玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

輪るピングドラム第11話ようやく君は気がついたのさ 妹命令なのさ!

絵コンテ:幾原邦彦 金子伸吾 山崎みつえ
演出:山崎みつえ
作画監督:中村深雪 西位輝実
というメインスタッフで固めてきた話。前回、前々回の武内宣之、後藤圭二両氏の一人演出作画も良かったが、今回からしばらく、幾原絵コンテ介入が続き、1クール目の終盤でコアになる事をやりそうな予感!

おもしろかったよー!いろんな人間関係の動乱とか、感情の揺れ動きとか、過去の暴露とか、生存戦略とか、色んな事がぽぽぽぽーん!と起きておもしろいわー!
演出的な話は、前日、前回の10話について長々と書きました
輪るピングドラム第10話 だって好きだから輪る映像の原則を解析する - 玖足手帖-アニメ&創作-
ので、今回はやらない。でも、今回も映像の原則に従って人間の力関係や、そのカットでの感情の印象などの象徴、移り変わり、入れ替わりが起こってて、わかりやすく面白かった。
とりあえず映像の原則についてはHIGHLAND VIEWさんの作成したこの図表が端的に簡潔にわかりやすいので、各自覚えて、自分で解析して下さい。


落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>

引用いたしました。
丸投げは基本。画像キャプチャはめんどいからもうやらん。
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)


前回に引き続いての真砂子と冠葉の再対決のシーンでの位置関係や、冠葉が真砂子に対抗しようとして歩いていく進行方向とか、映像の原則としてすごくきれいでしたね。

二人の会話シーンでの位置関係も、背景の格子模様がガイドラインに成っていてわかりやすかった。単なるカッコつけじゃないのねー。冠葉が上手側に立っている真砂子に対抗して歩いていって、上手下手を交換して、やっぱり下手側の気持ち悪い位置の背後から真砂子が飛びついて重たさを表現したり。


そして、やっぱり左側から登場するマリオを中央構図で映すのがマジで不穏だ・・・。

日記の後半は夏芽真砂子陣営も手に入れてなくて、日記を拾ったのは違う女だったのか・・・。いったい何者なんだ・・・。
日記のパワーとは、「あの場所」の組織とは・・・。こどもブロイラーとの関係は・・・。いったい何なんだ・・・。
ここら辺の謎のちりばめ方は、ピンドラで幾原監督と連名で全話の脚本・シリーズ構成をしている伊神貴世さんが推理作家という事もあるのかな。
ま、小説版の原作表記を見る限り、原案は幾原監督(イクニチャウダー)で、伊神さんは単語などの整理などがメインだとも思われるが、演出家を集めての合同会議や合宿もやってるそうなので、色んな人の意見が入ってるのだとは思う。


んで、
夏芽真砂子さんは、冠葉を愛してるけど、冠葉を信じられてない上に、冠葉の絵を描いて「絵の中のあなたこそが本当のあなたなの!」とか物凄いメンヘラパワー!苹果以上のガチのストーカーやで!

家事も万能で芸術関連の技能(才能やセンスがどうとは言わん)もあり大人気の読者モデルの女の子に見蕩れられる程美しくて身体能力も高いんだけど理屈っぽい絶望的なコミュ障の夏芽真砂子さん
https://twitter.com/#!/ItoBek/status/117426198950330369

少女革命ウテナ信者の伊藤ベクさんもビックリです。
ていうか、絵を描いちゃうんだ・・・。STAR DRIVER 輝きのタクトの終盤でのヘッドがシンドウ・スガタの絵を描いてよこしたような・・・。所有欲のリビドーやで・・・。しかもそのスタドラ終盤の事をピンドラ中盤でやっちゃうんだ・・・。真砂子キメええええええええ!
ビーパパスの元ウテナスタッフ人たちは最近なにかがおかしい。


あー、あと、前回、徹底的に弱体化した荻野目苹果ちゃんですが、高倉晶馬君が回復して、イチャイチャする事で復活したっぽい。画面の構図的に。


前回は俯瞰で弱さを表現する構図が多かったけど、今回はニュートラルな映し方で、復活したっぽい。
また晶馬を振り回すパワフルお嬢さんに戻った。晶馬君が「桃果ではなく苹果」を見てくれるって言うのがラブパワーって言う、すっごいわかりやすいボーイミーツガールやわ。

でも、そこは苹果はラブ的には嬉しいけど、自分の人生を自分で管理したいと思ってきたこれまでの路線を変えることには抵抗があって、晶馬と別れて再び多蕗とプロジェクトM・・・。

