玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野ファンと #NAFCA アニメータースキル検定 #アニ検 について

 諸君、私は富野アニメが大好きだ。まあ、このブログでもいろいろと書いていたけど、鬱な時は一日一回富野アニメか出崎統アニメを見ることで元気を出したり疲れを取って様々な窮地を脱して命拾いさせていただいたという感触がある。


  • 概念の展示だったのではないか

 僕は富野由悠季監督の作品が好きで、その感想をつらつらと書いていたらいつの間にか、はてなブログ界隈で富野監督に詳しい人みたいな扱いを受けておだてられるようになってしまい、Gのレコンギスタの放送終了後に大阪のロフトプラスワンでブロガートークショーみたいな恥ずかしいことをしたり、富野由悠季の世界展のチケットを譲ってもらって5,6回行ったりキュレーターの方に寿司をおごってもらったりしたけどホテルと交通費で赤字だったりした(貧乏なので根に持つ)。


 そういうくらいには、僕は素人の無頼漢(フリーランスですらない)ながら富野監督の作品について批評のようなものや論評のようなものを書いてきたのだが。


 それについては2001年くらいの氷川竜介先生のアニメ夜語とかカルチャースクールとか藤津亮太さんの論考とか、お二人が書いた様々な富野アニメの解説書などの影響を受けている。


www.webchikuma.jp


 しかし、それは富野監督の著作での証言やインタビューや企画書としての言葉、もう一次元上げて二次元のレイアウトの構図による劇的感情の分析に留まっていたのではないのか?


 つまり、富野由悠季の世界展について富野由悠季監督が言った「概念の展示は不可能なのだが」という事で、概念、言葉、テーマ、雰囲気、演出というような非言語的、非物質的テーゼについて、我々富野オタクは云々かんぬんし過ぎていたのではないのかと、君は!


 まあ、Twitterではなぜか藤津亮太さんにもあきまんさんにも、当然ヒラコー先生にも羽海野チカ先生にもブロックされているので、隠れてこういう批判を言えるのだが、自己反省でもある。(まあ、僕は外道だからなぁ…。人間が嫌いなので不快な情報も拡散したりするし)


 つまりどういうことかと言うと、富野由悠季監督は「アニメーション監督」であって、まあ、本や小説も書いているから「作家」としての側面も確かにあるので、監督が提示する概念やテーマについて考えることには意味はあるのだが・・・。
 しかし、「アニメーション制作作業を監督する責任者」として、富野監督は「自分は現場の人間」とおっしゃることも多い。


 つまり、アニメーションは出発点である概念ではなくセル画と(その他背景や撮影処理など)、音声をデータ化した実物であり、それはフィルムやVHSやDVDという物質であり、現世に顕現する。



←次元が低い       次元が高い→
概念。企画。テーマ。シナリオ。演出。絵コンテ。原画、動画。音声。ポストプロダクションを経たアニメーション作品そのもの。




 すごい雑にまとめるとこういうこと。次元が低いというのは悪口ではなく、数学的な二次元三次元の話で、アニメーションとしての物質化の過程で次元が高くなるということ。


 そして、富野由悠季作品は概念やテーマだけでなく、「アニメーションとして面白い」。


 それはそうでしょう。どんなに高尚なテーマや斬新なアイディアだとしても、面白くないとダメです。
 だってアニメって娯楽だから。つまらないものが多くの大衆の記憶や記録に残るわけがなく(突発的に局所的に好きなマニアというものもいるが)、面白いから富野監督のアニメは50年くらい前の物でも残っているし、それは手塚治虫の漫画でも浄瑠璃でも平安文学でもアーサー王伝説でも聖書でもバビロニア伝説でもそうです。(型月世界では「新しい物は格が落ちる」ということで最近の人が鯖になるのを避けたりしているけどセルフオマージュとかあるし、新選組は知名度補正で)


 で、富野アニメが面白いんだけど、それは概念やテーマだけではなく、実作品のアニメーションとしての面白さも重要だと思う!実際富野監督も「一番好きな作業は編集」って言ってたこともあるし、宮崎駿監督も絵描きだけど編集もうまい。


 実例を言うと伝説巨神イデオンのテレビ版です。円盤が再生産されるそうですか良かったですね。財政的にはきついんですけど。



 他の配信サービスには加入してないけどバンダイチャンネルには20年くらい加入しているというな…。ブレンパワードは流石に画質が良くないとダメだと思ったのでBlu-rayBOX発売まで待ってモニターも買い替えたけど。(オルファンなどの背景美術も永野護なので。永野護関係はたいてい金額がバグる。9万円のカイゼリンとか。まあ宝石とか車よりは安いけど)


