玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

アニメ師と生命と放浪と杉井ギサブローは興味深い

先週の土曜日に哀しみのベラドンナを見た。
先週の日曜日にグスコーブドリの伝記とドキュメンタリー映画「アニメ師・杉井ギサブロー」を見た。グスコーブドリの伝記は面白かった。
先程、杉井ギサブロー教授の自伝、「アニメと生命と放浪と」を読み終わった。買っていたけど、グスコーブドリの伝記のネタバレがきついので、映画を見てから読んだのだ。


杉井ギサブローと言う人はかなり珍しい人間だと思う。
アニメーターとしてもかなりうまく、哀しみのベラドンナでは深井国のイラストを動かしたり、抽象表現でセックスを描画したり、かなりの芸術性だ。
タッチでの間の美学、銀河鉄道の夜の色々な構成力など、監督としての手腕も見事なものがある。
その一方で、京都精華大学でもう5年以上、毎年通年でアニメーション学を教えているという大学教授である。このエッセイでは、その大学で何を教えているかと言う事も記述してあるが、漫画絵の描き方などではなく、かなりストイックに動きや演出の理論を教えているようだ。
シラバスは公開されている。

科目名 アニメーション創作演習1Y
分野系列 専門教育科目(3年必修)
講義期間 前期
担当教員 杉井/馬郡/石岡
単位数 2


サブタイトル プリプロダクション/映像制作へ向けての滑走期

授業の概要及び目的
前期創作演習はふたつの軸を持つ。
1.なぜ作品を創るのか、どんな作品を創るのか。自分の持つアイデアやモチーフ、テーマをどのように作品へと成形していくのか。いくつかの作品をテクストに、ディスカッション、意見発表という集団討議作業を通じて、自己の認識を深める。
2.何が面白いのか、何がドラマとなりうるのかの発見、そしてそれをプロット化、シナリオ化していくことで、どのような発想、技術が必要なのかを体感して貰う。


到達目標 これまで習得してきた諸技術を、企画(物語創作)、時間のデザイン(短編・中編・長編)、動きのデザイン、音響空間の形成を通して総合芸術としてのアニメーションに注ぐ回路形成


授業計画
1. 様々な作品鑑賞―分析とディスカッション
 ・創るとはどういう行為か                                              
 ・作家の意図はどのような方法で映像化されているか
 ・時間のデザイン―短編・中編・長編とは何か
 ・作品と時代性・社会性
2. シナリオ演習―プロット作成から、演技まで。
           
                         
1については、作品鑑賞→グループディスカッション→分析レポート作成→レポート内容発表→それらを基に再びグループディスカッション、まとめ講義というサイクルで授業を構成。
2は、5〜6週使って、チーム作業として行う。
評価方法・評価基準 定期試験レポート。授業への積極性。
履修条件・留意点及び受講生に対する要望(予習・復習等) 1年、2年は習得の期間。3年、4年は作品創造の期間―3年になって初めて正式に「作品を創る」というプロセスに入ってもらう。これまで皆が2年間何を学んできたか、何を自分のものにできているかが問われる。「渾身の一作」に向けた下耕作、施肥作業に入る。
http://syll.kyoto-seika.ac.jp/syllabus/syllabus/search/ResultListKyoin.do?nendo=2012&staffnum=MAY101

技術と哲学を教える真面目な講義のように見える。まあ、就職率は低いしメンヘラ率は高いって卒業生の友人から聞いた事はある。


そのように、アニメーション作家、アニメーションスタッフとしてもかなり重要で、東映動画手塚治虫、グループタックなどとの関係からアニメの歴史的にも重要な人物である。


だが、私が杉井ギサブローに興味を持ったのは、アニメオタクとしての興味だけではない。彼が10年間、絵を売って日本中を放浪していたという経験が稀有なものだと感じたからだ。はだかの大将ではないか。アニメというジャンルを取り払って、一つの芸術家としても、かなり希少な人物だと思う。
しかし、彼はストイックであり、多くを語らないで来た人物である。異常な経歴を持っているが、それをネタにする事があまりなかった。作品の雰囲気も、どこか飄々として視聴者に媚びた所があまりない。たまに、妙な作品もある。


