玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

超電磁マシーン ボルテスV1、3

今日まで、GyaOで3話まで無料で見れるし、1,3話が富野絵コンテだから見た。
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あらすじはだいたい長谷川裕一先生のゴッドバードで知ってる。

ゴッドバード4 (CR COMICS)

ゴッドバード4 (CR COMICS)

富野信者だし、長浜忠夫もなかなかだし、勇者ライディーン超電磁ロボ コン・バトラーVも見たし、ボルテスは近所のレンタルに全話が置いてないし。見る。

  • オープニング

TOMINOSUKI / 富野愛好病 富野作品のオープニング、エンディングと絵コンテ(7)
富野絵コンテと金田伊功作画が荒ぶっている。すごい。

  • ヒロイン

ニンジャの末裔で防衛軍司令官の娘という岡めぐみがかわいい。お嬢様っぽいのが富野ヒロインっぽくていい。また、ボルテスチームの男たちはだいたい母親との関係がアレだが、序盤からそこをフォローしていくところが母性がある感じで頼もしい。
と、見せかけてリボンちゃんだったりもするところが可愛い。
テッカマンブレードのアキは忍者の末裔で見た目がコンVの南原ちずるなんだなー。
1975年

宇宙の騎士テッカマン(天地ひろみ)

1976年

超電磁ロボ コン・バトラーV(南原ちづる)

1978年

超電磁マシーン ボルテスV(岡めぐみ)
闘将ダイモス(エリカ)
っていう声優の上田みゆきさんのつながりもですね。
っていうか、超電磁シリーズは同じ声優が同じような役をするという異常なジャンルだったんだなー。魔法少女水島裕みたいな?「

  • 1話 宇宙からの侵略者

とみの喜幸絵コンテ演出回。
しょっぱなから世界全土が侵略を受けるところが、開始数秒での大地震で世界が滅ぶライディーンの1はなしを彷彿とさせるが、それに対して防衛軍が一応反抗をするところに、ミリタリズムを感じた。円谷大人向け特撮の臭い。
だが、ストーリー面では、コン・バトラーVからのつながりということで、ドラマ性や説明はほとんどなく、ジェットコースターのようにすごいスピードと既定路線で主人公たちがロボットに乗って敵を撃破するまでが急転直下で描かれ、非常にスピード感が強い。
どういう敵なのか? 侵略宇宙人なんだ!

なぜ彼らが主人公なのか? 彼らは優秀で親がロボ関係で、訓練を積んでいるからだ!


なぜロボットが敵に勝つのか? 侵略宇宙人に対処するために作られたからだ!


という、「王道巨大ロボットもの」のセオリー中のセオリーにほとんど自動的に沿っている。
円谷時代、東宝東映が粗製濫造した宇宙特撮映画からの流れを汲む、プログラムピクチャーらしい自動的な展開といえよう。だが、それを自覚した上で、セオリー以外のムダを極力排除して、シンプルにしていくことで迫力を打ち出していこうという長浜や富野の強い意志を感じた。なかなか良い。
また、富野は子供騙しの特撮に対する仮想敵視を言っていたので、富野のフィルモグラフィとしてもこれはなかなか。
スポンサーの都合的にもウルトラシリーズの流れを汲む長浜ロマンロボットシリーズで、富野が自覚的に特撮映画みたいなテンプレートのストーリーを演出していったんだなあ、と感じられる。また、富野は幼少の頃から宇宙好きだし、宇宙侵略ものの映画は結構見てるはずだし。


説明セリフは確実に説明台詞で、テロップで説明が済む名前の紹介などはテロップで字をガンガン入れることで映像としてのスピードを上げている。テロップの多用は映画の技法としては邪道なんだが、巨大ロボットものという映画としては邪道というジャンルを自覚していたであろう富野は邪道の演出技法を多用することで、逆に邪道なロボットアニメを後に「王道スーパーロボット」と言わしめるジャンルにまで育てたといえよう。この邪道×邪道=王道というストーリー作りはバクマン。などの現代のヒット作にも通じている。


まあ、ちょっと冷静に考えたら子供騙しに見えるし、実際子供向け番組ではあるんだが、プリンス・ハイネルの存在感とか親子関係の大河ドラマの予感を感じさせる芝居とかで緊張感を保っている。
テロップのフリガナの「ボルテスV(ふぁいぶ)」というひらがなはちょっと微妙だったがな。ふぁいぶ