 話を戻して、


 イデオンのテレビ版の作画はクソです。


 理由はいろいろあると思うけど。機動戦士ガンダムはそこそこ人気があったけど放送期間短縮で、後番組は無敵ロボ トライダーG7です。で、テレビ東京系列で伝説巨神イデオンをやっていたので、サンライズ的にも当時のイデオンと富野監督は一軍じゃなかったのかもしれない。(そもそもイデオンの企画は科学冒険隊タンサー5からの遺跡探索物の流れで、監督も最初の企画段階は富野監督の予定ではなかったとか事情がある)


 今でこそ名作と言われるし大学生時代の庵野秀明氏にも「ガンダムは基本として富野さんはイデオン」と言われる伝説巨神イデオンですが、実際に見てみると本当に粗が多い作画で。現代だと作画崩壊と言われてもおかしくないような絵がたくさんある。まあ、ガンダムのドアンザクとか巨大ガンダムとかあるけど。


 というわけでイデオンの作画は本当にひどいんだけど、すごいのは「この絵をあと0.05秒見せられたら俺は不快になる」というちょっと前のタイミングで別のカットに切り替わるという編集術。これが、逆に気持ちいいんだ。
(これは他の富野作品でもあるけど、いちばん顕著なのがイデオン)
 クソ作画を転じて快感に変えるという、灘神影流は活殺自在みたいな。


 まあ、イデオンは、人物はともかく3本足の重機動メカのデザインの時点で動かすのが難しいので、当時のアニメーターが悪いというわけでもないのだが。(ガンダムも頭の形状が複雑なのでジオングに頭が吹き飛ばされた時にアニメーターが喜んだとか)(まあ、ジオングの頭も謎の角とか、めんどくさい形だと思うけど)


 この「絵で場を持たせる耐久時間のギリギリを攻める」とか、「絵の全体を認識させず、糞作画だと認識する前にカットを割る」という動画の使い方は、本当に1秒以下の世界なので、そのアニメーションとしての編集術は富野監督(や、その他の巨匠)の技として評価されるべきだと思うんだが。


 レイアウトとか構図の演出や絵コンテの流れはまだ「設計図」として評価されるし、語りやすいし、「作家」的なテーマ性や文学性をかもしだせるし、僕もそういう記事を書いてきたのだが。


 富野監督も主に絵コンテについて、「映像の原則」という教科書を書き、竹宮惠子先生が学長時代のマンガ学部のある京都精華大学の図書館にも置いてあった。



 しかし、「アニメ動画としての快感」は「テーマとか概念」や「一枚絵の連続としてコママンガのように(これは間違った認識)として見れる絵コンテ」に比べて、めちゃくちゃ感覚的で個人差も大きいので語りにくい。


 近年ではエフェクトが派手だったり、動画枚数が多い作品が評価されがちだが、「ぬるぬる動く」だけがアニメ(特に日本のリミテッドアニメーション)ではない。


 確かに富野監督の作品でも機動戦士ガンダムF91の前半とか潤沢な予算で動く細かい作画の作品はある。でも、僕が最も面白みを感じる富野作品は基本的に、そこまで派手に動く作品ではない。(F91の次回作であるVガンダムは反省があったのか、影やディテールを少なくする指示があったらしい。でも、VガンダムのMSのデザインは曲面が多用されているので影がない方が描きにくかったのでは?)


 Gのレコンギスタは劇場版で描きなおすチャンスがあったり、若手が力を入れたり、これまでの富野作品に参加していたアニメーターが超ベテランに進化していたりして、作画はいいんだけど。それはそれで「いい作画」をどう語ればいいのか?と、受け手の僕は悩む。
 枚数が多ければいいって話じゃあないんだよ!


  • NAFCA 日本アニメフィルム文化連盟 について

 そして、現代はジャパニメーションとかクールジャパンとか言われているけど、技量の低いアニメーターが増えているとのことで、またクソ作画の時代がやってきたのだ!


