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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ガンダム Gのレコンギスタのベルリの殺人考察第1部第4話 嘘と現実

ほぼリアルタイム感想と同じなんですが、
nuryouguda.hatenablog.com


この殺人考察シリーズではベルリの殺人や戦闘に対するリアクションを中心にして分析することで、分かりにくいと言われがちなGレコを考えていくコーナーです!
 今回は第4話「カットシー乱舞」の話です。
nuryouguda.hatenablog.com

  • ビクエスト島に到着して即、嘘

 前回、自分の恋人を殺したベルリをG-セルフに乗せて気安くクリムの悪口を言っていたアイーダさんだが

 到着したら

 手のひらクルー


 G-セルフのコックピットからノレドとラライヤとノベルをモンテーロの掌に載せて下してやるが、ベルリに嫌がらせをするクリム。


 この導入部で第4話のテーマが「平気で嘘をつく人たち」という∀ガンダムみたいなものだと前提条件を示したつもりにしている富野監督。
 Gレコはこれくらいさらっと流されている言動から読み取っていくのを試されるところある。


 どうでもいいけど、女の子の前で格好つけて体操ポーズするベルリ、ダイターン3破嵐万丈っぽさある。
 天才でスーパーマンでマッチョだけど、ちょっと内面に陰のある見栄っ張りな万丈系主人公の系譜っていうのもあるよな。





 赤道直下からカリブ海まで、おそらく2、3時間かけてベルリと一緒にG-セルフで飛行してきたアイーダさんだが、ドニエル・トス艦長と再会したら泣き出す。ベルリにクリムの悪口を言ってたり割と打ち解けた感じでいたのに、これもウソ泣きをあえて見せつけているのか本気で泣いてるのかわからん。と言うか女心は分からん。ドニエル艦長も本気で慰めてるのか困って持て余しているのか。

 前回の記事

nuryouguda.hatenablog.com
 私は「人は神に選ばれて救われたいという本能を石器時代から持っている」と書いた。
 だが、実のところ神様などはいないのである。実際にあるのは物理現象としての現実だけであり、それを勝手に擬人化して因果関係を動物に過ぎないヒト脳が解釈するために生み出したのが神という概念だ。


 では、神がいないとすればそれは何だろうか、それは「世間」です。人は神に選ばれたいと思う。しかし、神はいない。石器時代ならともかく、現代は自然よりも人が人に干渉する機会の方が多い。つまり、人は結局のところ人に選ばれるしかないのです。
 しかし、ただ単に誰かに好きになってもらう、それだけでも人は満足しないのだ。それは、恋人とか交際相手が一人いるだけでは満足できず、そのカップルの写真をインスタグラムなどにせっせとアップロードしてネットのみんなに反応してもらわないと承認欲求が満たせない、そんな人の例を見ると分かるでしょう。
 人は誰かに愛されたいが、人は人に愛されるだけでは満足できない。

 石器時代から特に脳の大きさや肉体的に進化していないヒトが文明を持って組織や宗教を作ったのは、この承認欲求本能の応用だ。
 動物の求愛行動のような、選ばれることで子孫を残せるという動物共通の原始的な快感を、組織を作るために利用して、「選抜システムという世間」を作って一体感を持たせたのが原始宗教であり、それはGレコのスコード教の信者のキャピタル・ガードの人々もそうなのだ。

 これは富野由悠季監督が「Gレコで”ハンナ・アーレント全体主義”を描きたい」と言ったことを鑑みれば、「ジークジオン!」よりもさらに本質的な「悪の凡庸さ」というか、「全体主義的に振るまってしまいがちなヒトの性質は万民が持つもの」という示唆だろう。
全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義


 哺乳動物として乳首を吸い当てる本能として、ヒトは誰かに選ばれて愛されることに快感を感じる。だから選ばれたい。だが、ヒトの社会が石器時代の200人程度の群れよりも増大化複雑化したものの、ヒトの脳の認識能力自体は発達していない。
 このキャピタル・アーミィ記念式典にあるように、多くのモッブ(これはアーレントの思想のキーワードである)キャラが壇上の「偉い、選ばれた人」を注視する。学校、オリンピック、野球、選挙など、ヒトの社会的行動ではモッブが選ばれたいし壇上の偉い権威に繋がりたいと思いながら、しかし多すぎるモッブ同士が個々を認識し合い尊重し合うことは無理なので、モブは目立つ人、先生や選手やアイドルや指揮官や将軍や政治家や天皇に無個性な歓声を贈る。