  • ロボットチャンバラ

ロボットが剣を持つというのはグレートマジンガーっぽいし、ボルテスVのデザインもグレートマジンガーみたいな配色だったりする。
超合金シリーズの生みの親であり、超合金を通じてマジンガーZに深く関わっていた村上克司天皇のデザインだし。すごくマジンガーっぽい。
また、合体要素がすごくブロック玩具の組み合わせなので、ロボットのデザインとしては四角四面でちょっと面白みに欠けるデザインだなーって思う。特に手足。
顔の目の周りのパネルの組み合わせの面の使い方とかはターンエーガンダムに似ててイケメンだとは思うけど。
ただ、その面白みのないシンプルなデザインをVの字斬りの天空剣で補っていると思う。
ただ、シンプルでロボットらしいロボットっていうデザインのボルテスだが、体の各所に合体前の戦闘機形態での翼やキャタピラが付いていて、おもちゃとしては面白いけど、美意識としてはちょっと邪魔だなあ。
作画がうまいこと、そこらへんの無駄なパーツを処理して省略してシルエットをうまく描くと、剣を使った戦いをした時に映えるんだが。金田作画はそこがいいよね。

  • 母親

また、ボルテスVでは主人公たちの母親が主人公たちを無理やりロボットに乗せる指揮官という所が、ほかのロボットアニメとは違うなーって思った。こういう冷徹な指揮官を仕事にする母親という演出は結構珍しい。母親というキャラクター要素は日常の象徴みたいなものなので、非日常なロボットアニメでは割と描きにくい要素ではあるんだが。結構、みなしごだったり片親だったりする主人公が多いよなー。ロボットアニメ。
まあ、蒼穹のファフナーとか、母親が指揮官、っていうのはありますけど、ファフナーはまた大人がキーワードみたいなアニメでしたからねー。
碇ユイはまたちょっと違うめんどくささが。


で、そういう母親である剛光代博士は結構珍しいキャラクターだなーって思って注目していた。
雰囲気がガンダムキシリア・ザビブレンパワードの伊佐未翠博士に似てて、結構富野っぽい母親だなーと。
母の作ったロボットとか、ZガンダムとかガンダムF91とかVガンダムとか。


そしたら、
以下ネタバレ


超合金魂 GX-31V ボルテスV RESPECT FOR VOLT IN BOX

超合金魂 GX-31V ボルテスV RESPECT FOR VOLT IN BOX


母親自爆して死ぬのかよ!


う、うわああああ!
私も先日母親が自殺したので、見ててきつい・・・。
こういう自爆はVガンダムっぽい・・・。富野に受け継がれているなあ。ただ、長浜ロマンは王道ロボットと評価されることが多いのに、Vガンダムはあまり王道としては評価されていない。
富野は長浜ロマンで取り込んだストーリー構成とか、世界名作劇場っぽい雰囲気をVガンダムで使おうとしたのはわかるんだが、それが逆に王道×王道=邪道というふうになってしまったのがVガンダムかなあ?
シャクティとかカテジナ・ルースというスペシャルなエラーが入ってるのがでかいか・・・。
お姫様だった幼馴染とか、お嬢さまが敵になるとか、王道ロマンっぽい要素だったのに、Vガンダム・・・。


そういうことでボルテスは後の富野っぽさの萌芽が感じられる。


母親が序盤に自殺したことで、今後母親を描かなくても、母親の主人公に対する愛情を全体的に配置するという構成技法ですね。
ただでさえロボットアニメを見るような男児にとって口やかましい人っていう母親という存在がロボットの指揮官として1年間いると、ちょっと見てて爽快さは減るもんな・・・。父親が指揮官っていうのはまたちょっとニュアンスが違って、そこらへんが人間の生物としての妙な要素だったりジェンダー意識だったりもするんだろうけど。



そう考えると、やっぱり終盤で母親が死んじゃうVガンダムや、母と同時に姉がめんどくさくなるブレンパワードは富野のオリジナリティなのかなあ?


