玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

出崎統版あしたのジョー第1話〜22話後半

作画の話から脚本の話へ。
あしたのジョーの前半のチーフライター山崎忠昭さんと雪室俊一サザエさん)さん。

仕事への拘りが強く、意見があわない仕事仲間と衝突するのはしばしばだった。『あしたのジョー』では、脚本を勝手に変えるチーフ・ディレクターの出粼統に苦々しい思いをしていたという。また、人形劇『ネコジャラ市の11人』では、共同脚本の井上ひさし山元護久と意見があわず、途中降板している。
山崎忠昭 - Wikipedia

アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第10回 アニメライターの死
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山崎忠昭さん。ぼくとは『ハリスの旋風』以来の付き合いで、ずいぶんコンビで仕事をした。お互い映画育ちということもあってウマが合った。どちらもガンコだったので、あの2人を組ませると、うるささが二乗になってかなわんとプロデューサーに嘆かれたこともある。
身寄りのない彼の葬儀を取り仕切ったのは福祉事務所だった。

アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第13回 VS・原作者
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まず最初に心がけているのは、心地よいリズムの語り口である。ぼくが直しをきらうのは、直すことによってこのリズムがくずれてしまうからだ。アメリカ映画が世界中で人気を集めているのは、語り口がうまくて分かりやすいからだと思う。
 その点、最近の邦画(アニメを除く)を見ていると、このリズムを心得てない監督が多い。まるで音痴の歌を聞いているようなもどかしさを感じて、見ていてイライラさせられる。せっかくの素晴らしいテーマなのに、語り口のまずさで損をしている作品が多い。
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初監督作品からこれだよ……。出崎統ったら、本当に原作レイプであり、現場でも大暴れでしたね・・・。ゼロ年代に入ってもハム太郎美少女ゲームのKEYやあさきゆめみしというビッグタイトルに喧嘩を売りまくってたからなあ。最初から晩年までクライマックスすぎる。アンデルセン童話を改変しまくった雪の女王もかなりすごいよ。アンデルセンが死んでたからまだ良かったけど。まんが世界昔ばなしとか。
ベルサイユのばらは降板させられた長浜忠夫のリリーフ登板だが、それでもやっぱり怒られた。
でも、あしたのジョーの場合、既に原作の時点で、梶原一騎ちばてつやの間で相互改変が行われて既に揉めていたし、アニメになっても、出崎統だけがことさらに原作者に怒られたわけではないようだ。
むしろ梶原、ちば両先生に「第三の原作者としてジョーの世界を豊かにしてくれた」と言われたそうだ。(ここら辺は島本和彦のマンガチックにいこう!を参照した )
それに、出崎統だけが大暴れをしていたわけではなく、雪室さんも山崎さんも、多分撮影所の人も、途中から入った富野喜幸たち演出家も、みんな自らの才能を誇示して生き残りをかけようとして戦う、仮面ライダーバトルをしながら共同作業をするという物凄い戦国時代のような世界だったと思う。(あしたのジョーロマンアルバムかなにかを読んだ人によると、スタッフの顔写真がほとんどヤクザだったらしい)雪室さんの最近のサザエさんも色々すごいぞ。
だから、出崎統だけが悪いわけじゃないよね。いちおう作品に対して責任を負うのが監督ですけど。(興業に対して責任を取るのはプロデューサー)


ちなみに、wikiによると、あしたのジョー(1stTV)の脚本家は35話までは雪室、山崎コンビでしたけど、多分何かの事情で36〜39まで脚本家が不明らしい。40話で雪室、山崎コンビは降板。その後、色々な人が入る。
演出的には崎枕に次いで23話から途中参加の富野喜幸が多くなる感じ。たぶん、このころの富野は絵コンテが早い事がとりえだったので、グダグダに成りかけた制作現場では便利アイテムだったんだと思う。波多正美さんと斎藤博さんは演出で序盤から終盤までかかわってる。