 それを憂いた人々がアニメーター検定とか、アニメーターとしての教則本を作った。





 ちょっとこの本が、アニメーション制作会社の社員さんに無断コピーされたことでちょっとTwitterが炎上して、無断でデータ化したアカウントが消えたりしたんだが。





(いや、無断コピーしたことをインターネットに書くなよ…。割れ世代の方がまだ注意深かったぞ…)


 まあ、アニメ業界の民度が下がるのも歴史的に仕方ないという面もある。もともと手塚治虫という戦争を生き延びた異常者が第二次世界大戦前後のディズニー作品に影響を受けて「戦争が終わったから日本でもアニメ作るぞ!それも毎週!」という異常な熱量で鉄腕アトムをお出しして、それに関わった富野喜幸、りんたろう、髙橋良輔、杉井ギサブロー、出崎統などが監督になり、また異常な熱量の作品を作り、東映動画やタツノコプロなど他社も負けじとアニメ業界に参入し、そのスタッフだった高畑勲や宮崎駿や押井守や庵野秀明などの異常者がハチャメチャにアニメを作って、金が儲かりそうだとクールジャパンと言われて、金目当ての異常者じゃない人がアニメ業界に入って、コストパフォーマンスと損得のために雑な仕事をしてきたのが大量の二次原画や作画監督を産んだ歴史である。それはいい!


 そもそも、毎週テレビアニメを放送するなんてことが手塚治虫レベルの異常な行為なのだ。(給与やスポンサーの問題ではなく、それ以前に7日で30分のアニメーションを制作するのは、ちょっと素人には想像の付かないワークフローと言うか、物理的に30分間の絵を一週間で描けるのかがよくわからない)


 でも、テレビアニメの歴史も60年くらいを越えて、さすがにさア…、「異常者の異常な熱量で作ります」って言うのは仕事や業界の体質としてダメでしょう…。今後もテレビアニメを毎週放送するんなら…。まあ、企画や概念はともかく、作業としては普通の人が普通に作れる企業構造にならないと破綻する。いや、滅茶苦茶、絵が上手い天才アニメーターはいるけど、そういう人ばかりに頼っている業界や伝統工芸は消失します。もちろん、天才アニメーターによる決めシーンがあっていいんだけど。
 一握りの天才は確かに素晴らしいけど、アニメが大きな産業になった現在、天才に頼っているだけでは、破綻しやすいと思う。(その点では絵だけではなくプログラムで動くゲーム業界の方が一般就労者が多い気がする)


 そんな業界状況ですが、僕は82歳の富野由悠季監督のファンだし、最近のアニメでも富野由悠季監督と同世代の髙橋良輔監督のファブルが面白かったり、古臭いオタクなんだけど、プリキュアとかアイカツ!やアイマスも好き…。
 なので、体調不良とかで最近はアニメを全部録画できなかったり見れなかったりするのだが、新作アニメへの希望を捨てたくはない...。飛び飛びにしか見てなかったり、全体的につまらない作品でも1話か1シーンだけ面白ければ、それは大事にしたい。


 というわけで、日本アニメフィルム文化連盟のクラウドファンディングにも投資したのだ!まあ、馬越嘉彦さんの絵がおジャ魔女どれみからキャシャーンSinsで大好きなのでバッヂを買った程度なんだけど。
soreosu.com



 まあ、貧乏だし、「植田益郎Pのイラストバッヂが欲しいか?」っていうと別におじさんだしなあ…。飾ってもなあ…。という感じのレベルですが。
 またクラウドファンディングに新しいキャラクターや商材プランが増えたらしいです!


 いや、80年代OVAなどのハチャメチャに作画にチャレンジしていたレジェンド級アニメーター(所謂、AKIRA世代)が還暦を迎え始めた現在、技術継承が非常に重要。天才たちが死んだら技術が失われる。人は死ぬものです。


 ま、それはそうと、一応、「アニメブログで多少の収益を得ているアニメファンとしてアニメ業界を応援しておくか」という程度の距離感で、42歳にもなってアニメーターを目指す気もないし、プラモデルもソーシャルゲームも借金返済も進んでいないクソ貧乏マンなので、アニメーション業界を憂いていたけど、アニメーターという技能職には距離を置いていたんですが。


 なんかNAFCAについて活発に活動している、輪るピングドラムやジョジョの奇妙な冒険のアニメーターの西井輝美さんに褒められた。




 うーわ。有名アニメーター様に引用リツイートで絵が上手いって言われたぜ。うーわ。やっべ。


 僕は本当にちょろいので、ちょっとしたことで調子に乗る。


 僕の知人にも十代で漫画家デビューした天才がいるし、絵描きは絵の上手さでヒエラルキーを測るという感覚はあるのだが。(格闘家に近い)


