玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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「富野由悠季の世界」展【スペシャル対談 富野由悠季監督×細田守監督】を見た

https://www.youtube.com/watch?v=WaHm6-tSbtU

/富山会場開幕記念 in 富山県美術館

https://www.youtube.com/watch?v=WaHm6-tSbtU


 13年前のイベントで富野監督は時をかける少女について「風俗映画」と批判したので、今回は細田守監督との打ち合いを期待したのだが、期待はずれだった。


nuryouguda.hatenablog.com


 細田守監督もヒットメーカーでありウテナ演出の一員であり、ケモショタの異常者なんだが。今回は富野監督と対談、ではなくファン代表として話をする、という腰が引けた態度で、なんかレスバトルとしては弱かった。富野監督は売れてる若い作家に喧嘩を売るので、細田守監督も喧嘩を買ってほしかった。(まあ、富野由悠季の世界展のオープニングセレモニーなので喧嘩は良くないのかもしれないけど)


 というか、今の細田守監督は新海誠監督に椅子を奪われた状態なので、どうなんでしょう。ワニ先生をお呼びするのは難しいかもしれないけど。いま一番売れてるのは鬼滅の刃なので。


 そういうわけで、細田守監督が富野監督のことを尊敬しているファン代表として進行役に徹していて、あんまりエゴが出てなかった。作品を見れば、細田守監督もエゴがあるはずなんだけどなー。


※午前1時追記


 過去の対談では富野監督が細田守監督を敵認定していましたね。でも細田守監督は怒らなかったのか…。




 まあ、富野監督が喧嘩っ早いだけで、細田守監督は普通の大人なので、冷静なのかなあ。細田守監督も美術に対する造詣の深さから、的確な解説はしてくれた。
 なんとなく文字起こししながら感想を挟んでいきますが、なんとなくなので本物の動画を見てください。

  • 大人への不信感

 で、最初の方は美術館で自分の中学生の頃の絵が展示されることについての是非を富野監督が言うのだが。
 まあ、古典の個展なら、作者の幼少期の作品も載せるのは割と美術館の歴史学的な態度としてはありなんじゃないかなとは思う。
 しかし、自分の小学生や中学生の頃の絵を残していて、それを美術館のスタッフに渡しているのに、「県立美術館に置くのはどうなのか」というのも、どうなのだろうか。富野監督は美術館の学芸員さんに丸投げしたと言うけど、持っている少年時代や大学時代の資料を投げているので。隠そうと思えば隠せたのに、投げているので。というか、やっぱり物持ちがいい!


 で、美術教育の話から、ディズニーの映画を小学生の頃に先生に見せられたというエピソードを富野監督が語るのだが。富野監督は子どもなりにディズニーの白雪姫やバンビなどを映画や一コマうちアニメーションとして技術や演出術として批評していたのに、教師である大人たちは「ディズニーは漫画映画だから下らないと思ってるけど、教育委員会から見せろと言われたので見せてる」という態度で、作品に向き合っていなかった、という不満な思い出を富野監督は語る。
 戦中世代の無責任な教師や大人への不信感。


 僕はアニメを見た程度で日本軍は戦争をやめないと思うけど、富野監督にしてみれば戦前にファンタジアを作った体力のあるアメリカと戦争をするのは絶対負けると思う、という話。
 第二次世界大戦での日本の立ち回りの評論は難しいので僕の手には余る。八木アンテナを発明してるのに日本軍は実用化してなくてアメリカにパクられたとか、そういうところの話も京都大学で働いてた時に聞いてたりしていたので。中国の軍閥の抗日戦線とかも複雑だしよくわからない。


 しかし、現在のボク個人の意見になるが、Netflixでスター・ウォーズもなんでもかんでもディズニー傘下になっているアメリカのアニメ映画界の権威主義的、寡占的な状態はなんとなく気に食わないので、日本のリミテッド・アニメーションのバンダイチャンネルでやっていこうと思う。鬼滅の刃もバンダイチャンネルで見ていきたい。
 

  • 先鞭としての富野

 細田守監督が水を向けて、「今回の富野由悠季の世界展もそうですし、アニメ新世紀宣言もそうですし、富野監督がアニメ文化史において初めてやったことが、後の我々クリエイターに影響を与えたことが多い」とのこと。


