RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編「君の列車は生存戦略」を初日に2回見たあと、酒が足りなかったのでキャバクラに行った。
今日の戦利品です。#劇場版ピンドラ#輪るピングドラム#家なき子 #出崎統 #幾原邦彦
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2022年4月29日
生存戦略!生きることは闘いだ。
(これでも選抜した方。出崎統はマスト) pic.twitter.com/7SRuVo90nA
無職のくせにコミケかな?ってくらい散財してしまった。いや、出崎統監督の家なき子は見つけた時に買っておかないと駄目だろ。
生存戦略ー!の後に生きることは闘いだっていう家なき子、完全に一致。本当は戦闘妖精雪風の新刊を探して映画館の近くの本屋に行ったけど、偶然、販売されていたことを知らなかった家なき子全巻セットを見つけたので、クレジットカード限度額を超えていたけど現金で即購入。オタクなので。雪風は、積んでる小説を片付けてから改めて買います。
まあ、大きな本屋で偶然見つけた本に出会うというのも、この映画の文脈っぽいかなと。
クレジットカードは限度額を超えちゃってるけど、現金はあるので。うるさい!俺は死なないギリギリを攻める!死んだあとのことは考えなくていい!
キャバクラは、まあ、映画を見た後に酒を飲みたかったので大型連休の友人に合流したら、そいつがキャバクラ好きだっただけで、僕自身はキャバ嬢のことは若いメスだな、としか思ってない。(脳内妹以外の他所様の娘さんには干渉する度胸がない)
#ピンドラ感想戦略 #劇場版ピンドラ の手錠グッズ、何の目的もなく、なんとなく記念で買って、友人にキャバクラに連れていかれてつけてたら女の子にウケた
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2022年4月29日
ピングドラムを知らない女性にも需要はある pic.twitter.com/kpiLdAufsN
ぬいぐるみの手錠は金属製の手錠より怪我しないで手錠気分が味わえるので、キャバクラ嬢は、それをつけてセックスしたいとか言ってたけど、僕は脳内妹以外の動物とセックスはしないのでなんとも思わない。体が柔らかいので刃牙ごっこはできる。(でも関節を外してもあの動きにはならんやろ)
まあ、それはそれとして、昨年クラウドファンディングに10万円突っ込んだ輪るピングドラムの劇場版を2回見た。10万円突っ込んだので、あと50回くらい見ないと元が取れないかな(なぜ散財する方に?)。グッズは1万5千円くらい買いました。
www.movic.jp
↑アフィリエイトではない
しかし、僕は自分のツイッターやブログのアイコンを判子として制作してもらって富野監督へのファンレターに押印するくらいの呪いのメタファーなんですが、その僕の「グダちん」というアホっぽい4文字の名前がクラウドファンディング支援者としてエンディングロールの上手に流れているのは実に「呪いの刻印」という感じでした。この映画が円盤になって、未来永劫呪ってやる。
あらゆる物語に刻印するだけで呪いを与えるっていうね。メタファーとして共感できた。
まあ、僕の個人的なあれこれはともかくとして。
- 基本的にいつものピングドラムだった
10年前に見たっきりの輪るピングドラムのBDを映画公開前日に見返したけど。あんまり、そこに付け足すべき感想が思い浮かばないし、あまり大して長い感想を書かなさそうだと思ったので、見た後に飲みに行ったのだが。まあ、帰宅してからも飲んでるけど。
