玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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二〇〇〇年代の創造神、富野由悠季のアニメる力(ちから)』1

本稿はちなみに、アニメルカ第2号に載った奴に加筆修正した物です。
一万五千文字以内で書けと言われたのと徹夜連続で、本に乗せたものは文章が結構無茶苦茶でしたので、加筆しました。
あと、富野作品は全部見てません。
アニメは勇者ライディーン、ザンボット3、ダイターン3、エルガイムは全部見てません。
小説は、シーマ・シーマ、破嵐万丈シリーズ、王の心、オーラバトラー戦記を持ってるけど読んでません。
評論は、富野由悠季発言集ガンダムの現場からを持ってるけど読んでません。
他は全部見た。
あと、ムック本や雑誌類は全部網羅するのをあきらめています!ガンダムエースは全部持ってる。
超ニワカ。
大目に見てくださいねー。

0 序

 まず富野由悠季は「とみの・よしゆき」と読む。プロフィールは長いので、参考文献やネットを参照されたし。
 『アニメルカ』創刊号を読んで、俺は激怒した。「宇野常寛」や「東浩紀」、「岡田斗司夫」等の人名が散見されるのに、ガンダムのガの字も出てこない。それはアニメ誌じゃないだろ!ふざけるな! 〇〇年代と言えば文字通り『機動戦士ガンダム00』だ!去年は『機動戦士ガンダム』三〇周年だ。そして、ガンダムを最初に作ったのは『富野由悠季』監督だ。故に富野監督について書く。アニメルカなので、主に「アニメる力(ちから)」について書く。『聖戦士ダンバイン』の「オーラ力(ちから)」みたいな感じでね!なお、私は素人なので、演出やアニメ史的意味等よりも視聴者側からの視点で描く。

 なぜ今、富野由悠季が重要なのか。それは前述の批評家の素地を作ったのが富野であり、またゼロ年代のアニメの楽しみ方や流行の素地を作ったのも富野であるからである。
 オタクが一般化したゼロ年代のアニメの楽しみ方と言えば、
・コンテンツを通じたコミュニケーション喚起型(ニコニコ動画やコスプレの素材として、オタ芸、等)
WikipediaやWebアニメスタイルやブログの普及によるスタッフやスタジオに注目した考察
・現実との接点(京都アニメーションをはじめとした背景ロケハンなどのリアリズム)
・萌え的疑似恋愛等
であろう。
作品の雰囲気としては宇野の言う
・「肥大した母性のディストピア&弱い美少女を所有するレイプファンタジー」(『崖の上のポニョ』、key作品等)
・疑似家族といったモチーフ(『交響詩篇エウレカセブン』)
・匿名性という要素(『攻殻機動隊SAC』『コードギアス 反逆のルルーシュ』)
・ループ世界(『ひぐらしのなく頃に』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』)
・フィクションに近い独自のルールを持った仮想的現実世界(『スカイ・クロラ』などの押井作品、ライトノベルファンタジーや、『.hack』『lain(これは00年代じゃないけど)』等ネットの中の仮想現実モノ、向こう側の世界を持つ麻枝准作品)
等がゼロ年代の流行だと思うのだ。


 だが、それは既に富野由悠季が通って来た道だ!
 ・オタクの一般への主張は『機動戦士ガンダム劇場版』公開前のイベント「アニメ新世紀宣言」や「イデオン祭り」で富野が若者を先導して行った。ガンダムブームの時にはホコ天ガンダムのキャラクターやモビルスーツのコスプレをした「トミノコ族」が出現した。
・オタクコミュニケーション共通言語は、ガンダム名言での会話ブームや、ガンダムカフェ、ガンダム芸人を生んだ。
・スタッフ考察について、富野は創刊期のアニメ雑誌への積極露出
・現実の地名や建造物との接点は『勇者ライディーン』『無敵超人ザンボット3』
・萌えやショタは『海のトリトン』からずっと萌えキャラを出してる。『トリトン』のヒロインはツンデレ幼女全裸人魚ですから、尖鋭的すぎる。ピンク髪とかを出したのもイデオンとかかなー。緑の髪はコン・バトラーVの南原ちずるだから、富野じゃなくて安彦さんの仕事か。
・母性との戦いも「トリトン族」から、『ガンダムシリーズ』でも『オーバーマン キングゲイナー』に至るまで、ずっとやってる。
・疑似家族はホワイトベース
・名前だけで実態を持たないテロリストは小説『閃光のハサウェイ』のマフティー・ナビーユ・エリン
・『伝説巨神イデオン』は世界のループ的やり直しを宇宙規模で露骨にやっている。
・もうひとつの世界と言えば富野の『バイストン・ウェル物語』の世界は二〇一〇年春のアニメ『Angel Beats!』みたいな現世とあの世の間。


