前回の殺人考察!ガンダム Gのレコンギスタ第12話「キャピタル・タワー占拠」Aパート
nuryouguda.hatenablog.com
今回はBパートのベルリの心境の解説を行う。
しかし、前回は私の力不足もあり、Aパートのみの解説であった。しかし、待ってほしい。そもそもこのアニメは情報量が多すぎる。というか、1話でやる内容じゃないよね。
「キャピタル・タワー占拠」がサブタイトルなんですけど。キャピタル・タワーを占拠するサラマンドラを旗艦としたアメリア軍と、それを襲うマスク部隊の戦いは24分中、Bパートの序盤の16分で終わる。EDと予告が2分。なので、後半6分は占拠されたキャピタル・タワーの頂上のザンクト・ポルトにG-アルケインと縛られたG-セルフが侵入して、そこで各国の首脳が対話して、その時に謎の勢力からの砲撃が戦艦を撃沈する。
つめこみすぎ!占拠だけの内容じゃなくて占拠された後に侵入とミーティングと事故など、色々起きてる。
ワンピースほど希釈しろってんじゃないけど、G-セルフの見せ場がアサルトパックの戦闘シーンと縛られたサスペンスシーンの2回もあるのは多すぎないか?Gレコの次のテレビシリーズのガンダムの鉄血のオルフェンズはMSのアクション描写がない話が半分くらいあるのに。
いや、普通のアニメだったらザンクト・ポルトが落ちたところでいったん区切るだろ…。なんでオルフェンズが4クールも枠をもらえたのに、ワンピースは20年やってるのに、Gレコはたった半年なんだよ!金星行ったんやぞ!
まあ、愚痴ってもしょうがないんだけど。
でも、一応、ザンクト・ポルト陥落をそれほど盛り上げないのにもちゃんと意味があることを説明しようとは思う。
では、とりあえずAパートの続きから
- フォトン・アイ・ミサイルの行く末
まあ、マスク部隊のフォトン・アイミサイルはベルリのG-セルフのアサルト・パックの砲撃で落とされるんですけど。
前半Aパートでベルリはフォトンミサイルを撃つ際に、
「モビルスーツは沈められなくても!」と言うのはベルリが「モビルスーツは殺したくないけど、撃ち合っているミサイルの攻撃を止めたい」と思っている願望の言い換えだと思うのだが。
「後は大変かもしれない」という彼の懸念が注目ポイント。何が大変なのか?
これは彼の性格をかなりはっきりと表している。と言うのは、富野作品、ミノフスキー粒子下でのMSの運用の戦術を考えればわかる。
つまり、西部劇やスナイパー映画と同じで「撃てば相手に自分の場所が知られて反撃される」と言うことです。レーダーを無効化したミノフスキー粒子散布環境下でビームの狙撃をするということは、光っている自分のビームの座標に向けて反撃されるということです。これはVガンダムでも描かれていた。
ベルリは人を殺したくない。敵の部隊を殲滅するのではなく攻撃だけをやめさせたい。今回はたまたまマスク部隊も同時にフォトンアイミサイルを使ってくれたので、それを横合いから撃ち落とす形になって攻撃の妨害行動は出来た。
それでは、ベルリが何が大変だと思っていたのかと言うと、もちろん「自分の位置がバレて、反撃する敵に狙い撃ちされて、それを回避したり迎撃すること」が大変だと思っていたわけです。
キングゲイナーのブラックメール作戦みたいな。
ベルリは天才だし最強の能力と機体を持っているので、自分がダメージを負うことはあまり問題視していない。また、他人に奉仕するのが好きな性格で他人を殺すことが嫌いなので、自分が反撃されて大変になるかもしれないという予想はできても、それは許容範囲内になるわけです。自分は最強のガンダムで何とかなると思っている。(これは終盤でラライヤに突っ込まれる)
まあ、ここらへんの自分が攻撃されることをリアルにイメージできない痛みを知らない若者としてのベルリの自己犠牲、奉仕の精神はキャピタル・タワー運行長官の養子としては我欲の無い美しい姿かもしれない。天才パイロットとしては敵を殺さずに自分を攻撃させる戦い方は、自信と実力を伴った高貴な騎士道精神かもしれない。
と、ベルリは自分が反撃されることを覚悟してフォトンミサイルを撃った。しかし、ベルリが想像したようにはマスク部隊とサラマンドラ部隊は動かない。
マスクの軍艦サラマンドラへのミサイル攻撃に激怒するクリム。クリムは戦士なので、MSの戦闘ではなく母艦を長距離攻撃するマスクを汚いと罵る。クリムは割とたくさん人を殺すひどい奴なのだが、ミノフスキー粒子を散布した状況での有視界戦闘のMS一騎打ちが本筋らしく、長距離戦闘は汚いと思っている。