なんというか、いつもの輪るピングドラムで、単なる総集編というのよりは確実に豪華になっているのだけれど、でも新訳Zガンダムとかほど展開や解釈が変わっているわけでもないので、それほどここが変わったとか、新しい感想が湧いた、っていう感じではない
(もちろん、映画公開初日なのでネタバレを伏せているという部分はある)
いや、普通に面白かった。
もちろん、12話までの前半の約4時間を2時間に納めているし新作カットもあるので半分ほどカットされているのですが。
でも、輪るピングドラムの輪るピングドラムっぽさは消えていなかった。
なんといいますか、落語ですね。落語というのは時代や演者によって同じ話が少しずつ変わりながら再演されるものですが。あるいは、TV版がマンガ原作だった場合の2.5次元舞台とか、ベルサイユのばらの宝塚バージョンとか、クッソ長いヴィクトル・ユーゴーの「ああ無情」の劇団四季バージョンの「レ・ミゼラブル」というか。
短くなった尺に合わせて情報を整理していったという感じで、メディアの違いを意識するという点では根幹のエッセンスを保ちつつ、TV版の一回20分を劇場版120分連続にチューニングし直した感じの改変で、特に輪るピングドラムの輪るピングドラムらしさが消えたとは思わなかったし、むしろ「ここを消しても輪るピングドラムなのか」と思った感じですね。
ベートーヴェンとかも即興演奏の場合と大規模な交響楽では同じフレーズを使っていても長さや演出を変えるので、まあ、幾原邦彦監督は帝ボンボンなどで音楽活動をしているし、輪るピングドラムではTV版から音響監督も兼ねていたので、そんな感じです。
これは僕の個人的な感覚ですが、音楽的だし実際に新しい挿入歌が入っていたりTV版の歌がテレビとは違った使われ方をするという点で、映像というより音楽的なテンポとして映画版になったなあという感じです。まあ、TV版でもミュージカルはやっていたんですが、そことはまたちょっと違ったアプローチで。
劇場版輪るピングドラムの初見では「ここでエンディングかな?」という感じの歌が2回くらいあって、それでも続いて、本来のエンディングはすごく長い。しかし渾身のピクトグラムと音楽の力でエンディングロールも退屈しない。
そういうわけで、実は映像体験としての快楽としては「どのように変わったのだろう?」と探りながら見ていた1回目より、どうなったのかわかったし慣れ親しんだTV版と同じ部分がどこかわかった上での2回目の視聴のほうがリズムが気持ちよく体感できた。
昭和元禄落語心中を演じた関智一さん(スネ夫)に、高倉冠葉役の木村昴さん(ジャイアン)は影響されていますし、木村昴さんが10年くらい主催しているらしいバカ・ザ・バッカという劇団も輪るピングドラムの制作に協力しているらしい。(訂正、予告編制作会社のバカ・ザ・バッカと天才劇団バカバッカは別の組織らしい。)
落語や演劇性は意識されていると思う。演者も演出家も。
第18話山内重保演出が歌舞伎の舞台のようだと11年前に解説したわけですが、まあ、古典歌舞伎のように、TV版から同じく残っている見慣れた見せ場が分かっている時のほうが、「いよっ!待ってました!」という感じで気持ちよく見れた。平日に3回目も見に行くつもりだが、さてどうなることか。同期の桜が作っているシン・ウルトラマンより売れてほしい。広報の規模としては無理なんですが。
改変部分に関しても、TV版を昨日最終回見た流れでの2周目の列車だと考えれば「だよね!」って感じでした。
2周目を最終回の後の兄弟が見るという点で、記録物を鑑賞するという演出が10年ぶりに見直すという視聴者にもマッチしていて、「しびれるねえ」と思いました。
記録物なので、TV版のライブ感とは違って整理されてタグ付けされているし、それが呪術的な意味を持つという記憶の迷宮的な、映画の「前編」らしいクリフ・ハンガー的な不穏さを匂わせていて、そこもうまいと思った。
- 何を捨てて何を残すか
