玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

話がそれた。エヴァのような作品では自分の影を受け手が勝手に投影(できるように導かれて)

それが、虚構のアニメに本気になるほどに弱い物にとっては、快感にもなるんだ。自己肯定されたように思えるんだ。
だから、富野が「ドラマは、生気ある人によって描かれるはず」と決め付けるのは、辛い。
生気の無い物は、死ね!と言う事か?生気の無い人は思いを主張してはいけませんのですかッ!
まあ、それは正しい。トミノは一貫して無駄な人類は死んだ方が良いと言ってるからな。確かに、それも正しい。僕は死ぬだろう。だけども、死ぬ前に少しくらい気持ち良くなるくらいは良いでしょう?と!
だから、イデオンを見るまで俺は死なないぞー。トリトンも見るぞー。
だけど、我欲はそれ以上の物にしたらいけない。バーチャルで発散する以上の物にしてはいけない。

セックスにしたって生きているから出きることでしょ?その境界線を分かっていない年代、つまり、ビデオとかインターネット上のオマンコ見てセンズリかいているだけで、生のセックスに興味を持てない、本物の女性を怖がる病理現象

と、富野に言われても、インターネット上のオマンコ見てセンズリかくほうが、ミラーマンとなって逮捕されるよりはよっぽどマシでしょう。病理現象だ何だって言っても、欲望を生きているがままに行使したらもっと辛いし、病気にはならなくても怪我をする。
怪我をしても平気な強い人だけが本物の女性のオマンコを手に入れるというか、本物の人生を送ってたら良いじゃないか。僕は弱いですからね。欲しがりません死ぬまでは。
と言うと、本当は欲しいくせにヲタクは嘘つきだとか言われそーだけど。欲しいと言う感情もそもそもなんだよ。欲だろ。傷つきたくないのも欲だろ。だったら一緒じゃないか。むしろ、どちらを取るかと言う判断がついてる分だけ文明的じゃないか。いいじゃないか。ザーメンなんか出してしまえば影響力を失うし。女を喰わないで成熟して本当に良かったよ。生活サイクルにセックスなどと言う無駄で時間を食うものを取り入れなくて。
と、僕が考えている事も、社会が、その、富野が大嫌いなセクハラという言葉を蔓延させて肉の繋がりを薄くした社会によって作られた物で、結局は病理でしかないのかもしれないのだが。
でも、社会がそうなんだし、それは大きな流れで、結果論でしかないし、状況でしかないんだから、それに適応して何が悪いんだ。自分の意志なんかあるようでないんだよ!
それをエヴァンゲリオンとか一つの作品を通して垣間見ただけで、ビビってエヴァのせいにするのは片手落ちじゃないか。
気持ちの悪い世の中で、死ぬまでの時を過ごす人には、そう言う作品だって必要なんだよ。