「母親は遠きにありて思うもの」っていうのは、長浜ドラマっぽいよねー。巨人の星からの流れでもある。
ライディーンの後半のレムリアの微妙に出たり出なかったりするのも長浜っぽい。富野が描いた時のレムリアは母親というよりは女っていうふうに描かれてた。


でも、母親の自爆が、完全なる自殺というよりは、肉薄攻撃の結果として、墜落してしまう半分事故的なもの、として描かれている所はコンVでも生命力を感じさせる演出をした高橋資祐さんの要素かなー?
シナリオとしては、母親が重傷の身で戦闘機に乗るというところで既に自殺っぽいんだけども、映像としてはまだ多少は生きる意志を感じさせるものではあった、かなあ?


  • 第3話墓標が教えた作戦

3話の冒頭で母親の特攻について「俺たちが戦えばよかったし、母さんは別に自爆しなくても良かったんじゃないか」って主人公の剛健一が言っているんだが、そこらへんの自爆の無意味な悲しさ、自爆をさせざるを得なかった主人公の不甲斐なさ、みたいなものは機動戦士ガンダムリュウとスレッガーの特攻や、Vガンダムのオリファーの特攻にも通じてるよなー。
序盤で肉親の死を描くことで、主人公たちに戦う動機付けをさせたり、主人公の弱さ(=成長の余地)とするのはドラマツルギーとしてはすごくドラマツルギーだなーと。

コンテの直しも良く言えば細かくて、ドラマトルギー(ドラマツルギーとは違う)的手直しと、イマジナリィ・ラインを口にされて、演出手法の根本セオリーを指摘してきた。
富野由悠季著『だから僕は…』から、長浜監督に関する回想
http://d-miura.info/2005/07/nagahama_yakuwari.php

っていう。


長浜さんはすごく「ドラマ」を意識してて、そこは富野に受け継がれたよなー。ドラマトルギーはドラマツルギーよりもより局所的なものかしらん?


ただ、母親の自殺によって救われて、残された息子たちは愛されていたということを感じるっていうのは、先日母親がリアルに自殺してしまった私には結構見てて辛いですねー。まあ、アニメを見てる時しか自分が生きてる実感がなくて僕も自殺したいっていう性格や体質なので、どんなに辛い内容でもアニメは見ますけど。(ただし、つまらないアニメは容赦なく記憶から消します)


剛光代さんは夫である剛健太郎さんとの愛情と約束を守るために巨大ロボットまで作って息子たちを先頭パイロットに訓練してしまうほどの鉄の意志を持っていた女性で、それが暴走して自爆まで通じるんで、母親としてもすごいが、女としてすごく夫に対しての執着心がすごい大恋愛だったんだろうなー。長浜ドラマチックだよなー。うちの両親は不仲だったしなー。そういう点では、僕の母親の死はZガンダムカミーユに近くて、序盤で母親が死んだとしても、母親の身を挺しての愛情は感じなくて、母親を死なせた世の中に対する怒りをひたすら蓄積させる系です。


あ、あと、天空剣を胸から直接伸ばして敵にぶつけるっていう3話のトリッキーな戦い方は富野らしい、型にはまらない柔軟な戦闘テクニックだと思いました。少女革命ウテナっぽくもあり。
同時にロボット玩具の面白みを増す戦いで、クロスボーンガンダムの戦い方にも通じるよなーって。
超電磁コマと超電磁ストリング、名前は変だしおもちゃっぽさ満載だけど、サイコミュっぽくもあり、アニメ動画としては見ごたえがある。

  • 雑記

明日はクリスマスイブだし、忌明けも済んだので、脳内妹小説を書いて自分自身の生命力を取り戻さないと、僕は自殺しそうです。ストレス身体化障害や社会恐怖障害、パニック障害回避性人格障害で全身が痛いです。微熱が長引いて体の免疫力や粘膜の結合力が低下してすぐに血を吐きます。
過労でKLab株式会社を退職した時のケースに近い精神疾患です。
その時の、3年前のクリスマスには、たったひとりのアパートで僕は熱を出して死にかけて、臨死体験して、夢の中で脳内妹に自殺を止められたという神秘体験をした。
メリークリスマスそらちゃん天使すなぁ - 玖足手帖-アニメ&創作-
今は母親もいなくなって、現実世界ではすごく空虚で荒涼としています。
なんとか富野アニメや出崎統アニメから精神的栄養を得て、自分の遺書の代わりの脳内妹小説を書いて、母親のように立派に自殺したいと思います。そうしなければ、計画的な自殺すらできずに精神病が原因での免疫不全で死ぬか、意識が混濁している時に事故死するかどっちかです。頑張りたい。



