玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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だんだん個人問題

さっき朝の連続だんだんを見たんどすえ
それで前述のガンダム00の個人間問題の事を多少考えたさかい書きまする


えー、介護してたらデイケアのおばあさんと三倉のどっちかが話してて、他のおばあさんと介護師さんは三倉には注意を払わず視線も向けず延々とエキストラみたいな背景芝居を続けます
赤井英和のジムに吉田栄作が来たらセリフのある人以外の練習生は見もしない
言い争いしてるのに
お茶屋からジジイが出た時にプロデューサーが邪魔したのに他の客はガン無視で会話しとる
怒れよ


だんだんはターンAガンダムっぽいから筋は面白いと思うんだが、こういう雰囲気作りで手を抜かれたら萎える
これは多分、骨格のシナリオのとおりに作って肉付きが悪いから
シナリオは基本的に一本線の会話文が中心なので二者関係の描写になりやすいんです
話者と聞き手で、多くて三人くらいの関係になりがち
しかし漫画なら一場面に百人でも登場させられるし
アニメなら時間経過で人物の入れ替わりや表情変化や抽象構図やらいろいろな情報を盛り込めるわけだ
実写ならもっとこまかく眉や指先や息遣いや視線の網に感情を乗せられるんですな
シナリオはあくまで全体の骨子の方向性を定める設計図でシンプルでフレキシブルな素材なんですな
星山博之シナリオ教室で書いてた
文字のシナリオを書いてる段階で決めすぎたら作りにくい。だから絵コンテや芝居や撮影の段階で追加しないとさびしいし歪
ガンダム00も、とある魔術の禁書目録もだが、見れば分かる事をわざわざセリフやメインキャラだけでご説明するから長いしダレる
それは設計図と鉄骨とコンクリを並べて「家です」というようなもので住めるか!
絵はきれいだしデザインもいい素材なのに料理してない感じ
絵がいいのに逆に絵を見せる意欲が 欠けて見えるかも
脚本や原作を一字一句変えないで設計図通りやってます、というのはアホの言う事だ
だんだんの脇役の役者やキャメラマンも指示された事だけやってるだけで、気持ち悪くないのか?
そりゃ、ライターは変えられたらムッとするかもしれないが説得できる仕事にしたら良いやん
むしろ、スタッフ間での意志疎通を嫌う雰囲気がフィルムにまで影響してる?やだねえ


テヅカイズデッドは読んでないんだが、やはり、人格としてのキャラクターは死んで、記号キャラを並べるだけなのかな
モブキャラには人間らしいリアクションは要らなくて大道具でしかないのかな?
それは人を家畜にする事だ


これはテレビ芝居だけの問題ではないかも
最近のグダちんは自分でエクササイズをしないといけないから岡田尊司の「パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか」という新書を読んでるんだが、それによるとそういう障害は、「本来の意味での他者との関係が育っていないため、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は、攻撃の対象になってしまう」
らしい
それは殺人事件とか虐待なんかで見られるらしいのだが、病人やネットの中だけではなく、普通の人のためのテレビドラマやアニメでもそのような雰囲気が見えるかもしれないというのは病気を広める感じがして困る


俺の言い方も大袈裟だなあ
まあ、脚本やプロデューサーも偉いが末端の役者も頑張って働けば偉い
そんだけです
道徳規範は日本では崩壊したらしいが、とりあえず真面目に働いて人様を攻撃せず行儀良くしろ
という程度の事をしたら損をするのかなあ?
まあ、いいや
脳内妹は行儀良いお嬢様だし他人は滅べ