私は富野由悠季杉井ギサブローの対談講演を見に行ったので、杉井ギサブローさんを見た事はある。
京都国際マンガミュージアムGUNDAM来たるべき未来のためにガンダム展オープニング記念対談富野由悠季×杉井ギサブローを見た聞いた喋った書いた燃えた萌えた愛する - 玖足手帖-アニメ&創作-
その場所で、富野に「鬱病から立ち直った経験について、どう振り返りますか?」と質問した。
鬱病を乗り越えた作家として質問してみた。 - 玖足手帖-アニメ&創作-
だが、「精神的な悩みからのキャリア上のブランク」という点でとらえれば、杉井ギサブロー監督も、鬱病ではないにしろ、そういう経験があったので、聞いておけばよかったと思う。そういうわけで、本書とこの映画を見ることにしたのだ。
だって、珍しいじゃないですか。精神を病んで復活する人って。しかも復活した後の方がパワーアップしてるし。それは、精神病者である僕にとっては割と希望なんですよね。
ヘンリー・ダーガーも好きだし、そのドキュメンタリー映画も見た。



  • で、まずは映画

『アニメ師・杉井ギサブロー
出演:杉井ギサブロー原正人・大塚康夫・りんたろう山本暎一丸山正雄・伊藤叡・郄橋良輔・前田庸生・江口摩吏介・馬郡美保子・明田川進・桜井宏・古川雅士・藤田健・藤山房伸 「グスコーブドリの伝記」制作スタッフ他・手塚治虫
監督・撮影・編集:石岡正人
音楽:渡辺崇
撮影:伊藤峻太
プロデューサー:朱京順・藤田敏夫
制作:ゴールド・ビュー
製作:「アニメ師・杉井ギサブロー」製作委員会(ゴールド・ビュー/京都精華大学手塚プロダクション
2012年|日本|HDV撮影・DCP、HDCAM、BD上映|2.0ch|91分|
©アニメ師・杉井ギサブロー製作委員会

http://stu.kyoto-seika.ac.jp/info/campuslife/2012/04/post-190.php
http://kumakini.blog.fc2.com/blog-entry-280.html

この映画を撮った石岡正人さんは京都精華大学のマンガ学科で杉井教授と一緒に教鞭をとっている人で、もともとは実写のドキュメンタリー制作を中心にした映画作家だ。


見た直後にツイッターに書いた感想を転載。

アニメの歴史にちょっと詳しくなった。が、これは氷山の一角である。
飛べ!イサミとか陽だまりの樹あらしのよるになどの近作の話題がなくて、銀河鉄道の夜から一気にグスコーブドリの伝記 に飛ぶのはちょっと難しい。が、杉井はそれだけ深い 。
(もちろん、スーパードールリカちゃんとかストリートファイターIIを絡めるのは難しかったんだろうが)


杉井監督の十年の旅が一番気になってたので、ちょっとでも触れられていて良かった。でも、だったらにほん昔ばなしの映像が欲しかった 。


紹介されたフィルムの秒数が各三秒長かったらなあ。アニメに詳しくない人向けらしいが、あの切り取り方ではちょっと各作品が何なのかわかりにくい気が。銀河鉄道の夜はさすがにたくさん紹介されてたが


どろろがカルピスまんが劇場って説明がなくインタビューが進むのは一見さんには厳しいだろ。ちょっとそういう配慮に欠けていたかと。まあ、自伝をこれから読むけど。マニア以外は解るかね?


アニメ師 #杉井ギサブロー ラストで説明なく杉井教授がアニメ学を教えてる京都精華大学と学生が映るんだが、ドキュメンタリ映画としてブツ切れ。僕はマニアだから杉井さんが教授って知ってるしネットでシラバスも見てるが。アニメファン以外にわかるか?


#アニメ師 #杉井ギサブロー ってタイトルなんだから、手塚治虫のジャンピングで終わったらダメだろ!よく杉井監督はキレなかったな。テヅカ ハッド オールレディ ビーン デッド!