富野は開拓者精神が旺盛なのだ。
勇者ライディーン』で初の原作なしアニメを手掛け、近年でもWOWOWやネット配信アニメで常に最新事業を切り拓いているのが富野だ。
 だが、元ネタだから偉いんだ!というおたく的知識自慢に何の意味があろうか。富野自身、手塚治虫司馬遼太郎や、シャルル・アズナブールや、多くの映画や民話、オニールの宇宙計画、ニューエイジ思想等、色んなものをパクっているのだ。ゼロ年代の土台の一部が富野なのは明らかである。しかし、ゼロ年代が人類史の中にある現実を考えれば、その一部に富野がいるのは自明以前だ。
 もちろん、文化の入り口として、ゼロ年代アニメから富野へ、富野からさらにその元ネタへ、というのは視聴者の楽しみとしては面白い事だ。『∀ガンダム』以降のゼロ年代ガンダムも、「ガンダム世界」への入り口として機能するようになっている。
これは21世紀のガンダムが「黒歴史」世界観というガジェットを持っているからですね。「黒歴史」とは、ネットスラングから一般化しましたけど、元々は『∀』の劇中世界の用語です。
黒歴史とは「∀ガンダムの劇中世界に伝わる古代神話で、宇宙世紀ガンダムも『機動武闘伝Gガンダム』も『新機動戦記ガンダムW』も『機動新世紀ガンダムX』も全てのガンダムの歴史も含んだ太古の数万年間の歴史」という「虚構の中の現実の歴史」である。富野はこれについて「ガンダムを全肯定しつつ全否定するもの」というマーケティング的な作為を持って発案したと言っている。まさに、「ガンダム世界の入り口はファーストでなくても良い」という21世紀ガンダムのビジネスモデルです。大きな人類の創作の歴史の中での文化の入り口という物を意識しています。
同時に、富野は「黒歴史」があらゆるガンダムを乱暴に総括した神話である事を「歴史を改竄できるのが人間なんだ」と語っている。つまり、ガンダムシリーズ作品はとある世界の歴史を、大河ドラマ歴史小説のように勝手に改ざんして、アニメ世界に投影し直したような物だと認めたということです。しかも、それを『∀ガンダム』の作中で登場人物が語ることで、『∀ガンダム』の作品世界自体を深めることにもなっている。
また、富野も関わったプラモデルシリーズ『SDガンダム ムシャジェネレーション』は『∀』の未来という設定で、ガンダムの児童向けパロディであった『SDガンダム』も取り込んでいる。さらにガンダムが登場しない近未来の日本にミノフスキー粒子が存在する小説『アベニールをさがして』や、劇場版『機動戦士Zガンダム』の「歴史の新訳」との概念はガンダムワールドのパラレルワールド性を暗示させている。
(一説によると、富野作品は全て富野の創造した、人間の想念によって支えられているバイストン・ウェル世界での出来事らしい。はてしない物語のファンタージェンみたいなものだと、富野本人もどこかで言っていたような・・・)
このような並行世界の暗示は結果的にだが、武者頑駄無騎士ガンダムの異次元世界を舞台にした『SDガンダムフォース』などに繋げている。パラレルワールドであり、歴史小説のように書き換え可能なフィクションであるという開き直りである。
故に、富野自身(とバンダイサンライズの要請)により、富野作品は非常に自由なのだ。アニメファンがこだわるガンダムシリーズの富野作品/非富野作品という区別はないのだ。宇宙世紀/別年期、リアル/SDという区別も既に無意味な物だ。
だから『機動戦士ガンダム00』も『機動戦士ガンダムUC』も自由だ。『ガンダムUC』の作者・福井晴敏に「俺たちはガンダムの設定の中で困ってるんです」と言われ、富野は「アニメなんだから無視しちゃえばいいんですよ」と言っている。(講演:富野由悠季福井晴敏福江純ガンダム天文入門』、六本木ヒルズ、二〇一〇年三月九日)
富野由悠季は正統性や整合性などよりも作品そのものの面白さのみを追求する作家なのだ。
東浩紀は、ガンダムワールドの年表や設定にこだわるファンについて、

ガンダム』のファンの多くは、ひとつのガンダム世界を精査し充実させる事に欲望を向けている。つまりそこでは、架空の大きな物語への情熱がいまだ維持されている。 
(『動物化するポストモダン』五十九頁、講談社、二〇〇一年)

と、書いた。しかし、前述のように富野由悠季は『動物化するポストモダン』の二年前の『∀』で「黒歴史という架空の巨大な物語」を創造することで、逆にガンダムファンの架空の歴史を既に自ら粉砕していた。『∀』自体は根強いファンを持つが、興行は振るわない作品だった。が、この破壊はゼロ年代の『機動戦士ガンダムSEED』や『00』の大ヒットや月刊『ガンダムエース』やガンダムビジネスの継続の土壌になっているはずである。
 このように、自らを破壊し再生させ土台を維持していくインド三神のような力で、富野は二〇〇〇年代の創造神である。
だが、前述のように富野も歴史の流れの中の一人の作家にすぎないし、自分の発明した原作を自ら原作レイプして破壊する事もやってのける男なのだ。だから、元ネタ発明者としての権威は無意味だ。