玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

僕はトミノが好きだということは確信したのだが、では、固有の物とは何か?

キノの富野レポートの終わりです。

KINO Vol.02 思考としての『ガンダム』

KINO Vol.02 思考としての『ガンダム』

富野由悠季が自分のための物語は・・・というのはエヴァンゲリオンに対してというところがあると思う。
でもさあ、エヴァンゲリオンってヒットしたじゃないですか。売れたじゃん。なら、いいじゃん。売らんかな、と言う精神は嫌いじゃないんだろう?
とはいえ、僕は僕で、確かに、まあ、富野の言い分も分かる。

「(エヴァについては)これ以上は勘弁して下さい。もうある意味で言い過ぎましたから言っちゃいけないと思います。
それとこの2、3ヶ月で心境が変わってきたところがあって、さっき言ったように庵野くん個人に対しては、富野がいたおかげで、お前がこうなったとしたならば、それについてはごめんね、ということで止めさせておいてください。」

そうは言っても、たとえば作り手として庵野君が大嫌いかというとそうじゃなくて、作り手はそれでいいのです。ぼくが『エヴァ』のときに一番愕然としたのは、それに市民が乗ったのかもしれない部分で、これは社会が病気になってきているんじゃないかと思えました。

うん。思う。僕が、エヴァンゲリオン厨の全盛期だった時、エヴァが人気になるのは嬉しかったんだが、なんか、アニメをバカにしていたような同級生までがエヴァに注目するようになったのはなんかむかついたりしてた。
お前にエヴァの何が分かるって言うんだ。
これはなあ、ダメ人間のための物で、ダメ人間の庵野が「男の意地」を無理やり込めたような作品で、普通の人が萌え萌えしていい作品じゃねえんだよ!シッシ!あっちへいけ!
とか。中学生だったし。
と、同時に、今の歳になって思うのは、エヴァにはまらなかったら俺はダメ人間になっていたかどうかと言う話だ。あの当時、僕が読んでいた科学雑誌の「境界線型人格障害の患者にエヴァンゲリオンが受け入れられている」という記事を読んで、メンヘルに憧れるバカな中学生のように人生を踏み外したと言う可能性も在るかもしれない。その当時はボク自身の選択でおたくになり、エヴァ厨になったとは思うんだが・・・。
EVAさえなければ、普通の優等生として普通に大学をストレートに卒業して普通に就職して今ごろは幸せになれていたんだろうか?
僕の人格も環境によって作られただけの物かもしれない。
そういう不安はあります。
決定的に道を踏み外したのはエヴァが一段楽した1999年だと思うんだけど。∀ガンダムをもう少し理解して置けばよかったんだが・・・。正直バカには難しかった。面白かったけどね。
僕にはどうやら固有の個性はなさそうだし。個体差はあるけど、売り物になる固有の価値は無い。
そういう人間が自分を慰めるために庵野が作った作品に慰められるのは確かに格好悪い事よね。それに、僕のように個性の無いガキがアニメに引きずられてダメ人間になると言う事も在るかもしれないし。
親も「エヴァを見る前のグダちゃんに戻って!」と泣いてたしなあ。あの時はアニメを見てるだけでなんでこんなボロかすに言われるんだと反発したけど、親の言う事が正しかったのかなあ。
でも、個体差と言う点ではエヴァにはまらなかった人も居るわけだし。やはり、エヴァに惹かれる何かは僕は持っていたんだろうか?
もともと、集団になじめない子では在ったんだけど。
どこからどこまでが自分の物なのか。
エヴァンゲリオンはそう言う風にある種の青少年の病気を誘発する物だったかもしれない。僕が病気で、かつソレがエヴァのせいだとしてだが。
ただ、そういう風になったのはある種の心地よさが在ったからでもあるんだな。
で、そう言うものが何なのか、うまい事分からなかったんだが、最近、永野のりこをちゃんと読み出して、(僕は良い子だったので中学高校のエヴァブーム時はヤンマガなんか読んでませんでしたよ)なるほど、たしかにすげこまくんはエヴァンゲリオンと同じ客層を掴んでいたんだなあと思ったのさ。

「そーゆーふーにホラなんだかよくわからないけどすげこまくんの心が「どろどろ」のときとか・・・
苦しい・・辛い・・暗い・・さびしい・・・・・そんなところに心がおちいってしまったときとかにね・・・・
ふと思い出すのよ
ああ・・・・たしか「こんなかんじ」のを以前・・・・
「本で読んだな」・・・・って
前にも誰かがここに・・・・
ああ あの人もこの暗くさびしい所に来たんだなって思うと
なんだか「有名な観光地」に来たみたいに思えたりしない!?」
「バカかっ
このすげこま様の「どろどろ」はなぁ
本に書いてあるよーな人類どもの体験や想像をはるかにしのぐ
「どろどろ」なのだっ」
「じゃあソレをすげこまくんが本に書けば?
次に「そのくらいどろどろ」になる人のために!!」