ジャンピングはなー。うーん。悪くはないんだけど杉井ギサブロー監督関係ないし…。なー…
結局、どいつもこいつも手塚治虫!俺が自分の紹介映画を撮られて、ラストが死んだ師匠の作品ならキレる。香川照之の紹介のラストを先代猿之助の舞いで締めるみたいなもんだよ!
昨日見た、哀しみのベラドンナ(ビデオ版)も中身は良いのにラストの蛇足がクソだったからなー、ラストが蛇足だとクソ感増す。あ、グスコーブドリの伝記はラストを勢いでぶっ飛ばしたから逆にかっこよかった


パンフの作品紹介がデータ原口正宏氏の協力によるものだそうで、さすがに詳しいんだが、データ原口氏の本気だったら富野由悠季全仕事になるので、もっと書きこめると思った。


でも、まあ、アニメ業界人が映像資料として残るのは歴史的意義がある。文章としては30年前からアニメ雑誌に残ってるが。
アニメ業界人の顔出しインタビューが豊富なのが良かった。普段表に出ないプロデューサーや制作の人が歴代出ていて時代の深さを感じた。


私も石岡正人監督のドキュメンタリ映画は見てないから、ドキュメンタリ映画業界の作法は、よくわかんないが


ロケハンインタビューのハンディカムの手ブレがひどい。っていうか、俺、ハンディカム嫌いなんすよ。ドキュメンタリならハンディカム、って固定観念は嫌いだし、そもそもハンディカムを使わなくてもインタビューできた気が

と言う感じで、AV女優のドキュメンタリーを撮ったりしたドキュメンタリ監督による映画で、ちょっと手ぶれとかインタビューが聞き取りにくかったりとか、アニメを見てる人にはよくわかる話題だけどアニメを見てない人にはいまいちわかりにくい微妙なラインの情報量だったり、杉井監督が作ったアニメ作品の映像が少なくてわかりにくかったり、他にも重要な日本昔話や陽だまりの樹などの映像がなかったり、編集が雑なせいで、どの情報のどの主張に重きを置いている文脈なのかいまいち解釈しにくいってところは不満だったけど、
いろんな業界人へのインタビューがあって、元虫プロとかグループタックのスタッフの人の顔や肉声が出たのは企画として評価できる。


また、杉井ギサブロー先生のエッセイは杉井ギサブロー先生の主観に基づいて書かれている(構成はアニメ評論家の藤津亮太さんで、すっきりとした編集である)が、ドキュメンタリ映画では、前田庸生さんなどの別の視点が描かれていて面白かった。
杉井ギサブロー監督の中では旅は旅として重要なんだが、りんたろう監督とかが「旅をしてるって言っても、東京の家族のためにアルバイトで日本昔ばなしやってるんだからなー。アニメ業界とは切れてなかったし、どっちつかずだった」っていうふうに杉井監督が自分では言わないような別の視点を提示してるのが良かったと思う。


ただ、やっぱり映画は終盤に手塚治虫の過去の動画がインサートされる回数が増えて行き、最終的に「杉井さんにとって手塚先生とはどういう人ですか?」という質問で終わり、ラストカットは手塚のジャンピングで終わる。ジャンピングは杉井さんはノータッチ。関係ないじゃん。
そこはすごく不満。

 杉井と手塚は切っても切れない繋がりを持つことにより、反体制や破壊のための挑戦を続ける杉井の基礎が出来上がっていったような気がする。
 映画はラストに手塚の実験アニメーションとして有名な「ジャンピング」のワンシーンで終わる。
 それは杉井ギサブローという人間がずっと跳ね続けていく、ということの暗示としての提示なのか、それとも手塚ありきの杉井だということなのか、それは編集した監督の意図として聞いてみないと分からない。
「アニメ師・杉井ギサブロー」新作映画 今日の試写室|永田よしのりの映画と唄と言霊と 映画批評と紹介記事など


でも、アニメの杉井さんの経歴を見ると手塚の影響ってそこまで絶対的なものだとは思わないんだよな。
まあ、アニメに詳しくない監督が作ったドキュメンタリと言う事で、アニメに詳しくない人が作ると、結局締めに手塚を持ってきてエンディングをでっちあげちゃうのかなーって思った。
杉井さんはもっといろいろあって、手塚要素は氷山の一角に過ぎないと思うんだけども。
ジャンピングは反戦要素もあるメッセージ性の強い作品なんだけども。その断片を杉井と言う他人のドキュメンタリーのラストに持ってくるというコラージュはちょっと作品や作り手に対する態度が雑なんじゃないかなーって思った。
まあ、実写のドキュメンタリ監督は編集好きが多いんでコラージュ好きなんだろうな、って気もしたけど。