マスク部隊はフォトン・アイ・ミサイルがG-セルフに妨害されたことを悟る。しかし、G-セルフには向かわない。
マスクは前回のこともあって飛び級生を憎んでいるが、飛び級生のベルリを殺すことだけを考えているわけではない。前回はG-セルフを拿捕することが名誉だと思っていたが、今回の作戦はザンクト・ポルトの占領が目的だ。だからG-セルフが邪魔したことは分かっていても、G-セルフには向かわずに軍艦サラマンドラを攻撃しに行く。これは、ミノフスキー粒子散布の状態でG-セルフのアサルトパックのことがマスクには見えないことも一因かもしれない。長距離ミサイルは届くが、視認はできないし、レーダーも使えない。なので、アサルトパックの戦力はマスクには不明。そのため、一回だけミサイルが迎撃されたと言っても、能力が不明のG-セルフを迎撃するために転進するよりは、フォトン・アイ・ミサイルが失敗したとしても当初の目標であるサラマンドラに突撃する判断になる。もし、ミノフスキー粒子がなく、レーダーや長距離観測装置でアサルトパックが一回だけでなく何回も長距離攻撃を行う大砲やミサイルを持っていると、マスクが見ることができたら、また判断は違うかもしれない。しかし、見えない敵を相手にして部隊を分割して挟み撃ちにされるよりも、直進してザンクト・ポルトを占領するためにある程度予測がついているサラマンドラ部隊との交戦をマスクは選ぶ。
この判断がベルリには分からない。ベルリはやはり戦略においてはまだ素人だ。ベルリは自分の目でアサルトパックがすごいということを知っているので、敵もすごい自分に反撃しに来て、ザンクト・ポルトへの進行を諦めるのでは、と半ば願望も入り混じった気持ちで考えていた。しかし、マスクはアサルトパックの存在を知らないので、一回だけミサイルを妨害する何らかの兵器、としか認識していない。
この、ベルリの拍子抜けしたリアクションよ!「来ませんか?」じゃないんだよ…。
これはアニメの本放送では演出が地味だったこともあり、ものすごく見落とされがちなワンカットだ。なんでこんな演出をつけたのか理解に苦しむ。ここは、ベルリがすべての責任を背負って敵の反撃を受ける覚悟だったのに、敵が来なくて困惑するシーンだったはず。でも、「来ませんか?」「動きはあるようだけど…」というベルリとアイーダの一言二言を、それほど強調していない演出で言わせるだけ。
G-レコは戦闘シーンでのアブノーマルカラー背景の演出は多用されるものの、心情を強調する演出は薄い、と言うかフラットに描いてあることが多い。なので、やはりここでのベルリの気負いが拍子抜けになったこのシーンはちょっと演出ミスと言うか、さりげなさ過ぎて視聴者に文脈が伝わりにくかったのでは?と思う。しかし、Gレコは全体的に視聴者に想像の余地を与えて考えさせようという意図で作ってあるので、キャラクターの心情の正解が分かりやすいようには演出されていない。しかし、一応セリフとしてはベルリが敵の反撃を予想していたのに、それがなくて困惑するという言葉はある。しかし、カメラも遠景なために、いまいちここのベルリの「気負って攻撃したのに、反撃されなくて拍子抜けする」という感覚が伝わってこない。Gレコは確かにセリフでは情報提供しているけど、それを視聴者がどういう風に判断するのが正解か、と言う演出の方向付けはフラットになされている。それは文芸として高度なことをしたい、と言う作り手の富野監督の意図としては分かるが、結果として「Gレコは分かりにくい」という印象を多くの視聴者に持たれてヒットしなかった。それは演出の方向付けに従うことに慣れ過ぎたテレビバラエティ世代の我々視聴者の感受性が鈍いという問題でもあるが。劇場版ではそれを調節するのだろうか?具体的にどうしたらわかりやすくなるのか、という手法のことは演出技術の素人の僕にはわからないが、監督は頑張っていることを期待する。
- 修羅場のマスクとクリム
かなりえげつない接近戦でグリモアを殺すバララ・ペオールのマックナイフ。
しかし、マスク部隊のMSのみでサラマンドラを制圧するには至らず。先発隊のクリム達が戻る。
そこに反撃する量産型の黄色いマックナイフだが。
足から出た赤いミサイルが
ヘカテ―の背後で起爆して(なぜ直撃できなかったのか?)
