玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士ガンダム28 29 ゴミの死と責任の死と狡猾なシャア

大西洋血に染めて
ジャブローに散る!
ミハル・ラトキエだけでなく、ホワイトベースの甲板員がグラブロのミサイルにやられ、漂流教室のように少年少女が死ぬ。
それを戦闘機から離れて見たアムロ・レイが「ハッチを少しやられただけです。大丈夫」という無情
ニュータイプでもわからんものはわからない
ジャブローで次々死んだウッディ達も無情だ。
ファーストは人がゴミのように自然に当たり前に死ぬね。一番戦争ぽい
他のガンダムはまた違う雰囲気だな。
ゼータは叙情詩的に死ぬ。ダブルゼータは死ぬ庶民にカメラを向ける。
逆襲のシャアはヤケクソ。
F91は殺しが目的。
Vガンダムはさらに精神も体も残虐に。
ターンエーは神話。
山本優さんとか、脚本家の力や戦争と学生運動の記憶もあるのだろう

まあ、今の時代の物書きにも、満ち足りたまま先細り、つながりが途切れる時代の予感があるので、それを書けばよろしい。


閑話休題


実直な現場監督のブーンに「私は部下を失いました。仇討ちではありませんが、その責任を取らせてください」というような事を言わせて、出撃させるシャアは鬼だ。
しかもシャアは木馬を沈めるつもりはなく、ジャブローまでマッドアングラーがついて行ける程度に損害を与えるためだけにブーンを出撃させる。
まあ、ブーンも漁業組合から飛行機を奪って殺したようだし、鬼なんだが。
シャア・アズナブルは実に要領が良い。
成果主義の権化だな。チャンスと他人は最大限活かして殺す。
シャアの後ろについていたズゴックはシャアが避けた砲弾で死ぬ。



ウッディ大尉はアムロから見ても、馬鹿なほど責任感がつよく実直な男で、馬鹿な死に方をする。
ガルマやランバ・ラルもそうだ。
ヤマトや999のようなヒロイズムや責任感へのカウンターでもあろう。
ヒロイズムや責任感は人を偏狭にするからな。
ならば、シャアのように軽やかに颯爽と自分だけがうまく立ち回る事を推奨しているのだろうか?
(策士のマ・クベにシャアは派閥闘争で勝つ)
たしかに、要領が良くなければ生きていけない世界なのだから、それは正しいし、シャアのサクセスは魅力的でもある。


愚民は考え無しにゴミのように死ぬし、大人は責任というヒロイズムに酔って死ぬ。
悪魔的な者が生きる。


富野色の強い小説版ガンダムではシャアが最後の勝利者であるし、最大の嫌われ者になる。
しかし、それでも!と叫びつづけたのが歴代ガンダムなのだし、シャア自身もララァとの別れやハマーンの付きまといやカミーユとの別れやアムロとのすれ違いで、人間的に重くなっていく。
ガンダムは一つの尺では計れない。
まあ、基本的にはおもしろアニメです