  • 書籍エッセイの方

気になっていた旅の部分が描かれていて、紀行文として、一人の芸術家の回顧録として、とても面白かったです。
杉井監督の思想が順序立てて論理的に述べられていて、それが時間の流れとも合致していてアニメ界の歴史の書籍にもなっている。非常にうまくまとまっている。
逆に、アニメを作って、旅に出て絵を売って、またアニメを作るという山師と言うか博打のような人生なのに、それを取りたてて感情的に描くでもなく、淡々と「こういうことがあったんだよ」「僕はこう思う」と、述べて行く文体が、杉井ギサブローの淡々としつつも情感のあるアニメ作品と似通っていて、杉井らしいと思う。


それで、杉井ギサブローの体験の補強要素として、ドキュメンタリーの映画は存在意義がある。骨子はやはりこちらの書籍の方だろう。杉井ギサブロー監督の書籍に出てきた人の顔と声が具体的にあらわられる参考資料として、ドキュメンタリ映画は良いと思った。
また、杉井監督が旅の空で街の灯りを見る疎外感が銀河鉄道の夜の冒頭に参考になった、って言うくだりは映像のドキュメンタリの方が分かりやすかった。


杉井監督の旅の体験や、人生の思想の遍歴は、実際に読んでもらうのが良いと思うので、ここでは述べないし、私も忙しい。


ただ、かなり壮絶な旅だったんだなー。そして、いろんな偶然の縁によって杉井監督は作られて行ったんだなーという所があって、人生の妙と言うものを感じた。
ここらへんはグスコーブドリの伝記で、ブドリが自然や他人に流されて生きているようで、非常に頑固に生きた、と言う所に通じる。
鬼の子の描かれた絵を売って旅をする中で、いろんな客や宿屋の人と出会った事が描かれているが、これもまたバラエティに富んだエピソードで、味わい深い。こういう人生経験から、80年代以降の杉井作品が影響を受けたのだろうと想像するのも楽しい。人間観察、これは映画には大切なことだ。

  • 作品に対する思想

旅の部分も注目に値するが、作品思想も重要だ。
本書において繰り返される思想は、哀しみのベラドンナについて、アニメスタイルに語ったものと同じである。
そういう意味で、この本を読む前、グスコーブドリの伝記を見る前にベラドンナを見ておいてよかったと思った。

僕はそうじゃなくて、決着っていうのは観客が自分でつけるべきじゃないの、と思っていた。物語の続きは、各観客が自分の中で考えればいい。映画ってそういうもんじゃないのって、いまだにそう思いますけどね。映画って、不特定多数の大勢に観せるものじゃないですか。ラストのテーマなり、決着は、観客がつけて完成させた方が、映画が活きる。メッセージなりを監督が伝えるために映画を作っていくと、それで完結しちゃいますよね。確かに観客は満足はするだろうけど、それって1本の映画でしかないんじゃないか。そのラストシーンを観客側が作るとすれば、1本の映画が100本の映画になるんじゃないか、みたいな考え方ですよ。僕はどちらかというと、そっちが好きなんです。
http://www.style.fm/as/13_special/mini_060120.shtml

こういう曖昧さや行間を開けた演出が、杉井思想なのかな、と思った。映画の膨らましと言うか。
杉井さんはかなり上手いアニメーターなので、一枚一枚の動画の意味性とか、絵コンテの重要さとかも非常によく重要さを分かっているだろう。富野由悠季の映像の原則のような「映像言語」の大切さについても書いてあった。
それでいて、「自分一人で描いた絵コンテが絶対ではない」「完全なものが正しいとは限らない」「スタッフに任せた部分が自分の想定以上になることもある」などと、わびさびや、無常感、借景的な偶然の美、人間関係の中での予期せぬ効果、等の曖昧模糊とした芸術要素も重要だと繰り返している。
(杉井氏の後輩である富野由悠季出崎統も「絵コンテが8割」と言っているが、残り2割のスタッフワークの重要性も重視している)


そして、それは映画の出来を高めて完成させるために役立つだけでなく、作品は観客一人一人の受け止め方で、またさらに千変万化するのだ、というさらに曖昧な芸術性を肯定している。


こういう曖昧さを肯定する大らかさ、それでいて雑には作らないという作家の自覚した精密さ、これらの考え方が杉井ギサブローと言う人物を表しているし、これで彼の作品がさらに面白く見れるかな、と思って良かった。


