玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

純と愛とテレビと政治と世界を呪詛する

先日、母親が自殺しました。
急性の大うつ病と借金と投資の失敗と認知症の祖母の介護を苦にしての自殺です。
これから私は、母を自殺に追い込んだこの世界を呪うことにする。

もちろん、私もこの現実世界にログインしている一人なので、私自身も既に呪われている。母親は私に悩み事を言っていたのに、私は母親の父親役を演じきることができず、殺した。



母親は死んだ。

あの時、ママが天井からぶら下がってたの。その顔は、とても楽に見えた。
普段よりももっと開放的にのんびりと眠っているようだった。
生前の、死ぬ直前の母親は非常に辛そうだったから、楽になったと思う。母親が目の前で首をつっているのを見ても、やはり私は地球の人口は多すぎるし、戦争は文化財と資源を無駄遣いするので自殺すべきだという思想は変わっていない。母親は立派に死んだのでえらいと思う。


だが、母親を自殺に追い込んだ世界はクソなので、呪う。
クソはクソなので呪われるべきである。


現実の世間では、残されたクソ遺族の、糞のメンツと、糞みたいな生活を保つために事故として処理しているが、ここに居る僕はインターネットの永遠の闇に住まう魔獣なので、インターネットから生前の母がどういうふうに世界に抹殺されていったかを書くことで世界を焼くんだよ。


-連続テレビ小説純と愛」に呪いあれ

NHK連続テレビ小説 純と愛 上

NHK連続テレビ小説 純と愛 上

我が家は家族が毎日全員揃って夕食を摂る習慣があった。夕食を食べながら録画した連続テレビ小説 純と愛、それからアサいちを見るのが習慣だったんだ。でも、母親が死ぬ直前のそれは、本当に地獄のようだった。
誰も話さず、テレビだけを食い入るように見つめてお互いを必死に無視しようとしながら、拷問のように口に物を押し込むような食事が、本当に僕は嫌だった。僕自身もここ半年ほどずっと自殺したい。非常に鬱陶しい雰囲気の家庭だった。だから母親が自殺しても当然だと思ったし、全く驚きはなかった。


母親は早くに父親をなくして、典型的なアダルトチルドレンで、自分の母(私の祖母)が認知症に虚勢を張って無理なローンを組んでいた。


母親は自分で努力することもできず、規制緩和で大型スーパーが乱立してパートもクビになり、不仲の父親の退職金をあてにしてローンを組んだ。
全然面白くもなんともないクソみたいな純と愛のどんな糞アニメにも劣るような呪わしいわざとらしいギャグに脊髄反射して笑い声を吹き出すだけで、全く会話しない一家団欒だった。


だから借金の相談は金持ちの親戚にしていて、へそを曲げて会話がなくなっていったのである。


純と愛は本当に不愉快なドラマだった。そのうえ、呪わしいほどにつまらなかった。僕はこんなクソみたいな番組は見たくないと言いたかった。
だが、NHKで放送されているドラマだから「きっと面白いはずだ」と親たちは思ってじっと見ていた。その程度に、テレビによる一億総白痴、思考放棄は60代にまで及んでいるのである。そうやって、母は少しずつテレビに思考力を奪われて、少しずつ死んでいって、自殺した。


母親はテレビが好きだった。
テレビドラマが好きだった。僕は21世紀に入ってからのテレビドラマは総じてクソだと思っていたが、母親は「テレビで放送されるものだから」とありがたがって見ていた。
僕は三谷幸喜の映画くらいは好きだったが、最近のテレビドラマは相棒やJIN-仁-ほどの大ヒットシリーズであっても、脚本がクソすぎて嘘っぽすぎて、クソみたいなテレビアニメに比べても全然練り込みが足りていないし、演出もカメラワークも見るに耐えないと感じていたから、それを愛好する親を内心馬鹿にしていた。だから殺した。親と一緒に楽しんであげればよかったのに。