それに対して、
「あっ!それ!」
クリムのジャハナムが
黄色いマックナイフの胸をビームライフルで貫いて、
ひっくり返った股間にもビームを浴びせてエンジンを起爆させてオーバーキル。
「生意気だったの、褒めてやるよ」
クリム・ニックは大統領の息子なんだが、こういう所では戦士として敵を対等なものとして扱っているように見える。マスクは騙し討ちを好むゲスな賤民で、マスクのフォトン・アイ・ミサイルをクリムは汚いと言ったのだが。クリムは自分の恋人(?)のミック・ジャックが乗るヘカテーにミサイルを撃った敵兵を瞬時にオーバーキルして、「生意気だったの褒めてやるよ」である。
クリムは恋人のミックが自分よりも先行して敵の攻撃を受けたのに瞬時に対応して、反撃する。しかし、そこで「私の女に手を出すな!」ではなく「生意気だったの、褒めてやるよ」である。滅茶苦茶エラそうなんだが、戦士として対等な立場で正々堂々と殺し合うことで自分のカッコよさを自己認識するような、そういう所がある。大統領の息子のエリートだと、結構ずるくてせこいキャラクターにされやすい属性なのだが、クリムには実力と自信があって、実際強い。まあ、ラライヤを騙してG-セルフに乗せたりもしたんだが、戦場では自分の力で戦う戦士として本領を発揮する。
それに対して
「私の部下をアメリアごときにやらせるかー!」と奮戦するマスク。
クリムも指揮官であるが、クリムはどちらかと言うとファーストガンダムのシャアに近く、部下を利用して、自分は一人の戦士として戦う。マスクはクンタラとして部下との結束を大事にするのだろうか。(マスクがバララと男女の関係になる経緯ははっきりしないのだが、そういうマスクの絆を求める気持ちがあったのだろうか)
マスクとクリムはどちらもライバルキャラなのだが、同じ戦場で女に思い入れをするか部下を守ろうとするか、という点で微妙にスタンスが違う。と言うことを読み取りたいのだが、ここもやっぱりGレコの難しい所で、20秒にも満たない戦闘シーンなので、ぱっと見ではモビルスーツのアクションの面白さにしか目がいかなくて、こういう性格の差異化の描写が読み取りにくいんだよなあ…。
でも、やろうとする意欲自体はいいと思う。(謎の上から目線)
- Gセルフの叫び
ビームやミサイルからだいぶん遅れて戦場にG-セルフが登場するぞ!しかし、無敵のアサルトパックはバーニアや推進装置をかなり搭載しているし、ハッパ中尉は「アサルトパックの方でG-セルフの姿勢制御をしろ」と言ったのに、ベルリはアサルトパックの後ろに隠れるようにして登場。
アサルトパックをサブ・フライト・システムとしてG-セルフとG-アルケインを牽引するように使ったのだろうが、本来はもっと高速移動と長距離攻撃の両方を兼ね備えたアサルトのはずだ。それを使わないのは一方的な戦いをしたくないというベルリの甘さが見える。
そんなG-セルフの中途半端な作戦行動が理解できず、「何を企んでいる?」と叫ぶマスク。
「姫様を連れ出さずに来れなかったのか?」と叫ぶクリム。クリムはアイーダに戦場に来てほしくなかったのだろうか?
