玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

輪るピングドラム第17話「許されざる者」を決める口実。言葉が兵器

だるい。最近だるい。気圧が低い。
ていうか、前回とか、はてなブックマークで「長いけど読みやすい感想」とかファビュラスマックスに褒められていい気になっていたけど、だからと言って、僕が読者の期待に責任感を感じてファビュラスな感想を書こうとして頑張りすぎる義理はないんだよね。前回の苹果と晶馬の対話の解釈も、他の人の意見を聞くと、自分では結構間違ってると思ったし。(「ストーカー宣言をするストーカーはいない=苹果ちゃんはストーカーじゃなくなって良い子」という反論に納得した)
というわけで、やっぱり自分の書きたい事を簡潔に述べるにとどめる。

  • 総評

今回は、各キャラの過去や目的が明かされて、次回の山内重保演出西位輝美作画監督のアクション(オトナアニメディア予告)までの繋ぎの回って感じでしたね。
ただ、17話を見るとこれまでの無茶苦茶なコンテンツが「主要キャラが知り合いになるための段取り」だと明かされるのでびっくりするよね。段取りにしては、今までのアクションとかイリュージョンが面白すぎた・・・。単に設定をなぞるだけのアニメではなく、娯楽になってる。

  • 言葉の暴力性

もう、今回はこれに尽きる。
というわけで、今回はあんまり画像キャプチャーをしない。


このシーンって、映像的には何をやってるか全然意味不明だしね。キャプっても。
むしろ、言葉の暴力による戦いであった。

  • ゆりと真砂子の言葉の戦い

「素敵な歌声をありがとう。少し、ピッチがずれていたようだけど」(真砂子)
「私のピッチはいつも正しいの」(ゆり)
「そう思うのはあなただけ。正義はわたくしに在る」(真砂子)


「生娘が、なぜ自分の世界を変革できないかご存じ?生娘のあなたはその若さが世間に消費される事を恐れているのよ。だから、世界の半分しか見えない」(ゆり)

「賞味期限が切れたあなたは、もう、人生をディスカウントするしか生きるすべがない」(真砂子)

「あなた自身が自分を信じない限り、あなたの人生は消費されるだけ」(ゆり)

「あなたの人生は既に消費されたわ!」(真砂子)

と、歌唱力に定評のある堀江由衣さんと能登麻美子さんの言い合い。
この場面、彼女達戦っている。だが、それは口論である。時籠ゆりは自動装てんのクロスボウガン、夏芽真砂子は記憶を吹っ飛ばすペンギンマークのボールをガトリング砲で連射して相手にぶつけているが、直接的に何かが破壊されたり、彼女達が怪我をしたりと言った戦いによって発生する暴力は描かれていない。
代わりに、台詞に合わせて、地下駐車場の電光掲示板が次々に消えて行っている。
これ、対戦格闘ゲームのヒットポイントのゲージが減っていくような仮想的なダメージ表現だという事ね。だから、彼女達は肉体的にダメージを受けているのではなく、バーチャルにダメージを受けているという事。ペンギンボールはともかく、本当に矢が真砂子に刺さって大怪我をするとか、そういう事は重要では無いみたい。精神攻撃が基本。
女の子達が危険な銃器を振り回しても、全然怪我をしないで戦うのが、戦闘美少女アニメらしいと思いました。ここら辺は、セーラームーンからプリキュアに続く、戦闘美少女アニメの潮流ですね。セーラームーンとかも、飛んだり殴ったり撃ち合ったりしたけど、リアルに骨が折れたりという事はなく、ダメージは「バーチャルな光で作られたセーラー戦闘服の破れ」で表現されてるし、必殺技も「心の光」だったからね。幾原監督らしいね。(ウテナは見てないけど、フェンシングの剣で決闘しても、リアルに内臓をえぐって殺したりとか、そういう話ではないと思う)


(戦闘美少女の元祖であるキューティーハニーは、元々がアンドロイドだから、傷つく体とはちょっと違うかな)綾波レイは傷ついた少女だったけど、よく見たら人間じゃなかった。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの式波・アスカ・ラングレーが人間らしく傷を負って戦うのは楽しみですね。あとワンピースの女性キャラとか。最近は禁書の人も男女平等パンチですね。まあ、それは今回の話とはあまり関係ない。)