 しかし、ここでデレンセン大尉は祭り上げられているが、祭りのシャーマンは生贄でもあるということは民俗学を新書レベルや大塚英志のマンガでも嗜んだ人なら分かるでしょう。
 最近、今上天皇の生前退位問題について本人の意志と皇室の権威と政権の都合と学者の意見と歴史問題で議論が起こっている。
 私はハッキリ言ってアニメキャラや非実在青少年以外の人間を見下しているので動物に過ぎない現実のヒトの日本人の象徴である天皇がどうなろうが知ったことではないのだが。
 あの天皇という翁をなぜヒトは国民の象徴とか言うのだろうか?
 というか、被災地の人や栄誉のある人や皇居に押し掛けた人を天皇が見舞うことで、なぜ人々は「元気を貰えた」とか言うのだろうか?私にとって元気が出るのは睡眠と食事だ。いくら有名人だろうと、大した芸を見せられるわけでもないのなら、私は特に目で見ただけでは面白くはない。(もちろん、天皇陛下神道の技に通じていらっしゃると思うのだが、その神事は私のような下賤のものが見るべきものではない)(アイドルマスターのライブは確かに面白いし芸の神髄だと思うが、かといってアイドルの人と会うだけでは僕は気を遣うだけだと思うのであまり元気にはならない)


 天皇がなぜああいうふうに祭り上げられているのか?ヒトは神に選ばれたいと本能的に思うが、現象として神は存在しない。実際に人を選抜するのは世間であり、人々そのものである。
 富野由悠季監督が80年代に書いた小説、リーンの翼(旧版と共通の前半)に、富野監督の大衆と組織の関係が書いてある。

 人ひとりには洞察力がなくても、総体として堆積し凝縮された意思は、民意といわれるものになって、ときに時流に敏感かつ狡猾に発現する。
 まして、自分たちの総意を代弁してくれる一人の英雄が現れれば容易に荷担する。そして事態の進展がまずければ総意を代弁してくれた英雄を生贄にしてすますこともできるから、民意は意思の代弁者を容易に祭り上げるのである。
 その英雄が民意の代弁者として立ってくれればそれでよく、次の新たな征服者があらわれれば、その英雄をスケープゴートとして差し出すことによって。民意自身は免罪符を手に入れて、新たな征服者に唯々諾々と屈服してみせるのだ。
 そうすれば決定的な根絶やしにあうことはなく、次の機会を狙うことができる。
 これが一般大衆といわれる集団の意思のありようなのだ。けっして自らが頭領にも大将にも統治者になることもない。
 これが大衆の総意がもつ狡猾さである。
 だから、突出しない大衆を指弾することはできないし、また向上心をもてと命令することもできないのは、大衆はたえず頭を下げ続けているからだ。
 しかし、人の上に立つことが成功の証であり、立身出世の印であることを疑わない者はスケープゴートの役割がくるまで一時の自己満足に浸る。
 生来、人の上に立つように運命づけられている人びとは永遠に安楽というもののないことを承知しつつ、その地位に立ってみせる。
 隠れていれば狙撃されない。
 人の上に立とうとしない大衆は狡猾である。が、それは生きてゆくうえで必要な皮膚感からきている知恵であるので、何人も指弾しえないのだ。
 そして、突出した人びともまた、いつか大衆という隠れ蓑のなかに安息の場所をもとめようとするから。その存在をゆるすのである。つまりいつか有効な存在になるのだから、根絶やしになどできないのである。
リーンの翼 1<リーンの翼> (角川書店単行本)

 それで、リーンの翼天皇制にも関係した物語なのだが。
 今回の現実世界における天皇の生前退位問題という、職業の引退とすれば当たり前すぎる問題が、何故ここまでこじれているのかということも、この大衆と選抜者の関係性から推察できる。
 つまり、神=世間=人=自分であり、大衆は神のような天皇が自分と同じ目線に立ってくれたり国家安康を願ってくれると思えば、自分が大きなもの、サムシンググレートとつながったような幸福感を感じる。
 そして、大多数の人は個人では自分の人生を思い通りにすることはできない愚かで弱いものだ。個人で自分を思い通りにできないものが集団になることで国家を動かし、権力などになり、別の個人を支配する。時に自縄自縛にもなる。
 分担をすることがヒトが他の動物よりも進化しやすかったポイントであるが、権力に逆らったら死刑になったりするが、権力者と裁判官と死刑執行人は別人だ。権力の実態の責任は常にぼかされている。本当は大衆を抑圧したり戦争に向かわせるのは、銃口を向け殺し合うのは個人だ。しかし、社会的命令という曖昧なものがあれば人は何万人でも殺すことができる。
 沖縄で警察官個人が「土人」と発言したことを警察の相違のように言って組織間の政治にすり替えるのも、個人と組織を分離して認識できないヒトの脳の脆弱性であろう。本当はこの世界には個人しかいないのだが、個人は自分一人一人では脆弱な動物のヒトでしかないのに社会的人間になると自然や国家を侵略することもできる力を持つ。このアンバランスさにヒトは耐えられない。
 そういうわけで、ヒトはアイドルや選ばれしものや天皇を祭り上げる。そして、祭り上げられたものを生贄にして自由を奪うことで、「天皇陛下ですら苦労をしているのだから自分も頑張ろう」と卑屈な満足感を得て元気づけられるのだ。
 天皇が苦労しようが皇族が適応障害になろうが、僕の自律神経失調症状には全く何の影響もない。物理的生物学的には何の関係もない。だが、多くの一般大衆は責任を取りたくない。社会的な責任も取れないし、自分の人生の責任を取る気量もない。ヒトは神に選ばれたいが、実際は世間という人に選ばれるだけだ。しかしヒトは人を選ぶ責任に耐えられない。なので、「選抜の究極であるところの天皇が不自由だから、自分の人生が不自由でも仕方がない」という理由で生前退位を認めない。天皇を一匹のヒトとして自由意思を認めると、ヒトが人を選ぶシステムの自由意思としての責任を個々人が引き受けなくてはならなくなるが、それは耐えられないので天皇に自由意思を認めない。ヒトは社会的に神という名の世間に選ばれたいが世間を構築する責任者としての自分は認めたくない。だから世間や象徴は決まりや皇室典範やタブーに封じられなくては安心できない。ヒトは自分の自由意思は観測できるが、その他の数十億の他の個体にも自由意思を認めることには情報量として物理的に脳が耐えられない。社会や世間はルールによって運営されてほしい、他の人は自由意思ではなく惰性で動くと予想して生活している。(カミュの異邦人の末尾に共感する私としては、やはりこの世には個人しかいないと思うのだが)
 もし、万民が万民に自由意思を認めるなら、気分次第で万民が万民をいつ殺してもいいという不安に襲われて社会は崩壊するだろう。しかし、やはり僕は気分次第で誰かを殺すことが、物理的にはできる。
天皇陛下「生前退位」への想い
『皇室典範』を読む 天皇家を縛る「掟」とは何か (祥伝社黄金文庫)


