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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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響け!ユーフォニアムのピントが映す音楽性のアニメ演出

ユーフォニアム アニメ 感想

第十一回 おかえりオーディション 脚本:花田十輝 絵コンテ:雪村愛
見た。
響け!ユーフォニアム、ストーリーとしては粗もあるが演出技法がとてもいい。それはピント送りの演出がテーマ性と直結しているからだ。nuryouguda.hatenablog.com

という記事を書いた。


響け!ユーフォニアムは他のアニメ、京都アニメーションの過去の作品と比較しても偏執的なほどピントの被写界深度が浅いと述べた。フォーカスが合っている部分と合ってない部分の差が激しい。


なぜそんな表現にしているのか。
被写界深度とは、カメラでピントの合う範囲。被写界深度が浅いと、背景や手前にあるものがボケて写るので、奥行きが感じられる。
なのだが、立体的なアクションアニメではないのに、なぜ被写界深度を浅くするのか。それについて、私は奥行きの広さを感じさせるためではなく、むしろ個々人の意識の狭さを表現しているのではないかと推察したのだ。

  • 理由その一 音楽をテーマにしている

それは、響け!ユーフォニアム吹奏楽部と言う「音」をテーマにしたアニメですが、アニメーションと言う媒体は「視覚優位」の表現だからだ。(氷川竜介先生みたいなことを言う)


音は目に見えず流れるものである。で、あるが傾聴すれば音楽となる。その音楽鑑賞の意識の「気づき」を視覚的表現に置き換えると、フォーカスの一致、不一致と言う風に可視化される。

この概念になぜ私が気付けたのかと言うと、私は近眼だからなのだ。基本的に裸眼では眼球から半径50センチ以内のものには焦点が合わない。で、目を細めたり意識をするとピントが合う。ユーフォニアムの細かいピントの差は近視眼者の視界の印象に近いと気付いた。




人物と楽器の間でもピントに差があり、むしろ楽器の方にピントが合っている。これは、黄前久美子や高坂麗奈の意識が楽器に集中しており隣の人には意識が向かっていない、という表現。

  • 理由その二 吹奏楽部をテーマにしている

ここで、バンドがテーマのけいおん!涼宮ハルヒの憂鬱ライブアライブらき☆すたのダンスシーンとの違いがある。



吹奏楽部は軽音楽部に比べると大編成なのである。なので、「ピントが合っている人物グループ」を「同期している人物」や「意識を共有している人物」と見ることができるのだが、実際は吹奏楽では他人のことは意識しない。意識するのは楽譜と楽器と指揮者である。だから、吹奏楽部員はピントを共有しない。
大編成の音楽を演奏する時、いちいち他の多くの演奏者の事を考えて、人の音を聞いてから自分の音を出そうとすると間に合わない。だから、意識は自然と狭くなる。音は広く遠くに飛ばすように意識するのだが、周りを観察したりということではない。
あくまで音楽を統合するのは演奏者が演奏した時ではなく、音が響いて聴衆の耳や脳に届いたときである。
一つ一つの音は音楽ではない。これは第六回 「きらきらチューバ」で葉月が合奏して「音楽になった」と言うエピソードを挟むことで表現している。一人一人の音では完成しないが、一人一人の音を出すことに集中しなければならない、というのが合奏。なので、意識の集中範囲は狭くなり、それを視覚表現にするとピントが合う範囲が狭くなる。で、ピントが揃った人たちは「意識を共有する」「ハーモニーが生まれている」という表現になる。


11話で素晴らしいシーンが練習シーンにある。

滝昇先生はピントが同じような生徒の中から塚本秀一の音が良くないと気付いて指摘する。

カメラに注視される塚本。
「クソッ!」ってこぼしてしまう。


それを意識から遮断するかのようにユーフォニアムで隠す久美子。
いいね。こういう絵の作り方すごい分かりやすくて好き。久美子の秀一との心理的距離感の演出でもある。
で、練習シーンでは秀一のことを見なかったけど、

帰り道にすごく周りがボケている背景の中、(しかも羽虫などでさえぎられているのに)川辺で練習している秀一の音を聞いて、気づく。そちらの方向に意識を向けるが、秀一本人は視界に入らない。そこで、久美子は「上手く、なりたいな…」って言う。
わびさびが効いてるじゃあないですか。