 まあ、ね、半年に一回か二回、絵を描く僕と毎日数十枚の絵を描いているアニメーターでは絵の上手さの次元が違うってことは了解しているんですけど。僕はなんやかんやで時間の使い方が下手なのでたくさん絵を描けない!(他にも要らんことをたくさんしている。アンシーみたいに庭のお花の世話とか)





 というわけで、この記事の前半の話に、やっとこさ、つながるのですけど、アニメーターや絵描きではないアニメファンやアニメ業界の作画以外ののセクションの人でも"タイムシートを通じて"、「アニメの作画、特に動画という芸術の現物」にアクセスできるのではないのかなあって思ったのです。




 オタクのくせに、原画集を見ても「なんとなく横に定規みたいな書き込みがあるけどよくわかんねーな」と思っていて、アニメの動きとか、リズムとかテンポとかカットとか、そういう「アニメーションそのもの」を理解せず、作品のテーマとか概念とかそういうものを云々かんぬんしていた。僕は。



 でも、この本を買ったらタイムシートというものが絵描きじゃなくても読めるようになるのかー。富野監督の映像の原則で多少は絵コンテは読めるようになったけど、タイムシートは本当に一般的に(というかアニメ会社の外に)出回らないし、1秒以下の世界だし、アニメ業界人ではない無職としてはタイムシートについて教えてもらう機会もなく、放置していたのですが。(まあ作画汗まみれも読んでないので申し訳ないんですが)



 タイムシートを俺の脳にインストールできるだろうか…。


 アニメータースキル検定教科書3000円…。



 大学の生物化学や熱力学の教科書に比べたら安いのでは?大学の教科書は本当に高いうえに重い上に誤植で混乱したりしんどかったな…。
 専門書は下手したら数万円したりするときもあるので、3000円はすごく良心的だと思う!まあ、今回のはアニメ検定の5級と6級レベルなので、級や段位が上がるごとに大変なことになってしまう気もするけど…。


 教科書を分解してトレスしてコピーして配るのはよろしくないけど、アニメマンガ学科のある大学とかの図書館に置くくらいには売れてほしい。アニメーション専門学校は生徒が一冊ずつ持ってた方がいい。



 あ、検定とかテストはメンタル的に測られるのが怖いので受けませんけど。別にアニメーターにならなくても、もっとアニメというものを知るために、勉強して見るのもいいかもしれません。若い人とかもアニメの実学として受験するのはいいかもしれません。


 まあ、僕は富野監督の事を考えるために映画演出や児童文学の教科書を買って、案の定、十数年単位で積んでいるのですけど…。



 まー、ねー、別に素人の在野のオタクがアニメそのものを勉強しなくてもいいんだけど、なんかアニメが好きな人間になってしまったんだよなあ。
 多分、財政状況がちょっと良くなったら買うと思うんだけど、重版とか電子書籍化はいろいろと労力がかかるので、うーん…。


 概念とか演出から意味を読み取るようなことは割と長くやっていたので、動画としての快感を生み出すテンポとかリズム感をタイムシートの勉強で分かるようになると少しオタクレベルが上がる気がする。


 それに、僕は鬱病で不幸な人生なので、思考に隙間が出来たら親の死とか過去の恥とかを思い出す。1秒以下でも退屈すると鬱になるので楽しいことを数珠のようにつないでいかないといけない。
 なのでテレビアニメも1.5倍速再生で圧縮しないと見れない。カットや動きに不自然な余白があると、そこで退屈して鬱になる。それでもつまらなくて鬱になる時はスマホゲームのオートバトルとか部屋の掃除をやりながら見る。


 しかし、富野監督と出崎統監督と幾原邦彦監督と嚙み合った時の佐藤順一監督とるろうに剣心あたりの細田守演出とか(結構多いな)は退屈するヒマがなく畳みかけてくるし、逆に再生速度を変えるとテンポが崩れて如実に気持ち悪くなる。


 そういう感覚的なところの考察はこれまで足りなかった気がする。


 しかし、僕も40代なので新しく学び直しは難しいかもしれない。体調が悪くなる頻度が増えて行動回数が落ちている。


 というわけで、シャフト演出をすごく細かく解読しているあにもにさんあたり、どうでしょう?


(突然の巻きこみ)

  • Amazonほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


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