 この天皇が不自由だからこそモブ大衆は逆に卑屈な安心感を得られるということはGレコでは法皇の描写でも見ることができる。そしてこれは天皇に限ったことではなく、キリストが処刑されて初めて救世主と認めることにした西洋文明にも当てはまる。また、有名人の私生活を監視したり、高校野球の選手の喫煙に大騒ぎする大衆の日常的な作法からも、見ることができる。
 人は大きなものに選ばれたいが、選ばれた人をスケープゴートにする。だが、選ばれないと戸籍も得られず虐待され、不法労働の奴隷として扱われるので、やはり誰かに愛されたり組織に所属したいと思う。その選ばれないと死ぬけど、選ばれた人は憎いという欲求の愛憎のバランスが人間の生活であり、輪るピングドラム
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 僕は精神的貴族なので本当は個人個人を尊重したいのだが、僕もあまり愛されている類の人間ではないし、あまり金もないので結婚もできない。アニメの円盤を買ったりガチャを回してアイドル声優や監督ほど目立つわけでもないアニメーターやサイゲのイラストレーターの給料が少しでも良くなるように祈ったり、アイマス声優のCDを買うくらいの応援しかできない。(これもアイマス声優や富野監督という大きなものとつながりたいという僕の本能かもしれない)(富野監督の講演会に課金したら富野監督が作画ではなく熊本地震に寄付してしまって作画が…)


 話をGレコに戻す。



 キャピタル・ガード養成学校の教官で学生たちの指示も篤いデレンセン・サマター大尉がキャピタル・アーミィ初の実戦のパイロットに選ばれて、キャピタル・ガードの学生でキャピタル・タワー運行長官の息子のベルリ・ゼナムの奪還作戦の代表に選ばれるのは、まさにスケープゴートとして祭り上げる組織の都合である。アーミィだけなら民意の反発を買うが、ガードの教官がアーミィに協力して国民を奪還するのなら当然の正義として支持する、という大衆感情である。
 そして、デレンセンは実直で実力と責任感のある人だからこそ、MSを駆る騎士として祭り上げられることに苦笑をしつつも悪い気がしない。これが、彼をこの物語の生贄にする構図でもあるのだが。


 富野由悠季監督は∀ガンダムキングゲイナーの冒頭やエッセイや講演会などで「祭り」が大衆を安定させるために有益だ、とおっしゃっているが、祭り上げられる人が生贄にされる、という暗い側面も意識している。それは監督自身がアニメ雑誌やガンダムの特番などで外面の営業もこなしてきた実感もあるのだろう。(また、イデオンヱヴァンゲリヲンのように世界を破滅させてループする構造について、富野監督は「世界をやり直したいという願望は原始的な物で、コスモはそれを叶えるための生贄です」と7年前のイデオンオールナイト上映会で発言した)
 富野監督も2ちゃんねるで禿とか呼ばれインターネットや世間でネタにされて生贄扱いされながらも、頑張って絵コンテ作業を今もやってらっしゃるのは尊敬に値する。いや、生贄扱いしたり理想化しすぎるモブである僕らはダメなんですけど、富野監督の絵コンテは僕は個人的にいいと思うので、それは選抜システムではなく技として尊敬に値する。Gレコが5000枚しか売れてなくても僕は尊敬してますよ!