その程度の知性しかない母親はテレビにかじりついていた。NHKあさイチの情報を鵜呑みにして、世間の恐ろしさに一喜一憂していた。


死ぬ前の週、母は僕にだけ言った。「なんで、現実はドラマの純と愛みたいにうまくいかないんだろう」って。
僕は「純と愛の脚本家は不愉快なイベントを不愉快に描いてショッキングさによって視聴者の興味を引いて時間を奪って、そのサンクコスト効果によって粗雑なオチで事件を解決したように見せかける話作りをするので、クソだし、そんなものと現実を比べる行為もクソだ」と思っていたけど、そのように理屈っぽく解説するとまた母親を怒らせたり、せっかくクソみたいなドラマを楽しんでる母親をがっかりさせるんじゃないかと思ったので、「まあ、現実とテレビは違うよね」、程度に流した。
その結果、母親を殺した。
死ぬ前の週、母は僕にだけ言った。「なんでうちの家族はドラマみたいにならないんだろう。あんたの理想の家族ってどんなの?」って言われた。僕は脳内妹を深く愛しているし、脳内妹と静かに暮らすのが理想だ。だが、脳内妹の存在は現実の人間に鑑賞されたくなかったので、曖昧に答えた。
その結果、母親を殺した。


「純と愛」第53話(第9週)【はっぴーうぇでぃんぐ】〜/吉田羊の愛のムチに気付いた夏菜!|どら☆ぶろ〜テレビドラマ感想ブログの決定版
これが母親が見た最後の純と愛だ。糞みたいな現実に似たような糞ドラマで親近感を煽ったのに、こんな都合のいいクソみたいな取って付けたハッピーエンドの糞ドラマだった。現実はハッピーエンドにはならないということに母親は絶望して自殺した。
母親の遺書には、

「もう疲れた。
お父さんと結婚したのは間違いだったかもしれない」
ミュージックファイル 2015.04.05 | Mediacrit

と、純と愛森下愛子のセリフそのままのことが書いてあった。テレビに影響されて死ぬ奴はいるんだ、と、目の前で実感した。



また、僕が心療内科に通っていて、精神障害者3級になっていることも母親の不安を向上させたと思う。純と愛でも、心療内科に行くだけで差別されて当然、というような描写が有り、私の母親の不安感を煽っていたようだ。母親はNHKの朝の連続テレビ小説ごときに影響されて死んだ。





実写ドラマは実物体の写真であるがゆえに、(いかに役者がヘタで演出家が何も考えていなくても)「ドラマの方が理想で、現実の自分は劣っている」という風に劣等感を掻き立てられて自殺する私の母のような人間もいる。テレビにはそれくらい、愚民に対する影響力があるのだ。だが、テレビはそれを単に金儲けの手段に使って、テレビのショッキング性、動員力を大衆の煽動にばかり使って、クソみたいなイメージを撒き散らす。
私の母はテレビに殺されたようなものだ。



純と愛」に永遠の呪いあれ



-ジャニーズに呪いあれ

完全保存版 ジャニーズの歴史―光も影も45年

完全保存版 ジャニーズの歴史―光も影も45年

私の母親は晩年、ジャニーズファンで小金持ちのオバさまと友人になった。そのこと自体はいい。
だが、ジャニーズは熾烈なチケット獲得競争で、ファン同士のヒエラルキーを明確化する文化圏である。母親は金もないのに、そのオバさまに認められるために(おそらく祖母からの愛の代理を求めるために、)嵐のファンクラブに入ったりしてチケットを買おうとしていた。
純と愛のことも、ジャニーズの素晴らしいタレントだから、素晴らしいはずだ、という思い込みで視聴していたようだ。
だが、ジャニーズといってもクソはクソなんだ。それを自分で考えず、「えらいジャニーさんの言うことだから」、と洗脳されてしまったのは、本当に糞だ。
母親はそのオバさまのジャニ友の中の一人に過ぎなかったのだが、母親にはそのおばさまくらいしか友達がいなかった。加藤智大のようなものだ。非常にかわいそうだ。
そのオバさんは母親が自殺する1週間前に母親に説教したそうだ。「あんたは幸せ者なんやから、愚痴ったらダメなんや!」と、母親の悩みを拒絶した。そのオバさんは金を持っているのに、「私もみんな苦労してるんや。自分だけが大変やと思ったらアカン!」と怒ったそうだ。葬式で言ってた。だが、それは小金持ちが貧乏人にたかられないようにするための自己正当化に過ぎないのだ。
で、母親はそのおばさまの言葉がショックだったようで、母親は死ぬ直前、携帯電話からその人のアドレスを消した。
ジャニーズに呪いあれ




富野に訊け!! (アニメージュ文庫)

富野に訊け!! (アニメージュ文庫)

