玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ダンバイン雑記

最終回の衝撃映像ベスト5
1位・・・ドレイクに迫る、ニー・ギブン
2位・・・実相寺アングルのシーラ様
3位・・・抱き合うショウとバーンと不協和音
4位・・・ブルベガーに乗り込むドレイクのニヤリ
5位・・・ミュージィーとショットのウルトラセブンっぽい感じ
6位・・・その他
でしたー。
マーベルは盛り上がらないのが、逆に盛り上がるのです。
つーか、ニー・ギブンの突撃ざまは絵としてみたら変なポーズでガンダムSEEDとかの美麗アニメでもないんだが、凄い迫力でマジで恐怖を感じたぞ。
ドレイクに何もかも奪われた49話分のニーの人生の全てがテレビから迫ってくるような感じで、例えるなら、カメの思い出。
コミックCOJI-COJI (1) (バーズコミックス)
ふふふふふ。カメの思い出をなめるなよ何万年分もあるんだ。
ちゅーわけで、最終回ならではのテンションで素晴らしいですな。
ていうか、悪役のドレイクもルーザもビショットもショットも味方の側もみんな何もかも失ってるのに戦うのが泣ける。
マーベルくらいかなあ。帰るうちがあるの。マーベルは女神のような人だな。でもしっかりしすぎて女友達は少ないかもしれん。お姉さま的な関係ならありかな。
あと、レンタルなので何度も見れるので家事の合間にダンバインを見ると言う失礼な事をしたんだが、その後夕方のアニメを見ると高速道路から一般道路に下りたような違和感を感じるのでウッカリ批判してネット交通事故を起こさないようにしたい。路線がそもそも違うのだな。
つーか、富野セリフは「短いテレビの尺に合わせるために変に短くした物で畸形的な言葉遣い」と自他ともに認められている気がするんですが。
よくよく考えてみると僕らの普通の会話でも、考えていることを全て発言すると言うケースの方が少ないのではないかと言う実体験があります。
だって、僕がブログでこんなに長々と書いているのは物理的な喉で発言すると非常に疲れる上に何を言ってるのか自分でも忘れて分からないからです。あと、聞いてる方もウンザリして友達無くす。だから、こういう、トミノ聖典の感想などの公式見解はブログで発表しているのですよ。*1
じっさい喋る時はもっと端的に、文法を崩して喋るのがほとんどでしょう。また、話す相手が横槍や相槌を入れたり、いきなり連想したりして会話の流れが変わったりします。いや、実際の会話はその変化が重要なんですけど。
翻って、トミノ語以外の言語で書かれた脚本はなんだか遅い気がする。ゆっくり喋ってると言うか、言葉が間延びしていると言うか、ださい。会話ではなく設定をダラダラ垂れ流しているだけのような。
会話をしているのに相手のリアクションを想定せずにその時点での話者キャラクターの話したいことを全部喋らせようとするから尺が伸びて変な感じなんだよな。あるいは、短い場合はアフォリズム的に格好のことを言わせようとしてやっぱり会話っぽくない。
映像作品においては地の文が無いのでセリフでストーリーを進めないといけないのだろうが、セリフがそのための道具になっちゃって本来、生きた人物が相手と関係するために発する道具である会話にはならないんで、違和感。言葉よりも演技で説明するって言う手もあんだろうが。皮膚感覚の無い言葉の羅列な気がするんだよな。言文一致を信じすぎると言うか・・・。
つまり、ガッシュと清麿がグダグダ言ってる間に殺しとけよ敵よ。と思った。
それがあまり気にされないでトミノ台詞の方が変だといわれるのは、おそらくソーいう脚本に盛り込みたい内容ってのは、ちょうどよくギリギリ収まってるからだろうな。文法も普通の文に近いし。
トミノは言いたい事が多すぎるから結果として言葉も編集しまくらないといけないわけだ。んで、サセルカ!になると。それは、トミノの映像ではなく文章を見ると明らかにグダグダくどくどなので、文章では暴走してるなあと思えて、難しいなあ。文章。
つーわけで、カッコよさだけでトミノセリフの様式をつかって内容が伴わないと無様な物になるよな、と。
いや、まあ、難しいんですけどね。士郎正宗も嫌いだと言いつつ使ってるし。*2
トミノもそう言う編集癖のせいでジェリドを殴るシーン、というより、カミーユがブライトさんに(;´Д`)ハアハア…!して学校をサボる導入シーンを切ったりする。
三谷幸喜宮藤官九郎とかは上手いなあと思います。やっぱり芝居だからね。あと、日大芸術学部
僕も気をつけよう。と言うより先に書いても居ない。と言うより先にレポートをかけ。

*1:公式だったのかよ!?

*2:ゴーストダビング装置の解説ね