リアルな戦闘と見せかけて、精神攻撃がメインというのは、ガンダムやイデやオーラ力の富野由悠季作品でもよくあることである。

 アムロとの戦闘中に、シャアが気になるセリフを2度言っている。「パワーダウンだと!?」「サーベルのパワーが負けている!?」だ。
 つまり、徐々にサザビーのパワーが落ちてゆき、遂にνガンダムに負けたわけだ。これについて「逆襲のシャアの友の会」の取材で、『美少女戦士セーラームーン』シリーズ等で知られる幾原邦彦が、口論とモビルスーツのパワーダウンを関連づけて話していた。
つまり、口論をやった挙げ句に、疲れてしまい、そこでモビルスーツがパワーダウンしてしまうのが面白いという話だった。それは興味深い考え方だったし、改めて『逆襲のシャア』を観直すと、色々と納得できる。
WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第466回 サザビーVSνガンダム

口げんかがリアルな戦闘に置き換えられるという幾原監督の感性は、最新作の輪るピングドラムの最新話でも健在ですね。
ちなみに、小説版では口論はそのままあるけど、戦闘シーンはカットされている。まあ、あの止め絵の連続によるガトリング砲とクロスボウの撃ち合いとか、温泉ワクワク大決戦は文章で描いても意味が分からんからなー。アニメでも意味がかなりアレだったし。


(↑見た目だけでは意味分からん)
つまり、真砂子はサザビーで、ゆりはガンダム。色とか。いや、どっちでも良いけど。
とりあえず、口論ね。

  • 武器になる言葉とは

では、ここで考察を一歩深めて見よう。
輪るピングドラムでは「みんなが世界を主観的にとらえていて、その勝手な思い込みを押し付け合ったり逃げたりするけど、基本的に交わらないイマジナリーに過ぎない」という各個人のエゴイズムが描かれている。
これは、前回の真砂子の妄想シーンや、15話のゆりの主観的な過去の回想や14話の嘘つき姫や、9話の幻想世界や、4話等の苹果のミュージカル妄想や、クリスタルワールドのイリュージョンや、ピクトグラムの表現などで、視聴者に何度も示されてきたと思う。
では、である。「他人がみんな価値観が違う場合、何が精神を傷つけられる言葉だろう?」
そうすると、「自分が傷つく言葉を相手に向けて言えばいい」となる。
みんな価値観が違うし、他人の価値観は分からないという状態で、一番人を傷つけることができそうな確率の高い言葉は、「自分が傷つく言葉」だ。
少なくとも、自分が傷つくかどうかは分かるからね。自分が言われて嫌だなーと思う事を、相手に言うと良い。というか、みんなの価値観が違う世界だと、「この言葉は悪口だぞ」と認識する人にとって、その言葉は「傷つくこと」なのだ。だから、真砂子とゆりは自分の傷をえぐる言葉を使って相手を傷つけようと不毛な尽力をする。
(それが不毛だから、彼女達の2回の戦いは決着がつかず、バーチャルなダメージしか負わせられないのかもしれない)

「素敵な歌声をありがとう。少し、ピッチがずれていたようだけど」(真砂子)
「私のピッチはいつも正しいの」(ゆり)
「そう思うのはあなただけ。正義はわたくしに在る」(真砂子)

↑二人ともピッチ=世の中への見方がずれているという傷つけあい。
(僕は能登麻美子さん(ロサ・ギガンティア)の歌は素晴らしいと思っています!)


彼女達の相手に対する悪口を、自分に対する言葉に置き換えてみよう。

「(男を知らない)生娘が、なぜ自分の世界を変革できないかご存じ?生娘のあなたはその若さが世間に消費される事を恐れているのよ。だから、世界の半分しか見えない」(ゆり)

「(父に体を犯された)私は、世界を変革された!汚れてしまった私を見てくれる人は世間にはいないのよ!でも、男にも女にも犯された私は世界の両方が見えているの!」(レズ特有の思想)


「賞味期限が切れたあなたは、もう、人生をディスカウントするしか生きるすべがない」(真砂子)

「わたくしの賞味期限が切れる前に、わたくしは自分の人生の相場をつり上げて生きなければならない」(宮台真司的女子高生理論)


「あなた自身が自分を信じない限り、あなたの人生は消費されるだけ」(ゆり)

「私は自分しか信じないから、私の人生は誰にも消費させないのよ!」(誰も私を求めないのよ!)