という、、、。ギャグ話に不意にこういうセリフが入ってるからすげこま怖い。
というわけで、その、作者の自己言及のような、作品でも、だからこそ読者が癒されるって言う事もあると思うし、あるんだよ!
普遍性が多くの人にわかるということは大事ですけど。でも、個々の読者が「わかる」と感じる時は大衆として分かるんじゃなくて、作者と受け手の間で1対1に「わかる」という気がするんですよね。
トミーノはマスとして受け手を捕らえてるから、表向きの欲望としては一般受けしたいと思いながら普遍性が大事と言うのも、富野の立場なら分かるんだけど。でも僕が富野を愛する時、大富野教信者やガノタや視聴者という集団として愛してるんじゃなくて、一個人ヌ・リョウグ・ダとして愛しているんだということは知っておいていただきたい。
もちろん、そういういくつもの愛を重ね合わせてこそ作品がヒットするので最終的にはマスとしての愛になるんだけども。一つ一つの愛から始まらないと。
だいたい、富野の言う普遍性って言うのはなんだよ。共通項だろ。で、とりあえず人間には心が在るのは共通項じゃないですか。だったら心を題材にしても普遍性が得られるんじゃないんですか?
心は皆持ってるじゃないですか。だから、エヴァンゲリオンはヒットしたんです。
「固有の物は何か?」というテーマで、最後は普遍性ということにまとまったような講演だったけども。人類の普遍的なもの=人類に固有な物とすると正にエヴァンゲリオンの「心」とか「心の壁」という物に行き着く。
誰でも在るでしょ。心の壁って。
で、それを突き詰めるには、マーケティングでマスの普遍法則を探り、それに従う事も有効だろうけども、自分の心を突き詰めて、突き抜けてこそ見えるもののほうがよりはっきりと見えはしないかと。皆に心はあるけども、自分の心しか認識できないんだから。
でも、矛盾するようだが、自分の心の「どろどろ」を掘り当てた人の作品を見た側、受け手の側はその他人の「どろどろ」の中に自分の「どろどろ」を見つけることがある。
これは個人間の共感と言うよりは認識のゆがみかもしれないけど、「どろどろ」のぐちゃぐちゃを見ると、そのわけ分からない物を理解しようとすると、その過程で自分の影を見出し、それが感動に繋がるんじゃないだろうか。
枯れ尾花を幽霊に見るようにナ。
庵野秀明も言ったたかも知れんけど、「みんな自分にしか興味が無い」から。それでも「自分にしか興味が無いのはみんな」なので、個人的なものだが、市場規模は大きくなって、社会が作品に乗っかっていくという現象も発生するよな。
キングの大月さんに上手いこと消費者として取り込まれてるのかもしれないけど、それが気持ちよかったらいいじゃないか。
みんな気持ちよくなりたいんだから。
こういうことを言うと変態っぽいけど、アスカの「気持ち悪い」も、気持ちの良いセリフだと思う人がここにいますよ。あそこで「気持ち悪い」と言わないと、逆に気持ちが悪い、うそ臭いエヴァになったと思う。
使徒をやっつけて地球の平和を守って女の子を助けて、というのは外側の物質的な現象レベルの話。
アスカに好かれて男として認められるって言うのも、うそ臭い。そう思う視聴者が確かにここにいるわけですよ。
そんな現象が存在すると言う事の方がうそ臭くないか?本当の現実では「気持ち悪い」という事の方が現実らしくないか?
シンジ君だけがつらいんじゃなくて、皆がソレに折り合いをつけて生きてるって言っても、それは嘘をついて逃げてるだけじゃないか!逃げちゃダメだ。そんな折り合いではいつか破綻するんだ。破綻した時困るのはいつも、無能で弱い僕だ。だったら、最初から折り合わないで、気持ち悪い事嫌な事しかないのが本当なんだ。気持ち悪い気持ち悪い。
と、「王様は裸だ!」と公言するように「気持ち悪い事は在っていい!」という事を作品として公共に触れさせる事にもある種のカタルシス、気持ちよさがある。
すくなくとも、僕やある種のニートには。
そして、「こんなに気持ちの悪い作品を作るような心を持つ庵野」が存在すると言う事を見ると、「ああ、たしかこんなのを以前、エヴァで見たな」と思い、そして「気持ち悪い庵野がいるんだから、気持ち悪い作品があり、その中に気持ち悪さが存在しているのだから、ソレと同じように気持ちの悪い僕もここにいていいんだ!」と、そういう迂回しすぎてかえって加速しているようなスィング・バイ的サイクロトロン的な自己肯定快感を得られる。
うん。だから、それはとてもいい。
エヴァンゲリオンが「インタラクティブ」と評されたのも、そこ。視聴者から見ると若干内輪受けのような、GAINAXと視聴者の多対多でありながら、意識の裏では庵野と自分と言う風な1対1のような印象があったのかもしれない。
だから、反発もしたりネタにしたり、庵野を絶対者の作者の立場から見限って自分が2次創作者になろうと言うことにもなる。
ガイナックスがアマチュア的ということもある。