 しかし、富野監督はそれは嬉しい反面、全面的に嬉しがれないのは、全部自分でセルフプロデュースしてしかけたことではないという感覚がある。芸術家(おそらくバンクシーや村上隆)は自分で自分の作品がすごいとアピールして地位を築いてきたが、富野監督は状況に流されて仕方なくやった面も多い。
 仕方なくやったという面も多いのだが、おもちゃ屋さんの宣伝番組という枠に収まらず、おもちゃを売るという条件は飲んでも、お話は自分で作ろうということはしかけた。


 で、そういうふうにして、富野監督だけでなく他の複数の人たちが色々と作品を作って、アニメの地位向上をやっていたら、現在は(多分鬼滅の刃やコナンのことだろうけど)実写映画では歯がたたないくらいアニメがメインカルチャーになった。
 一般的にもアニメを文化として語ることが普通になる世の中になった。


 それは嬉しいのだが、富野監督は「20年前のターンエーガンダムでガンダムを作るのをやめたしガンダムの富野は死んだのに、それ以降新しいものを生み出せていないので僕は情けない」、と言う。キングゲイナーやリーンの翼やGレコも面白かったので、僕としてはそこまで自己卑下してほしくないのだが。
 しかし、見方を変えると、そういう自己卑下をするということは「自分でしかけて自分で自分を売り込みたかった」というシャア・アズナブルみたいな世の中を自分で動かしたい野心があったということなんだろうなあということも感じられて、富野監督らしいとは思う。
 それに、キングゲイナー以降の21世紀の富野アニメが面白くても、アホみたいに売れた社会現象の機動戦士ガンダムの成功体験に比べたら、監督自身としては見劣りする、という気分も分かる。ガンダムはアホほど売れたし今も他のロボットアニメにガンダムの名義貸しをするだけでプラモデルがうれる。アルジェボルンも鉄血もアニメとしてはあんまり大差ない気がするんだけど、鉄血はガンダムの名前を借りれたのでガンプラとして売ってもらえる。


 でも、富野監督ご自身は、まだまだボケるのは怖いし新しいことをやりたいので、新作は応援してほしいらしい。まあ、オタクなので応援するけど。なるべく長生きしてほしい。Gレコは絵コンテができてるので死んでもスタッフが完成させてくれるらしいが。でもアフレコ指導も富野監督はしたがる。


  • 美術としての富野作品

 ちょっと長く細田守監督が話す。富野監督がロボットアニメという制約の中でものづくりをしていたが、他の美術作品もパトロンの意向や宗教的価値観の中で作られていたので、完全に内的自然としてできる作品は少なく、その点では富野作品は珍しいものではないという話。
 

 で、富野作品では自分が善ではないかもしれないという懐疑とか、自問自答しつつ正解を探す態度があって、それで富野作品に惹きつけられたという。


 しかし、富野監督は「それは僕の欠点です」とのこと。本当に作家性があれば、もっとふっくらした作品ができたのではと。細田監督が言ってくれたような善悪の相対化みたいな作品も、「富野監督が自分でわかる、もっともらしい理屈」に過ぎなかったのではないかという反省。


 そこから、ダイターン3のコメディやギャグでドラマを作るより、ガンダムのようなシリアスでもっともらしい作品を作ったほうが楽だから、そっちに逃げたと反省しだす。
 視聴者の興味として、ギャグは3秒しか持たないけど、もっともらしいセリフだと30秒間をもたせることができる。それで、ダイターン3で潰れそうになった。


 だから生活者として、ローンを払うために、逃げとしてガンダムを作ることにしたが、本当の芸能というのはダイターン3のようなものではないだろうか、とのこと。そして、それは稀有な天性の劇作家としての才能を持っている人しか作れない。


 で、細田監督が言ってくれたような作品論も、能力がなくてももっともらしいものを作れる理屈だとのこと。芸能へのあこがれが感じられる。


  • ザンボットからイデオンまでの連作について。

 細田守監督は富野監督が連作したことがすごいとすごく褒めるのだが、富野監督は「外から見るとそう見えるでしょうが、実際は準備期間はあった」とのこと。そして、ダイターン3で大変な目にあったから、ガンダムでは息が抜けて、逆にビビットなものが楽に作れたとのこと。
 細田守監督は今回、展示の主役の富野監督を立てる側として、自分の作品論は一部分しか話さなかったので打ち合いにはならなかったのだが。富野監督は相手が自分を褒めることを否定していくスタイルで、過去の自分とセルフで打ち合いをしている構図になっている?
「笑いで生活を立てるということは地獄の選択肢で、生活をしていくにはガンダムのようなものを作っていたほうが楽。ちょっとクラスで人気があって笑いが取れるってだけで50年間お笑いで食っていくのは過酷な生き方だ」とのこと。


 シン・ザ・シティと新座市と住宅ローンの話。富野監督の新座の家のローンは13年。ダイターンから数えたら、F91の頃に完済できたのだろうか?