「あなたの人生は既に消費されたわ!」(真砂子)

「わたくしの人生は大衆ではなく、運命の相手の冠葉に捧げるためにとっておくのよ!」(一途処女特有の貞操観念)

ちょっと変換が無理矢理かもしれないけど、でも、相手に対する悪口によって、逆に悪口を言っている人の性格が明らかになるのは面白いですね。
小説版にも書いてあったけど、この日記を分けあった二人は似た者同士かもしれないですね。星野リリィ先生も「キャラが被った」って言ってたし。

15話で、真砂子がゆりに言った「彼ら(芸能人)は愛に飢えている。幼い頃に"あなたは必要だって言われたこと"がないんです。だから大人になって自分の生い立ちに復讐しようと躍起になる、"あなたじゃなくっちゃダメなの"そんな言葉をいつも求めている」という言葉も、父や冠葉に必要とされた一言のためだけに生きてる真砂子だからこそ思いつく悪口だったと思う。
口論は互いに傷つけあう言葉でないと相手を傷つけられないのだ。


しかし、真砂子は「ゆりよりはハードボイルドな感じ」というオーダーが幾原監督からあったらしい。処女はハードボイルドなのだ!
ゆりは寂しさを埋めるために結城翼とか色んなおんなたちとつまらないレズセックスをして自分をごまかして、多蕗とも偽装結婚しちゃってるから、真砂子よりは一徹さが足りないのかもしれないね。真砂子は呪われた血筋の二代目社長で美少女戦士でストーカーで世界の間違いを正す者の候補だからな。
もちろん「甘く見てはいけない女優」の時籠ゆりは、女優らしく「娘役や、スター女優や多蕗の妻や、苹果の友達など、色んな立場に変身する」という掴みどころのなさが真砂子には無い強みなのかもしれんが。


追記:ゆりは真砂子と似た者同士であるから、処女だった頃の自分の臭いを真砂子に見て、故に真砂子が処女と看破したのである。レズ特有の共感覚でもある。

  • メタ台詞の話題性が破壊力を増す

能登麻美子さんに歌の事で堀江由衣さんが悪口を言うとか、メタだわー。それ、声優いじりじゃないっすか!ドラゴンクライシス!ほっちゃんの歌、良かったよね。
あと、女子高生の人生が世間に消費されるとか、シロクマ先生とか斉藤環先生とか宮台真司先生とか東浩紀先生とか宇野常寛先生とかが評論書やインターネットや社会学で言っているような言葉じゃないですか!
「生娘は世界を変革できない」って、少女革命ウテナの自己パロディじゃないですか!

「人間の世界では真実は必ずしも本当の事じゃない。
人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。
人間は真実が口実になれば人だって殺せるんだ。」

「戦争、戦争だよ。もうすぐ戦争が始まる。」

って、今話題絶好調のハックルさんの

なぜぼくの悪いところだけを取りあげて良いところを見ようとしないの?
カエサルは「人間は自分が見たいと思う現実しか見ない」と言ったけどそれについてどう思うの?
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671

っていう時事ネタじゃないですか!!!
「真摯」だなーwww



あと、「きっと何物にもなれないお前たちに告げる!」って言うのも、オタク煽りとしてかなり大きかったですね。放送前のCMが視聴者に向けて「きっと何物にもなれないお前たちに告げる」と言っているようだったし、確信犯だね。
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http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/5028

40歳が「何者かになりたい」と欲求すること - シロクマの屑籠
「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言
平民金子のインタビュー(113件) - 「先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限 ...」 - ザ・インタビューズ
とか、「きっと何物にもなれないお前たち」=「自己実現できていないおたくたち」というに読み替えていたオタク達やブロガー達がインターネッツに多かった。でも、作品の中では普通に高倉兄妹が「犯罪者の子供」というレッテルを持っているから何者にもなれないんだ、というストーリー上の話でしたね。でも、また後半に意味が変わるかもしれないね。なんでプリクリが「きっと何物にもなれない」と言う兄妹の心を分かったのか、という謎もある。


で、古参のウテナオタクからは、そんなに暗喩としては受け止めてられていなかったっぽいけど。
インターネッツ少女革命ウテナの枝織好きとして有名な伊藤ベクさん等も

「きっと何物にもなれない」って、比喩じゃなくて、そのままの意味でしかないと思う。
(URL失念うろ覚え)