視聴率の話をすると、初回が14%で、22話の崎枕回は初めてあしたのジョーが20%越えをした回で、次回の富野回では20.8%、その次の石黒昇回で22.6%と上がる。
最高視聴率は第29話 1970年10月14日 明日への挑戦 脚本:山崎忠昭 作画監督杉野昭夫 絵コンテ:たぶん出崎統だけど不明 演出:富野喜幸 29.2%。です。ジョーがプロボクサーに成れるかどうかわからんてきなドキドキする話。
富野すげー!と、富野ファンとしては思いますけど、富野回以外も面白いので、やっぱり色々です。皆切磋琢磨です。
で、力石が死んだら視聴率下がるー。しゃーねーな。


内容については、この一言に尽きる。
えっと、まず、流れ物で才能のある主人公のジョーがふらりとドヤ街に立ち寄る所から始まる。
で、アル中の屑野郎の拳キチ(拳闘キチガイ)の丹下段平が居酒屋から叩きだされた所を、行きずりのジョーにすがりついて「酒代貸してくれよ」と絡んでジョーにボコられて「おめえ、いいパンチしてるじゃねえか」って惚れられる。
まず、初期ヒロインは丹下段平親父です。
ここ、大事です。最近の若いアニメファンは、とりあえずストライクウィッチーズに置き換えて覚えておきましょう。
潜在能力が高いが自分の才能に気付いていない若手主人公=矢吹丈宮藤芳佳
ベテランで厳しいが、主人公にベタぼれの片目のスカウト兼コーチ=丹下段平坂本美緒

完全に一致!


この後、ドヤ街のチビのサチがやくざに絡まれてるのをジョーが助けます。サチはジョーに惚れます。ロリヒロイン補充。
ジョーは貧乏人やチビに寄付をして調子こいてる白木葉子お嬢さまに対して詐欺事件を働きます。白木葉子お嬢さまはそれに対して、暴力を持たない女の身でありながら、金の力やコネの力で真っ向からジョーを(物語の最後まで)たたきつぶそうと関わりを持ち、少年院への裁判に来たり、いちいちジョーをイラつかせます。で、ものすごく長い期間を経て告白します。謎クール超ツンデレヒロイン補充。
鑑別所では、暴力的なボスザル西が登場します。ジョーの口に雑巾をねじ込んで殴ったり、床に押さえつけたジョーの腹に部下を飛び降りさせるようなリンチを行います。ですが、ジョーにボコられたら舎弟になります。ツンデレです。少年院の先輩たち対してはおびえてしまって、ギャップ萌えです。あと、陰からジョーを助ける脇役友人的ヒロインです。ブサイクだけど。
(しかし、野菊島特高少年院って西に言わせると「殺人も何とも思わない奴がいる場所」らしいがガイコツは「風呂屋の息子の癖に覗きをして収監された」で、ガイコツは多額の詐欺事件と暴力沙汰と公務執行妨害と脱走をしたジョーが入る前からいて、ジョーが出所してからもまだ少年院にいる。どんだけ悪質な覗きだよ、ガイコツ。萬画だから言わないだけで、レイプかなあ?)


で、ジョーが少年院に送られると、ジョーはやけくそになって初期ヒロインの段平からの通信教育「あしたのために」手紙も無視するし、他のヒロインとも引き離されます。少年院では揉め事ばかり起こして、無駄に脱走をしようとして荒みます。そんな心の隙間に、力石徹というスーパーヒロインが豚パンチとかで鮮烈に火をつけます。萌える!
で、力石に恋をしたジョーは力石をぶちのめすために、段平のボクシング指導を受ける事にします。そしたら、初期ヒロインの段平はちょっと無視された反動で少年院まで行きます。ベタ惚れです。白木葉子も段平やチビ達を連れて少年院に行くために、慰問劇団という体裁を整えて行きます。
でも、ノートルダムのせむし男という演目で、丹下段平を鞭で打ったり自分の美しさや正しさを無意識的にひけらかす白木葉子に対して、ジョーが切れます。ジョーが葉子にキレた事に対して、葉子を好きな力石も切れます。暴れるジョーにサチもキレます。西は慌てます。修羅場です。ハーレムです。萌え萌えです。
で、ジョーと力石が、段平と葉子とのセッティングでボクシング対決をして、あしたのためのその3、クロスカウンターによるダブルノックダウンでジョーと力石は白いマットの子守唄で二人で仲良く眠り、深い仲になります。萌えの山場を迎えます。
ここら辺まででだいたい1クール。