 で、富野監督は自身をお話を作る仕事の反面教師だという。で、ガンダムのようなものを作るのは楽だと言ったけど、勉強しないと手に入れられない部分もあるという。作家的なセンスが必要。


  • 引きこもりには耳の痛い話

 富野監督いわく、作家性というのは、社会性を持つこと。社会人ではなく部屋にこもっている人間でも社会を想像する能力を持っていなくちゃいけない。引きこもりの人(つまりオレ)に一番言いたいことは、徹底的に調査をすること。文献でもネットでもいいからあらゆる範囲のことを調べる。自分が興味を持って好きなものだけでは社会思想は絶対に調べられない。そういう視座を持つと部屋から脱出できるかも。自分の興味にだけ囚われると引きこもりになって地獄を見る。富野監督自身もそういう癖があり、住宅ローンの話というのも言葉の上でのレトリックと言うだけではなく、社会と向き合って接点を持って金勘定する生活者としての視点を持てる。(この話は突き詰めるともっと長くなるので、監督はここで話を切る)


 いや、まあ、言い訳ですが、僕も一応法律の本とか買ってはいる……。軍事や警察の手続きの実務書も仕入れている。神智学の本もいくつか読んでいる。しかし、神話的なネーミングを因縁から切除して借りてるだけのようなネット発のヒット小説やアニメは最近、多いんですよね。


 メカが好きだからメカだけ調べるのはバカなことで、周辺のことも調べる。


 メカと美女、可愛い姉ちゃんとオートバイのイラストをマッチングさせる、一つのものにする異種格闘技が大事。どちらかだけだとつまらない。
 違うものを合わせることで、次の展開ができる。


 一つのゲームにハマるなということ。思考回路の違う物を手に入れるということ。自分の中で違うものを合わせることで他人が思いつかないものを思いつける。クリエイターはそういうものを脳内で統合できる人。30代から40代までは進路変更ができるので頑張ってくださいとのこと。


 うーん。僕もゲームしますけど。アイマスの楽曲だけでメタルから演歌までカバーできるんだが…。グラブルもFGOも逸話のパッチワークと無節操なコラボがすごい。
 でも、FGOでクトゥルフ神話を分かったつもりになるのも格好が悪いので、一応ラブクラフト全集は買っている。でも昔の小説なので科学描写が雑だし、美文ゆえに読みにくい…。うーん。
 あと、僕ももうすぐ40歳になりますが。(あと1年強)職歴はゴミなので。働きたくないなあ。社会はだいたいゴミだということが六本木ヒルズ、京都大学でのホワイトカラーの仕事、その他の様々なアルバイトでのブルーカラーの仕事で、分かった。いくつかの社会階層を観察して、やっぱり僕は人間社会に向いていないということが分かったので、なるべく働きたくない。過労で神経も体質もガタガタなので。ブログの読者から米をもらって、それを大事に取っておいて、普段は16円のうどんを食べる。


  • 細田守監督によるザンボット〜ガンダムのイラストレーションの褒め

 当時はセル画ではなく油絵のイラストレーションでアニメーションのフィルムの外まで想像させるように世界を広げるというのがほとんどなく、ザンボットからガンダムでの安彦良和先生の仕事は新しいものだった、とのリアルタイム世代らしい感動。


 富野監督が補足すると、最近、50代の小説家の人から当時のことを指摘されて、「ガンダムを見た時に、絵のキャラクターが動いているのではなく、人格を持ったキャラクターが動いているように見えるのを初めて見た」と言われた。
 富野監督自身はそこまでガンダムを革新的に作った自覚はなかった。が、それがなぜかと思い返すと、話を要約すると「おもちゃ屋がロボットを動かせと言ったから動くのではなく、アムロの経歴がロボットを動かせる資質だったと設定したので動くという説得力を持たせた」というような感じ。


 アクションとしては、カットが切り替わってすぐに操縦席に座っているのではなく、ガンダムのハッチの上に幌がかぶせてあったということが演出論として効いているし、作画枚数の節約にもなったとのこと。なお、幌をかぶせて移動させるとかは、初めてロボットものでなされたモビルスーツの運用論やスペース・コロニーの環境の描写でもあるとのこと。
第1話 ガンダム大地に立つ!!