まあ、面白かったし2回見て2回めのほうが安心して音楽的なグルーブ感に入れて面白かったので悪くないと思うんですが。
でも、総集編映画の作り方としては、やっぱり富野由悠季監督の機動戦士ガンダムやイデオンの映画の方が映画っぽいと思った。そういう面で20世紀の間は初代ガンダムは映画版しかレンタルビデオ屋になかった時代を知る人間(再放送もぎりぎり見ていた)としては、富野由悠季監督には編集ちからでは劣っていると思う。
しかしながら、幾原邦彦監督と富野由悠季監督は別人であるので当然、表現したいことは違うわけで、富野由悠季監督のフォーマットでの映画化と幾原邦彦監督としての映画は違うわけです。幾原邦彦監督はTV版の美少女戦士セーラームーンのシリーズディレクターより先に劇場版のセーラームーンRの監督として評価されたかもしれないし、少女革命ウテナの劇場版も独自の魅力があるので、映画に自覚的な人です。(シネフィルかもしれないし)
まあ、僕は圧倒的に富野監督の方に傾倒しているので、幾原邦彦監督の作品についてはあまり、ウテナゾンビのお歴々に比べると詳しくないと思うのですが。
富野由悠季監督が機動戦士ガンダムを映画にする時にテーゼとした言葉がある。
「TV版の毎回の戦闘シーンを抜いたら一本の映画になる」
機動戦士ガンダムは毎回毎回ジオン軍と戦ってるロボットアニメでした。だから戦闘シーンを減らしてもドラマは繋がります。しかし、輪るピングドラムは戦闘ロボットアニメではありません。(企画段階のことは知らん)富野監督の最新作のGのレコンギスタの劇場版は26話を5部作にするという強引さで戦闘シーンをあまり減らさない方になった。文化功労者だからって無茶苦茶するなあ・・・)
では、今回の輪るピングドラム劇場版では何が抜かれていたのか?それは毎回、テレビでぼくらを楽しませてくれたトンチキなギャグです。TV版は20分の間に緩急をつけるけど、映画では124分で緩急をつけるので、当然TV版のスパンでゆるく見える息抜きの場面のギャグはカットされます。
もっと厳密に言うと、実はギャグはカットされていない。ギャグシーンで表現された感情の起点と結果は残されていて、ギャグシーンで描かれた「間のたのしい段取り」がカットされている。
そうするとどうなるのか?
ギャグのきっかけとその結果、そしてそこで起きる感情は残っているけど、なぜそういう結果になったのかがすっ飛ばされているので、輪るピングドラム特有の不条理な展開がよりスピードを増して、より理屈を抜いて、過程を飛ばして、より理不尽になっているという状態になり、運命に翻弄されるという輪るピングドラムらしさがより先鋭的になっていると思うのですが、他の視聴者の方はどうでしょうか?
むしろ、時間を取らない瞬発的な一発ギャグはTV版より足されている部分すらある。
- 段取りを飛ばす奇天烈さ
まあ、幾原邦彦監督本人はトリプルHが学校の先生に怒られるシチュエーションギャグシーンを入れたかったけど、そこもスタッフの反対で飛ばされたくらい、スピード感があるのだが。
じゃあ、段取りを飛ばすとどうなるのか。
まず、TV版では最初に変なことが起こる。それを受けて、キャラクターが反応したり、理由をつけたり、それに対処する。そして、意外な結末を迎える。その流れが面白い。普通のストーリーテリングはそうだ。しかし、この劇場版は、その途中を飛ばす。
そうすると、まず、変なことが起こる。そして、次にいきなり、もっと変な場面を見せられる。
普通、お芝居や物語のルールとして変なことが起きた後には変なことの理由を説明したり、対処法を落ち着いて考える場面がある。そこをこの映画は飛ばしている。
つまり、変な場面の次に変な場面が連続するという、すごく変な映画になっているわけです。
