玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

テレビの悲劇などは無視する

シャーリー・フェネット:折笠富美子が死んでも全然悲しくないぞ
っていうか、俺は享楽主義者だなあ。面白いかどうかでしかない。ギアスキャンセラーでキャンセルされたギアスはもう一回使えるのねーって言うことの方が重要。オレンジは手駒になったし、便利度がアップです。
うーん。アニメキャラに幸せになって欲しいって言う感覚がなくなってるようですよ。
まー、シャーリーの喋り方がパニくってたり死にそうになっている割に記号的に整理整頓されすぎた言葉使いで、情報やフラグではあっても、人間的に共感できなかったって言うところも在るんだけど。キーワードは「嘘」「一人」「記憶」「もう一度好き」。
「マンコが濡れてどうにもならん」という程度の事で良いと思うんだが。
というか、他人全般の幸せなんか知ったことじゃない。実在の人であっても。
まー、あれです。
ほら、情報化社会だから。
テレビで災害とか戦争とか殺人事件の事が報道されて、大昔の人間だったら村のことしか知らなかったけど、擬似的にワールドワイドの情報を投入されてるじゃん?
で、それをいちいち感情的に認識してたら疲れるので、不感症になっていくのよね。感情の量は脳内物質の生産速度で制限されているから。
だって、死ぬことなんて当たり前なんだし。遠い人の事まで同じようには考えられないですよ。拉致被害者の人は気の毒ですけど。他人です。
環境保護団体とか政治運動に没頭する人も、或る一定の価値観に集中する事で他の概念に対する仕事量を節約してるんだよな。
それはいいんだけど。
目の前の人の事も俯瞰して不感症になっていくっていう部分が在るかもしれないんで、まあ、ねえ。なんというか、だらだらーっとできることをテキトーにするっきゃねーのかねえ?
あーあ。
そーいう僕は誰にも相手にされないまま死んでいくのだわー。まあ、相手にされても死ぬわけだが!キュピーン!
どこからどこまでを他人にするかは永遠の課題ですね。ルルーシュも虐殺王で身近な人だけには甘すぎるし。
まー、自分以外は他人なんだが。そんな風なそぶりをみせると対人利用効率が下がるか?
身近な人を失うと、その中の自分の模倣子を喪失するって言うことが悲しいのかしら???そんなに大した情報源なのかしら?自分って?
自分の事も大事にできなくなってるのかも。
愛する誰かが必要さー
脳内妹かな。自分はどうでもいいけど、脳内妹は好きだし、健やかでいてほしい。
りゆう:びしょうじょだから
アニメの美少女はどうでもいいが、うちの妹は世界最高峰の美少女だからな!最強である!
もちろんマンコもビショビショだ!