 アニメ作家ではない1982年生まれの僕はガンダムの1話は既知のもので、そこまですごいとは思ってないけど、細田守監督はスゴイスゴイと連呼するし、富野監督も自分が天才だと思えた、ということなので、すごいらしい。
 で、そういう40年前のことを思い出せたので、富野監督は自分がボケていないと確認できて嬉しかったとのこと。よかったな。
 評論家の人も気づいていないというすごい演出らしい。うーん。そこまでか?富野作品に慣れているとこれくらいの小技はたくさん出ているので、逆に凄さが気づけないのか?
 まあ、それでガンダムをリアル一辺倒にしたのではなく、リアルな一面を1話で描いたから、あとはおもちゃ屋の要請どおりにガンダムを活躍させてもいいと割り切った、っていう側面でもあるらしい。監督業は色んなことを考えるんだなー。
 まあ、この幌の話はすごいらしいので、新聞でも取り上げられているので、すごいらしい。



 一応長浜ロマンロボットはライディーンからボルテスVまで見たが、マジンガーZの無印は1話くらいしか見てない。衝撃Z編は面白かった。ゲッターは無印は見てない。スパロボFはセガサターンのデータが消えて地獄だった。チェンゲを見たくらい。
 なので、あんまり「ガンダムはそれまでのロボットものと違う」みたいな話はできない。また、ガンダムより前のロボットアニメより、ガンダム以降のロボットアニメのほうが圧倒的に長い歴史を持つので!あんまりガンダムはそれまでのロボットものと違うっていう言い方はしたくないんだよなー。リアルタイム世代の人は感動したんだろうけど。
 まあ、僕はエヴァ世代だし、エヴァンゲリオンも天才女性科学者が息子をパイロットにして、他の進化の可能性を含めた全人類を生贄にして自分を銀河旅行させるという、それまでのロボットものにはなかった設定ですけど、最悪だな…。


  • 人間論

 なので、スペース・コロニー論も含んでいるような、ガンダムに幌をかけるというリアリティのアイディアは、自分が好きなものだけを考えていると出ない。自分の興味だけを突き詰めると蟻地獄に落ちるという。


 人間は二本の足で歩けるのはどういうことか! 移動する性能を持っている!


 二本足で歩けるから兄ちゃんと姉ちゃんが出会える。(ブログ主注、まあ、車椅子でもいいと思うけど)ので、一人で部屋に閉じこもっているのは病。光に向かって外に向かっていこうという話。
(うー。耳が痛い。僕は典型的なモテないピグマリオンコンプレックスで、人様の家の娘さんを自分と関わらせるという苦痛に耐えられずに、女性関係から逃げまくっていたので。一時期痩せていたし私服の学校で衣装道楽をしていたので少しだけ女生徒から好意を向けられたことがあるけど怖かったので。(一家心中を匂わされたり親が自殺するような家庭環境だったので、違う家の人同士が暮らすということに生理的な恐怖感を持っている)他人の家の娘さんは怖いけど、自分の精神を分割した脳内妹は何をしても概念なので絶対的に傷つかないので安心。富野監督は自分を見つめるのは危険だと言ったけど、僕は過労死寸前で昏睡した時に夢で三途の川か辺獄かバイストン・ウェルのクスタンガの丘みたいなところにある教会の懺悔室の前まで行って、神の救いを拒否して死にかけていて、そこに現れた脳内妹に「可愛い私を見るためにもう少し生きてみよう」と誘惑されて生き返ったので。自分を見つめ続けて縮退して事象平面を貫いて”向こう側”へのゲートを開くことも…。三途の川から引っ張り上げてくれるような女は人類にめったにいないので!ここは富野監督とは意見が違っても仕方がないです!恋ですから!ていうか、富野監督だってキエルお嬢様のスカートの中を覗きたいんでしょ!この変態!ド変態!!変態大人!)


