玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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リボンの騎士第3話第4話は富野絵コンテ

というわけで、KBS京都の朝の帯再放送の「アニメでおはよっ!」枠で、宝島のあとは虫プロリボンの騎士(1967年)が始まった。
で、見た。面白かった。
そしたら、最後に「監督:富野由悠季」と出た。実際は各話演出で、このテロップは後付けのビデオグラムバージョン。この時は本名の富野喜幸名義である。
富野由悠季全仕事によれば、富野がリボンの騎士で演出したのは全部で4本。
今回の第3話「武術大会の巻」第4話「踊れフランツ」のあと、第9話「こわされた人形」、第21話「世界一のおやつ」である。

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)


リボンの騎士は全52話だが。富野はリボンの騎士の前の鉄腕アトムで絵コンテ25本などをやった。ジャングル大帝には参加せず、リボンの騎士の途中の1967年3月で虫プロを退社。CM制作会社で実写のバスクリンなどのCMの絵コンテ、演出、制作を手掛け、1年後の1968年にアニマル1か巨人の星か夕焼け番長のどれかでアニメ界に復帰。このころの富野はグダグダだったと思う。エッセイによれば、多分夕焼け番長。


という、進路的に微妙な時期の富野の作品である。わざわざ見るつもりがなかったけど再放送で無料で見れると見るね。


感想

  • 第3話「武術大会の巻」

サファイア王子が武術大会に出場する話。
武術大会にはサファイアを暗殺するように悪のジュラルミン大公に依頼された殺し屋が参加していた。サファイアは彼らを武術大会で破るが、殺し屋グループとジュラルミン大公の間で内紛がおこる。殺し屋の一人はジュラルミンに殺されて死に、その親友の騎士のバロンはサファイヤと協力してジュラルミンの手下を殺す。騎士道精神を持つバロンは試合ではサファイアを殺したくなくて負けたが、実戦ではサファイアを圧倒し、サファイアに「もっと強くならないと生き残れないぞ」と言い残し去っていく。
という、なかなかにハードで内容の濃い3話。ドラマチック!おもしろい。手塚先生は上手いなあ。ここら辺は原作にもあったのかしらん。読んではいない。もうしわけない。

リボンの騎士(1) (講談社漫画文庫)

リボンの騎士(1) (講談社漫画文庫)

この話の特に面白い所。
サファイア王子は、女の体に男の心と言う風に産まれて、物語と並行して女らしさに目覚める、という話かと思っていたのだが。
3話ではほとんどサファイアが女であるという葛藤が描かれていないのが面白い。むしろ、女か男かということよりも、「弱いと生き残れないので強くなりたい」と言う話。
「女であるとバレたら殺される」という舞台設定の緊張感が面白い。
美少女主人公と言うよりは、サファイアが少年主人公として描かれている。つまり、富野ガンダムの主人公のような「大人たちの力に対して反骨精神と上昇志向を持つ少年」という風な雰囲気で面白いのだ。サファイアがりりしい。自分が女であるということでくよくよしないで純粋に強くなろうと思うし、実際にがんばって戦ってるのがカッコいいです。当時の少女の読者や視聴者に、こういうサファイアのさっぱりとした所が憧れの対象となったのかもしれないですね。


あと、サファイアの母がサファイアに「あなたは王に成る勉強だけをしていればいいのです。武術大会などに出るのはおよしなさい」と言って、サファイアが腕力を付ける事を阻害する教育ママとして描かれているのが富野喜幸らしい、めんどくさい母親の描写と言う感じだ。
今回はサファイアの父の王様の影が薄いが、その代わりにサファイアの前に立ちふさがる黄金の鎧の騎士のバロンという禿げた中年男性が「俺はお前を殺さないからわざと負けてやったんだ。だが、本当はお前は俺より弱い!もっと強くなれ!」と、父性的、暴力的な目標として登場している所も面白い。本当の父親よりも、通りすがりの騎士の方に憧れると言うのも、少年的である。
また、バロンがサファイアの父の代理的なキャラクターとしてだけではなく、彼自身も自分の技で武術大会に出場し賞金を稼いで生きることに誇りを持っている一人の男としても魅力的に描かれていて見所がある。バロンがサファイアとは関係なく殺された友人の仇を取るために大公と戦うのも、サファイア中心だけではない物語の多重性を構成していて面白い。
脚本は能加平氏。平見修二の変名。アトムやどろろも手掛ける。まんが日本昔ばなしなども。


なかなか男くさい騎士道物語としても面白いのだなあ。と、発見。

  • 第4話「踊れフランツ」

船上舞踏会で隣国の王子フランツと対面するサファイアと、サファイアが女かどうか気にするフランツと言う、ボーイ・ミーツ・ガールの話。
だが、それだけではなく、その船を漕いでいた奴隷たちはジュラルミン大公に無実の罪を着せられていた男たちであり、彼らの反乱に協力するサファイアとフランツ、という事件が描かれている。
ベン・ハーかよ。


反乱する奴隷たちのリーダーの男がベン・ハーのように、なかなか男くさく、力強く知恵と勇気と品性がある感じでカッコ良かった。
フランツだけの話ではないのが面白いし、スペクタクルだ。
アニメーションとしてはもちろん、21世紀現在のアニメとは比べるまでもない低クオリティだが、このように洋画を意識したシナリオや、ディズニーを意識した絵の作りが洋画っぽい。
手塚治虫先生はディズニーや洋画キチガイだし、このころは日本テレビアニメが黎明期だったがために、まだ今ほど「ジャパニメーション」と海外アニメの違いがなかったのだろう。(予算の違いやリミテッドアニメーションという点もあるが)
無駄に大げさに動いたり変形するカートゥーンアニメ(フライシャー兄弟ベティ・ブープ」、「ポパイ」、「スーパーマン」)っぽい所もある。



1967年は僕が産まれる10年以上前なのだが、この頃のテレビアニメ創世期には、アニメ専業作家は少なかったと思うので、洋画の影響を強く持っている人や、テレビアニメという枠にとらわれな人が多かったのだろう。というか、枠ができていない。
ラストカットの、上へのパンアップで、近景から地平線に沈む夕日のパノラマを描くと言うカメラワークは、「風と共に去りぬ」のマットペインティングによるパノラマ描写に似ている。洋画的だ。
もしかすると、絵を使って遠景を表現するのは実写よりもアニメの方が得意とも言えるかもしれない。


あと、船をこぐ男たちが歌を歌いながらこいでいたり、氾濫した後は自由の海に旅立つというエンディングは富野喜幸と言うよりは出崎統のセンスだと思った。この時期にも出崎統虫プロダクションに所属していたが、リボンの騎士への関与は微妙だ。富野がまねをしようとしたのだろうか?それとも、普通にシナリオ段階からだろうか?出崎統がむしろ能加平さんのエッセンスを吸収したのだろうか?
あんまり手塚治虫自身には出崎統ほど「海」「歌」「旅」というイメージは無いのだが。まあ、60年代人のカッコいい流行というものは在ったのだろうか・・・。洋画からのインスパイアもあっただろうし。


また、最初はフランツはサファイアが女か男か気にしていたし、サファイアとダンスをした時に彼女が女だと見抜いたが、サファイアと一緒に遊んだり、反乱奴隷に加勢して共闘したあとはサファイアが女でも男でも気にしないような友情を持ったようだ。
ショタというか、宝塚と言うか、ジェンダーを越えた感じの関係性が手塚治虫っぽくて萌えです。


追記:
冨田勲のBGMもアニメの動きに追随したブラスの使い方が舞台演劇っぽかった。