玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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超電磁マシーン ボルテスV 後半、25〜40話(最終話)長浜ロマン!

GyaOで今日で配信終了ということだし、レンタルビデオにもあまり置いてないので見た。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00867/v00468/
いい話だったかなー?
全部の解説は↓でしてくださっている人がいる。
超電磁マシーンボルテス�X全話解説
私は富野ファンなので、富野監督が参加してない長浜忠夫部分には興味が薄い・・・。

  • プリンス・ハイネルがかわいそう

これに尽きる。親や仲間や目上の人からの愛や指導に恵まれた剛兄弟の異母兄であるプリンス・ハイネルは親の愛にも組織内の支援にも恵まれず、むしろ生まれのせいで伯父である皇帝、ズ・ザンバジルに命すら狙われる。彼はそういう自分の生まれの引け目を振り払うかのように、一生懸命国家に尽くして戦うのだが、彼が守ろうとした国家の指導者の貴族たちはたいていクズだった。
まあ、ハイネルには武人ジャンギャル将軍の忠誠と美女参謀カザリーンの愛だけはあったけど、それ以外は本当にひどい扱い。
帝位を追われたハイネルと剛兄弟の父であるラ・ゴール(剛健太郎博士)がハイネルともっと円滑にコミュニケーションをしていたら、ハイネルはしなくてもいい戦いをしなくても良かったし、ボアザン星の革命ももっとスムーズだったのでは・・・。
というか、長浜忠夫は「コミュ障の親父が妙な精神論を言って情報を開示しないせいで、息子が苦労する」っていう話を巨人の星からやってる。長浜忠夫の癖か?
そういうコミュ障の親父のせいでハイネルがかわいそうでした。まあ、ハイネル自身も自分の守るべき国や貴族制度がどういったものか、どの程度の価値があるのか、もっと冷静に考えて行動すべきだったという面もある。
しかし、プリンス・ハイネルはものすごくハンデや身内の不祥事を背負っているのに自分の努力と誇りで能力を高めようと頑張ってて、すごいえらい。しかも、彼が信じる貴族制度自体は糞だったが、ハイネルの国家や部下に対する責任感はすごい偉かったと思う。ボルテスチームよりもハイネルを見てる方が面白かった。
ボルテスチームの「父をたずねて14万5千光年」という「父恋し」というドラマの主軸は長浜忠夫が狙ったテーマでもある。しかし、ハイネルは恋しいと思う父も母も最初からいないのに、それでも「責任感」と「誇り」と「努力」で自分を高めようとしていた。
「親が恋しい」という主人公たちの感情はメイン視聴者である子供にも理解できるレベルの感情だし、普通の人なら誰しも持っている普通のものだ。
だが、ハイネルはその一歩上のレベルの苦悩と精神的努力を持っていて、ハイティーンやオッサンにも共感できる。ボルテスチームの活躍を見てるよりもハイネルの苦労を見てる方がドラマ性やロマンを感じて、端的に言っておもしろい。ドラマの精神性もハイネルの方が高い。
まあ、子供向けアニメなんだけどね!

終盤はプリンス・ハイネルに関連する因縁や、政治的な裏切りの連続などのドラマがおもしろすぎて、親父の王位奪還の道具に使われるために従っていただけのボルテスVという主人公チームが全然面白くない。
将軍の帰還に合わせて労奴が立ち上がって反乱を起こすという終盤は、ベルサイユのばらのそれよりも、むしろそのあとの時代の「レ・ミゼラブル」のフランスの六月暴動に近い気がする。(レ・ミゼラブルラマルク将軍は死んでいるけど、ボルテスVでも何人か民衆側の将軍が死んでいる)
そういう革命運動の中で、ボルテスVという主役ロボットは、最終回では「革命軍を援護して帰属の拠点を破壊する武器」というふうに描かれている。ボアザン星の大攻防戦では、スーパーロボットとして今まで地球を守るために感情的かつ防衛的に活躍していたボルテスが、「他国の軍事介入の道具」として行動している。
ボルテスチームは今まで「正義を守って戦うこと」「敵であっても人権を尊重する正義感を失わないこと」を目標にして戦っていたし、それに付随して悩みやドラマがあったのだが、終盤においてボアザン星の内政に干渉して軍事拠点を潰す時に、ボルテスチームは「異星の軍人、兵隊を大量に殺傷すること」についてほとんど葛藤せず、淡々と砲台を潰して殺していった。演出的にも、そのように軍事行動を行うボルテスVスーパーロボット的な感情を見せず、淡々と砲弾を弾いて基地を殴って破壊するという、感情のないマシーン、あるいはゴジラ的な動きであった。また、異星の平和のために介入する巨人というのは、(初代)ウルトラマン的でもある。
まあ、主人公の剛兄弟「革命派に味方することは父親のラ・ゴールの言いつけだし、そうしないと父親が皇帝に殺されるし」っていうエクスキューズはあるんだけども、「父のいいつけを守るためにマシーンになる」っていうのは、巨人の星で野球マシーンになったことに苦悩しつつ自立の道を探っていた星飛雄馬に比べると、成長の度合いが幼児化している、ドラマのテーマ的に後退していると言えないだろうか。