自分が演奏していて一緒に練習している時は久美子は自分のことに精いっぱいだからなのか、秀一にピントが合わない。でも、一人で練習している秀一の音を聞く時は見えなくても視線を向ける。この「音」の「見えなくても届く」という特性をアニメにしてるなーって感じですごく好感が持てる。

  • 理由その三 北宇治高校吹奏楽部員がそんなに仲が良くない

ピントが合っているグループは同じ心理的縄張りだと見ることもできる。


仲良しグループ

憧れの香織先輩と二人の世界を作りたい優子

違うグループはピントが違う。
あと、先輩を「トランペットの人だ」って呼んで、どうやら名前も憶えてないらしい。


そんな風に、北宇治高校吹奏楽部にはいくつかの派閥があるし、人数が多い部なので主人公の久美子は心理的にも認知力的にも良く知らないメンバーのことはぼやけて認識している。アニメ作品としても、部員の全員を掘り下げることができないという事情がある。で、実際、学年ごとに揉め事が合ったり新入部員はまだ部に馴染んでなかったりしてピントが合わない。
カメラのフォーカスでもそう言う心理を表現しているんですね。

失われた何か 「響け!ユーフォニアム」の組織論ー拍手をしない部員達の心理について
異なる考え方、異なる感じ方の人間が吹奏楽部という組織の中、
一致団結して目標に向かって目指すのは容易ではない。
この困難さを拍手をしない部員達が表していたとも言える。


そしてそんな空気の中に、演奏者に対してはっきりとした意思表示を示した
久美子、優子の態度は物語に成り得るのだろうとも思った。

と、おはぎさんが論評しているが、この考え方が一致しない部員たち、意思表示をしない数十人の脇役(久美子含む)の部員たちの暗くてピントがボケた所、


逆に視線を集めて明るくくっきりと描かれる中世古香織先輩と高坂麗奈を対比させ引き立たせている。

吹奏楽部の意志がまだまとまってない現状とか、あるいは聖母マリアのような香織先輩の犠牲と言うかオーディションと言う名の意志表示というか儀式で他の部員にも気づきを与えて今後はまとまるのではないかという予感。を、表現している。
なので、

「高坂さん、アナタがソロです。中瀬古さんではなく、アナタがソロを吹く。良いですか?」
と、滝先生ははっきり宣言するし。

麗奈ははっきり肯定するし。

対立者だった吉川優子の泣き顔もそれと同じくらいくっきりと濃い絵柄で回想シーンの重み付けも含めて描かれるし。

泣き崩れた優子を他の部員が受け止めて、

雨降って地固まると言う風にまとまるのかな、12話か13話で終わるのかな?このアニメ?と言う感じ。

  • 理由その四 視線と興味

「バラバラだからピントが合わないし気持ちも通じない」と言うのばかり描いていたら、人間不信で楽しくないのだが。「気持ちが通じるのかな?」と言うのも描いていて、それがこのアニメの良さなんですが。
例えば、唯一対外イベントがあった5話のサンフェスでは、他校と北宇治高校ではピントが変えられてる。

だけど、他校に同じ中学出身の子を見つけてピントが揃って

仲良しごっこをするかな?と思わせて。

しかし久美子は麗奈の方を見て、麗奈がはっきり見えて、

そちらに走り出して中学時代はピントが外される。で、久美子は北宇治高校に入ったことを後悔しないって言う。ここは映像だけでかなり分かりやすいのでセリフは過剰かもしれない。
まあ、そんな風に同族意識や興味の意識の表現を強調するためにピントをかなりいじってるよねって言う。




吉川優子は香織先輩しか見てないから気づかないけど、中川夏紀の方が視線の興味を放つ、という表現もある。
見られている方は意識してないけどって言う。


で、夏紀が優子の意識の外から気づかせて、香織先輩が傷つくようなことはするなって言うんだけど。

優子は夏紀が止めたのに麗奈にお願いしちゃって、断られて、

香織先輩にオーディション当日に合って、やっぱり香織先輩が負けそうだと気付いて、

夏紀に泣きついて、最初は夏紀からむけられた視線や興味を、優子が夏紀にぶつけるということで反射するという劇構造が生まれている。
香織先輩しか見てなかった優子は周りが見えなかったけど、夏紀からの気持ちに気づけたのかもなーっていう。