しかも、幾原邦彦監督は変なアニメや変な物語を作るのがうまいので、「変」のバリエーションがすごく多い。つまり、たとえば明るくて躍動的な変な場面の後に、暗くてずっしりくる変な場面が来る、数カットの変なアクションの後にワンカットだけすごく変な絵がはいる、みたいな展開がこの映画には多い。質としては違うのだが、大きな方向性としてはどっちも「変」であり、その間をつなぐ理由は「テレビで説明したから映画でやらなくてもいいだろ」って感じでスルーされる。結果、「変な運命の理不尽」という作品テーマが圧縮されて伝わってくるってわけ。
ここらへんは、幾原邦彦監督のキャリアのスタートが「もーれつア太郎」という赤塚不二夫先生の不条理人情ギャグアニメだったことも関係しているんじゃないかと思う。最近のポリコレの文脈で、ボンソワール幾原さんが怒られたりしていたけど、赤塚不二夫先生のマンガは人命や、変態の手塚治虫先生ですら茶化してはいけないと言った基本的人権までも冗談にしてはいけないものはないという態度で実験と破壊をする作風だった。
(カジュアルに変な動物や妖怪が出るのも割と幾原邦彦作品は赤塚不二夫のラインがあると思う。ノケモノと花嫁で人体を継ぎ接ぎしたり動物にしたりとか)
(ギャグの他に毎回質が違っていたTV版の間を持たせるための夏芽真砂子のプロジェクトMなどのミスリードも省かれていて、よりリニアーな一本線の列車として整理されている)
じゃあ、天才バカボンみたいなスラップスティックマンガのように変なことの連続でゲラゲラ笑える映画なのかというと、それも違う。
むしろ、観客が変な場面の連続に気を取られて「うわ、変だな・・・」って思って余韻で動揺している間に、こっそりと本筋の感動的な場面の助走の芝居があって、観客が変な場面のインパクトから冷静になった頃に、「感動シーン」がドーン!と突っ込まれていく。ギャグの段取りは省くけど、物語として感動を呼ぶ感情のラインは残されている。なので、観客が「変なことをたくさん見せられた」と動転している間に、感動のための段取りをしているが、それは観客はあまり注視していないので、結果として残る観客からの感情は「変な場面からようやく冷静になった頃に、とても心に訴える感動が起こる」という履歴になっており、変、変、感動!というふうに退屈する場面がなく感情が2時間揺さぶられる。
もちろん、それだけでは疲れるのでしっとりと情景を見せる場面や、インターミッション的な場面や、挿入歌と美麗な景色の長いシーンもある。これがこの映画が音楽的な印象を与える映画というわけです。落語もCDになっていることが多いからね。落語では動きや表情も重要だけど、エッセンスは音楽的緩急。そういう意味で、ボンソワール幾原が音楽活動を始めるのも宜なるかな。
まあ、晶馬が車にふっ飛ばされた後に、「セーフ!」っていうの、動的な変の後に、安心させてるけど明らかに変な動作だからな。でも、どっちも変なのでそこそこ面白い。車に飛ばされるの、セーフで済まねーだろ普通っていう。テレビだと一週間と第9話の冷却期間があるからなんとなくセーフになるけど。映画だともう、直後に「セーフ!」っていう。うわー。そして、セーフなんだ、って思って安心した後にゲロヤバダークネス新展開が突っ込んでくる。安心した時に、いきなり刺してくる。Vガンダムのカテジナか?
輪るピングドラムのブルーレイディスクのオーディオコメンタリーでは幾原邦彦監督はお笑い芸人の例えを出しているけど、笑わせる側はみんなが笑っている時に冷静に次のダンドリを組んでいるわけ。なので、本当に変な映画だと思うけど、作っている人はすごく真面目だと思う。それがラスト近くでTV版とは違う解釈の(さらざんまい以降とかノケモノと花嫁以降みたいな)思想が提示される新作カットが来ていて、それでも闇ウサギは来てしまうっていう呪いがあって、強引に後編に続く!