 捕虜として海賊部隊のドニエル艦長に尋問を受けるベルリだが、逆に海賊の情報を聞き出そうとする。ベルリは「自分には才能がある」「自分は世の中を良くするために働く」「そして褒められたい」と思っている。(そして、そのブーメランを食らう)


 ベルリは若くて有能な飛び級生という自意識で海賊から情報を盗もうとするが、そんな若者の見え見えの粋がった行動はドニエル艦長に見透かされる。しかし、彼自身は見透かされたことにあまり気付いていない。
 これは真田丸の真田源次郎信繁と非常に似た物語構造なのだが、真田丸が大ヒットしたことについて富野監督は対抗心を燃やしている。

その代わり僕の場合ターゲットの名前があるほうが闘争心が燃えたので(会場笑)、永井豪を潰す!
 だからそれは三谷何某(幸喜、「真田丸」か)も同じことで、そのくらいに思わないと、全部コピーになっていきます。
d.hatena.ne.jp

 しかし、真田丸はGレコに似たところもあるがヒットしているので、富野監督のやりたいことの全てがヒットしないわけではない。なので、リバイバル版の作業をしているのなら、それが上手くいくように僕は応援するばかりです。


 んで、



 ベルリは「自分は世界にエネルギー源を供給する公務員志望だし、その公的な仕事はみんなのためになる正義だし、僕は善人」という体制翼賛右翼意識で自己肯定感を持っている右翼少年なのだが。
 好きになった女性から「キャピタルもタブーを破ってるじゃないか」「てめーらのせいでアメリアも戦争をすることになってるんだぞ」と指さされると、セリフにはしないけど、すっごく嫌そうな顔をする。


 ベルリにとって心理的に依存している対象のキャピタルを批判されるのは耐えられないことなので、逆に、「ヘルメスの薔薇の設計図に触るアメリアにはバチが当たる!」と宗教的に怒って反論する体裁を取り繕ってしまう。罰がどうのこうのとは現実的ではないし、実際は単なる図面なので、ベルリのこのセリフは反論にもなっていないのだが。

 クリム・ニックの興味でG-セルフを操縦して見せろと言われて、やってみせるベルリ。
 海賊相手でも、ベルリは「天才にもアイーダの彼氏にもできないガンダムの操縦をやってみせて褒められたい、認められたい」という意識が強いので乗せられてやってしまう。これはかなり能天気と言わざるを得ないが、ベルリはとにかく褒められたい、特にアイーダさんという美女に認められたいという青少年の「選ばれたい!」という意識が強い。クリム・ニックという分かりやすい美形ライバルのできないことをやって見せたいという対抗心も少年らしい。(まあ、デレマスアニバーサリーに課金して非実在アイドル達に褒められて感謝されて喜んでる僕には人のことを言えないんだけど)(キャバクラよりコストパフォーマンスがいいよな。ガチャでコスト23SRプレミアムサイン付きイヴ引いたし)


 しかし、ベルリが「ちょっと周りを飛ぶだけでいいだろー」ってゆとり気分でいたら、そのスキにデレンセンのカットシー部隊が最悪のタイミングでミノフスキー粒子を撒いて、パイロットスーツも着てないしハッチも開けたままで戦うつもりが全く無いベルリを戦闘が襲う!いきなり聞こえなくなる無線。殺気立つ海賊たち。恐怖!



 「ゴンドワンが攻めてくるんですか?」
 じゃねえよ!
 ベルリにはキャピタル・ガードという防衛組織が攻めてくるという発想自体がない。キャピタル・アーミィの発進の方便がベルリ奪還なのだが、当事者のベルリにはそれすら想像できていない。間抜け!だが、それが人間の想像力の限界なのだ。「想像しなさい!」がGレコのキーワードだが、自分の頭で想像した以上に他人は勝手に動くというのもGレコ。




 キャピタル・アーミィを知らないからこそ、キャピタル・タワー運行長官の息子という彼の内面に無意識的にある選民意識、ノブレス・オブリージュで(そして、それはベルリが養子だからより意識的に強化されている)、ベルリは「自分が説得したらアーミィも兵を引くだろう」と多寡をくくっている。知らないものに対してそんな舐めた態度でいると足を掬われるのだが、ベルリはまだ戦争を知らないし防衛組織の公務員志望なので「自分の組織が実戦に積極的になるはずがない」という9条の下の自衛隊みたいな甘ったれがある。
 まあ、この国は首相が「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」と言うような国だし、

「戦線から遠のくと、楽観主義が現実に取って代わる。
 そして、最高意思決定の段階では現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けているときは特にそうだ・・・」
「何の話しだ? 少なくともまだ戦争など始まってはおらん」
「始まってますよ、とっくに、気付くのが遅すぎた・・・」

 という、富野由悠季監督の逆襲のシャアに影響を受けた機動警察パトレイバーTHEMOVIE2という映画もある。


 ベルリは千年戦争をしてないキャピタルの安定を宗教レベルで信じているので、戦争という概念を知らない。同じようにタワーをメンテナンスしていれば同じように安穏と暮らせるという楽観主義で生きている。
 だからベルリは自分が戦争をするという発想自体がないし、ベルリは誰かを傷つけたり、戦って勝ったり奪ったりしたいとは思っていないが、実は彼にも闘争本能はある。それは女に認められたい、愛されたい、選ばれたい、という本能だ。


