まあ、Angel Beats!とかの話でもあるし、この間のNHK日曜美術館でのレンピッカの話でもあるんだが、定期的に批評の中の批判は無意味だと思う。
定期的に。
日曜美術館でゲストの美輪明宏は「批評家は作家に成れなかった人がなるから、批判には嫉みがあるのよ」とか言ってた。
まあ、美輪明宏さんの話も「私はぶれない」と言いながら「時代を読め」のちょっと後にに「時代におもねるな」って言ってるから、まー完璧な数学理論ではないし、僕はたまに男装した美輪明宏の方がパワフルに見えていいなー、ってぼんやり思うだけだが。
いや、美輪明宏の話じゃないんだよ。
それに、美輪明宏は美輪明宏に成れたけど、三島由紀夫賞アズマンには成れなかったという物理的事実もある。もちろん逆もしかり。
- 作者: 白川正芳
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逆に、面白い部分は「なんだかよくわからないけど、こうふんした」って頭の悪い文になりがち。 ブロガーなんてその程度よ。
他人の欠点は目につきやすいってえだけかも知れないが。出来の悪い、レベルの低い部分にツッコミを入れられるのは、僕がその程度だからだろう。
そして、観客が「なんだかわからないが、こうふんした」ってえ部分こそが作り手の技が込められている本質であり、僕がわからないのは僕がその程度だからだろう。
しかし、「なんだかわからないが、こうふんした」という喜びが無ければ、誰が生きてなどいられるものかよ!
だから、わからんなりにこういう事をしてるのね。たまにわかると、さらに興奮するし。
キングゲイナーの明るさの裏の寓意を僕の妄想で結びつけられた時は興奮した。
ま、作り手はそれは意図的かもしれないし、どうでもいいかもしれないし、偶然やっちゃっただけかもしれない。それはそうでも、楽しい気分だとは思いたいし、そのような感想を書きたい。
何しろ、君達にはこれから死んでもらうわけだが、その時は君達も楽しい思い出が多い方がいいだろ?
とある批評家も「経験上、批判の粗探しで盛り上がったジャンルはない」と言う。
しかし、前述の「私のレベルの低さ」という理由により、悪い点を九割書いた後、「でも、なんとなくたのしかったでふ」とゆう頭が悪いばかりか感想対象の印象も悪くなりそうなブログになってしまいがちで、「どーもすんませんねぇ」とヘラヘラ笑うしかない。
あまりにも酷い書き方の時は、たまに半分くらい削除するけど、だいたいグダグダです。真面目にやりたくないでござる!