まあ、それはそれとして、こういうアニメをやったことが長浜忠夫の経験になって、ベルサイユのばらの前半につながったということもある。ベルサイユのばらの長浜パートも意外と面白く見ている。


ただ、やっぱり血縁に従って約束された勝利の道を行くボルテスVの終盤の行動は、展開やルールが決まりきった感じでドラマ的な葛藤や驚きに欠けて、面白くなかった。
奴隷解放革命という正義にスムーズに乗っているだけのボルテスVには主人公としての深みが足りない。


むしろ、プリンス・ハイネルが貴族側と革命側の狭間で苦悩しつつ、一生懸命、世界に対して自分の存在を示すために戦ったのに、結局は時代からも親からも不要とされて不幸になり、最期に親と兄弟の真実を知っても報われることなく炎の中に消えていくところに深みを感じた。


というか、作り手の側もわかりやすい正義のルールや巨大ロボットのスタンダードな展開を守っているボルテスよりも、ハイネルの方に感情移入して作っているんじゃないだろうかという気がした。明らかに、ボルテスチームよりもハイネルの方が喜怒哀楽の感情が豊かに描かれているもん。
まあ、理詰めで感情を描くことが得意な長浜忠夫としては、単純な正義のボルテスより、設定上難しい状況と性格を背負ったハイネルを描く方に時間や演出のエネルギーを分配しないと視聴者に理解させられないと考えて配分したのではないかと推測する。
そういうわけで、結果的に主人公よりハイネル側の感情描写の方が充実していて、主人公のくせにボルテスVは革命の道具と状況の解説役に終始していて、冷静というか冷酷に見えて、なんだかなあ、って感じでした。
また、貴族と労奴の二大勢力の対立が描かれていて、その中間の「何も考えない大衆」が描かれていなかったのも、ドラマとしては薄いと思った。レ・ミゼラブルでは革命を支持しなかった市民やテナルディエを通じて顔のない大衆というものを描いていたし、その大衆に飲まれずに自分の人生をジャン・バルジャンが生きられるかどうか、というテーゼもあった。やっぱりロボットアニメよりも名作小説の方が深みがあるなあ、と。当たり前か。しかし、レ・ミゼラブル 少女コゼット名作劇場アニメだったと思うよ。コゼットとエポニーヌが可愛かったし。


その後、サンライズ機動戦士ガンダムを作るわけだが、シャア・アズナブル勇者ライディーンのプリンス・シャーキンやボルテスVのプリンス・ハイネルの路線上にある美形のプリンスライバルである。シャアもハイネルと同じく、敵側の国の指導者との関係に問題を抱えているし。
ハイネルの「帝国に栄光あれ!」って叫んで特攻していくところはガルマに通じるし。
対して、主人公のアムロは主人公だし、父親の作ったロボットに乗る。アムロも剛兄弟に似ている。
こう考えると、やっぱり安彦良和が言ったように「ガンダムはシャアの復讐譚」という風にシャアの方がドラマの分量が大きくなりそうなものだ。
だが、ガンダムではボルテスと違い、アムロアムロで「地球連邦の正義は正義なのかどうか?」とか「守りたいものや愛する者がないのに戦ってはいけないのか?」とか「ロボットを作ったオヤジもそんなにたいしたことなかったのかも」とか色々な苦悩やドラマ性があった。
機動戦士ガンダムではシャアはプリンスとしてドラマの重量感を持っているが、アムロ側にはボルテスの主人公側には少なかったドラマ性を盛ってきている。機動戦士ガンダムではボルテスよりもさらに人間ドラマが増していて敵味方や、軍人と民間人とハッキリと分割できない大衆とか人間性の変化などを描いていた。
これは、ガンダムだけが得意で優れているものだからだ、というよりは、サンライズや富野がボルテスVサイボーグ009などを制作したり関わったり傍観したり、その他の時代の空気を取り入れた結果としてガンダムがこのようになったのだろう、と考えたい。つまり、ボルテスVにはつまらない部分もあるけど、ガンダムに通じる部分もあり、その反省と参考があったからこそガンダムや今日のアニメにつながったのだろう、ということである。
そういう話をアニメ夜話氷川竜介先生が語っていたので、なるほどなあ、と思った。