って言ってた。カレドニアガラスさんも。

「世界の殻を破壊せよ!」っていう台詞はまだなんか推奨の意味合いとか本人の意思を尊重してたり期待の余地が入り混じってる感じするけど「きっと何者にもなれない、お前達に告げる」っていう台詞はお前ら全然自分で気付いてくれないから言いたくないけどはっきり言っちゃうよもう、って感じ
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って言ってた。まー、ウテナ見てないからあんまりよくわからんけど。
陽毬の口から別人格が兄に向けて「何者にもなれない!」ってつげるのはすごく引きこもりの妹のうっ屈したストレスの発散っぽいなーって思う。妹が兄に八つ当たりするのはかわいいし妹らしいよね。陽毬は普段がイイ子ちゃんすぎるしね。
オタク煽りだけでなく、ストーリーライン上でもきちんとした意味を持ってて、良い決め台詞だよな。
で、ストーリー上の用語でありつつ、これだけ一般的にも耳目を集める言葉を発する、時代の風潮を受けた言葉遣いができる幾原さんは言葉を武器として操る人として上手いなーって思う。

伊藤ベク
幾原邦彦庵野秀明に「綾波ボテ腹にしてオタク共の目を覚まさせてやれ」としつこく言い寄るような人間なので、まぁそういう事です

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まあ、そういう事ですよね。幾原氏はオタク煽りに情熱を持っているよね。
まあ、オトナアニメディアとか季刊エスなどのインタビューを見ると。
「震災後に向けて国民にメッセージを発する!」って感じで、オタクだけでなく色んな人の心をえぐろうとしてるみたいだけど。でも、ちゃんと娯楽としても面白い絵作りやストーリーにしているのは評価できる。


ちょっと引用などで脱線したが、つまりどういう事かというと、メタに物語の外でも意味のある台詞は、「声優」や「視聴者」の痛い部分を直接的に攻撃する事で、物語の中の台詞の強度をチート的に上げることができてるってわけよ。ダブルミーニングによって情報量もあげれるし。
ただし、センスがないとすごく寒くなるし、心の中に共振する部分がないと、全然共感できないし、意味分からないという感覚になる場合もある。諸刃の剣。

ピングドラムにおける無意味さを表す三つの要素、及び残念な理由について - TinyRain

だから、普遍的に広く訴える話でもありつつ、最終的には個人的な傷をえぐるかどうかって言う話になってるので、共感できないと無意味だよなー。
そこら辺は、真砂子とゆりの悪口の言い合いと絡んでいる。

 発 者 同         . 。_   ____           争
 生 同 .じ     .    /´ |  (ゝ___)          い
 .し 士 .レ      .__/'r-┴<ゝi,,ノ   ro、      は、
 .な で .ベ      ∠ゝ (ゝ.//`   ./`|  }⌒j     
 .い し .ル        } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
 .! ! か の       /  ´..:.} >、、___,  .r、 ソ、`\
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  . __/.:/ { }  《.〈、     _,,__>.:》丶   Y.:\
  /.:.:.:.:.::/   !.:.:ゝ  ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ   \.: ̄> 
元ネタは漫画「神のみぞ知るセカイ」より。

って、夏芽真砂子も冠葉に言ってたしね。

  • 家族と個人

家族がテーマなんだけど、割と大抵の人には家族がいるし、養子の人であっても扶養された家族とか、施設での疑似家族とかがあるので、そこら辺が普遍的かつ個人的な感情を揺さぶるんだろうな、って思う。やっぱり、「感動させるため個人的な痛みを伴う記憶を揺さぶる」という感覚があるね。
これまでの展開で、色んな家族や兄妹姉弟や夫婦の形を描いていて、どの形もそれぞれに温かみとゆがみがあるんだな、どれが絶対的に正しいという事はないんだな、って言う風に、網羅的に描いている。家庭崩壊している家庭が多いのだけど、それはそれぞれの家庭に居る個人の事情でなるべくして崩壊してるので、「こういう構成の家庭だから崩壊する」というような形式的な話では無いのが上手い。
網羅的であり、それぞれの形には個人的な事情があるという風に、ミクロとマクロが上手くかみ合っている。
また、家族であっても「家族の形を保とうと、無理に家族を愛する事がしんどい」という面や「親や子供であっても、結局は自分しか愛していないのだ」という家族と個人の相克も描いていて、家族という物の面倒くささが示されているね。
心情描写が丁寧な小説版を読んで思った事だけど。