 カーヒル殺害の借りを返す、というのは一見ベルリの規範意識のように見えるが、その正義感ぶった行動の裏には女に褒められたいという幼稚なそして本質的な闘争心がある。これは∀ガンダムのギム・ギンガナムとロラン・セアックのラストバトルの動機になるくらい本質的で富野作品においても重要な感情だ。
 ベルリはここで格好つけて敬礼なんかしちゃうけど、そんなポーズ、メカニックに乗って格好良く戦って見せたいという男の子の本能が事態をダメにするってのが人の歴史でありましょうなあ。(最近の男の子は艦隊これくしょんガルパンで女の子に「テキストの戦争」をさせてカッコイイとか萌えとか言っているが、それについて富野監督は「人は本質的に軍事的な物に嫌悪感を持たない」と発言している)(しかし、女性むけ艦これである刀剣乱舞のアニメ、女性みたいなメンタルの美青年たちが元カレと今カノとの間で痴話げんかする話だし、あんまり戦争っぽくないよな。ここらへんが男女の意識の違いなのだろうか)

 低空から侵攻するエフラグに乗ったカットシーを急襲するモンテーロ


 頭部バルカンで牽制して相手のカットシーにシールドで受けさせ動きを止めてロックオン

 カットシーはもたもた近距離戦用のサーベルを展開するが…

 遅いな!

 サーベル戦になる手前でジャベリンの投擲!


 敵の肩に刺さったジャベリンの後半のバスターランスを回収しつつ、前半部でえぐり…


 カットシーの装甲の破損部に運動エネルギーをぶつけるキックでトドメ!
 この間、わずか10秒。モンテーロのコンボが気持ちよすぎる…。クリムはホントに戦い慣れしているし、富野ガンダムのエースの入力速度、滅茶苦茶早いし、アニメとしても1カットで複数の挙動をして高速で戦っている。
 富野監督は憲法9条改憲派には否定的なことをおっしゃっているが、富野演出の戦争アニメはかっこいい…。アニメーターもそれに応えていていい。
highlandview.blog17.fc2.com

 演出的な意味での位置エネルギーが重要な富野アニメだが、モンテーロの左上からの落下速度に乗せた暴力の圧力が強い。
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)


  • ベルリとデレンセンの頭でっかちな戦い

 そんな修羅場だが、

 「違う!エフラグで来るなら上からだ!」とキャピタル・ガードの戦法を知り尽くしたベルリは雲の中に伏兵が潜んでいると思って上空にG-セルフを飛ばす。ベルリの考えは当たっていて、雲の中にも伏兵は居るが、




 だが、その裏をかいて、隊長のデレンセンはエフラグの裏の海面スレスレに隠れて出撃!
 ここで、上空に行ったベルリとデレンセンが話し合いをできなかったのが、まず、悲劇。(そして、殺陣の組み方が複雑で視聴者にはわかりにくい)




 前回の第3話の戦い方の批評でも書いたとおり、キャピタル・ガードのデレンセンの戦い方は直線と平面の組み合わせで、特にエフラグを盾にする戦法が多い。
 だが、海賊軍は1話の「世界は四角くないんだから!」と叫んだアイーダに代表されるようにビームワイヤーなどのからめ手、回転戦法を使うので、デレンセンと一緒に出撃したビラッキーはグリモアの鞭に絡めとられて即撃破される。
 デレンセンは有能だが、実践慣れしているわけではない、ということを雑魚のビラッキーの即死で視聴者にわからせたことにする富野の戦術、面白いんだけど早すぎるし濃すぎるしBD買って、バンダイチャンネルで30回見てやっと分かったんだが…。僕みたいなガンダムを幼稚園の頃から見まくっているオタクが30周してやっと戦法が分かるとかグラブルのマグナ確定流し周回かよ…。






 もしかしたら、ベルリ君はイデオンのカララ・アジバみたいに「全ての元凶」と言われる無自覚に戦争を広げる平和主義者なのかもしれない…。
 富野アニメにおいて平和主義で話し合いで戦争を止めさせようとしたら、だいたい血気盛んな人にボロクソにされる。
 平和主義の頭でっかちな投降のサインはむしろ他の武人が手柄を取ろうとしてグダグダにされるフラグ。



 悪い、悪すぎる顔のクリム・ニック君!


 そんなクリム君が下から迫ってきているのに、デレンセンはカットシーのシールドをベルリのGセルフに付けて来るべき対話!やっと対話による戦争の終結が…。



 この戦闘の発端はベルリにとって「ミノフスキー粒子でクリムと会話ができなくなった」事から始まっているので、「やっと誰かとまともに会話できた!」と、一息つける。



 それを無慈悲に分断するクリム・ニックモンテーロのビームワイヤーだ!
「ぼく、ベルリです!」
 ってデレンセンに聞こえたか聞こえないかくらいのタイミングで対話がぶった切られる。ガンダム00があんなにテーマ性として掲げていた「対話」だが、クリムみたいな武人が、アリー・アル・サーシェスのような狂人でもない普通の騎士が、「俺は武勲を立てたい」という人間の歴史的に多く支持された行動をとることでぶち壊しになるし、富野監督がアナザーガンダムに対して「人間に対話なんかできるわきゃあねえだろ!」って態度も感じられて熱い…。


 ただ、そんな「対話」に対する哲学がどうのこうのではなく、デレンセンも武人として瞬発力がある!モンテーロに襲われた一呼吸後に、

 同時に、
 Gセルフから距離を取る、
 モンテーロに狙いをつけ直す、
 ビームジャベリンを回避する、
 破損したシールドをパージする、
 翼をたたんで空気抵抗を減らして後ろに下がる、
 ライフルでモンテーロを威嚇する、
 左足から左手にビームサーベルを持ち替える、
 体勢を整える、
 この8動作をやる!
そして突き!


