玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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#翠星のガルガンティア 最終回 「翠の星の伝説」満点ではないが好きな作品だ

本稿は全体感想ですよー。小説版も読みましたよ。


ガルガンティアおわた。 アクションコンテと脚本のバランスなどにケアレスミスがあったので、満点はあげられないが、久しぶりにアニメの最終回で鳥肌が立ったので練度評価Aをやろう。で
いろいろと惜しいところもあるが、それは私と作り手の好みの個体差と、創意の具体化における解凍誤差の範囲内と認識するし、鳥肌が立つシーンやセリフや動作が6ヶ所はあったのでよかったと思うし、好きだと思う。
アモーレ!とか雲海とか剥奪とか限界機動とかエレイン松本の子孫とか鳥肌が立った。
マキシマイズする時の「貴官の論理に破綻はない」っていうチェインバーのセリフは半分嘘くさいけど、レドを励ました感じはあって、それは感動的だった。

クーゲルの女が良かった。残りは惡の華の人類の定義によればクソムシなんだろうなー
あと、ピニオンが微妙にモテながらもフラグを折り続けてだらだらと生きていくところがかわいかった。マイタのくずっぷりがくずううううううだった。声は徳井青空さん。


ガルガンティアの最終戦闘は作画の質はすごいいいんだけど、むしろその作画の方向性の戦術演出が一本調子だったかなーって。 だって、明らかに射程距離が数パーセクの戦術兵器が板野ミサイルとかおかしいだろ?! まあいいや。
バリ系とか21世紀ガイナ作画に引っ張られたアニメーターの手癖を感じて、そこは超未来兵器の限界機動としてはどうなん?っておもったんだけど。そこも含めてアニメーションは人が作ってるものなんだよなーっていう感慨もある。
でも僕の頭の中の理想のマシンキャリバーのアクションはもっと激しく速く広く動くイメージなので、どこか他のアニメで見たような板野サーカスとか大張っぽいアクションはちょっと違うような気がするんだけど、それはそれでアニメーターっていう人たちの手癖と言うものも含めた人間性なんですかねえ。あ、でも、最後の最後でマキシマイズしたチェインバーがストライカーを逃がさないためにワイヤーアクションで頑張ったのはダーカーザンブラックっぽくてカッコよかった。これは趣味ですね。
ていうかシェル・ブリットみたいな軌道をされたらアニメで表現できない。ゴティックメードブレンパワード∀ガンダムは超高速だからアニメーションでは描けない!
イデオンは異次元。



アクションはすごいアニメーションとしてはよかったけど、マシンキャリバーとしては理想とは違う、っていうのがぜいたくな悩みですね。



おはなしとしては、チェインバーさんの行動は狂った人工知能っぽいんだけど、チェインバーの自分ルールでは絶対的に間違ってないのがすごい。
チェインバーさんは局地的戦闘では一撃離脱と自爆だったけど、長い目で見た文明の啓発と同盟復帰へ向けての観測情報保管の可能性増加は確実に果たしたからなー。
そこらへんでルールの中で機械がどれだけ自由を保てるかという思考実験としても面白かった。
でも、人類銀河同盟のルールについて描かれた前日談のニトロプラス公式小説版の「少年と巨人」で、人類銀河同盟のシビュラシステムはウンコ仕様で、無意味に構成員を死なせたりしてたし、明らかに非効率だったし、現実とゲームが区別できてない頭悪そうなルールだったので、あんまり人類銀河同盟のルール自体もそんなに信用できない…。
ルールのセリフも多すぎる!
でも、杉田智和ロボのチェインバーがルールを超えてレド少尉を愛して、レド少尉の愛した地球と人々を愛しているマインド的な気持ちは感動的だったので、よかったなーって思います。
アニメーション表現としての飛翔感の気持ちよさも鳥肌を立てるくらい感動したので、よかったと思います。そこら辺はジブリ出身の村田和也監督ですよねー。


でも、「身内の恥は不快なのでぶち殺す」「死にたくないのでぶち殺す」という感情的な話なのに、レド少尉は割と最後まで感情をあらわにしないでセリフで表現したし、エイミーも長セリフを言ったし、表情が物わかりよさそうで感情の不合理さとか偶然性があまり感じられなかったのはちょっと残念ではある。
これは好みの問題かなー。僕はもっと音楽的に疾走する情熱が好きなんだけど。
まあ、ストライカーは生きてないから別に殺してもいいし、自分で判断する能力を失った人間は砲撃の巻き添えで死んでもいいっていうそういう冷酷な話でもある。レド少尉がクーゲル中佐が死んでたことに対して、悲しんだり喪失感を抱いたりしてないってのが、人間臭さが足りないところではある。レド少尉にとってはガルガンティア船団の人よりももっと長く過ごした大事な同胞なんだから、その人の死を偽造して利用したストライカーにはもっと直接的に怒るのが人間的だと思うんだけど。
でも、レド少尉が一番なやんだのはヒディアーズが人間だと知った時と、ガルガンティアを啓蒙するかどうか、知らない人が安楽死させられることの倫理っていうイデオロギー的な悩みなんですよね。自分の個人的感情の悩みは少ない。ヒディアーズや弱い者が殺されるのが、兵士として使い捨てにされる自分と重なって辛い、という自己保存本能との矛盾に悩むところはあったけど、「自分を使い捨てにしようとした大人たちに復讐してやる!」って言うほどのエゴイスティックな激怒にはならなくて、ちょっとへこたれたくらい。で、割と冷静にガルガンティアを守ることを判断してからはスムーズに行動してたし、クーゲル中佐へのあこがれとか再会できた安心感とかえらくなってる嫉妬とか、ガルガンティアの敵になったことへの怒りとか、死んでたのがわかって喪失感に見舞われたりとか、色々と個人的な感情に流されてもよさそうなものの、レド少尉はそういう感情はなく。
また、「自分には帰る場所がないから死のう」と言う風に物わかり外囲っぽく受け入れてた。


