玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

渋谷アニメランド第5回に富野由悠季監督がゲスト出演。にモノ申す1

昨日5月25日火曜日20時05分から20時55分までAM−NHKラジオ第一で放送された渋谷アニメランド富野由悠季監督がゲスト出演した。
一部、人身事故報道のため富野監督の論の途中で中断があった。
再放送は6月26日(土)午後16時〜16時55分なので、そちらで完全版を聞かれたし。
パーソナリティはアニメ評論家の藤津亮太氏。(twitter id:fujitsuryotaブレンパワードスパイラルブックなどを手掛けられた偉い人。
大体の内容についてはtwitter id:nikovhage氏がトゥギャッたーでtwitter実況をまとめられたものがあるので、それを参照されたし。URLはググれ。
ていうか再放送聞け。
大富野教スレについては、携帯電話オンリー環境の私は知らない。
では、さっそくツッコミを入れたい所について書く。

  • スイス・ロカルノ映画祭についての話題から

ざっとした富野監督の略歴紹介に続いて、去年のトピックから。
ロカルノ映画祭での名誉表彰賞は、年をとったから御苦労さま、という事で貰える賞である。が、日本のアニメスタッフもたくさんいるなかで選ばれたのはうれしかった」
「ロボットアニメに革命を起こしたからという受賞理由ではない」
「東京のアニメ関係者の知らない所で、スイス・イタリア・北京などでディーラーが勝手に売って儲けた奴がいる」
「正規のビジネスではないが、外国人に自分のファンがいる事を知った」
「ビジネス論では腹が立つが、民間で売れるという事はこういうことか、という事が4,5年分の勉強になった」
「東洋の机上のだけの仕事ではなかったという実感」

私感想:
ここらへんは母をたずねて三千里あたりからおっしゃってますね。
下世話な事をユーモアっぽい怒り口調で話す富野は芝居上手ね。
30年前、40年前からyoutube以前から世界は繋がっていた…。

ガンダム

リーンの翼の新装版小説は80年代後半の小説、00年代中盤のOVAを合わせただけではなく、ノベルスとしての新作要素を入れた」
ガンダム30周年の壁を突破するエクササイズ。これは誰もやった事のない構成の仕事であると自負する」

私感想
うん、ゲド戦記の新作よりも誰もやった事が無いメディアミックスだよね。時間も長いし。作品内時間も長いし。アニメも小説も自分でやってるし。
旧作部分もかなり手直しがある。高村薫文庫よりも…。
ほんと、前代未聞の作品だ。なんで富野さんはそんなフロンティアな作品ばかりやるのか。wowowとか。配信とか。

ガンダム30周年の壁を超えると同時に、ガンダム的な仕事に携われる体力があることを確認できた。(68歳)」
リーンの翼とリングオブガンダムを通じて次にやるべき事がまた見えてきた。だから、今はリング・オブ・ガンダムの作業中よりも忙しくなった」

私感想
このあとおたよりで「新作はまだですか?」とファンに質問されていたが、3年越しにハードカバー4巻分の小説を出した直後に、そういうことを言われたら、僕なら休みたがる。
ガンダムは体力的にきついからやりたくないっていうアニメ監督も多いのに。70手前で体力的にガンダムをできると確認できたとか、爺怖い。
富野はすごいエネルギーがあるなあ。仕事を通じてエネルギー補給やエクササイズもやっているのだな。

  • ロボットの機能

藤津さん:戦争物なら、ロボットではなく戦闘機や戦車でもいいのではないですか?←正鵠を射た質問。
「ミリタリーオタク以外は、普通の視聴者は自分と同じ形の物にしか感情移入しない」(生き生きと話し始める富野)
「人に伝える物語は、こどもも大人も人型の方がシンパシーを感じるんです。それだけのことです。でしょ?」(なんかかわいい)
藤津さん:ロボットの顔も重要ですね←正鵠
「もちろんそうです、でも、大問題があるので、ガンダムには口が付いていません」
「機械的なものが、口までが付いているのは違和感がある」
「同類にはシンパシーもあるが、審美眼も高い。ゆえに、機械的なものがしゃべると違和感を感じやすい」(不気味の谷理論)
「人型のポーズによる感情のシンパシーを伝える機能はある。映画的演劇的に便利であり、ハウツーをかなり教えられる」
「人型のメカ、というだけでは劇としての構成にはならない」
「ロボットアニメの演劇、映画的なものについてこのように学習した演出家は、まず誰もいないのではないか」
「そのような周辺状況については失望している」
「僕は本気でシェイクスピア劇を演出するつもりでやっている」

私感想
ここは一番異議申し立てしたいなあ。
先日、勇者特急マイトガインの最終回を見たけど、勇者シリーズにおいて口の付いているロボットの扱いはかなり演技的に考えられてたような。
合体前は口があっても、巨大合体したロボットにはあまり口が無いという事もそうだし。
最終決戦でマイトガインの顔の装甲板が吹き飛んで、ロボットが突撃すると口の中のコックピットに主人公の旋風寺舞人が叫んでいるのがアップになる、と言うのは演劇的だと思ったのだがー。高松信司監督は実写もやってたからなあ。
新世紀エヴァンゲリオンでは獣性や捕食器官として、ロボットの口を演出していた。
SDGFのキャプテンガンダムの口は、モビルシチズンとしてのコミュニケーション用だったけど、キャプテン以外のモビルシチズンには口が無いし、後半はキャプテンはあまり口を出さなくなったね…。うーん。結構ロボットの口は難しい問題。
ただ、「ロボットアニメというジャンルがあるから、とりあえず人型ロボット」という程度の作品もたくさんありますね。とくにオタク向けと言う者では。
しかし、「人型に共感するという機能」は富野監督も言った所だし、それをフェティシズム的に利用し突き詰めたマクロスやFSSのような作品もあるわけで。ロボットの機能について、富野監督が言うほど、みんな考えていない、というわけではないのではないか?
でも、富野監督は作家であってオタクや評論家とかじゃないから他人の作品についての評価の妥当性は別にどうでもいいや。
武芸者は自分が一番強いって思ってたらいいんじゃないでしょうか。
僕は二足歩行は脆弱だからセグウェイロボで良いと思う。