富野監督の書いた人生訓本「富野に訊け!」で「周りに自殺したい人がいたら、人生を楽しむ自分の姿を見せて、希望を与えましょう」と書いてあった。でも、母親は ジャニーズファンの金持ちの友人の生活の余裕を見て経済格差に絶望して自殺した。
ジャニーズファンのオバさまはお金持ちなのに、母親が愚痴をその人に言ったら「あんたがもっとしっかりせんといかん!あんたは幸せモンなんやから!」と言って、悩みを口に出すことを禁じた。金持ちのくせに「私だっていろいろ人生が大変なんだから、あんたばっかりが辛いんやないんやで!」と言い放った。母親はそれでその人に見捨てられたと感じたのだろう。アドレスを消して自殺した。
人生は難しい。幸せそうな老人に呪いあれ。


-テレビに呪いあれ

テレビのメッセージなど、単に音と色合いの調子の良さに過ぎない。本当にちょっぴりの情報だけだ。ツイッターも単なる断片だ。
そして国民にも体系的な論理を理解する知恵はない。
その程度の情報吟味で、ちょっとテレビで聞きかじった程度の知識の一般国民に呪いあれ。




-高齢者年金制度に呪いあれ
母親は死ぬ前に僕にこういった。
「私なんか生きてても仕方がない。私は年金もどうせもらえないし、死んだおじいちゃんの軍人恩給と年金がもらえるおばあちゃんの方が生きてる価値がある」
祖母は認知症になった。認知症のくせに高い金を使って膝を手術して歩けるようになったことに狂喜乱舞し、徘徊して、母が外に出るなと言っていたのに外に出て車に驚いて間抜けみたいに転んで、また車椅子に戻って、母親はその介護に非常に披露していたようだ。祖母は母親に一日中車椅子を押させても当然のような顔をして「私があんたをここまで育てたんやで!」と何度も何度も繰り返していて、母親は辛そうだった。
認知症の祖母は母親を褒めたり承認することはなく、ただひたすら自分が生き延びることだけを考えるゾンビのようだ。ただひたすら、過去に自分が苦労したことを自慢して、現在の母親を認めてやらなかったのだ。

そんな何も考えられず、幼稚園児程度の知能になり、永遠の過去に落ちていくだけの老人が、クソみたいな半世紀以上前の戦争によって金をもらい、50代の母親は年金がもらえず借金が増えていくことに絶望して死んだ。
認知症の祖母はそんなことはわからない。
母親は死ぬ前に「おばあちゃんみたいになりたくない」「親が老いていくのを見るのは辛い」と言っていた。
もう、母親がおばあちゃんになることはない。
老人に呪いあれ



-資本主義・バブル経済主義に呪いあれ
母親は死ぬ前に、家族の他の男たちの反対を押し切って、精神病的嗜癖でもって新居作りに邁進した。
そして無理な借金を作った。いい女はhomeを作り、クソ女はhouseを作るとはよく言ったものだ。

貧乏人は家を買え! (講談社BIZ)

貧乏人は家を買え! (講談社BIZ)

↑母はこんなクソみたいなライフハック本を信仰していた。
目に見える形で新築家屋を建てるということで、親戚や祖母を見返してやりたかったんだろう。母親は多少建築の知識があったので、自分の人生が無駄ではなかったということを証明しようと空回ったのだ。
だが、母親があてにしていたのは、父親の脆弱な退職金と、まだ20代のもうひとりの息子と、六本木ヒルズの会社を過労死寸前で退職し、精神障害者枠の仕事で月11万円の給料をもらっているカスみたいな私の収入だ。
私はそのような資金力しかない人間が不動産取引に手を出すのは危険だと思った。現実認知能力の低く経済的体力の薄い人間が、今住んでいる家を他人に貸したりして経営するのは無理だと判断した。なので、止めようとしたが、私は一時期東京に住んでいて、私が別居していた間に母親は家を買うことを固く決意していたし、関わるなと言われた。
上記のごとく、父親ともうひとりの息子は母親との会話を面倒くさがってテレビやゲームや仕事に没頭していたので、話し合いはなく、母親がひとりで進めていた。
いや、母親がひとりで勧めていたというのはこの家庭内の話であり、実際は不動産屋と銀行がそそのかしたのだ。
家庭内の人間関係で自分の価値を承認してもらえなかった母親は、不動産屋と銀行におだてられ、金を出せば褒めてもらえるし、お客様扱いしてもらえるということに酔っているようだった。実際、母親は父親と話すよりも不動産屋と話している時間の方が圧倒的に長かった。
私も1度その男の顔を見たことがあるが、薄っぺらく張り付いた笑顔が印象的なクソみたいな老人だった。だが、その年齢は父親を早くになくした母親のファザーコンプレックスに付け込むのに充分な要素だったようだ。
不動産屋と銀行家は顧客から金を絞りたいので、契約を突きつけ、母親から金を取ろうとした。母親はお客様扱い、奥様扱いされたかったので、父親の糞みたいな退職金しかないのに無理をした。
不動産屋と銀行家は「セカンドライフは新しい家、大きな家に引っ越して経済的に右肩上がりの成長をすることが素晴らしい!」というような観念を母に植え付けた。その結果、死んだ。