この曖昧さ、受け手にゆだねる懐の広さと言うのは、最近のアニメファンの「答え合わせのようなアニメの読解、批評」とは全く違うなあ、と思う。

けいおん!内面論争 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/349218
こちらの文芸論争のように、いろんな批評家の指摘や批判を引用して、けいおん!というアニメ作品がどういったテーマを持っているか、あるいは持つべきであるか、と視聴者が喧々諤々している事案が文学研究やインターネッツでは繰り広げられて、そのディベートでの勝敗が批評家コミュニティのヒエラルキーを作る方便の一つともなっている。
しかし、杉井のような作り手はそもそも曖昧に、広い視聴者にいろんな感動を与えられるように、多様に受け止められる事を想定して、むしろ解釈のブレを狙って作っている所がある。
一つの趣味の人にしか受けないより、いろんな趣味の人にいろんな感動を与える面があった方が売れるし・・・。
だから、なんだか答え合わせのようなファン同士の足の引っ張り合いはあまり好きではない、と言うのが私の立場である。
作品に、必ず一つの主義主張の正解があり、それを読み溶ける視聴者が優れた受け手である、なんという態度は、なんだかアニメを楽しむというよりは学校教育のような感じがして、変だと思うんだ。文芸批評には数学ほどの言語性もないし、物理学のように実際の対象があるわけでもない。
そもそもアニメ自体が動画が繋がって見える錯覚であるし。杉井ギサブローは動画と動画の間のオバケも得意だし。だから、一人一人が行間のなんとなくっぽさを楽しんだらいいんじゃないっすかねー。まあ、アニメについていろいろと語るのも楽しいけど、そこに正しさとか絶対性を期待するのは無意味だし無理だと思う。


グスコーブドリの伝記のアニメ映画バージョンについても、熱心な宮沢賢治ファンから「これは賢治の主張とは違う」とかいろんな反論があるのをインターネットで見たけども、まあ、違って当たり前なんじゃないっすかねえ。というか、「アニメと生命と放浪と」の中で、杉井ギサブロー本人が「宮澤賢治の時代とは受け手の感覚も変わっているから、構成を変える」って明言してるし。それに、宮澤賢治自身もアマチュア作家で何度も何度も改稿していたんだし、雑な展開の部分もハッキリ言ってあるし、そんなに賢治の言いたい事を絶対視する必要はないと思うんだ。


(まー、俺もピングドラムの中盤ではレイアウト解析とかしたんだけど、最終的にはやっぱり輪るピングドラムもなんとなく系の最終回だったと思う。輪るピングドラム宮沢賢治だし。)


じゃあ、何が大事なのかと言うと、やっぱり人間は自分の魂で感じたものがすべてだと思うんで、アニメや本を読んでなんとなくあなたや私の中に生じたぼんやりしたものを大事にして、それを抱えて生きて、そして死ぬ。それでいいじゃないか。

  • 死生観

この本は死生観について描いた側面もある。
杉井氏は幼児期に戦争体験があったり、アニメーターや旅のイラスト売りという餓死に近いギリギリの生活をしたりして死に近い経験をしている。実際こないだ出崎統が死んだり、杉井氏自身が死を意識する年齢になっているという事もある。
それで、杉井氏は自分としては生きてる間が全てで死んだ後は無だけど、残された者は死んだ誰かの影響を受けるっていう。
個人としては命は一つで完結するが、集団としては受け継がれる。命に対する考え方も微妙に矛盾して、曖昧模糊としていて、そこら辺も杉井作品のとらえどころのなさに似ている。だが、タッチとかグスコーブドリの伝記を見ると、命が影響し合っている関係性の間を描いていると思える。
この間、と言うのが大事なんだなあ。
狭間の曖昧なものにこそ何かが宿るというような、アニミズム的なものを感じますね。魍魎というか。アニメっぽい。


まあ、そういう曖昧な杉井監督なので、今までもあまりはっきりとした事を発言して来てはいなかった人物であるし、曖昧に振る舞う事でカッコつけているような部分もあった杉井さんでもある。
富野由悠季ほど自分をさらけ出さない。杉井ギサブローは静かに、粋なアニメ作家だ。粋な人間は普段はあまり多くを語らないのだ。
そういうギッちゃんが70歳を超えて、考えや経験や意図を割とハッキリとまとめた本書は、非常に価値のあるものだと思う。

書きたかったんですけど、この週末に私自信が雑な生活をしてしまったので、書く時間がない。
社会人は辛いねえ。どうも、僕は物書きとして色々と一人で書きたいので、やはりあまり人付き合いをしない方がいいのかもしれない。