前半のAパートではクリムはG-アルケインが出撃したと聞いてミックに「姫様と戦えるんで嬉しいんでしょ?」と冷やかされたのだが。
スルガン家とニッキーニ家の関係は難しい…。
しかし、G-セルフのベルリは戦場で何もせず、結局混戦状態は続いたまま。クリムとマスクはそのまま戦場で奮戦する。
クリムは味方にも銃口を向け、
マスクはバララに窘(たしな)められるほど大暴れする。
G-セルフは主人公でアサルトパックは大火力なのに、争いを収めることができない。一機の主役ガンダムで平和をもたらせるほどガンダムは甘くないのだ。
その戦場の残酷さを見て、ベルリは最強のMSに乗っていながら何もできずに硬直する。散っていくMSを見てベルリは叫ぶ。
「人類のやることじゃありませんよ!」
普段温厚なベルリには珍しく、最大級の怒りの言葉を出す。しかし、それはベルリがスコード教を冒とくされたと思ったから、という信仰心だけが理由だろうか?
ここで思い出してほしいのは、ベルリがこの以前に激怒した言葉を出したのはいつだったのか。それは、デレンセン大尉を倒した後の言い訳のようなセリフだ。ベルリは基本的に怒らない。ガールフレンドのノレドや先輩のルインがクンタラだと差別されても、自分が運行長官の息子だからとやっかまれても、クリムに意地悪されても、戦場で攻撃されても、感情的になることはめったにない。闘志を燃やしてベッカーのウーシァと戦ったことはあるが、怒りの感情は出していない。
では、ベルリがなぜ今回とデレンセン戦の後に激高したのか、その共通点は、「ベルリが責任を感じる」という点である。
ベルリは戦闘能力は最高レベルなので、他人に攻撃されて肉体的な危機感から怒ることはめったにない。性格も温和だしコンプレックスもほとんどないので精神的に怒ることもない。かといってクンタラやスコード教の独裁など社会システムや宇宙海賊や戦争など、他人の悪事にも怒らない。
じゃあ、何が一番ベルリの心を揺らすのかと言うと、ベルリが最強だからこそ、ベルリ自身が「やっちまった!」と自分で自分のミステイクを反省する時。彼もシャアのような独裁者の血筋の者なので、前回のシャアのコラムで書いたように、ベルリも自分の世界に自分しか認識していない。(だから、そういう所がルインに滅茶苦茶嫌われるのだが)
今回の戦場の惨状は、ベルリがアサルトパックで手加減して「MSは沈められない」とフォトン・ミサイルだけを中途半端に撃破したことが原因の一つ。ベルリがしっかりとマスク部隊を殲滅するなり、アサルトパックで戦場を支配したり、逆にザンクト・ポルトを占領しようとするクリムのサラマンドラを撃沈していれば、クリム程の天才が味方を誤射しそうになるレベルの混乱した戦場には成らなかっただろう。
生身の戦士だったら内臓をまき散らしているような、機械だからテレビで放送できるレベルのグロい残酷な戦いが展開される。「機銃で味方を落とすな!」と艦長は言うが、クリムでさえ誤射しそうになるレベルの混戦なので、同士討ちもあっただろうと容易に想像できる。ただ、そこまで直接的に残酷描写をすると露悪的な演出になるので、クリムとマスクの興奮で暗示させるレベルに留めてはいる。
しかし、スコード教の敬虔な信徒で飛び級生で世界一のエリートの親の元でゆくゆくは世界をしょって立とうというノブレス・オブリージュを持ったベルリは、民草にこのような戦いをさせてしまったことに強く心を痛める。ベルリが宇宙海賊とつるむようになったのはもともとはキャピタル・ガードの候補生として海賊を探るというのが目的だった。それが、まあ、アイーダへの恋心を自覚して自分のためにアイーダのために戦う気持ちになっていたのだが、それはそれで今回はアイーダに戦場の惨劇を見せてしまった、と言う風に責任を感じる要素でもある。