 なんでそういうことを富野監督は一生懸命しているのか! 今のデジタル環境がそのような危険性をはらんでいるから。クリックしているだけ、タブレットで絵を描いているだけで気が済むと思う人がいる(カメラ目線する監督)。


 でも、肉筆の絵はタブレットではすまないのよね。と、展示内容に水を向ける。たしかに僕も富野展の肉筆画を評価している。(途中までだが)


nuryouguda.hatenablog.com


 僕は引きこもりの精神障害者だけど、障害者手帳の力で国立美術館や博物館の「本物」をロハで見れる特権階級でもある。ゴッホは貧乏なのでハプスブルク家の手下の絵かきよりも近代なのに画材の劣化が激しいんですけど、やっぱゴッホにはパワーが有るよな。ムンクは割とモチーフに対して理論派。
 富野監督は精神障害者が嫌いかもしれないけど、(僕は思考は明確だ(と自認している)けど自律神経と免疫がゴミでPTSDというタイプ)病気になっても、もらえる福祉はもらっておけばいいのだ。


 で、話を戻すと、富野監督はピカソの絵の伝達能力を褒めて、タブレットでお絵描きしているオタクに対して「お前のきれいな線は同じ機械を使っているやつと似ている」と個性がないことを批判しているのだが……。アニメ監督がそういう事を言うのか。
 アニメの原画や動画の線に個性があるべきなのか、作画監督やキャラクターデザインによって揃えるべきなのか、議論があるよね……。まあ、最終的には演出判断ということになるんでしょうけど……。最近のアニメは割と揃える方向が多いし、G-レコもG-セルフの顔の作画を揃える方向で劇場版修正している。アブノーマルな劇画タッチだったマスク大尉の「ふざけているのかぁ〜〜〜‼‼‼‼」はカットされた。うーん。
 僕はきれいな線を引けるのはアニメーターの最低条件だと思いますけど。サンライズでもデジタル作画アニメーターが増えて、監督もジェネレーションギャップを感じるのかなあ?
 まあ、Gレコはデジタル納品でも、手描きアニメなので。最近は人間キャラクターでも3DCGで統一する流れが多いのよね。美少女アニメでも。美人画というのもまた難しいジャンルですけど、長くなるので黙る。


  • 質問ターイム!

 Q富野監督は富野由悠季の世界展についてどう思ってるの?
 A僕とは関係ない。僕の外のことで僕が有名になったとか調子に乗るとボケるのでそんなことは思わない。


 うわっツンデレ!というかツン!い、いろいろ資料を家の倉庫から引っ張り出してきたりしたはずなのに…。まあ、過去の作品履歴より今やってるGレコの劇場版の興行収入のほうが大事という気持ちはわかるかな。


Q細田守監督はロボットアニメを作りますか?
A細田守監督「僕はF91が好きで、家族の話が好きです(後略)」
 富野監督「こういう風に細田監督は僕とは違う固有のものを持っている人なのでそういう質問をするな」


Q10代、20代の若手クリエイターに期待したいことは?
A富野監督:デジタル化によって技術論として絵とか動画が自由に政策して配信できるところまでいってしまいました。しかし、実を言うとそれは殆どが技術論で、それが本当に自分が描きたいものや企画したものなのか、それはそうではないと思います。全部メーカーの意思に従っているものかもしれない。
 自分の固有のものを出すということをしていかないと、死ぬまでの人生は気持ちのいいものではないでしょう。だからメーカーの言いなりになっているのはちょっと気をつけたほうがいいですよ。


細田監督:時代ごとに新しい人が現れて作品を変えて行くということもありまして。永野護さんや安田朗さんもそうですし、富野監督は若い人と組んで結果を出している。なので、富野監督は常に若い人に期待を持っている方だと思います。


富野監督:そういう意味では若い人には期待をしているんです。でも先ほど話をした技術論のことと比べて。永野護と安田朗のことを考えていただきたい。あの二人の手の持っている違いっていうので、あの二人をそれぞれ選んだんですよ。技術論じゃないんです。
 手に自分のキャラクターなり線を持っている人が結局20年30年生き伸びているというわけで。技術が上手なだけの人は……。
 だから自分が絵が上手いと思っている人が気をつけてほしいことは、自分のキャラクターは自分の右と左にいる人の絵と似てるか似てないか、「絶対に違うよね」っていう確信を持てるものを描くという努力をしていただきたい。同じものを100枚描くのは簡単なんです。
 今はアマチュアの人でも簡単に漫画絵を描けるようになりましたが、それを職業にするのはやめてください。
 (中略)
 面白い漫画っていうのは絵が下手。下手でなければ、癖がある。天才はいるにはいるけど2,3人くらいしかいない。だからワンピースを追うのはやめたほうがいい。
(ブログ主注釈、CLAMPさんやDEATH NOTEとかは分業なのかなー)