輪るピングドラム 中

輪るピングドラム 中


高倉冠葉は陽毬とは家族でなかったら恋人に成れるって思ってるっぽい、だけど、家族だからこそ陽毬が特別なのかもしれない、とか。そういう葛藤が。
高倉晶馬は家族の形を維持するために主夫をしたり明るい雰囲気を作ろうと頑張ってるけど、怪しい金を持ってくる冠葉を追及したりしないで上っ面の兄妹の家庭を維持してる。
陽毬も苹果の弁によると、上っ面らしいし、小学校で不登校になって引きこもって自分の周りに好きな物だけを置いてバリアーのように狭い世界で暮らそうとしている。人生に期待しないようにしてる。
荻野目苹果は家族の形を維持しようとして、とっくに両親の愛がなくなっているのに空回りした。
子供の頃のゆりも、夏芽真砂子もそういう風に空回り。
大人の親たちは子供たちに影響や教育や洗脳を中途半端に施して、自分の人生のために子供を置いて去っていく。


しかし、超越者の荻野目桃果はゆりの父を消すことにも、自分が消えることにも、迷いがなかった。そして世界の全てが綺麗だと全肯定の愛を振りまいた。
その桃果の消失のせいで、眞悧は暗躍し、多蕗は静かな憎しみを抱く青年になった。
愛が悪意を産む。
これも家族と個人にまつわる光と陰の分かち難さだな。そういうのは、とても人間らしい。

  • 武器としての言葉を操る。

ゆりと真砂子の「傷つく言葉の応酬」という言葉の武器としての使い方もあるが、
「情報」という面もあるのが面白い。

「人間の世界では真実は必ずしも本当の事じゃない。
人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。
人間は真実が口実になれば人だって殺せるんだ。」

「戦争、戦争だよ。もうすぐ戦争が始まる。」

眞悧は世界中の「助けて」というエゴイスティックな個人たちの声が聞こえているというアカシックレコードみたいな超能力者らしいのだが、だからこそ、人々がどういう情報を欲しがっているのか、どういう情報をどのタイミングで与えたら動くのかという事が分かってやってるっぽい。ゆりが日記を持っているという情報を真砂子に与えたり等。ただし、ゆりがどういう風に持っているのか、全ては教えないので、ゆりと真砂子を争わせる。こういう「情報の部分的開示」での「他人の操作」が武装としての言葉って感じだな。
今回、眞悧は陽毬には病院を抜け出す外出許可を与えて、多蕗と出会わせた。でも、シラセとソウヤは「夜までに戻れない悪い子には罰です」という。「夜までに戻らないと陽毬が困る」と、冠葉と晶馬には伝える。
「誰に言って」「誰には言わないか」という使い分け。
それを操るだけで、人は簡単に殺人も戦争も起こす。それは歴史的事実だ。


多蕗も、何らかの手段で陽毬と苹果の居場所を突き止めたようだ。苹果と居る陽毬を狙おうとしたゆりは多蕗からの着信を無視して真砂子と戦ってたけど。これもコミュニケーションの遮断、情報阻害だ。
多蕗も眞悧から情報を与えられて動いてたのかな。いや、それよりは、苹果と陽毬を呼び出したゆりの行動から、苹果と陽毬のいる喫茶店を割り出して待ち伏せしていたという方が自然だな。多蕗はゆりの行動情報を利用した。



あと、多蕗が苹果やゆりに「復讐心はないんだよ」と言いながら、少女と密室に入ってチェックメイトしてから「僕は高倉家の人間に罰を与える」というのも、言葉が情報でしかない、本心を明かして語りかけているように相手に思わせていても、実は全く違う行動をする事もできるっていう人間らしさを醸し出している。


言葉で嘘をつくというのは、人間としては悪い事だけど、だからこそ、人間にしかできない事であり、人間らしさだという感覚もあるよな。
だから、多蕗を僕は憎み切れないんだ。


こういう情報戦、心理戦は将棋のようで面白い。ただ、それが一対一の勝負ではなく、全ての人が全ての人と情報戦をし続けているというのが、この作品の面白い所だ。いや、人と人が分かり合えない、心は共有できないという当たり前の事を描いているだけかもしれないけど。
眞悧も桃果からは拒絶されて、ピングドラムや運命そのものの存在は観測できていないようだし。全てを見透かしている人、基準点になる人はいないようだ。まるで、相対的に存在する宇宙の銀河が輪るようじゃないか。
輪るピングドラム村上春樹の「かえるくん東京を救う」という短編を下敷きにしているけど、あれは語り手の徹底的な一人称の小説だった。かえるくんと主人公の一対一の関係のドラマだった。だが、これは一対一の対決がいくつも軸となっている。フラクタル構造だな。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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陽毬がセーターを誰に編んでいるかという事を苹果には話すけど、兄達には「内緒」という事も情報戦だな。
プリンセス・オブ・ザ・クリスタルがピングドラムについて「内緒」と晶馬の前では言って、晶馬を落として冠葉と生存戦略をしながら「ピングドラムとはお前の・・・」と告げるのも情報戦だ。そこで冠葉とプリクリ様の会話がカットされて視聴者に見えなくなるのも情報だ。
「惑わされるな」とは?誰が惑わしている?
プリセス・オブ・ザ・クリスタルは冠葉にどこまで話したのだ?晶馬に話した闇ウサギの事は冠葉に話したのか?