ベルリは「悪いことをした!」と思う。アサルトパックの性能を引き出せずに、説明書を最後まで読まずに「まあ、なんとなく何とかなるだろう」と言う気分で出撃したら、これである。中途半端に味方を援護したら混戦の発端を作ってしまった。フォトン・アイ・ミサイルが迎撃された光にクリムが気づかずに戻ってこないでそのままザンクト・ポルトに入っていたら、それはそれで今回の戦場は成立しなかった。ベルリがフォトン・アイ・ミサイルを中途半端に撃ち落としてマスク部隊を殲滅しなかったので、戻ってきたクリム部隊とマスク部隊の兵士たちが血で血を洗う羽目になった。ベルリの責任はかなり大きい。
しかし、である。ベルリは楽観的でポジティブな少年だ。「自分が悪いことをした!」と認識することに耐えられないのだ。ベルリの自己認識はかなり理想的で、「自分はいい人間だから、いいことをするだろう」という性善説を自分に当てはめている。だからノレドを振って悪役になるようなこともしないで、かといって付き合うでもない学生生活をしてるようなやつなんだが。(ルインはちゃんとマニィの彼氏をしている)
だから、ベルリは自分の責任で悪いことが起きて心を乱された時、それで人が死んだ時、相手のせいにする。デレンセンの時も、今回も。
それで「人類のすることじゃないですよ!」と罵倒する。しかし、ベルリが他人を罵倒している時はその言葉の裏腹で、彼自身も自覚していないところで、自分を責めている表現なのだ。
まあ、こういう心理状況もかなり読み取りにくいものなので、やっぱりベルリはよく分からない主人公とかサイコパスとか視聴者に言われてしまうのだが。Gレコはこういう風に主人公が悪口を言っている時に、本当は主人公の方が悪い、と言うような婉曲的な表現が多いので、文芸表現としては高度なのだがテレビアニメとしてはパッと見の印象がはっきり決めにくくてわかりにくい。まあ、富野作品は何度も見返してもらうことが前提になっている所はあるんだが。いや、僕は天才なので読み取れるけどね。
で、表面的な印象としてはベルリが「人類のやることじゃないですよ!」と叫んだタイミングでマスク部隊とクリム部隊が撤退したようにも見えるのだが、実際は全く関係ない。単にザンクト・ポルトが射程距離に入ったら戦えない、と言うだけであって、ベルリは全く戦場の趨勢に関与していない。戦艦を真っ二つにできるくらいの大型ビームソードや、ミノフスキー粒子のレーダーが無効になっている状態の射程距離外から一方的に狙撃できる大砲とミサイルを持っていながら、全く何の成果も残せませんでした!まあ、フォトン・アイ・ミサイルは迎撃できたけど、それはすごいんだけど、人に死んでほしくないベルリにとってみれば、そのせいで結局兵士たちに殺し合いをさせたわけですし。
と、硬直して叫ぶだけだったベルリに比べると、クリムとマスクはよっぽど指揮官らしい行動をしていて、そこは精神年齢の違いなのだろう。
ちなみに、Gレコで微妙なコメディリリーフとして印象に残っていたサラマンドラの艦長だが。
なぜ急にここで航海日誌を書いていたのか?それはおそらく、現実逃避であろう。ベルリが叫びだしたくなるくらい凄惨な戦場だったのだが、それを「歴史的なモビルスーツ戦」と言い換えることで、サラマンドラの艦長は現実認識を上書きしようとしていたのだろう。こういう風に現実から目を逸らしていく態度が、彼の末路にもつながっているのだ。伏線だなあ。