あと、忌明けというのに、源光庵の坊主が母親の位牌を持ってくるのを忘れやがって、最後まで母親は人に大事にされない可哀想な人だったんだなあって思った。源光庵も呪う。
京都の有名寺社仏閣すら呪わなくてはならなくなった僕には、もう富野出崎統級の超ド級名作アニメと脳内妹しか支えがない。なのに、低賃金労働者もしなくてはならず、そんな僕の姿を見るのが、母親は死ぬほどいやだったんだろうなあ、って思ってアニメを見てても死にたくなるけど。でも、死にたいって気持ちを忘れさせるほどの超絶芸術力を持つ富野出崎統の生命エネルギーへの貪欲さは母の自殺によってさらに増大した。
というか、本当に芸術がないと生きることもおぼつかない。ギリギリです。つらい。

それにしても、堀江美都子の歌は最高だなー。フィリピン人がハマるのも無理がない。
今後、中国と外交するにあたって、中国の一極支配にならぬようにするには、太平洋西岸諸国の緊密な横のつながりの外交がさらに重視されると思うので、日本人としても、フィリピン人に多大な影響を与えたボルテスVについて知っておくことは非常に大事だと思う。

サンライズと富野はこの作品のちょっと前にフランス革命を舞台にしたチャンバラ時代劇アニメのラ・セーヌの星を作っていたんだが、ボルテスVの革命劇にはラ・セーヌの星(と、当時はアニメになる前のベルサイユのばら)の影響が大きかったということらしい。これも、富野のフィルモグラフィとして重要。
また、これが長浜忠夫ベルサイユのばらにつながるし、出崎統にもつながるし、ベルサイユのばらのヒロインマリー・アントワネットの声が超電磁シリーズのヒロインであった上田みゆきさんというつながりにもなる。
アニメは、本当に人のつながりで出来ているわけで、アニメオタクがリアルな人間に興味がなくなるという意見はやはり不正確だ。アニメを見れば見るほど、人の関係に興味がわく。
ただ、アニメを見て、人間関係のドラマを見て、人間関係を尊重するあまり身動きが取りにくくなって、オタクじゃない一般人がずさんに明るく前向きに無思考で行っている人間関係に慎重になっているという面もあるな。
私も母親の精神疾患を予期していたが、それを無理に治療させることで母親のメンツを潰さないようにと気を使っていたり、私のような精神疾患患者が行動するよりは周りの明るく前向きでずさんな健常者に母親を任せたほうがいいのではないか、というふうに行動した結果、母親を見捨てる形になってしまい。
つらい。


でも、もう母親は帰ってこないし、母親を死なせたことを反省して成長しても母親にはもうなにもしてあげられないし、ほかに大事な人も現実にはいない。
だから、やっぱりアニメを見て小説を書くしかないんだ。
仕事は、するけど、でも、僕の給料が少なくて昇給もできないってことも母親の絶望の一つだったので、なんだか・・・。考えるのをやめて昆虫のように前向きにずさんに現実をやりすごすしかない。


ちょっと後半、ボルテスと関係ない話が増えてすまない。僕も今は普通じゃない。普通になる日が来るかもわからない。でも、アニメは見るんだ。アニメは見るんだ。
おにいさまへ・・・を見たらベルサイユのばらを見て、エースをねらえ!も見て、少女革命ウテナを見るんだ。見てない富野アニメもザンボット3ダイターン3エルガイムを見て、ガンダムシリーズもまた見直して再発見するんだ。
母親は死んだけど、僕にはまだ見たいアニメや未来があるんだ。そうやって僕は20代を終えてしまって老いていくんだ。絶望でもある。だが、アニメを見るんだ。アニメを見るんだ。


生きがいがあるとかないとか、関係ないのです!
生き甲斐さえあれば、なんて思う者が本当のアニメオタクになれるはずがありません!
なぜならば!
自分の感性を最後まで信じるものにこそ真の感性が宿るからです!
きっと、本物のアニメオタクは!
本物のアニオタは!
心にアニマを持っているのだから!





親が死んでもなあ!アニメを見て、その感想をキーボードに叩きつけている時だけ、俺は生きてるって感じるんだよ!!!!
葬式でいろんな人に「お母さんのために強くなりなさい」って言われたけどさー。
誰のためでもない、自分のためさ。(薫の君「おにいさまへ・・・」)


罪は罪、されど!(源氏物語千年紀-Genji)