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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ガッチャマンクラウズインサイト #クラウズ論壇 の おしまい

GATCHAMAN CROWDS insight #11 trade-off #12 insight
色々と説明臭さと理屈に走って物語作品としてはかなり歪なものになっているんだが、まあこういう変な作品がたまにあってもいいんじゃないかなあ。


悪意の塊のベルク・カッツェの性格の方がゲルちゃんより好きなので、1期ほどの衝撃とか感情移入はないんですが。まあ、ガッチャマンクラウズ2期もそれなりに好きだと思う。
つらつらと考えて感想を書いてみたい。

  • 敵をやっつけないヒーローもの

前回、

nuryouguda.hatenablog.com

「自分で考えろ」という単純な説教が話の軸だけど、ネタを見てるだけで結構楽しく見れたので良かった。
そして、ガッチャマンのGメンバーたちの必殺技連打がめっちゃ爽快感ある。
「空気に流されるのは良くない!」 って話だけど、 「ヒーローが活躍するシーンを見るのは楽しい!」 っていう娯楽感はある。 そう言う高揚感も空気を作るのかな。

と書いたのだが、10話の爽快感のあるヒーローアニメらしい戦闘も「ちょっと違うっすね」と一ノ瀬はじめに言われて辞めさせられる。
そんで、11,12話はゲルサドラ()を陰湿に殺す。
ここら辺の「悪を排除することだけがヒーローじゃない」って感覚はスーパー戦隊シリーズとかアメコミで挑戦したりもしてるんだが、やっぱりなかなか子供向けヒーローとか、ヒーローものの枠組みでは基本的に打倒による勝利と言う枠組みが一般的なので。
そう考えると、そこに変化を付けてきたGATCHAMAN CROWDS insightは面白いなあって思う。まあ、変化球だからこういう共存オチばかりになるのが良いのかって言うとそれはそれでアレなんだが、でも21世紀にもなって敵を殲滅すればいいというのも能天気な政治思想だし、これからの正義を担う子供たちに見せるアニメとしては共存を模索させるというのもアリなのでは。Gのレコンギスタもそう言う所があったし。

  • はじめは侍

一ノ瀬はじめちゃんは弟が戦死しているゆる爺と同じ色で、戦後の日本の大衆とは違う色だ。
はじめちゃんも「戦中」を知っている性格設定だ。なぜ女子高生のはじめちゃんがそんな戦中派のような性格なのか?
それははじめちゃんが「侍」だからなんだろう。
はじめちゃんは女子高生に「だれに投票するの?」と聞かれても「選挙なので言わない」と固く秘密を守る。
大衆としてみんなと一緒に流されるのではなく、自分の一存をきちんと保持しようという点で、はじめちゃんは大衆と言うより「侍」っぽさがある。nuryouguda.hatenablog.com

と、5話の段階で書いたのだが。やっぱり侍エンドだった。
ていうか、リアル女腹切りで侍ボーイ清音に介錯させてた。武士道とは死ぬことと見つけたり。
う、うわーーー!マジで切腹侍オチだよ―――!忠臣蔵かよ―――!
「覚悟を決めるっス!」って、斬られることで自分たちのことを知るためになるって言う。
っていうか、「自分が切腹して介錯されるのを見せることで大衆を目覚めさせる」とか、貴族的ノブレスオブリージュと言うか侍魂だな。
ヒーローってなんすかね、って、「平民は匿名の暴力を振るっても逃げてもいいが、貴族や武士であるヒーローは名乗って名誉のために命を賭けて切腹して大衆にアピールするのだ」っていう。
うーん。これはどうなんですかねー。
「侍が切腹したら大衆は気づけ!」っていう命令なのか、
「侍が切腹したら大衆は過ちに気づいてくれるはずだ」という信頼なのか、
「侍が切腹しなければ大衆は目覚めないのだ」という侮蔑なのか、
どうなんですかねー。
「空気を吸うのは簡単だけど自分で考えて吐き出すのは難しい」って言ってるので「意見を作品として作っているアニメ作家である俺たち」という自意識はあるのかもしれないんだが、アニメ作家も名前を出す商売だからなあ…。
ここらへんの顕名と匿名もこの作品の問題意識としてあると思うけど、1期は「名もない大勢の人のクラウズが新しい世界を作る」って話だったっぽいけど、2期は「名前に責任を持つヒーローが世間に訴える」って話なので、割と身分の階級闘争的には前期はボトムアップだったけど今回はトップダウンに近い所もある。いや、まあ、世界観の設定としてはもっと上に宇宙評議会もあるし、侍の上には御上がいるのでガッチャマンは中間管理職なのかもしれないけど。

  • 三巫女

はじめちゃんがベルク・カッツェの巫女、つばさちゃんがゲルサドラの巫女としていて、ゲルサドラの空気を作ったつばさちゃんがそれを収束させるためのテレビ演説をはじめちゃん抜きの場面で言ったのが頑張った感じ。
ただ、うつつちゃんがなー。電池の巫女だったのがなー。生と死を司るすごい能力の巫女なのになー。電池なー。
うつつちゃんには薄い本で活躍してもらおう…。

  • ベルク・カッツェの功利理論

炎上を見るのが大好きなカッツェさん、はじめちゃんに付き合ってボコられて自分がテレビで中継されるネタにされて、全く得が無いと思うんだけど。
カッツェさん、本当に何を考えているんだ…?はじめちゃんが昏睡している間、カッツェさんはネットもできないし全然メシウマできなかったっぽいんだが。どうなん?
はじめちゃんのことが好きになっちゃったの?

