時に




一旦、逆行している。なので、メガファウナのベルリたちはマスクやクリムよりも速度が遅く、遠いというサインなのだ。アニメにおいて数万キロメートルの静止衛星軌道の宇宙を表現するのは難しいのだが、映像の向きを微妙にコントロールすることで距離感を視聴者の脳内のイメージマップに暗示させている。こういう工夫は楽しいと思います!


で、下手から上を目指すのが今回の戦闘のテーマだったんだけど、戦闘の後に占拠されたザンクトポルトにG-アルケインとG-セルフが向かう所は←向きの移動になっている。
富野流の映像の原則では←向きの移動は「スムーズ」だという印象なので、→向きの戦闘で苦労した後だが、←向きならするーっと入れる。


ここでG-セルフが縛られているって言うのもいまいち理由がはっきりしないのだが、富野流の映像の原則では←向きの移動はジオンの開幕コロニー落としのように「自動的」「止められない」と言う感じお約束なので、G-セルフが動けないまま引っ張られるとしているのだろう。
また、主人公機のG-セルフが縛られないで←向きに元気に突入したとすると、それはそれで映像として印象が強すぎる。G-セルフが一方的にザンクトポルトに突撃してしまうように見えてしまう。だから、縛る。


ここら辺の強弱のコントラストも空間認識を劇的効果に接続していて面白い。前半の戦闘よりスムーズに入れた、と言う印象が戦闘アニメーションのカロリーコントロールとも併せて視聴者に非言語的にイメージさせられている。かなりややこしい内容だし他のアニメならもっと尺や話数を使うような情報量を圧縮している。なので、それも含めて劇場版アニメっぽい。


Gレコって「いまいち話が動いていない」「11話かけて世界観の説明をしているだけ」って言われることもあるんだが。
海賊船メガファウナの立場だけを見ても「バッテリー泥棒」→「テロリスト部隊」→「アメリアの偽装特務部隊」→「アメリア軍の先鋒部隊」→「アメリア軍の後方の姫様のお飾り部隊」と、激変している。で、ベルリも「ガードの候補生」→「捕虜」→「自主スパイ」→「ガード側としてアーミィへ対向」→「世界の真実を探る」とかスタンスが変わっている。
なし崩し的にアメリアとゴンドワンの大陸間戦争が衛星軌道や月まで飛び火しているので、戦争としても激化している。
激化しているのだが、それがあんまり動いていないように見えるとしたら、ややこしい情報量を処理する演出が巧みで自然で、変に強調をしていないからなのだろう。
そこら辺も世界名作劇場のように、旅や状況が変化しているのに全体のトーンが一定に保たれているように見える演出のスタンスなんじゃないかな。



で、ザンクトポルトがてっぺんのように見せかけておいて、

その上から宇宙人が有無を言わさず補給船ガディアルを狙撃、撃沈!慈悲は無い!

しかもビームを撃ったのとは違う方向とも違う、メッチャ遠い月から艦隊が発進!
静止衛星軌道は高度約3万5千km、月までの距離は地球から約40万km弱。
ウワー、もう滅茶苦茶だよー。どうするんだよー。映像の方向も滅茶苦茶だよー。
次回、「月から来た者」!「見なければ何もわからない!」
次回予告の煽りも空間演出として組み込まれていて匠の技を感じる…。


ヴァルヴレイヴでは、正直そんなに宇宙空間の距離感とか軌道の高度と速度、重力の描写が緻密だったとは思えないのだがGレココンテは松尾さんにとってはリベンジだったのだろうか?VVVの脚本の大河内一楼さんはプラネテスでは宇宙描写がメインの作品に参加したわけだが。プラネテスは谷口監督と原作力があったとは言える。


※追記・
ところで、宇宙エレベーター静止衛星軌道に核を置いて、そこから地上にケーブルを垂らしていくわけだけど、それだと重心が狂うので静止衛星軌道から上にもカウンターウェイトを伸ばしてバランスを取るらしい。

宇宙エレベーターの本: 実現したら未来はこうなる

宇宙エレベーターの本: 実現したら未来はこうなる

しかし、ザンクトポルト静止衛星軌道高度だと言われ、上側にカウンターウェイトもない。
MMF効果でバランスをごまかしているのか?