泣いちゃうのは悲しいけど、泣ける相手が見つかるのは気持ちが通じることなのかもしれねえなーって言う。


優子は一方的に香織先輩を見ていて、

負けそうな先輩に本心を言えなかったけど、夏紀には視線を交わして言えるようになったのかもねって言うドラマがある。まあ、まだ背中越しに泣くだけだから完全に通じ合ったわけではないって言うさじ加減でもある。

  • 理由その五 視力=聴力のメタファー

私は最初、「ピントが合わない画面は近視眼者の視界に似ている」と書いたが。それを踏まえてキャラ表を見る。

メガネ人口、少なくね?実際の日本だともうちょっと眼鏡をかけている人が多いと思う。じゃあ、なんで眼鏡キャラが3人だけなのかって言うと、ピントがボケボケしがちな世界観において視力を矯正している眼鏡キャラは「視野が広い」「意識の範囲が広い」というメタファーなんだよ。
眼鏡キャラは視力がチート。ガンダムで例えると、他の奴はミノフスキー粒子の霧の中にいるけど、眼鏡キャラはニュータイプなので超人的な認識力を持つ。

てなわけで、滝昇先生は原作と違って眼鏡キャラになっている。

ホール練習をてきぱき指示して部員に気配りができる田中あすか副部長も眼鏡女子なので視野が広く、認識力が強い。で、音楽の認識をアニメでは映像に置き換えていると先ほど説明したが、視力をチートしているあすかは音楽センスも良いということ。


香織先輩の演奏を正確に聞き分けるあすか先輩。でも、あすかは香織に本心は伝えないし、香織もあすかからピントを外して目を閉じる。

香織はあすかについて「なんか、見透かされてるような気がするんだよね」と部長に言う。思考を読む能力者なのはあすかの方なんだよね。
香織は空に向かって「だから、あすかを驚かせたい。あすかの一歩先を行きたい」と言うんだけど、

それは部長に向けて言ってないからなのか、オーディションに負けるメタファーなのか。多分部長と目を合わせて勝つとは言えなかったんだろうなあ。めんどうくさいね。

そこが久美子と目を合わせて勝利宣言をした麗奈との差になってる。
音楽の良しあしは、確かに録音のミュージシャンの演奏で分けることができるけど、アニメーションは映像表現なので映像で善し悪しを暗示させないと音楽の良しあしも表現できないってわけ。
技量の差でもあるし、精神的なものの差でもあるし、それが高校生らしい青春の感情表現になっている。


で、あすかは香織の演奏の時は目を閉じていたが、麗奈の演奏を聞いたあすかは開眼する。

ガン見。
アニメ版のあすかは実は眼鏡の下はかなり目がつり眼気味でキツイ。それがメガネで和らげられている。って言うキャラデザ。
麗奈も目力が強いので、音楽センスが高いという記号。
あすかはその上に眼鏡をかけているので能力が上乗せされているし、面の皮の仮面でもあるという。


対して、滝昇先生は麗奈の演奏の時も目を閉じている。これはどういう差なのかな?


ちなみに、チューバの後藤卓也も眼鏡キャラだが。

彼のメガネはフレームが太いので、逆に「視野が狭まっている」「彼女とチューバに一徹」という記号なのかな。



また、初期の夏紀はイヤホンで耳を塞いでいて認識力を低下させていたが、イヤホンを外したら認識力が上がって優子のことを気遣えるようになったという。
この意識レベルによる認識範囲って、ガンダムっぽいなー。響け!ユーフォニアムってガンダムっぽいね。
眼鏡キャラはGのレコンギスタのマスク大尉みたいに視力や認識力を強化されているのかなーって言う。(Gレコのバララ・ペオール中尉がウサ耳を付けているのは聴力を強化しているため)
耳がいいというのは音楽アニメでは強みだが、いまいち映像では表現しにくい。それを、「ピントを合わせる能力」という風に視覚表現に変換しているのが面白い所。


  • 理由その六 感情の圧縮

では、視野を広く持って感覚を鋭くすればいいのかって言うと、そうでもない。

主人公の久美子のキー・ビジュアルでは、久美子は目の周り十数センチ以外はボケている。つまり、視野が狭いし意識の範囲も狭い。実際、空気が読めなくて思った事をペラペラしゃべっちゃったりして性格が悪いと言われている。性格が悪い事を自覚してないくらい視野が狭い。
あと、このモッサリと顔を覆うような髪型は馬のブリンカーと同じ。