それは逆に、それくらい苛烈な戦場だということでもあるのだが。ベルリが目の当たりにしたモビルスーツの殺し合い以上に、実は残酷なことが起きていたのかもしれない。
サラマンドラの艦長が目を背けて航海日記を書いていた時に通信していた相手は、おそらくザンクトポルトを占領しに向かった陸戦隊だろう。画面は小さくてわかりにくいが、ガビアルの艦長が重装宇宙服を着ているようにも見える。
なので、モビルスーツの戦い以上に血が流れていた可能性はある。ただ、それを映すとアニメとしてイデオンになってしまって残酷すぎるので演出上描かなかっただけなのかもしれない。もちろん、144番ナットやザンクト・ポルトの職員態度から考えるとそこまで大規模な白兵戦は行われなかった可能性もある。(戦闘部隊が常駐しているのかも不明だし)
ただ、アイーダは
「天才クリム、かなり乱暴なことをやって上陸した?」とも想像している。サラマンドラの艦長が目をそむけたくなるような何かがあっただろう、と言う程度だ。学芸会が得意だった兵士が遭難船の振りをして占領する、と言う際にどの程度の暴力があったのか、それは想像の域を出ない。しかし、そんなガビアルもこの話のラストで撃沈されるので、1話の間でガビアルの兵士が生きてたり死んでたり、学芸会をしたり狙撃されたり、と言う人間ドラマがあるんだなあ…。
- 表面的に正しいベルリ
で、ここでのベルリの激高が第6話のデレンセン戦の後の怒涛の言い訳のリフレインだとすると、この後にベルリがする行動は、過去にモンテーロを大気圏突入の時に救った時の行動のリフレインだと予測できる。
ベルリは自分が悪いことをしたと思って他人に責任を擦り付けた後、自分の正しさを取り戻そうとして、表面的に正しい人助けをする傾向がある。
この、無敵のアサルトパックの銃身の(映像の原則的に)戦意の無い角度もすごい。ベルリは本当に今回の戦闘で全然役に立ってない。
ここのベルリの受け答えはかなり受動的で、アイーダのアイディアに対して表面的に従って、常識的に正しい情報を言っているだけに見える。第6話で自動的にモンテーロを助けたことの繰り返しならば、今回はアイーダの言うことに従っているだけにも見える。この時のベルリはアサルトパックを使いこなせずに人をたくさん死なせてメンタルが不安定になっているので、アイーダの後ろをついていくだけの態度になってしまっている。
それが、144番ナットやザンクト・ポルトでアイーダの後ろについていくだけの態度で表されている。Gレコはアイーダが女王として覚醒していくというのも一つの裏テーマだったので、アイーダがこういう風に意気消沈しているベルリを牽引するシーンも重要。しかし、なんか微妙に演出的にパッとしないので、あんまりアイーダのすごさが伝わってこない…。戦場で強い女傑、と言うわけではなく、女王として目覚めていく少女、というのはどういう風に描くのが正解なのか…。一応、今回の演出は革命機ヴァルヴレイヴで指南ショーコという宇宙帝国皇帝とか大統領の娘とかいう謎のヒロインを監督した松尾衡監督。ヴァルヴレイヴも主役メカの色の使い方とか、Gレコの練習みたいなところがあったのだが、果たして…。
縛られて女と一緒に女に引っ張られるベルリとG-セルフはかなり情けないのだが。(ちなみに、ここでアイーダはトイレをしている)意気消沈してアイーダの尻を追いかけるだけのベルリが落ち込んでいる、と言うことを遠回しに描いている表現なのだろう。
- 縛られたGセルフ
