玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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輪るピングドラム第18話2「だから私のためにいてほしい」舞台的段取り

このブログを前から読んでくださっている皆様には「またかよ」と思われるでしょうが、今回も映像の原則です・・・。

(引用元
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)
しかも、今回は能舞台、歌舞伎舞台も絡んできます。

the能ドットコム:入門・能の世界:能舞台

歌舞伎への誘い | 歌舞伎の舞台機構

ほら、舞台っぽい!


いや、子どもブロイラーの落ちる奈落と、陽毬が落とされるビルの奈落は舞台演劇だよねー、という当たり前の事を解説したいだけなんですが。
そして、解説した結果として伝えたい事は、「多蕗圭樹の心の変化」です。



ちょっと、輪るピングドラム第10話 だって好きだから輪る映像の原則を解析する - 玖足手帖-アニメ&創作-に似たような感じで、長くなってしまいそうだけど、山内重保演出が説明的段取りを省いて視覚的演出をしている物を、野暮な僕が説明的に書こうとすると、長くなってしまうんだ。すまない。
とりあえず、Bパートの大まかな流れは図にしてみたので、これで分かる人はここまでで良いです。


Aパートの舞台、俯瞰図
(追記:子どもブロイラーのシュレッダーが下手から上手に移動したんじゃなくて、カメラの位置が反対向きになったのかもしれない。イマジナリーライン越え!?)

Bパートの舞台の役者の動きの段取り、俯瞰図。爆弾4発きっかけで






えーと、この図を見てわかるように、コの字型のビルディングの屋上を舞台にしているのは、非常に舞台演劇を意識した構成であるという事がわかりますね。
会話の応酬をしながら多蕗が本舞台を行ったり来たりするのが演劇的ですね。
冠葉が吊りものでワイヤーアクションをして、上手に一気に移動するのも、宝塚の演劇やスーパー歌舞伎のような迫力がありますね。


冠葉が登場するのは、歌舞伎の舞台で言う所の花道のスッポン、能舞台の橋掛かりからです。
陽毬が落ちて行くのは、回り舞台の「セリ」や「奈落」のようなものです。陽毬がセリに落ちて行くのは演劇的興奮がありますね。高低差があるので、コロッセウム的でもあります。
また、苹果が監禁されているエレベーターは、苹果が「本舞台を観察する位置に居る」という事です。
能の舞台の本舞台を脇正面見所から視聴者が見ている、歌舞伎での客席側に居るとすると、苹果は正面見所、もしくはキザハシから見ているという位置に成ります。このキザハシは階段と言う意味で、本舞台から客席に降りたりするものです。エレベーターをキザハシに見立てるという演出は、すごく古典的な能の要素を21世紀アニメに融合させた感じで、刺激的ですね。
また、キザハシのエレベーターを降りた多蕗がラストに本舞台の下の奈落かオケピあたりでゆりと話すというのも、すごく舞台演劇的です。
しかも、そのゆりと多蕗を金網の手前で見ている真砂子の登場は、まるで客席の中からいきなり真砂子が登場する、というような前衛小劇場演劇的なインパクトがあって、非常に良いですね。
(結構、京都の学生演劇でも、客席に覆面役者を配置して驚かすっていう奇策があったりしたんですよ)


あ、僕は歌舞伎は京都南座で3回くらい見た程度ですし、演劇経験も学生演劇を1年チョイやって見て、ベルサイユのばらレ・ミゼラブルやジキル&ハイドあたりの有名どころを見て、スタニスラフスキーの本を1冊読んだ程度なので、すごくニワカです。素人の付け焼刃の知識で書いてます。文科系の学士様とか、もっと詳しい人には怒られそうだなー。
でも、まあ、アニヲタでもちょっとは芝居の話をしたいんですよ・・・。幾原邦彦監督は寺山修司とか演劇実験場万有引力とか好きな人だしさ・・・。

とりあえず、舞台的な段取りはこんな感じで、了承して下さい。
あと、細かい心情はまた続きのエントリに分けて書きます。