 同じカットシーでもパイロットが違ったらクリムに「遅いなあ!」と「速い!」と両極端の評価をされる。パイロットの技量で量産型MSも段違いの性能を出すっていう富野ガンダムのMS運用、カッコよすぎる…。
 どんな入力方式をやってんの?富野ガンダムパイロット、格ゲー世界大会レベルやろ(いや、自衛隊の戦闘機パイロットの手元を動画で見たことはないんですけど)
twitter.com
 バイオコンピューター的な脳波コントロールはユニバーサルスタンダードに入ってるんだろうか?


 だが、クリムも速いデレンセンに圧倒されるだけではない!

 デレンセンの突きを躱しながら左手のバスターランスで逆に突く!

 が、デレンセンのカットシーが超高速でバックターンしてモンテーロの背後に!!!!速い!!!!

 キャピタル示現流の一の太刀がモンテーロを捉えた!


 が!



 モンテーロの肩のウィングシールド、

 そして、肘でサーベルを握るカットシーの手首を打ち返して斬撃を逸らす!



 「チェストーッ!!」だけに気を取られていたら「強いデレンセンにモンテーロの指が斬られた」って印象だけど、コマ送りで見たら、クリムは2秒未満の間に2段防御でサーベルの軌道をずらして防御していたわけで。クリム級のエースパイロットじゃなかったら確実にコックピットの胴体まで両断されていたわけで。
 達人級の剣劇アニメ最高かよ…。


 富野監督はアニメーター出身の監督じゃないし、むしろ悪名高い鉄腕アトムの紙芝居リミテッドアニメからキャリアをスタートさせたんですが。
 21世紀になって動画の枚数が増えたのに、鉄腕アトムの感覚の延長からなのか、「1秒に8~30枚の絵で表現するアニメの全てのコマで違う演技をさせる」「しかも同じコマで複数の意味のある動作を同時にさせる」という超スピード絵コンテ!
 この密度感に慣れたら普通のテレビアニメは薄味すぎて2倍速で見ないと時間がもったいねえです!(まあ、Gレコは30回くらい見てやっとこの芝居に気づけるレベルなので何度も見ないといけないし結局同じくらい時間を取られるんだけど)(ていうか、アニメーターさんにちゃんと給料払えてんのか?2秒間に何でこんな版権絵並のクオリティで視聴者の目にも止まらないアクションを描かせるの?アニメーター大丈夫?ちゃんとご飯食べれてる?課金した方がいい?)


 斧谷稔っていう絵コンテマンは異常だろ…。ちょっと引くレベル。70代にもなってなんで富野監督はこんな血走った殺陣を…。まったく丸くなる気がない!


 で、モンテーロの指が斬られただけでビックリするんだけど、視聴者があっけに取られている間にモンテーロの手から落ちてきたバスターランスをG-セルフが掴むじゃん!反射的に!

 そしてデレンセン以外の事情を知らないカットシーの無慈悲なミサイルの連打を回転バスターランスで防御!(ここでバスターランスは破損して、G-セルフは腰にマウントしたライフルに持ち替える。これも素早い!)



 ベルリにそんな猛攻をした名無しのカットシーは名無しのグリモアのエグいヘッドショットで死亡!慈悲はない!修羅の巷!




 三人同時?三方同時?
 スコード!!!!







 ヤバいっしょ…。ヤバさしか感じねえ…。なにが「スコード!」だ…。
 なんで光ってカットシーの武器がぶっ壊されるの…?謎すぎる…。
 ベルセルクのガッツは「祈るな!戦え!」ってファルネーゼに言ったのに、Gレコの主人公は大ピンチの時にやったのは「祈る」。


 このブログのGレコ殺人考察シリーズ、ヒットしたシン・ゴジラ君の名は。とGレコの比較シリーズで前回から何度も「シン・ゴジラのやっていることは塹壕の祈りで神の試練に打ち勝って世界に選ばれる快感の疑似体験」と書いてきた。
 人は不条理な世界に対して、祈って、そして自分が救われる事を願う本能がある。
 という趣旨のことを何度も書いてきた。

幸福―良き人々との交流

●人生において、神の救いを感じたことがありますか?

私は戦死しませんでした。つまり、それこそが、神の助けに他ならないと思います。


●何か危険によって脅威にさらされたことはありますか?