で、ジョーと力石が少年院にボクシングブームを作りだして、少年院の収容生が全員で参加して、白木葉子のお爺様の白木幹之介氏が主宰し、丹下段平が少年院全体のボクシングコーチとして指導するボクシング大会編になります。
ここで、丹下はジョーを成長させるために、ひ弱だけどやる気と根性はあった青山という少年の専属コーチとなり、敢えてジョーを無視します。
今までジョーにベタ惚れで、ジョーが詐欺事件をしている間にジョーのために働いたり、警察に取り囲まれてジョーが機動隊にボコボコにされそうになった時に、一人で乗り込んでジョーをボコボコにして逮捕して警官からある意味救うほどの恋愛力を見せたのに、豹変し自分を無視するおっつぁんに、ジョーは戸惑います。寝とられ展開です。NTRです。萌え萌えです。
逆におっつぁんの愛のありがたみを実感します。
こう、一つのヒロインと疎遠になったら、そのタイミングで新しいヒロインや違う萌え展開が次々と畳みかけられてくるのて、とても萌えます。喧嘩萬画なんですが。むしろ萌えやラブコメはバトルマンガの系譜なんだよ!なんだってー!
たしかに肌の綺麗そうな女の子はちょっとしか出ない。ほとんどが角ばったオッサンだ。だけど、絵柄よりも、志や構成として、萌えなんですよ!あしたのジョーは!
セックスってのは、戦争なんだぜ!30億年前から有性生殖生物の戦いは食うこととセックスする事に他ならない普遍性を持っているのだ!
だから、出崎統が今後少女スポーツ萬画エースをねらえ!を経て少女萬画のおにいさまへ・・・へ進み、21世紀に美少女恋愛シミュレーションゲーム原作のゲームAIRCLANNADを歴任する事は決して突飛な事ではないのではない。と、今回ジョーを見直して思った。


青山編は意外に長く、16話から20話まであります。その間に、ひ弱だった青山も強くなって、自分より大きな収容生をボコボコにして、ちょっと調子こいたりします。西とは逆に強くなるギャップ萌えです。
また、ジョーの超人的な強さに憧れつつも手の届かない一般的な少年視聴者にとって、弱い青山は自分に近い感覚を抱かせるキャラクターですね。そんな青山がだんだん強くなって、ジョーに対する壁になっていったり、他の選手を冷酷に倒すシリアルキラーになっていく変化を通じて、強さに対するあこがれの危険さを少年たちに教えます。上手い構成です。強くて乱暴なジョーよりも判官びいきで青山を応援しているつもりが、いつのまにか青山が怖いボクサーになっていくと、視聴者は戸惑うので、その戸惑いを利用してジョーへの応援に視聴者の気持ちを誘導します。上手い。
最後には、ジョーが正々堂々と青山の強さを認めたうえで新たな防御技を身につけて勝って、段平が「青山君を指導してジョーを無視したのは、ジョーに防御技を教えるために、防御が得意な青山君を利用しただけなんだ」って泣いて詫びて告白します。
和解萌え。
ていうか、明日のためにその4が手首の返しで、青山戦でジョーが身に付けた、その6辺りまではスウェイバックやガードなのだ。最初、「相手に無視されたりしても怒らないで冷静に戦う事をジョーに教える」ってのがおっつぁんの目論見かと思っていたら、普通に防御技だったと言う!まあ、ジョーは出所してからもすぐにキレるし、精神的な成長はまだまだ先でした。しかも、この後のプロテストの筆記試験でも、防御技の事は完ぺきに忘れてました。全部勘です。おいおい・・・。
ちなみに、リング上で怒るのが良くないと反省したのは、力石の方でした。最初にジョーとダブルKOして力石が倒れたのは、葉子をジョーが侮辱した事に対する怒りがあったからだ、と力石は反省して、勝手に成長しました。すげえぜ。力石さん。力石さんもキレて暴力事件を起こして少年院ですからね。力石さんはジョーより先に一回り大きな社会人になりました。さすがです。


