玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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∀ガンダム第43話「衝撃の黒歴史」 ゼロ年代最初の衝撃

脚本・高橋哲子 絵コンテ・赤根和樹 演出・池端隆史 作画監督佐久間信一


赤根和樹監督も絵コンテ参加という豪華さ。43話です。
衝撃の黒歴史です。いや、正に衝撃の黒歴史
今回、ターンエーガンダムの劇中での太古の歴史である黒歴史の真実が暴かれたのですが、その黒歴史とは、宇宙世紀、未来世紀、アフターコロニー、アフターウォーの全てのガンダムのアニメーションでした。
なにしろ、いくらシリーズものと言っても、他のアニメのフィルムを劇中の小道具として出したわけですからね。
ニコニコ動画のようなコラージュ作品を公共の電波で流したわけですからね。
20世紀最後の年に。気が狂ってるのかと思った。それが、ゼロ年代の幕開けでした。
もしかすると、ゼロ年代のオタク文化の先駆けが、この「衝撃の黒歴史」だったのかもしれない。


「衝撃の黒歴史」。まさに、テレビの前で衝撃を受けました。高校3年だったのに。
私、ここまで衝撃的なアニメは見たことがありませんでした。このアニメを作った人は気が狂っているに違いないと思いました。


何度も言いますが放送当時の私は、富野由悠季の「よしゆき」が読めなかったほどのボンクラで、富野ファンになったのはキングゲイナーからです。
92年あたりから98年くらいまで地域の図書館に置いてあったアニメージュは読んでたけど、当時は富野冬の時代で、むしろナウシカ萬画版の終盤の気が狂ったような展開やエヴァンゲリオンの気が狂ったような状況や幾原監督の気が狂ったようなファッションを楽しみに読んでたので、富野の事は意識してなかった。
今でも、あまりオタクではない友人に「富野監督の新作はガンダムUCだね」とか言われるんですが、それ以下の認識でしたよ。
ガンダム勇者シリーズとか90年代の仮面ライダーシリーズとかウルトラマンシリーズやスーパー戦隊シリーズのような、バンダイの他のヒーローシリーズものと同じく、マスプロダクツ製品だと思って、大して作家性は意識していませんでした。
それが90年代という時代である!
仮面ライダーJとかねー。仮面ライダーZOとかねー。ウルトラマングレートとかねー。パワードとかねー。
ガオガイガーには作家性を感じたと思ったら、勇者シリーズが終わった。
(いや、今思い返したら勇者シリーズは他にも結構やらかしてたけど)


90年代にはバンプレストのゲームでコンパチヒーローシリーズやスーパーロボット大戦があったり、SDガンダムでは異なるジャンルの騎士ガンダム武者頑駄無が共闘する映画があったり、異次元移動でヒーローが一堂に会するというものがありました。
その前にも、仮面ライダーとかウルトラマンで先輩が助けに来たりっていうのはありました。
でも、それは、あくまで、お祭り映画とかファンサービスとかゲームの二次創作というようなものと思うじゃないですか。
基本的に、Gガンダム以降のガンダムは、仮面ライダーX以降の仮面ライダーみたいにパラレルワールドというか、物語としては関係がないもので、商業製品のジャンル、バンダイ事業部の区分けとしてのキャラクター性だと思ってたんですよ。
そういう、「お約束」な空気があったのが90年代です。
乱暴に言うと、60年代に映画の鬼子として生まれた日本TVアニメは70年代に独自の表現を獲得し、80年代にはアニメファン上がりの作家とアニメファンによるアニメブームが起きて終わり、90年代には玩具会社やレコード会社のスポンサー企業中心のアニメってなった。制作委員会方式ができたのも90年代でしたっけ。
細かいことは知らんが、大まかに言うと。


でも、ターンAガンダムは「アニメのお約束」をぶち壊して、大真面目に「宇宙世紀ガンダムも、機動武闘伝Gガンダムも新機動戦記ガンダムWも機動新世紀ガンダムXも、すべて数千年前に起こった事実です」と。
よりによって、∀ガンダムで。
当時の私はアニメ雑誌を読まなくなっていた頃だったので、43話まで∀ガンダムの世界観を全く理解してなかった。∀ガンダムも「また変なパラレルワールドガンダムが始まったよ」って思っていました。
むしろ、世界名作劇場風の雰囲気で始まったし、物語もおとぎ話風だったので、∀ガンダムガンダムシリーズの中でも異端だと思っていました。富野監督の事を知らなかったし。
黒歴史」というキーワードも大して意識してなかったし、ザクやカプルが発掘されても「今年のガンダムは変なネタをやってるなー。おとぎ話だなあ」と思ってたし、OPにそれまでのガンダムのフィルムが登場してもOPのサービス映像だと思ってました。
そんな認識の処で、「全部のガンダムは同じ歴史上の事実です。」と本編の物語の中で言いました。
そして、全然違う世界観のガンダムのフィルムを歴史的記録映像としてコラージュして、放り出す。いくら僕でも違う人が監督しているということくらいは分かっていた。そんなことをやっていいんですか。ギャグアニメじゃないのに。


視聴者も衝撃で、ターンエーガンダムの登場人物もそれを見て衝撃を受けるという入れ子構造。
入れ子構造は、全てのガンダムが数百年にも及ぶアーマーゲドンの中で絡み合っているということにもなっている。
視聴者に対してメタな視点で楽屋オチの仕掛けを行っているように見えるが、物語世界の中で完結しているようにも見える。
今回、ディアナとキエルの入れ替わりがソシエとリリに明かされる。そんな他人の空似を平然と持ち出すなんて、全くリアルではない御伽話のようでもある。が、もしかするとそんな偶然があってもいいかもしれないとも思える。
わけがわからない。