戦地は常に危険と隣り合わせで、爆発したり、撃たれたり、地雷を踏むことだってあります。もちろん神は守ってくれています。おわかりになると思いますが、塹壕の中では無神論者ではいられませんし、塹壕の中では皆、神を信じています。その後、多くの人はそのことを忘れてしまうのです。今はそういう時代です。
http://systemablog.blog54.fc2.com/blog-entry-361.htmlsystemablog.blog54.fc2.com

 塹壕の中で神を信じて救われるというのは単なる生存バイアスであって、神を信じていたのに死んでしまったものの証言は聞くことができない。それだけの話だ。
 そして、富野由悠季はやはり塹壕戦が開始されたWWI以降の近代戦について問題視している作家だ。

富野 それに関して言えば、「ブレンパワード」から考え方を変えたということではなかったんです。
 最近のユーゴ空爆といった時勢も含めてですけれども、基本的に、戦争というのは、無差別に人を殺す行為です。特に近代戦争においてはそうです。軍人だけの戦争の時代には、原則として市民は殺されませんでした。それで戦争に負けて進駐されたときに、一般市民が奴隷になって、売られたりするようなことはありますけれども、それは、戦場の枠を超えたところでの、政治論で行われてきたことです。
 つまり中世以前のことで言えば、戦利品といえば、土地か人しかない歴史というのを人間は長く繰り返していたから、そういうふうになっただけのことです。
 そして、ナポレオン戦争以後、特にフランス革命以後、市民が戦争の指揮権をとったときに、戦場というものはなくなってしまって、一般人が巻き込まれるような戦争がすごく多くなったんです。これは、技術が、殺傷力が大きくなったということもありますが、もっと重要なことは、市民の考え方の中に、戦場を区切って考えることをしなくなってしまったという、ものの考え方がフリーになり過ぎた悪い傾向が出ていると思います。ですから、戦場で人が死ぬということは、描かざるを得ない部分がありました。
dargol.blog3.fc2.com


 で、∀ガンダムの地球人の戦争はアメリカ南北戦争前後の水準なんだが、Gレコは気分的には文明レベルが500年後という富野監督の意見はともかく、その近代戦の物差しだと大陸間で非核戦争をする第二次世界大戦くらいの規模になっている。
 なので、塹壕の中で祈るような兵士が出てきても仕方がない。
 のだが、Gレコの4話がすさまじいのは、「神に祈って弾幕をよける兵士」よりも強いエース級の、騎士と言えるレベルのデレンセンとクリムの超絶高速の鍔迫り合い、つまり「神の祈りではなく自分の技で命を勝ち取る戦士」を描いた直後に、主人公に「俺にはもう打つ手がないので祈るだけです」をやらせる!!!!
 これは本当にとんでもない。



 そして、G-セルフが奇跡的な力を発揮して撃退してしまう!これはベルリにとって奇跡体験になるのだが、2クール目以降にそれが奇跡でも何でもない単なるメカニックだとバレてしまうのがこの作品のえげつない所で。
 普通の作品だと「奇跡」をゴールにしてしまうんだけど、イデオンとかダンバインとかVガンダムで「メカニックが作った神」をさんざんやりつくした富野監督は「青少年が奇跡だと思ってるレベルなんかコンピューターだよ!」って序盤から飛ばしてくる。


 いや、「Gレコは分からない作品」って富野監督も視聴者もみんな言ってるけど、そんなの当たり前じゃん。主人公のベルリにとって「何が起きてるかわからないこと」が毎回起こっているのがGレコなので。
 今のテレビ視聴者はスカッとジャパン分かりやすい正解!を求めがちだけど、Gレコはむしろその正反対をぶつけてきているので、富野監督が自分で「なんでこんなにわからない作品になってしまったんだろう」って言うけど、むしろこの内容で分かった気になるわけがないだろ。



 で、カッコよくカットシーのミサイルをビームサーベルで撃ち落としたG-セルフがあたかも平和という概念そのものを切り裂くかのようにカモメが飛ぶ空にサーベルを掲げるの、禅を感じる。禅問答…。Zガンダムの時点でガンダムアーガマ教と禅ガンダムの話だったんだけども。



 で、当然やってしまった本人であるベルリも自分が何をやったのかわからないわけで。ガクガク震える。教官殿に武器を向けられたり向けたり殺されかけたり神に祈ったら奇跡が起きたり、理解の範疇を超える。



 そんな風に殺気に晒されて殺し合いをしてしまい、ベルリが生理的に汗をびっしょりかいて混乱している所にクリム・ニックが!

(デレンセンがシールドで接触したのに対して、クリムがライフルで接触しているのもちゃんと両者の性格を対比する意味があります)









 逢坂良太ボイスの話術!
また、モンテーロが視聴者からは安心感のある上手から登場するのも。

ベルリにとっては完全に心臓のある左側を取られたので、ガードが緩んでたってこと。


 ベルリが混乱しているときに、クリム・ニックは騎士の先輩として「ベルリの上げた功績」「敵の意図と力量」「今後の方針」の解説をしてくれる。
 相手が混乱しているときに自分の理屈を刷り込ませるのは洗脳の常とう手段。さすが大統領の息子、口が上手い。
 そんなわけで恩師に武器を向けたという決定的に一線を越えたことをして、肉体的にも嫌悪感をベルリは感じてシャツを脱いでしまうが(戦場で汗や排せつや髪の毛で生理的に拒否反応を示すのはGレコでずっと行われた演出)、クリムがベルリの生理的嫌悪感を騎士の理屈で上書きして、「お前はよくやった」「お前の恩師(とクリムが知っていたかはともかく)は優れた戦士だ」「お前ももっと働け」「そうしたら姫様も喜ぶ」と誘導して地獄の戦場に誘惑する。