痺れるだろう・・・。
- まとめ
というわけで、尺が半分なので、TV版から、かなり刈り込んでるけど、変な部分はより理不尽に強調されてい、感傷的な部分は変な部分の勢いの間に進行して心に入り込んでいく作りになっている。TV版は20分見たら開放されて1週間は冷却期間があったものの、映画では2時間揺さぶられるという違ったテンポに変奏されていて、そのリズムに合う人は面白いだろうし、合わない人は、残念ながら「記号的に整理された総集編」と思ってしまうのかもしれない。
僕はなるべく面白がろうとしたけど。やっぱり輪るピングドラムの変な部分は何回見ても変だし。感動的な部分は何回見ても心が揺さぶられるので。
いや、僕が幾原邦彦監督みたいなトリッキーなことが好きで、そのうえシスコンという性格なので、実はこの輪るピングドラムという作品を僕は正しく、冷静に評価することはできない。僕は面白かったけどね?って言うくらい。
シスコンとは違う男同士の血縁ではない友情の関係での山晶推しとしては非常に後からきつくなって来たけど…。山下洋介、運命を乗り換えるパワーはないけど、商店街の福引でファビュラス・マックスな女優が常連の温泉旅館の旅行券をゲットするという豪運の持ち主だし…。桃果とは違う意味で運命に選ばれた男だよ。山下。高倉兄弟が世間に嫌われていても一緒にゴミ掃除の罰を受けるし。
ていうか、ペンギンは海と空の境界で、ウサギは鳥と獣の境界だけど、山下はピクトグラムと人間の境界なので、山下もある意味、超越者なのでは?まあ、エースをねらえ!の相川牧なんだろうケド…。友情は大事だよ。カミーユとジュドーの違いはそこだし。
でも、「あーこのシーンはカットされたのかー」っていう日常の萌えカットが視聴感覚としてまとめに入ってきた気分の終盤に音楽の強引なパワーに乗せて、TVアニメのオープニングみたいなテンポ感で連打されたら、うわーーーーー!好き!っては、なった。
やっぱり、妹が可愛いっていうのはテーマなので。しかし、好きな人を妹扱いするのか、妹だから好きなのかっていうのは、シスコンとしてはとても考え込むところなんですよね。永遠のテーマです。
- 余談
ギャグがカットされてるのと同時に、日常シーンの段取りもカットされているので、変なシーンの連続という印象の他に、
「まとめて見たら、輪るピングドラムって作品って食べ物が美味しそうに見えるようにこだわって作画してたアニメだったけど、それ以上に食べ物を台無しにする場面と食べ物に薬物を混入させるネタが凄く多いな」って思った。
食、人間の命を支えるものですし、食べるということはこの作品の最終的なテーマにも繋がっていたわけですが。
劇場版は美味しそうに食べるシーンをカットして、食べ物を無茶苦茶に地面にぶちまけたり、食いかけで放り出すシーンは残っているし、そのうえ毒も盛るので、結果的に食べ物を大事にしてない不道徳な映画になってるけど。
いや、食べることは本当に大事だと思うんだけど、そういう人間の本能的に大事にすべき価値観や倫理観を土足で踏みにじってグチャグチャにしてまでも、個人的な「愛」を押し通すやつがどうなるのか?
(まあ、だいたいペンギンと女の暴力が悪いんですが)
みんな愛のために必死なので、食べ物をぶちまけるとか、食べ物に毒を入れるということに心理的なハードルが低くなってるなあ。でも、カレーを大切な人と一緒に食べることが大事という話でもある。どっち?
というのは後編への課題として残しておきます。
あー、23時に帰宅して2時間で書けるような軽い、印象重視のなんとなくの感想のつもりが徹夜になってしまった。オタクの悪いところ。まあ、どうせ無職だし毎日がゴールデン・ウィークだし。過労死寸前を経験したので脳が死ぬレベルで劣化するラインも経験的に感じられるので、まあ、これくらいはね。10時間寝たら治るレベルの疲労はどうとでもなる。人間として生き方が雑!人間であることよりオタクであることを重視してるな。クレカが限界なのに本屋で家なき子全巻セットがあったら反射的に買うし。いや、生きることは闘いだし、オタクグッズは買える時に買っておかないと一生後悔するから。生存戦略!
- ほしい物リスト。
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