(細田守監督の声優にもそういう傾向があるという話を受けて)
富野監督:昔から歌の世界で言われていることです。歌のうまいやつはいくらでもいる。あたるか当たらないかは全然関係ないんだよね。簡単に言っちゃうと個性なんだけど、そう簡単に言ってほしくない。
 自分が可愛いとか上手いとか思っている人はだいたい外れます。


(細田監督の自分が下手だと思っている人のほうが面白いかもしれないという話を受けて)
富野監督:そういう自覚を持っている人のほうが仕事相手として良いパートナーになることがあります。自分に対して自己反省できる自我を育てるということはとても大事なことなんじゃないのかって気がします。

  • 締め

細田守監督「来てよかったですね皆さん。富野作品に惹かれる理由が監督の口から聞けたというのは収穫だなあと。僕は役割を果たせたと思って満足です」


富野監督「年寄りに優しい後輩を持てて嬉しい。自分自身も死ぬまできちんと暮らしていくために、やるべきものを探し続けてきたわけです。そんな時に自分の能力はこんなものなんだから、というのを自己卑下をしてお話したつもりは一切ありません。自分が調べられる程度のことは調べてやる。そういうことを気をつけてやってきたよ。海のトリトンの時に児童文学を書く入門書を読んだ覚えがあります。その中の一言が僕の経典になっています。子どもは大人が全身全霊で教えようとしたことは、何なんだろうとずっと考えてくれる。だから、子供に向けて作るものは全身全霊で作る。大人向けに作るものは両方でつべこべ理由を言ってくれるから、どう書いてもかまわない。子供向けに書くのは、優しく手抜きで書くのかと思っていたが、それは子どもに嘘をついていると舐められる。なので海のトリトン以降はそれを気をつける。だから、子育ては親育てなのです(以降、独身には耳の痛い話)」


  • 総観

 「自分程度に個性があると思うな!」と言うのがこれまでの富野監督の言葉で多かったが、デジタル化に際して、個性がないと生き残れないということを言う。うーん。どうなんでしょう。まあ、中途半端な才能に厳しいというのは一貫していますが。YouTuberやライバーに関する気持ちもあるだろう。
 コツコツ調べてやるのが大事という話もあったが、なかなか努力で永野護や安田朗のレベルの個性を手に入れるのは難しい。(そして、おふたりとも今でも画力の研鑽に努めている)


 引きこもり論や子育て論については、まあ、色々と価値観の相違はありますけど、僕は向いてないのでパス。


 しかし、まあ、表層的には今まで言ってきたことと違う面もあるけど、芯の部分は富野監督らしいかな、という感じはしました。


 また、Gレコが全体主義とか金融資本主義への批判とか、テーゼみたいな事を言っていたけど、ガンダムの思想を「ダイターン3に比べるともっともらしい理屈で、逃げ」と言うのは、うわっって思った。そういう面もあるのか…。まあ、富野ガンダムのフォロワーのガンダムで思想的にこじれているやつとかあるし、劇レコの作業中でもあるので、キングゲイナーの時のように活劇への志向が出たのか。


 なかなか本物の才能を手にして、それをうまく使ってヒットさせるのは難しいことなんだなあ。
 しかし、10年前は確実に細田守監督はヒットメーカーで仮想敵だったはずなんですが、新海誠監督が大ヒットを連続させていて、今回は富野監督が細田守監督に嫉妬心を出すこともなく、細田監督も受け手や進行役に徹するという感じで。お互い丸くなったのかなあと思った。細田守監督が家族にこだわっているというのは、まあ、そうなんだろうなあと再確認した感じ。
 現在バカ売れしている鬼滅の刃のワニ先生については「絵が下手だから面白い」という言及か。その因果関係はちょっとよくわからないんですけどね。


 こういうふうに1時間程度のインタビュー動画を見ただけで日付を超えてしまうのは良くないかもしれないのだが、まあ、オタクなので・・・。備忘録?
 精度の低い文字起こしをしつつ、自分の感想を加えることで監督の話を咀嚼する、みたいな。動画は無料配信されているし、やらなくてもいいんだけど、やっぱり監督の話を噛み砕きたいので、書いてしまう。それがブロガー。


  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z


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