この電車での、
苹果と晶馬の画面内構図の二人の位置関係や距離感の変化がおもしろい。
晶馬の近くに座っていて、仲が良くなれるかと思った苹果だったけど、
晶馬の「その一言が命取り」→「苹果よりも陽毬のために苹果が必要」って晶馬が言ってしまった事で、

「桃果よりも自分自身を見てくれる晶馬君」に惹かれ始めていた苹果は晶馬から離れてしまう。
そして、プロジェクトMに”あえて再挑戦”という苦難の道を歩む事を選択する苹果は「→」側に、上手側の電車の出口から退場する。舞台的だなあ。

そして、晶馬はこのシーンの最初の苹果と同じようなポジションで画面に映り、困ってしまう。「苹果の気持ちを分かりたいけど・・・」という表現かな。


そして、何が起こるかわからない不安感を持ちつつの魔術儀式。


何が起こるかわからないから、多蕗は不安感のある下手側で、最初は顔が見えないが・・・。



ここでの人形劇は、多蕗と苹果の位置関係が、人形劇の紙っペラをひっくり返して回転させることで、上手下手が簡単に入れ替わって面白いなーと。
多蕗への好意が多蕗からの行為に入れ替わるわけで。
そして、多蕗に愛されて幸せに思っていたけど、苹果は晶馬へのラブと、桃果になろうとしていたけどやっぱり最後の一線では苹果自身を守りたいという気持ちがあって、土壇場で多蕗とのマタニティを放棄した。

そしたら多蕗圭樹石田彰がカエル人間になり、ストーカー女だった苹果がストーカーされるというサスペンスに!!!!

ストーカー、やられてわかる嫌悪感。嫌悪感だから、多蕗は下手側の上側から苹果に迫るわけ。
そこに帰ってくる大人の余裕の時籠ゆりさん。苹果の心の中の晶馬への行為をあっさり看破して言って、多蕗にかけられた呪いの魔法の効果も一晩で終わりました、めでたしめでたし。

(まあ、この本当に効果のある魔術ホームページを苹果に見せた人や、ホームページを運営したり、カエルを手に入れさせた”組織”が何者なんだ・・・、って言う謎はある。明かされるのだろうか?)


と、そこへ、妹命令で仲直りしに来た晶馬くんと陽毬ちゃん。

うおおお!かわいいいいいいい!
陽毬ちゃん良い子すぎる!
「妹の貴重な女友だちなんだから、仲直りしてよね」「妹命令!」

かわいいいいいいいいいっ!!!
私はシスコンですけど、妹にこういう風に命令されるのも好きです。シスコンですけど、妹と恋仲になる話だけでなく、妹に他の女の事の関係をあれこれされる話も好きです。他人の女は性的な意図や利害関係があるので、絶対にできないよね、「妹命令」って。こういう特別な事ができるから、やっぱり妹は最高だぜ!!!!


そんな優しい高倉兄妹に対して、苹果ちゃんは好意を素直に見せれなくて照れ隠しと、思春期的混乱で殴打!!!

20代後半のオッサンの俺としては、時籠ゆりみたいな感じで「自分の好きな相手とくっついたら良いのに」と思ってしまうが、やっぱり思春期の女の子が気持ちを切り替えるのは大変だよねー。とくに苹果はめんどくさい女で元々ストーカーだし、桃果への気持ちとかあるし。
そんな痴話げんかに対して、プリンセス・オブ・ザ・クリスタル様が降臨!
生存戦略ーっ!」

プリクリ様「泣けメス猿。この際、特別に許可 してやる。キーキー喚いて、洗いざらい全部ぶちまけてしまえ」
9話でペンギン帽子の出自が明かされて、プリクリ様が陽毬ちゃんと別人というよりは、陽毬の別の側面の人格、抑圧された心、という風に見る事も出来るようになった。そういうわけで、プリクリ様はピングドラムを手に入れようとするだけの自動的な存在ではないのかもしれん。
っていうか、「泣けメス猿。この際、特別に許可 してやる」って、何というか・・・、「兄と兄嫁の喧嘩の仲裁をする妹がとりあえず酒をすすめて泣かせる」みたいな・・・。プリクリ様のキャバ嬢感・・・。プリクリ様は何をするかわからんなー。牛にもなるし。
こういう超すごい行動をする妹はやっぱり超可愛いし、超ふしぎだし、超燃える!
妹命令!ブッヒィーッ!


そして、妹命令が発端となって明かされる「1995年3月20日」基底現実での「地下鉄サリン事件」の日に生まれた高倉兄弟の双子と荻野目苹果・その日に死んだ荻野目桃果の因縁・・・。夏芽真砂子が握る高倉冠葉の秘密もこれに関係しているような・・・。
生まれた時から定められた男女の因縁・・・とは・・・。



ロマンチックじゃん!