  • 劇場版ぽさ3>途中経過のすっ飛ばし

また今日も頭が痛いのに深夜までブログを書いてしまって疲れたし、飽きた。
なので、すっ飛ばしたいんだが、今回のガンダム Gのレコンラジオは途中経過をすっ飛ばすことで劇場版編集のように圧縮している。
空間を圧縮して演出しているのと同時に、時間も圧縮している。


ザンクトポルトまで法皇様のクラウンが1週間かかるはずなのだが、今回はそれを開幕ですっ飛ばしている。法皇様も急いだとは思うので3日くらいに短縮したのかもしれないけど。
宇宙エレベーターの本を読むと、宇宙エレベーターに慣れていない人は重力の変化にならすために時間をかけて上昇するらしいんだが、法皇様は慣れていますので。
で、前回「キャピタルタワーのクラウンより早い」と言ったアメリア宇宙艦隊とマスク部隊が法皇様のいるザンクトポルトの手前で鉢合わせする。




そうこうしている間にアサルトパックが出来ている。これも時間経過だ。



メカマンのハッパが大陸間戦争で戦争経験を積んだうえで実験部隊のメガファウナに配属されたけど、ヘルメスの薔薇の設計図でバックパックを作り技術者として充実つつも、戦場では元は捕虜だった変な少年のベルリに命を預けなければいけない…という人生経験を圧縮している。



ラライヤが宇宙服を着て記憶が刺激されて、G-セルフを壊したくなる、と言うのも開幕で省略されている。



サラマンドラもザンクトポルトを数日かけて目指しながらMS編隊の訓練と兵士の説得をして時間経過を圧縮して示している。
(クリムのサラマンドラとスルガン総督のラトルパイソンと、マスクのガランデンの艦隊が静止衛星軌道まで追いかけっこをしながら地球を周回しつつ上昇したという軌道の細かい描写はよくわからないのだが省略されている)



今回のメカ的なハイライトとも言えるアサルトパックの超長距離射撃だが、ベルリは「当たるかどうかわからない」とか証言していて射撃対象のミサイルとかMS自体は認識していない。というか宇宙では距離がたくさんあるので発射してから命中するまでにずれがあるし、観測してから射撃しては当たらない。だから予測座標に打ち込んでいるだけだが、その途中経過を省略している。
ダメ押しに、マスク部隊のフォトンアイミサイルの射撃とベルリがアサルトパックの狙撃が同時になって、しかも命中したらCMに入る。CMを使ってまで途中経過を省略してスピード感を出す演出の手管。
サラマンドラはG-セルフの狙撃で援護されたことを認識しないままマスク部隊とのMS戦闘になる。



サラマンドラは聖地ザンクトポルトへ先発のMSを出しているので艦隊の守りが薄くなっているが、マスクのミサイル狙撃が失敗したのでクリム部隊が戻ってきた。
という説明の途中経過を「クリムは口より手が先でしょ!」で省略しなおしている。







ベルリの宗教的な動揺、クリムの味方へのロックオン、マスクの焦り、航海日誌をつけ始める艦長と、混乱する人々の描写を入れることで、「これ以上戦闘をしていたらザンクトポルトに入れないから撤退する」「ザンクトポルトが射程距離に入っては戦えない」という戦闘中断に至る判断の途中経過を省略している。説明セリフが極限まで減らされているが言外の意図を観察すると行動の理由が何となく暗示はされている。



マスクが傷ついたエルフ・ブルックを牽引することで他のモブのMSの戦闘の損害がどれくらいか、途中を描かずに戦闘結果を描いている。




破壊されたMSの破片がヘカテーにごつんと当たるのも、破壊されるところを見せないで破壊された結果を印象付けている。


第144ナットにメガファウナが入港してから





アイーダがたった3分で大聖堂に乗り込むまでもかなり過程をすっ飛ばしている。すっ飛ばす根拠は、「姫のカリスマ性」なのだ。

その急ぎ気味の中であえてラライヤがエレベーターガールをやる小芝居を入れたのは、またラライヤが後半に向けて動き出す伏線なんだが。省略する所はするし、伏線も配置するのが劇場版らしさ。



で、ベルリとアイーダが議論の場に乗り込んでくると、

クンパ・ルシータ大佐は「あの二人…」と観察するように凝視して、ベルリとアイーダの出生の秘密という途中経過を知っているようなそぶりなのか?


そう言う風にザンクトポルトでの会見が堂々巡りになりそうなところに、

有無を言わさぬ月軍の艦隊!
そして、途中経過は分からんが、マスク部隊とクリム部隊とベルリたちが宇宙からの脅威に対して共同戦線をするらしい次回予告。
すごいスピード感で状況が動いていく。しかもそれを「お姉さんに圧倒されるばかりだった」って、微妙な感想ではぐらかしていて、わかりやすいメカの戦いではなく男女の絡みも発生するらしく。どうなるんだこれ―!


楽しみですね!!!

  • まとめ

なので、劇場版アニメクオリティのアニメを作ってくれているスタッフの方には感謝の心を持つ。作画もきれいだし。絵としてきれいなだけでなく、ややこしいレイアウトとか情報量のある芝居を頑張ってつけている。
なので、ガンプラとか円盤を買って評価しようと思うのだった。ダイレクトマーケティング!!!