そこら辺はジブリ宮崎駿の不気味さを受け継いでいるところでもありますよね。
でも、人間が説明臭いし戦場でも人間が慌てたり怖がったり怒ったりする表情が少ないので、逆に全く表情がないロボットがスラングを使って自爆するのが一番の見せ場となるという演出構成としては機能してるんだよなー。
イデオロギー的な悩みは脚本構成的な悩みで、作り手の悩みじゃないですか。
逆に、ラストバトルでアドレナリンハイになってキレまくるのはキャラクターの怒りであって、作り手は怒ってはいけない。私の好みとしては、作り手は冷静に登場人物の怒りを演出しなければいけない。だが、登場人物の怒りは本物の怒りでなくてはいけない。という趣味がある。冷静な演出家に導かれた熱狂的な演劇が好きです。そこらへんを演出できるコンダクターは少ない。
だが、レド少尉の怒りは「こんなものを崇拝していたのはむなしい」という程度で、「こんなもののせいで友を、同胞を殺された!自分の財産も奪われた!ゆるさん!」という個人的激怒ではない。ヒディアーズに同僚を殺されたことは納得していたわけだし。むしろ大きかったのは「戦うのはむなしいし、やっぱりエイミーを思い出したら死にたくなくなった」っていうだけだったので、それは兵士としては不適格ですねー。


まー、レド個人としてはエイミーにもチェインバーにも愛されているから個人的な感情の爆発や葛藤は少なくなるのかなー。僕としてはもっと人の業とかを表現するのが好きなんだけど。
レドの葛藤とは関係なく、ガルガンティアが強い味方になってレド少尉が何もしなくても帰る場所を用意してくれたのは人と杉田のやさしさを感じるけど、物足りなさもあり。
でも、面白かった感覚は事実だし、そこら辺はジブリ系のズルさだよなあ。
ラストの後日談でレド少尉が顔ではあんまり表情を出してないのに、ユンボロからロープで降りてくるところとか歩いて帰るところとか、動画枚数が多くて、小さい芝居なのにぬるぬる動くじゃないですか。顔の表情は平坦だけど、アニメーションとしての動きの豊かさでレド少尉の幸せ感を表現してるのがジブリっぽいというか、豪華と言うか。でも、それはそれでそういうふうに健やかに動いてるレド少尉の前途を見てほっとして感動するっていう気分もまたあったわけで。


オカマに追い回されたり、無職に悩んだり女の子のダンスを見て困ったり怒ったり驚いたり楽しんだり顔の表情が豊かになってた5,6話あたりのレド少尉を見るのが楽しかったかなー。
とは思う。
レド少尉はイデオロギー的には悩んだし、ヒディアーズの秘密とか船団の異動では困ったけど、個人的には人間関係ではそんなに悩んでないんだよな。憎しみを抱いて怒ったことが無かったし。周りがいい人ばっかりだったし。理不尽に意地悪をしてくる人がいなかったし。まあ、そういうレド少尉の冷静で落ち着いたところはかわいいんだけども。


あと、ガルガンティア砲撃でぼろくそにされたクーゲル船団の人も根に持った感じはなく、なんとなくガルガンティア船団に難民として受け入れられたのも、レド少尉が虫笛でクジライカの巣にはいれるようになったのも、人の健やかな可能性を感じさせつつも、ジブリのラストにありがちな超つごうのいい甘やかしにも見えて、まあ、ハッピーエンドだから見た後の気分は良いけど、僕みたいに性格の歪んだ人間には一抹の不満もある。
でも好感は持てる作品だと思う。やっぱり(ツンデレ
未来少年コナンみたいなさわやか海洋アニメでしたね。
でも、未来少年コナン共産主義になじめないズルいクズ人間を事故死させて主人公の手を汚させなかったので、やっぱりそこらへんの宮崎駿の主人公への甘やかしがなあ。
富野だったら主人公はもっと女性関係でリアルに痛い目に合わされるじゃないですか。ガンダムシリーズだと大切な人がバタバタ死んだり、気持ちが伝えられないまま別れたり、シンシアに腹をえぐられた上にサラの押しつけがましい優しさも我慢しなきゃいけなかったりするけど。
ガルガンティアはそれにくらべると、のほほんとして平和なアニメでしたね。人類の未来がどうとかあったけども。


あー、女性関係の悩みとか葛藤とかだとピニオンの方がアレかー。でも、ピニオンはなんだかんだ言ってみんなに愛されたっぽいしなー。ぬるいっちゃぬるいんだけど。
まあ、ピニオンは頑張ったと思う。ビームとか。


だから、完璧に満点が取れるアニメではないんだけど、何となくふわっとした好感は抱ける作品でした。レド少尉がチェインバーにもエイミーにも愛されたところがかわいかったし。
やっぱり、総受けヒロインのレド少尉を愛でるアニメでしたかねえ。


あと、快楽天ちゃん。
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