「だめな悪い子には罰を与えないと」と言うシラセとソウヤの言葉を、


陽毬は聞いていないが、ペンギン帽子は聞いている・・・。これも情報格差だ。上手いね。インフォメーションテクノロジー(諜報技術)が進歩した21世紀的だ。
あるいはそれも自覚的な眞悧一味なのか・・・。
どういう反応を期待しているのだろう?運命にどういう風に彼らが抗うのだろう?


桃果の運命日記の魔法的な価値について、各キャラクターの知識や解釈が違っているのも情報格差的で面白い。
もちろん、制作者と視聴者の間の情報格差もだ。スタッフの間でも、幾原監督はぼかして発注しているらしいし。役者も全てを知らされないまま演じているらしい。
おもしろいね。やはり、共同脚本の伊神貴世さんがミステリ作家と言う、情報のオンオフに気を使う人と言う所もあるんだろうね。

と、だいたいの考察はこれで終わりなんだけども。陽毬が可愛いというのは忘れがちだが重要な事だ。
情報には、「解釈の理解」「開示レベル」という、前項で解説した価値があるのだが、それを「価値がある」と主観的に思わないと意味がない。「知っても知らなくてもどーでもいい」だと意味がない。
だから、陽毬が「女としてかわいいし、妹としても、家族としても、友達としても、宝物としても可愛い」と言う風に、冠葉、晶馬、苹果、眞悧から眼差しを向けられるという事が大事だし、その映像を見て視聴者が可愛いと思う事も大事。
ああ、可愛いねえ。そのためのたこ焼きとか、編み物。


ところで、今回は異常にタコが出てきたけど、タコはオデコ少女の陽毬の象徴かもしれん。
3話で冠葉と晶馬が帰宅した時に怒る陽毬のバックに2匹のタコがいた。
今回、タコをペンギン達が食べるが、ペンギン3号が作ったペンギンのオブジェはタコを食べていた。ペンギン3号はタコを器用に磔にした。
陽毬はタコを食べ、タコを従える水の旧支配者の象徴なのかもしれない。

タコの触手とペンギンの翼を持つプリセス・オブ・ザ・クリスタルはクトゥルフの落とし子なのだろうか?旧支配者なら、美しく強いのも納得です!
あと、8話で荻野目聡と婚約したウツボがタコを食っていたのだが、8話の西部劇で苹果はゆりをやっつけて、多蕗だけでなく、ラッコの父と一緒にタコもウツボから助けていた。タコは大事。クトゥルフ的な意味で。結構序盤からタコの重要性は指摘されているのだ。

這いよれ!ニャル子さん 8 (GA文庫)

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と言うのは冗談だけど、ペンギンやタコの動きは演出スタッフの独断らしいので、そういう遊び心があっても良いな。


冠葉の魂は銀河鉄道の夜からの出展で赤く燃える蠍の魂、アンタレスだそうだけど。クトゥルフの兄弟のハスターアルデバランに居るんだよな。そして、アルデバランとアンタレスは、黄道十二宮で正反対の位置にあり、占星術では対になる存在と言われているのだとか。アルデバランは別名コル・タウリ、牡牛の心臓と言うらしい。
そういうオタクっぽい考え方は面白いですね!


って、さすがに、ピンドラがクトゥルー神話になる事はないと思うけど。
でも、銀河鉄道の夜にかんがみると、そういう関連は在るかもしれないし、無きにしも非ず。


だが、銀河や魔法の話もありつつ、卑近な人間の家族の話も描かれていて、天上と地上の両方から攻めていますね!


と言う所で今回はおしまい。
自分でも、クトゥルフ神話占星術の関係を書くとは思わなかった。
来週の山内回では僕はどうなってしまうのだろうか。

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