玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

機動戦士ガンダム3738 ツボとブラコン

囚人さんとid:GiGirさんくらいしか読んでないが、同じ物でも着眼点が違うところを書く



マ・クベの最期が壷というのは、キシリアへの忠誠か
しかし、最期の忠誠が、戦果や戦力ではなく、壷
戦争があったから狡猾な軍人になったが、本来はただのオタクだったのかも
彼も必死だったんだな
悪党なのに、人間が生きようとする力や哀しみを見せた。


マ・クベを駆り立てたのはギャンとゲルググの評価試験を兼ねて(?)シャアとマ・クベをも同時に比べるキシリア・ザビという女将軍。
マ・クベキシリアにとって、まだ使える人物のはずだが、追い込むようなことをしたのは、シャアの差し金か?
二人を競わせて力を出させたら木馬を討ち取れると思ったのか?協力はしない二人だ。
マ・クベドズル・ザビの妻子のゼナとミネバを助けた事で評価が下がったのなら、キシリア怖い。
テキサスでは、キシリアの下のフラナガン機関によるララァの試験が行われていたから、マ・クベの部隊はそれの護衛にしか過ぎなかったのかも。
キシリアの興味がニュータイプに移ったからか。
マ・クベはあの新しいタイプに成れなかった。
アナクロランバ・ラルを見殺しにしたマ・クベもまた時流に捨てられる無情。
ガンダムが鬼強いだけか。(笑)



セイラに「素顔を見せてくれ」「きれいだよ」「地球に逃げるんだ」と言いながら、自分の仮面を外さず、「私は過去を捨てた」と言うシャアは、妹を蔑ろにして人格を否定しながら理想化する身勝手な兄で、私も脳内妹に対して、少しそんな所があるから反省。
セイラはシャアにここまでされてもまだ兄が好きなのか。セイラもナルシストだな。 他人を省みない兄妹。
ララァとぶつかって変わるか?
ララァはジョーカーだな


ところで、キャスバルとセイラの母親ってジオン・ダイクンの今わの際のベッドにすがって、ジンバ・ラルと遊ぶ兄妹を見守って笑っていた金髪の女性では?
元気そうだ。
じゃ、オリジンでの妾腹設定や、別れて死んだと言う説は安彦良和先生の趣味でしかないか
まあ、安彦先生は倒れていなかったらもっときちんと、性格やドラマも含めてシャアの母をかきたかったんだろうけど。
今回のテレビ版の母親は、まさに明るくて優しい母親というだけのテキトウ作画ぽいし。
しかし、もし、シャアの母親がきちんと健康に生きて、ハイスクールで出奔するまでシャアを育てたとしたら?なんでシャアはこんなに歪んでいるんだ?
シャアは天才で高貴でなんでもできるから、死んだ偉大な父親の思想を理解しない、優しいだけの母親を侮蔑していたかもしれない。
アムロの母もそうだし、富野アニメの親は愚かで息子と断絶するのだ。
だとすると、「ララァは私の母親になってくれたかもしれない」というセリフはマザコンとは正反対の意味を持つ。
で、ジンバ・ラルにダイクン復権のエリートとして育てられ、自分の実力を誇示したがる鬼子になった。


アルテイシアも同じような鬼の血を持つから、わりと他人にひどいが、女の子だったからジンバ・ラルのきたいもそれほどでなく、母親の良い影響をキャスバルよりはうけて、多少はまともに仲間を作れる人に育ったのかも。
セイラも最後にまたシャアに捨てられて死を望むが、やはり仲間の元へ帰った。
(それも続編でバラバラになるのが富野の現実認識だが)


シャアは最初から最後まで帰れるところを持たない人だったのかも。
ララァ・スンがそれかも知れなかったが、シャアは「私はお前の才能を愛しているだけ」「ニュータイプは悲しい変種かもしれん」などとララァを寂しがらせてしまう。
ララァはシャアを死ぬほど愛していたのに、ふと淋しい時に共鳴しただけの少年、アムロに惹かれて、悲しい事になる。
シャアは帰る場所を自分で作れないし、それを想像もできていないようだ。


しかし、このように書いて見るに、私は身勝手なシスコンで歪んだナルシストとしてのシャアにかなり興味があるようだ。出世に邁進する所よりも。
逆に、最近の「ニュータイプだからつよい」という描写の増えたアムロは段取り臭くて薄く感じる。
まあ、アムロニュータイプになった理由である、必死の戦いにはドラマがあるとおもうし、ニュータイプになってフラウと離れていくドラマもある。

そして、ララァとのドラマも!
もう終盤なのに、まだまだいろいろある。すごい