BSアニメ夜話 (Vol.02) (キネ旬ムック)

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また、最終回で、ボアザン星で軍事行動を行って砲台を無表情に破壊するボルテスVは主役ロボットというよりは冷酷な機械人形という感じで、ジャブローで砲台を破壊するアッガイの冷酷さに通じる。
あと、ボルテスの顔はデザインが最後まで無表情で、剣を持って敵怪獣と戦っているときはまだ人間味があったけど、軍事行動をして砲台潰しをすると本当にメカニカルだなー。

超合金魂 GX-31V ボルテスV RESPECT FOR VOLT IN BOX

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そんなボルテスの無表情さに比べると、やっぱりハイネルの方が主人公に見える・・・。
プリンス・ハイネルが最後に乗り込んでボルテスと戦う巨大ロボ・ゴードルはボアザン星の守護神の巨大石像の中に隠されていたもので、決死の覚悟のハイネルの祈りによって目覚めたものなので、非常に勇者ライディーンターンエーガンダムのような神話性を感じる!メカニカルに作られて軍事行動を淡々と行うたボルテスより、騎士として戦うためにゴードル像を目覚めさせたハイネル方が主人公メカっぽい神秘性がある!しかも脳波コントロールできる!
長浜忠夫としては、富野喜幸のアイディアっぽい神秘っぽいライディーンっぽいものをラスボスにして、それを科学の力のボルテスで打ち倒すことで富野に長浜が勝利するっていうものを描こうとしたのかなあ。
あるいは、2年前に放送されたの主人公メカのライディーンやシャーキンに似たものをやっつけることで、ボルテスがシリーズものとして進化していると見せたかったのか。たぶん、シリーズものとしてのインフレを描きたかったんだと思う。プリキュア的な意味でも。
でも、やっぱり神秘のロボットの方が機械人形よりロマンはあるよなあ・・・。

超電磁マシーン ボルテスV BOX (初回限定生産) [DVD]

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  • 余談

私自身、親と仕事を失った影響で、ちょっとうつ病が悪化しているし、その影響で画面を見たりキーボードで文字を打つことすら痛い。そういうわけで、あんまり感想は長くかけない。
私自身、家族がひどいことになっているし、世間からもひどい扱いを受けているので、プリンス・ハイネルのかわいそうさに非常に同情します。まあ、僕は美形でもないし運動神経も知能もハイネルには及ばないんだけど。
ゴッドバードでの活躍に期待。
ダルタニアスには富野が参加してないから見てないけどな。

ゴッドバード5 (CR COMICS)

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「子供達よ。父や母や兄弟を愛するように、人間同士が宇宙を超えて本当に愛し合えるならば、そして地上のあらゆる動物や植物、山や海を愛する事が出来るならば、宇宙はいつまでも平和だ……」
この最後のナレーションはいくらなんでも理想主義的で、70年代の科学と人権を無邪気に信じていられた西側諸国の日本だな、21世紀のグローバリゼーションに疲弊している我々としては、こんなふうに未来に希望をもてた時代の視聴者は羨ましいと思う。
でも、このアニメを見ていた世代の人が今の50代とかで、今の無残な世界を作った大衆であるので、憎い。

  • 3クールアニメは名作

ガンダムも3クールだよな。ボルテスは翌年に闘将ダイモスが続くし、人気がなくて打ち切りというわけでもないと思うけど。まあ、コンVよりは売れなかったと思うけど。
でも、3クールっていう分量なので、4クールアニメの前半で散っていったシャーキンやガルーダよりは、プリンス・ハイネルのドラマが出来てたと思う。
ダイモスも美形悪役が活躍だけど、ダイモスはもっとドラマ性重視で短いんだよな。

  • フィリピンでの人気

やっぱり、西欧的なボアザン貴族をやっつけるのがフィリピン人にとってカタルシスだったのかなー?僕はフィリピンの歴史や政治体制の変化には詳しくないけど。
当時は「ボルテスは剣を使うので、日本軍人を連想させる」ってフィリピンの大人に怒られたらしいが、視聴率や人気はあったらしい。
まー、西欧的な貴族の支配に、介入するボルテスは微妙に日本帝国軍っぽいかもしれなかったが、まあ、日本は負けたし・・・。