しかし、ザンクト・ポルトの中にいるアメリアの兵士が縛られたG-セルフの中から3人も出てきたのに、それに対しては全く問題視していないのは、どういうことだろうか?まあ、高校生の男子と女子2人にペットロボットだから、軍人には警戒されないのか?アイーダ姫様が連れてきたわけだし。ベルリは身体能力は高いけど、身長はそんなに高くないので、あんまり見た目では強そうには見えないのか。
主人公としてはかなり舐められている状態ではあるのだが。G-セルフがなぜ縛られていたのか、これもあまり理由が分からないのだが。144番ナットとザンクト・ポルトの両方の職員とアメリア軍の双方に「攻撃の意思なし」とアピールするためなのだろうか。
主人公メカが縛られる、と言うのは結構ドラマチックにしようと思えばできる要素なのだが、Bパートの後半でスルーされたようで残念。今回はアサルトパックをやったり縛られたり、G-セルフは1話の間でかなり忙しい。オルフェンズの尺をこちらに回せていたら…。
しかし、144番ナットの職員が落ち着いているのは、ザンクト・ポルト占領の際の情報が隣まで伝わっていないということなのだが。占領したクリム達は、どういう占領の仕方で情報規制をしたんだろうか。キャピタル・タワー自体では有線通信が使えるはずなのだが…。シャンク屋や自動ドアの職員はいるので、ザンクト・ポルトが皆殺しにあったということはないようだが…。
ガビアルをだしにして入って占領したことを、ケルベスは責めるのだが、ドニエル・トス艦長はアメリアの政治的理念が正しい、と主張する。ドニエル艦長はキャピタル・ガード出身のベルリやケルベスを受け入れているし船に女性のイラストを描くし、リベラリストに見えるのだが、やはりアメリアの正義を信じている面もあるようだ。メガファウナ部隊が多様な意見を持った人たちの集団と言うのは事実なのだが、その一人一人が自由平等博愛の精神を持つリベラリストと言うわけでもないし、アイーダも自分が姫様だと言われることを利用している。
しかし、大統領の息子のクリムがザンクト・ポルトを占領して、そこにはアイーダの父のグシオン・スルガン総監も同席しているというのに、アメリアの兵士がなぜここまでアイーダの合流を喜ぶのか、その理由ははっきりしない。序列で言えばアイーダよりもクリムとグシオンの方が上に見えるが、このころのアメリア合衆国では軍人や大統領や王子よりも姫を尊ぶ文化や、宣伝戦略があったのだろうか?G-アルケインが派手なのも国威発揚の意味があるというし。アメリア国の国民は最終回まで描かれることが大統領周辺を除いてほとんどなかったのだが、トランプ大統領の娘のようなセレブタレントのような扱いをアイーダは国内で受けていたのかもしれない。しかし、クリムもそれで言えばプリンスだと思うんだけど…。
- 聖餐室で
ゲル・トリメデストス・ナグ法皇、ウィルミット・ゼナム運行長官、クンパ・ルシータ大佐、グシオン・スルガン総監、クリム・ニック大尉、ミック・ジャック中尉が一堂に会している。
ウィル長官は怒り、グシオン総監を見損なったと言う。クリムはアメリアの権利と能力を主張し、グシオンは「事態が進むままに」と受動的なことを言う。前回11話でパラシュートで大統領の前に降り立ったのに、艦隊出動を止められなかったのがグシオン総監だ。
それについて、私は「自分の目で事態を確かめてきても、行動力が今一つのグシオンは、ベルリの未来の姿かもしれない」と書いた。ここで、今回、ベルリはアイーダの後ろを拝む状態になっているので、自発的ではない。ベルリとグシオンの血のつながりを超えた相関があるようにも見えるが、それは作り手は自覚的なのだろうか?ベルリは好きなアイーダの父親を超えることができるのだろうか?