ミサイルに比べるとカスみたいな金額の借金のために母親は死んだ。
このような低所得者向けの住宅ローンを食い物にする銀行や不動産屋、ひいてはそれによって経済を回してきた資本主義経済、土地本位主義、実体のない借金による金融業。これらは全て呪われるべきだ。


-経済に呪いあれ


消費税が増税されました。
消費税が3%から5%になったら、年間自殺者が2万人から3万人に増えました。
今年は民主党政権のおかげで、ケアが行き渡ったことで自殺者が3万人以下で済むそうです。でも、そんな国の発表する数字はどうとでも操作できるし、行方不明は増えているんだ。
民主党政権も単に消費税増税の罪を自民党が一時的に擦り付けるためだけの虚構の政権交代だった。本当にくだらない政治だ。


-国家財政に呪いあれ

公務員は金をもらいすぎだそうだ。
私は公社の障害者枠の臨時雇用で月に11万円もらっている。精神障害者の自立を謳っている政権だが、この金額では到底一人暮らしはできない。生かさず殺さずである。しかも期限が切れたら無職。
もうひとりの息子も公務員だが、結局母親は首を吊った。
つまり、国家が、その末端で働く公務員に対して、自立したり親を養うことすらできないような金額しか渡さないことを、社会が決めているのだ。
僕のようなひとりの男を一日中拘束する事に対して、いや、私と同じ職場で働く非正規雇用のの主婦に対して、「決して自立できない金額程度の価値」しか認めないのが今の社会、国家財政である。
なぜなら、国の借金が膨大であるから、無駄な人件費を減らしたいというのだ。そうしなければ景気が回復しないのだという。
その結果として、無駄な私の母親は首を吊った。
痛みに耐えて頑張るどころか、もう母親は痛みを感じることもない
そして、国家がその使用者に低賃金しか認めないということを論拠として、民間はもっと過酷な労働を強いる。

KLab 世界展開を加速する一方でハードな労働環境の改善も急務か | 企業インサイダー | キャリコネ

金に呪いあれ




-精神医療に呪いあれ

私は身体化障害や社会恐怖障害で、ストレスがあると全身に激痛が走ったり手足が麻痺する奇病なので、精神科に行って相談していたのだ。
「母親の精神が不安定だ。このまま母親が無理な金融を続けたら不幸になると予感する」と言った。
私もアダルトチルドレンだからね。母親の精神的不調にシンクロして自分の体調が悪くなる。母親は僕に過干渉だったから。
それで、医師は僕に「でも、あなたが母親の相談に乗りすぎると、またあなたは母親の過干渉の餌食にされる。あなたは母親から距離を置いたほうがいい。金のことはもうひとりの息子さんに任せたほうがいい。」
だが、幼少期から母親の話し相手は僕だった。僕は母親の人形だった。母親は人形に愚痴を吐いてスッキリしていた。当然、僕は精神障害になった。それと大学や仕事のストレスが重なり、私の体がぶっ壊れた。
人形のくせに、僕は惨めったらしく足を引きずるようになった。立派な秀才の息子という人形としての役目を果たせなくなった醜い私を見て、母親は死ぬほど嫌だっただろうし、事実死んだ。
僕はいらない人間だった。
僕が生まれなければ母親はさっさと離婚して別の人生もあっただろうに。僕は流産されるべきだったんだ。
そんないらない人間だったのに、僕は自分を母親よりも優先して、精神科医の個人主義メソッドを採用して母親を見殺しにした。
僕は母親が非常に幼いメンタリティーしか持っていないことを分かっていたのに、自分が母親の早死した父親や、才覚のない夫の代わりになる能力を獲得できず、挙げ句の果てに精神障害者になって自分を守るために、母親を助けてやらなかった。
僕が殺したんだ。
若手インターネット系精神科医のホープであり、熱狂的な惣流・アスカ・ラングレーファンであるid:p_shirokumaさんに「あすかみたいに母親が死んでるところを見たよ」って言ったら「あなたは大人の男だからアスカとは違う」と言われた。だが、大人の終着点は死だ。何もないんだ。