また、ジョーを段平が無視して青山を鍛えている期間の間、驚く役は西が、冷静にボクシングを分析する役は白木幹ノ介が、男らしい説得力のある解説をする役は力石、という風に分散して解説してるのも、上手いなー。梶原先生上手い。
原作もちゃんと読むべし。読んでない。漫喫か。

  • ジョーのあしたは何だ?

物凄く謎だったけど、
自由でしょう。
これは、ジョーがそれまで徹底的に拳で自分の自由を勝ち取ってきたと自分で言ってる。
しかし、それだけではボクシングをする理由にはならない。
ジョーは、孤児院を脱走して生活してきたとは思えないほど、頭がいい。ちょっと手先は不器用だが、詐欺事件の鮮やかさや、講談調でペラペラとカッコ良く喋ったり、意外と文化的水準が高そうなのだ。
しかも、腕が立つ。
腕が立つ上に、相手の腹を建てさせたりという話術にも長けている。つまり、心理的に人を怒らせたり操る才能もある。わざと心理学鑑定の心証を悪くするような事をすらすらという。これはやはり知能の高さだ。
クレヨンしんちゃんの野原しんのすけは悪ガキだが、しんちゃんのギャグや皮肉はかなりの知識や知能が無くてはできない。マンガだけどね)
だから、ジョーはずっと詐欺師とかヤクザとして生きていたら自由に生きられたともいえる。
だが、明確にやくざのスカウトを断ってボクシングする。
それはジョーが本当に自由を勝ち取ろうとするからだ。ヤクザはヤクザの流儀や決まりやシノギがある。また、ジョーは弱きを助け強きをくじきたがるので、ヤクザっぽい思考にはなりたくない。
つまり、ジョーの自由とは、行動の自由よりも思想の自由です。手段を選ばず贅沢をしたりというヤクザの自由ではなく、「やりたいと思った事をやりたい時にやる内心と一致した行動の自由」が大事。
だから、「力石に勝つ」というよりも「力石のせいで負けたと思うのが嫌」とか「力石のせいで自分がやろうとした事を曲げられたのが嫌」という精神的なしこりの方が重要。力石に脱走を阻まれたという客観的事実より、力石が自分に干渉したって言う主観的印象の方がムカつく。
これは、白木葉子に対する怒りも同じ。寄付して相手の心に「葉子さんはいい人」というイメージを勝手に押し付ける、内心への干渉が許せんのだ。
だから、ジョーは力石徹白木葉子にひたすら突っかかる。
あと、ジョーをちょっとイラつかせる奴はとりあえず殴る。
おっつぁんですら、ジョーの意に沿わない事をしたら殴り合いになる。おっつぁんが階段から落ちてガラスに頭をぶつけて動かなくなるまで殴る。
まあ、力石と葉子とおっつぁんはメインキャラだからいいんだけど、見ず知らずの相手を出所してからも殴りまくるのは、ちょっと引いた。