ベルリを従えたアイーダは堂々として見える。
しかし、アメリアの国益を叫ぶクリムも政治家、貴族としては正しい。
それに対して個人的に怒るウィルミット長官。アイーダとベルリに感心したように観察するクンパ。スコード教でキャピタル・タワーを運営する事の正当性をクリムのような外国人の軍人に主張する時、「私の使命」としか言えないウィルミット。まあ、キャピタル・タワーをどの勢力が管理するのかを実力主義で決めようとしたらひどいことになる。なので、スコード教の惰性と既得権益で運営組織を決めて続けてきたのがリギルド・センチュリーの歴史なのだろう。
しかし、100年前のトワサンガの産業革命とクンパ大佐の薔薇の設計図流出でパワーバランスが崩れ、キャピタルの独占に対して様々な勢力がキャピタル・タワーを狙う候補として名乗りを上げ始めたのがこのアニメの舞台となる時代。それがレコンギスタ。
で、キャピタル・タワーの長官としてのアイデンティティを宗教的な使命としか言えないウィルに、ベルリは息子として寄り添う。
ゲル法皇は「聖域のトワサンガ」と言うが、クリムはそれもでっち上げだと宗教批判する。
その直後、ザンクト・ポルトの上にいたガビアルが狙撃される。それをしたのは聖域と言われたトワサンガから来たもの。
グシオンは恐怖からか、それともアメリアの軍事的行動を正当化するためか、「宇宙からの脅威は本当じゃないか!」と叫ぶ。それに反論するベルリ。
ザンクト・ポルトを攻撃しようとした脅威ではなく、警告だ、と。ミック・ジャックも言う。
しかし、次回、トワサンガのドレッド艦隊ではそれは脅しのつもりが失敗して直撃させてしまった、と言われる。ベルリが脅威ではなく警告、と言ったのは半分だけ正解だった。本当は警告もまともにできないレベルの艦隊がトワサンガと言うことで、それはちゃんとした脅威の軍隊よりも危険かもしれない。しかし、ここでベルリはガビアルが狙撃されたことはそこまでの脅威ではない、と言う。やはりこれも彼の楽観主義的な性格、多分に願望を含んだ現状把握をしがちな傾向、と言うことだろう…。ベルリはガビアルが撃沈されるのを見てもなお、「あれは警告なので、一方的な暴力ではなく、対話の余地がある」という楽観論を言う。(北朝鮮のミサイルに対する政治批評としても秀逸だが、Gレコはもう3年前のアニメだ)
ニュータイプは物事を正しく認識する能力のある人、と言う面もある。しかし、今回のガンダムのGレコのベルリはポジティブなのだが、ポジティブであり続けるために現実認識を楽観的にすり替える癖がある。それは現実と直面して崩壊したZガンダムのカミーユよりもましなのか、ダメなのか…。
- 今回のベルリの総評
舐めた態度でアサルトパックを使い、無駄に戦場を拡大させ、しょんぼりして縛られて、宇宙からの脅威には楽観論を言うしかない。ベルリは平和を願い、能力も高く、人間を信じていて、責任感正義感もそれなりに強く、ポジティブで楽観的だ。しかし、そのベルリの善なる部分が戦場に出たらいたずらに戦火を広げることになって、優しいベルリは自分で傷つく。
それよりは直線的にまっすぐ自分の利益のために敵を殺せるクリム・ニックの方がリアリストなのかもしれないが、どちらが主人公としてふさわしいのかと言うと…。
しかし、G-セルフアサルトパックはGP-03デンドロビウムに匹敵するメカニックなのに、ろくに本領を発揮してないので痛快ロボット活劇としてはいまいち不完全燃焼ではある。VVVも一応登場したメインの当番回では能力を若干説明気味に披露していたのだが。
ベルリは無敵のG-セルフの性能を抑えて使う傾向がある。
しかし、人と人の戦争を痛快ロボットアニメにすること自体が人間への冒涜、と言うのが正しい道徳観かもしれない。そういうメッセージがあるからGレコはメカの性能を楽しく引き出して派手に暴れて楽しいって言うアニメにはなっていない。
それでも、富野監督はそういうメッセージ性を持ちつつ、ロボット戦争アニメしか作れていない。
この歳になったら新しいジャンルをやるのは難しい、と富野監督は言うし、実際今はGレコの劇場版の作業で手一杯だと思う。しかし、富野監督よりも年上のクリント・イーストウッド監督は戦争物以外にもいろんな映画を撮っているので、富野監督もGレコが落ち着いたらまた視野を広く持ってほしい。(謎の上から目線)
- 次回の殺人考察
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- Gレコ感想目次
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- おしらせ
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