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学といっても、ロストジェネレーションとされる30代だけが不幸なんじゃない。その親世代の50、60、70代の世代も不幸だ。もし、親世代がが好景気のまま人生を逃げ切った世代といっても、その逃げ切りは、具体的には死だ。人生のゴールは死、あるいは認知症による狂気しかない。すべてがロストされる。
精神に呪いあれ


-個人主義に呪いあれ

母親はジャニーズファンの人に「私が自己責任でチケットを取ります」と書いたことが最後のメールだった。
自己責任!
なんて嫌な言葉だろう!
しかし、母親は自己責任と言いながらも他人にチケットを取って喜ばれたいと思っていたのだ。だが、そのオバさまは「そこまでしなくていい!」と拒絶した。結局、人間は一人なのだ。
個人主義に呪いあれ



-呪われた僕
不動産屋とか銀行屋とか、周りの親戚は自分の目の前の仕事や金のことしか考えられない程度の低脳だから罪は軽い。だが、僕はこうやって状況を長文にまとめる程度には人間関係を把握していた。
そのうえで、僕は自分個人を優先して殺した。

僕には人のためにできることなんて何にもないんだ。優しさなんて、 かけらもない。ずるくて臆病なだけだ。僕には人を傷つけることしかできないんだ。



僕に呪いあれ
僕は自分が自殺したいということばかり考えて、自分の遺書小説を書く事だけを考えていた。前の会社や大学のストレスで死にかけた時も、親よりも脳内妹の登場する遺書小説を完結させてから死ぬということしか考えていなかった。今の仕事だって、長くてあと4年で終わりだ。そのあいだに完結させないと死ぬ。
だが、僕が死んだって、ブログと小説の更新が止まるだけだ。
http://d.hatena.ne.jp/O-KO-TO/
http://blog.livedoor.jp/alicia_esperanto/
レイプされた女子の日記。
https://twitter.com/tavun
https://twitter.com/kuramatsu_and
今思いつくだけでも、僕はこれだけの人たちの死をインターネット上で見てきたし、自殺を助長するようなことを言った時もある。人口は減らしたいからね。
だから、僕には母親を悲しむ資格すらない。
僕は母親のことを分かっていても、何もしなかった。人の心がわかっていて何もしない人間にできるのは人殺しだけだ。
自分に絶望し、世界を前にして、それでも救いを拒絶する自分であり続け絶望し続けるというのは、キルケゴール死に至る病で説いた「悪魔の絶望」であり、最も深いものだ。

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)

だが、それゆえに最も神に近いのだ。
だが、僕は神と世界がにくい。

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)


民主主義に呪いあれ
この社会の結果として母親は死んだ。
たったひとりの人間の死を持って世界を憎むのは逆恨みかもしれない。だが、たったひとりの人間の死であっても、これだけ政治やメディアや経済と密接に関わっているのだ。
だが、今更そんなことに気づいたって何の意味もない。みんな地獄に落ちていくだけだ。
ちなみに母親は地獄に行ったんじゃない。ただ停止してモノになっただけだ。地獄はこれから、お前たちに降りかかるんだよ。
お前たち、教育に失敗した、スキルアップに失敗した、経営に失敗した、政治に失敗した、選択に失敗した、思考に失敗した、自分で考えることを放棄し、金や権力や経済のための自動人形に成り果てた、お前たちそれぞれの人生に地獄が待っているんだ。

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告





僕はこの世界が嫌いだ。
この世界を作ってきた今までの人間のほとんどが嫌いだ。



遺書は、この糞みたいな現実を吹き飛ばすほどの痛快エンターテインメントにして、この世界を徹底的に否定して、死ぬ。


虚構はいいね。人類の生み出した文化の極みだよ。誰も傷つかない想像の中にだけある価値。
現実で欲をかいたら、死ぬだけだ。

二十世紀旗手 (新潮文庫)

二十世紀旗手 (新潮文庫)

芸術だけが真実じゃないのかな。(逃避―夢の中へ)



酒を飲んで寝て、時間に解決させるしかもう方法はないらしいよ。
あとはグノーシス主義の本でも読む。