で、ずっと先の話だが、ホセ・メンドーサに対する微笑みも、結局は客観的事実よりも内心の自由の満足でしょうね。
それって、人間が魂と自我を持っているのなら、最高の幸せの追求かもしれん。
そして、あしたのジョー2で言及があったけど、自由に可能性を持つって言う事は「あの向こうに何があるか行ってみたい」と思い続けることでもある。
だから、ジョーの重視する内心の自由は、可能性の幅を狭める物への反抗なのだ。(アムロ・レイがザビ家をニュータイプの可能性を阻むものとして拒否したいとホワイトベースの仲間に語った感じ)
だから、ジョーは「俺の行動を阻害して可能性を狭めた力石をぶちのめす」ってなる。
だが、その態度は「可能性を保留し続ける子供で居続けたい」という願望でもある。ここら辺はあしたのジョーが少年向け萬画を徹底した部分だと言えるかも知れん。が、後半になると、「ジョーが自分の可能性を追及して戦うと、負かしたボクサーの可能性を奪ってきた業」という拭いきれない物が振り積もり取りつかれ、可能性が狭まってしまう展開になり、それはハード。
それが大人になると言うことだろうか。因果応報。
だが、因果に対して戦い続けると言う事も、また人なのだ!

  • 葉子・・・その謎

私は、白木葉子はジョーの半身で裏側だと思う。
白木葉子もジョーと同じく自由を追求する女だ。と、思う。
そもそも、金もある割に、特に何かに縛られたり学校に行っている描写もなく、(3クール目から登場するのりちゃんですら高校生なのに!)自由奔放に寄付したり、演劇したり慰問したりボクシングに顔を突っ込んだり。何にも縛られてない。家の業とか、結婚とかの臭いもない。教育は家庭教師か?
とにかく謎。生活が。
でも、すごく達観して、常に勝者の風格を漂わせている。
これがまた、ジョーをムカつかせるわけだ。ジョーが手に入れたがる自由を最初から持っていて、あまつさえ人に与えるような女だからだ。葉子は自由だ。
だが、同時に白木葉子は女であると言うハンディキャップを持っている。
これは男女の腕力差といった単純な問題だけの話ではないのだが。葉子はジョーや力石のように自分で殴り合いをすることはできない。財力も祖父から譲られたものだ。商才を発揮したり、寄付したりイベントをプロモートする能力はあるが、結局イベントを実行し試合をして、寄付された金を生かすのはジョーや他人たちだ。っていうのが、このマンガの世界観ですね。
だから、葉子は「自由でありながら、自由を求めて勝ち取る事が出来ない、空っぽで疎外された存在」という、ものすごいめんどくさい条件の立場なのだ。ジョーは「あらゆる自由をもともと持っていないけど、だからこそ勝ち取る”あした”のために戦う事が出来る」という人。
それで、葉子はジョーと同じく「自由」に重きを置く立場でありながら、その「自由」を中心にジョーの裏に立ち続けるしかない存在となる。
だからこそ、ジョーを見ると葉子は自分が空っぽの人間であるように思い、ジョーにもそれを指摘され、それを埋めようとまたジョーや力石に間接的、直接的に関わって、ドツボにハマっていく。
ジョーが葉子に怒りを覚えてしまうのと、同じなのだ。ジョー2でジョー自身が「何で俺たちは、いつも会うたびにこうなっちまうんだろうな・・・」と言っている。
それは、二人が本質的に同じだが、決定的な所で逆で裏の存在だから、同族嫌悪と同時に、自分で自分の顔を見れないような、すれ違いを起こす関係だからだろう。
これは、源氏物語千年紀GENJIの光源氏と紫の君(あるいは藤壺)でも繰り返された、「自分を軽く空っぽだと思いながらも自分の意思を通して進む者は、自分と同じ業を持った者に対する時、自分と同じように無意識にぞんざいに扱って傷つけあってしまう」という構図で、出崎統的だなあと思う。
ベルサイユのばらのオスカルとアンドレ、おにいさまへ・・・の宮様とサンジュスト様、CLANNAD岡崎朋也古河渚など、原作つきでありながら、そういう同じ属性を反転させた陰陽を補完しつつ互いにすれ違うって構図は出崎統作品に多い。
このテーゼに関しては、突き詰めたらややこしいし、眠れなくなるので、ここで書くのを辞める。


次回は、火曜日から一週間ほどインターネットとテレビのない生活になるので、月曜日中に23話〜35話の3クール目を、乱入してきた富野喜幸を軸に書きたいのだが、さて?
(眠い)

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