ここまでアヴァンギャルドでロックンロールなアニメは他に見たことはない。
芸術的なアニメというか、アニメーション表現としてアヴァンギャルドな芸術を志向した物は他にもあるが、∀ガンダムはその存在がロックンロールだ。
芸術的な映画は「芸術的で御座い」という空気が、見た目でも判る。だから、アヴァンギャルドなように見えて、「さて、芸術鑑賞するか」という心の準備ができているわけです。芸術とは衝撃だが、衝撃を受けようと思って受ける衝撃はあまり衝撃ではないというパラドクスがあります。
でも、ガンダムシリーズと云う物凄く俗な、プラモデルを売るためのTVシリーズの内の1作だと思って終盤まで見ていたら地雷を踏まされました。


新世紀エヴァンゲリオンの最終回もロックなライブだなあと思ったけど、当時のエヴァンゲリオンは単発だったしなあ。今はパラレルを増やして、新劇場版でまとめようとしてるけど。
∀ガンダムガンダムシリーズ20周年で、そのシリーズ全体に向かってケンカを売ってるわけで。
自分のコピーを逆にコピーしなおして食ってしまうような、凶暴さがある。


たとえるなら、歌川広重ゴッホが浮世絵をコラージュした「タンギー爺さん」を浮世絵の背景に使うような?
いや、違うか?
モーツァルトが生き返って「きらきら星」を演奏するような?
いや、エヴァンゲリオン死海文書を聖☆お兄さんのキリストが解説するような?
というか、エヴァンゲリオンキリスト教を題材にしたけど、ガンダムは自分のジャンルを一万年レベルの神話にでっちあげたのがめちゃめちゃだ。
スターウォーズもやってるけど。でもスターウォーズは本編の映画ではそこらへんにはあんまり触れてないしなあ。


とにかく、ターンエーはすごく気が狂ってるの!
99年当時、全くわからなかったけど、大真面目に本気で無茶をやっていることだけはわかって、毎週楽しみにして、録画していました。10年間見てなかったけどな!


で、2003年頃に富野ファンになって、どのガンダムが富野作品かをやっと判って、富野監督がガンダムの生みの親だとかガンダムと富野監督の愛憎関係を知り、∀の癒しを読んで、富野監督がガンダムシリーズ全体のために確信犯で∀ガンダムをやらかしたと知れば、もう、私、好きになるしかないじゃない!



何が言いたいかと言うと、「∀ガンダムは牧歌的で名作劇場風のガンダムだねー」と、序盤の展開を紹介しただけの程度のレンタルビデオ店の案内文で、∀ガンダムを総括した気にはならないでほしいということ。



わけわかんねーよ、これ!


ああ、この一言を言うだけでまた長々と書いてしまった…。


オタク世代っぽく言うと、90年代で企業主導アニメが爛熟期を迎えた後、ゼロ年代にパロディ的アニメ(オリジナリティがないことの開き直り)とか、ネットでの素人のフラッシュアニメやニコニコ動画のMADアニメが隆盛する先駆け的センスが、今回の「衝撃の黒歴史」にはあったかもしれん。
それをガンダムの生みの親がやるわけだから無茶苦茶だ。ロックだ。


あと、今回はハリー・オード親衛隊長のスモー・アクションが超かっこよかったですね!
「ディアナ様の尻と言ったかあああああ!!!オノレええええええ!!!」


∀ガンダムがターンエックスと黒歴史の影響でまた覚醒して、ビームサーベルを振り回して空間をゆがめて瞬間移動とか、無茶苦茶やり始めました。
最高だ。


今回のディアナ様は、アグリッパが逃げて近道をしようとして偶然に冬の宮殿のデータ室を通って、偶然そこにアグリッパを追ってきたミリシャの面々や、自分と同行したグェンが揃ったし、なんとなく自分もターンエーとターンエックスの事が気になっていたから、という理由で黒歴史の一万年に及ぶ戦争の歴史を月の全土に立体モニターで開示しました。
自分で調べるとか、アグリッパとグエンに教えるだけではなく、全土に放送するし。
無茶苦茶するなあ。
で、また皆がそれで暴走します。
極力、ディアナ様が悪いという言い方は避けて感想を書いてきたけど、やっぱりディアナ様は無茶苦茶しますね。なんでだろー。
冷凍睡眠とかで長い年月を過ごして、恋とかやりたいことができない人生でフラストレーションがたまって、そろそろ死にたくなったからやりたくなったら思い立ったが吉日、っていう無茶苦茶になってるのかなー。
でも、お芝居としては絵になっちゃうんだよねえ。美人だし。
美人だから仕方がないというのも無茶苦茶な理屈だけど。いさぎいいのか?


富野アニメにひかれるのは、そういう無茶苦茶さをやるところが、すごく元気があって、こっちも楽しくなるところだと思いまーす。
行儀よく作られているアニメを見ると、「あ、死亡フラグだ」とか「あ、ここでヒロインに告白しそう」とか「そろそろ裏切るんだろうなあ」とか物語の意図が判ってしまいますが、富野アニメは無茶苦茶なので、予想したりしないで安心して見れて楽しいです。
でも、富野はそれを「原理原則」と言い張るのでとてもおもしろいです。




追記

押井守「仕掛けて売れたコードギアスは10年後は残らないです」とか。ギアス再始動とか\(●)/
「衝撃の黒歴史」程の「仕掛け」は知らないけど、ターンエーはなぜ売れなかったんだろう?でも余裕で10年残ってるね。