視力の鋭敏さや視野の広さが音楽センスのメタファーで、音楽アニメでは音楽センスが重要なのに、なんで久美子は視野や意識が狭いようにピントの範囲が狭かったり髪で顔を覆っているのか?(久美子は1話では高校デビューするために髪型を変えようとするが失敗するということで、この髪型を強調している)(ステラ女学院高等科C3部では大和ゆらはブリンカーのような髪型を切って鋭敏なスナイパーになるが、途中で帽子をかぶってブリンカーしたりしていた)


なので、久美子の強みは音楽センスではない。じゃあ何かって言うと、意識が狭い分、圧縮された思い込みの強さ。ユーフォニアムなので、息を圧縮して吹き込んで響かせるのがパワー。


楽器作画監督とキャラクター作画監督が別だからと言うのもあるが、高度に集中した時は自分の体より楽器の方にピントが合わさっている。

サンフェスの後、出し切った久美子は自分が暗くなってユーフォニアムの方が輝く。忘我の境地で楽器に魂を込めるのが久美子の個性なんじゃないのか。



今回、夏紀に忠告されたのに麗奈に負けろと言いに行った優子の髪型もブリンカーっぽく重た目で顔を覆っている。
視野の狭さは思い込みの激しさで精神的な圧縮爆発力とも取れる。



ただ、優子は香織先輩に爆発力を届けられなかった。オーディションが終わった後に泣いて爆発した。


対して、久美子は伝えた。
「久美子は、もし私が負けたら、嫌?」
「嫌だ」



「嫌だ!!麗奈は特別な人になるんでしょ?麗菜は他の人とは違う。誰にも流されちゃダメ」
と、目の前で

「私が悪者になる…」
って言う現在の麗奈に

久美子の記憶の中の特別な麗奈のイメージをぶつける。メチャクチャ思い込みが激しい。
「ソロは麗奈が吹くべきだって言う!言ってやる!」

ほとんど久美子の目の周りにしか焦点が合ってないですからね。久美子の自我の射程距離は脳から十センチくらい。


だから、麗奈もその射程距離内に入ってくるわけで、この急接近は単に百合だとかレズだとかというサービスシーンだけじゃなくて、「精神の同調」なんですよ。で、久美子の脳内に圧縮された麗奈の特別になるという意志を、麗奈は顔を近づけることで改めて受け止めて自分の中に入れ直した。
ガンダムで言えばお肌の触れ合い回線)


「そばにいてくれる?裏切らない?」
「もし裏切ったら、殺していい」
「本気で殺すよ?」
「麗奈ならしかねない、それをわかった上で言ってる。だってこれは、愛の告白だから」
ずっとそばで裏切らなくて死ぬ時も一緒というのは、二人は一人って言うことです。まあ、男女関係だと久美子は秀一が好きで麗奈は滝先生が好きなんだが、そういう恋愛の愛じゃなくて自己愛の愛を共有するって言う感じ。

一つになった二人の顔ではなく足を映すのが京アニらしいところ。



そしてこの顔である。麗奈も思い込みが激しいような目の周りだけピントが合っている強い表情になってオーディションに臨む。そして勝つ。
こういう芸術の勝負事をアニメで表現する時は視聴者にも勝つべくして勝つのが当然と演出で見せる必要があって、それをユーフォニアム11話はやったわけですね。



オーディションで吹いたのは麗奈だが、


精神的な足場として支えたのは久美子。二人で一人なんです。


  • では、ラストはどうなるのか。

2クールあるのか、それとも12か13話で終わるのか。多分13話だと思うけど。
今までバラバラだったピントたちが揃って演奏者全体が一つになって演奏シーンが映されるのか?
それともあくまで一人一人は自分の楽器に集中して滝先生によって統合されるという演出になるのか?
あすかが麗奈に入れ込むことで一破嵐生まれるのか、男女の愛が久美子と麗奈の同一性的な愛に波風を立てるのか?
「響け!ユーフォニアムってあんまりピントが合ってないアニメだなー」
ということをちょっと考えただけでこれくらい色々な見方ができるので、面白いですね。
みんなも、アニメを見る時には何故そんな構図なのか、照明やカメラは何を意味したいのか、キャラクターデザインはどんな風に性格設定に影響しているのか、それがどのように作品のテーマにつながるのか。考えてみると面白いんじゃないでしょうか。
(正直、15年くらい一眼レフは触ってないので、カメラ用語の間違いは勘弁してくれ)