自分が生まれた時のことにこだわってもがいている青少年て、本当に青少年って感じがするな。
大人だと、「まあ、過去は過去、今は今」って割り切って、荻野目苹果の父の荻野目聡や多蕗圭樹のように新しい家族を作ったりするものだが。生まれた時の状況を因縁として、勝手に自分の使命や宿命だと解釈してしまうのが青少年の不安定なメンタルだなー。
しかも、それが一人だけのものではなく、兄妹や男女の関係として絡み合う!おお、面白いドラマだな!!!
そして、異空間と化したミラクルトレイン生存戦略空間列車の中で、苹果はまた不安定になって泣き崩れるし、晶馬は「君の辛いさだめは自分の罪だ」と異って困ってしまう。

それを上手側の上位からじっと見据えるプリクリ様。下手側で困っている二人に対する、プリクリ様の肝の据わり方が印象的だ。


だが、陽毬の別人格であるペンギン帽子のプリクリ様はこういうのだ。
生存戦略しましょうか」
これ、
「生まれた時の事は自分で選べないけどさー、
 生きてる今は自分で戦略を選んで生きていきましょう」
というポジティブな励まし、ともとれるよね。
プリクリ様は画面の真ん中で、テレビのこちら側の視聴者に向けて言っているようにも見えるし。


こういうメッセージを出せるイクニは結構熱い男だなー。


あ、現実の事件を描くことについては、僕は良いと思う。実際、現実に起きた事件の集積の上で現代はあるんだし。
現代アニメは現実とは違う世界だから現実にあった殺人事件などを無かった事にしても良いんだけど、社会的な事件、事故、災害、戦争という暗黒面もやっぱり現代を構築する要素だからねえ。
いや、輪るピングドラムは現実の建物などが出てくるが、同時にピングループとか東京スカイメトロとか、現実とは違う名称のものがあるし、このアニメの中の「1995年3月20日の事件」が基底現実と同じ「地下鉄サリン事件」と同じかどうかは分からないんだがね。
まだ。
あと、現代劇に史実を入れると、それはもはや現代劇ではなく「時代劇」として「史実を変換した劇」という事にもなってしまうので、いろいろとアレなんだ。
富野由悠季なんかは「宇宙世紀」とか「惑星ゾラと呼ばれる地球」とか「バイストン・ウェル」とか「オルファンの居る世界」など、独自の世界観と歴史を作っちゃうんだけど。


でも、僕の個人的な意見としては、現実に災害に遭ったり、身内を殺された若者ってのは居るわけだよ。
で、そう言う人から見て、「災害を避けて描かれる綺麗な日常ドラマ」とか「殺人をエンターテインメントとして描くドラマ」ってどうなんだろうな、あまり良いものじゃなく思えるだろうな、と思う。
でも、そういう不幸に見舞われた人もやっぱり、その後を生きているわけで、その中ではアニメを見たりする事もあるわけで。そんで、そのアニメの中で「現実の災害はあった」「遭ったけど、それを踏まえて生きよう」「生存戦略しましょう」という熱いメッセージは、良いと思う。
目を逸らさないのは辛いけど、目を逸らさないで「これは在ったのだ」「あったけど、それでも若者は元気に恋をするのだ」っていう情熱は良いと思うんだ。
このアニメの若者たちには、90年代のしがらみにとらわれずに自分の人生を熱く生きて欲しい。それが、キレる17歳世代だった29歳の俺の感想だ。
それに、季刊エス幾原邦彦監督は「東日本大震災の後、作品に影響をうけた」って語っていた。「こういう事があった世界で、僕らは何を発信できるだろう」みたいな。
僕としては、「不幸な事件に見舞われた人に向けて作品を作る」「不幸な人の存在を無視しない」っていう姿勢はとても真面目だなあ、と思う。イクニは変なエンタメシーンとかギャグも入れてくるけど、根はすごく真面目で人に対して優しい人なんじゃないかな。まあ、その分、恋愛とかで色々と大やけどをした経験も若いころにはあるそうですが・・・。


そーいえば、サザエさんの原作ではフネが従軍看護婦だった(という嘘をつく)って言う裏設定があったりしたよな。


しかし、アレだ。
陽毬の別人格で深層心理のプリクリ様が苹果ちゃんを励まして晶馬と仲良くさせようというのは、陽毬の健気さだなー。
というか、「私は死んでるけど、お兄ちゃんや友達の苹果ちゃんは過去を乗り越えて生きて欲しい」っていう、東京マグニチュード8.0の幽霊弟みたいな感じだったら、辛いなー。


陽毬にも幸せになって欲しい!
俺は妹が好きなんだ!
妹命令を出してくれえええっ!


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