 ベルリはそれで落ち着いてしまうが、その裏でやられたデレンセンは男泣きに泣く。


 恩師に武器を向けるという超ショッキングなことを経験したベルリだが、なんか「コアファイターが生えてきました」とかいうすげーどうでもいい試合後の反省会をする。恩師と戦ってしまうっていうのは高校生にとってシャレにならないことだと思うが、ベルリは「表向き普通っぽく振る舞う」ことでショックから目を背けるのだろうか?彼はそういう所がある。
(ベルリのこういう振る舞いがさらにGレコを分かりにくい作品にしているのだが)
(鉄血や00の少年兵キャラは「彼は痛みを感じていない」ということを他のキャラクターが説明してくれるのだが、Gレコは本人が「痛みを感じているけど、自分をだまして感じていないことにして振る舞う」という2重欺瞞をかましている。Wのヒイロは痛みを自覚することに前向きになる話だったか?)


 その上、ベルリは「恩師が敵になった」と悩むことよりも「あんなキャピタル・アーミィなんていう組織は知らないので敵だと思う」と考えて自分が戦闘してしまった事実を自己正当化する。





 いや、クリム・ニックキャピタル・アーミィ新設の理由とか宇宙人とか、昨日聞いてたんなら先に情報共有しろよ!
 って思うけど、クリムにとっては政治的戦略的な情報よりも目の前のMSやパイロット候補生がどれだけの戦力なのか確かめる方が重要だったんだろうけど…。(あきまんのツイートによるとカーヒルが死んだことでクリムが一番、矢面に立つことになったので必死らしいし)



 で、ベルリも「自分は何を正義にしたらいいのか?」「キャピタルとアメリアと宇宙の関係とは」と悩むことよりも「好きな女性の本名が分かった!」ってはしゃぐ。戦場ではしゃぐから!



 キャピタル・タワーに帰ろうよ

 これもラライヤも宇宙から来たんだ

 帰れるよ

 へっ?ああ!



 「へっ?」じゃねえよ!主人公難聴!
 なんだかんだ言って、恩師に武器を向けたのに助かって、しかも好きな女性に接近出来て、はしゃいでしまっているベルリは、「帰る」という非常に当たり前の選択肢を完全に脳から忘れてしまっている。


 戦って、興奮して、はしゃぐ。これがGレコの人間観だ。



 それは悪なのか?理性によってコントロールできるものなのか?愚民ども全てがそれに対抗する叡智を持つにはどういう教育や社会秩序が必要なのだ?ベルリはこの作品の世界の地球では一番のエリートで優等生で、心身ともにトップクラスの宇宙飛行士候補生飛び級生だぞ。
 地球で一番強くて頭がいい上に、トップクラスの教育も受けているベルリで、このレベル。



 どうしたら人間は賢くなれるのだろうか…。



 そして、次のMS戦が始まるのです!


  • 今回の反省

 「4話は言っても量産型モビルスーツカットシーと戦う後半Bパートの実質8分くらいしか語るところがないし、ブログも2時間くらいで書けるんじゃないかな」ってナメてたら延べ15時間取られた。富野コンテ邪悪すぎるだろ。
 まあ、もちろんローディング中にグラブルとモバマスの確定流しはしていたんだけど、さすがにデレステをしながらキーボードを叩くのは指が足りなくて出来なかった。三面六臂だったら執筆しながら音ゲーとソシャゲーとネットサーフィンと就労ができるのに…。


 あと、クリムやデレンセンの戦い方を見て、「やっぱり富野監督の騎士階級や貴族階級の描写は好きだなー」って思った。バッフ・クランやバイストン・ウェルやブッホ・コンツェルン職業訓練学校の騎士道精神は、僕はとてもかっこいいと思う。クロスボーンガンダムではザビーネが鬱屈して無茶な反乱をして洗脳されたので騎士道精神の哲学がうやむやになってしまったのだが。
 ノブレス・オブリージュは尊いものだが、近代社会では互いに尊重して戦う騎士よりもモブの大衆を煽って殺し合いをさせる方が、自分の力で戦うよりも効率的に暴力を動員できるんだよな…。
 などと、クンパ大佐やシロッコなど魅力的な黒幕がいるのも富野作品なんだよなあ…。



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君は僕にプレゼントを贈ることもできるし、送らないでもブログを読むことができる。有料ブログで引用を拒否するのは論壇を活性化したい僕の方針ではない。
だから金やちやほやされるためにブログを書いているのではないし、読んでくれるだけでもいいのだが、もらえるものはもらえる。
インターネットで知らない人から褒められて物を貰うの、なんかサイバーな感じがして面白いし。
(でも猫と同じくらい人の恩を忘れるし個人情報は速攻で処分して忘れます)(でも恨みは忘れないんだな、これが)