  • アメリカンスナイパー

「ゲルサドラって武力を持ってるポップキャラクターで日本人を統治する外人なので、アメリカなのでは?」って言う感想も書いた。

「自国民に戦う武力を持たせないで、武力はヒーローや宇宙人(アメリカ)にアウトソーシングする」という考え。 宇宙人と言う外国人であるゲルサドラは外国人だけど、国民の意志や空気をすごくよく聞いてくれる。 また、ディズニーキャラクターのようなポップな親しみやすさや外面の良さがある。nuryouguda.hatenablog.com

で、ゲルサドラが生み出したくうさま(集団的自衛権という“同調圧力”の化身)が梅田を飲み込むのがネットに流出したのが、ゲルサドラを殺そうという空気の発端だった。
つまりアメリカ軍には守ってほしいけど、アメリカ軍が誤爆したりテロリストとか発展途上国のゲリラを殺害する所の動画を見せられたら「やりすぎ!」「残酷!」「悪い!」って思っちゃう大衆。「アメリカンスナイパーを見て世界の真実に感動する観客」なのでは?
ガッチャマンクラウズダークナイトとかアベンジャーズとかのヒーロー映画の批評も兼ねている感じがあるんだが、アメリカンスナイパーとかの社会的映画への意識もあると思う。
んで、はじめは「ゲルサドラ(仮)が残虐に殺されるところを見たらみんなが考えるだろう」って言うんだが。それはそれで、「アメリカンスナイパーを見たらみんなが暴力の酷さに気づいてくれるだろう」という大衆に対する能天気な過度の信頼なのでは?
「大切なものを守るためなら相手を拷問して限りなく苦痛を味合わせて殺しても当然なのだ」って思う人が多数だったらどうするんだ?実際そう言う風に命を軽んじるのが多数派だった時代や地域もある。ヴァイキングとか。

  • ブレないはじめとぶれてる中村健治監督。1期との違い

「本当にあいつはぶれないな!」って丈さんがはじめに対して言っちゃったんだが。それ、セリフにしちゃうと説明臭過ぎねーか?
というか、ぶれてるだろ。明らかに1期のはじめと2期のはじめは性格が違う。
具体的に言うとはじめの私生活の描写が2期はごっそりなくなってる。
1期で丁寧に描かれたはじめの折り紙サークルやDIYや地域の人との交流など個人的な部分が無くなった。
その代り、はじめはガッチャマンオピニオンリーダーでつばさの先輩で、そして侍として大衆に気づきを与えるために切腹するという「公」の人の描写が大半になった。
1期のはじめはもっと個人的に「あれをしたい」「これを見たい」「楽しみたい」という感情があったと思うんだが、2期のはじめは「みんなを目覚めさせる」「みんなを変える」という、むしろ1期では累が担っていた役割になっている。
1期のはじめは感情的で、2期は理性的というか。
ベルク・カッツェと精神融合したことによる副作用?
ラストの「おしまい」カットでやっとノートをデコるはじめに戻ったってことか?

  • 個人で本当に考えたのか?

1期はクラウズやギャラックスでみんなが繋がって、ゲーミフィケーションをしたり、いくつかのグループを作って色々な可能性を探るって言う感じだった。
2期はクラウズやインターネットが棚上げされてテレビVS個人って感じになってた。
そして、最後にみんなが一人一人で自分だけの答えを見つけて投票するんだが。「個人で考えてください」ってSEALDsの奥田さんですか?
どうも、このスタンスも微妙だと思う。というのは、「他人の目を気にしてしがらみに囚われたら間違う。個人が個人として考えれば、いい回答にたどり着けるはず」という、「個人が正しく思考すれば正しく回答できるはずだ」みたいな期待感が裏返った人間観を感じる。
そんなに人間はきちんとしてるのか?ガッチャマンクラウズの世界の大衆はテレビに流されて虐殺とかするクズだったのだが、いきなり自分で考えろって言われて考えることができるようになるくらい能力が高いのか?はじめが流血したくらいで?
ヒーローが血を流したらみんなが目覚めるって言うのもメサイアコンプレックスと言うかヒロイズムだと思うなあ。逆襲のシャアもそんなに明確にみんな悟ってなかったし雰囲気レベルだったじゃないですか。
また、グループの対話が無く「みんなが一人一人で考えよう」と言う感じで最後の投票をしたのだが、一人一人で沈思黙考(in sight)したら回答できるのか?
そもそも「ゲルサドラをどうするのか」という具体的な問題を、「一人一人が考える」という抽象的な解決法で帰結させたのがボタンの掛け違いのような。
ゲルサドラをどうするべきかって言うのは一人一人が冷静になって考えれば答えが出るものじゃないだろ。普通にゲルサドラがどういう生き物なのかとか、どうしたら世界や国の利益が増えるかとか、ゲルサドラがどうしたいのかとか、性質や状況を調べたり解釈や取材するべきなのでは。
一人一人で考えるのも大事だし、そう言うメッセージなのは分かったけど、一人だけで何でも情報が収集できるのかって言うのは疑問。何人かのグループで取材したり調査したり、それを解釈する人やグループごとに議論をして意見をブラッシュアップする作業も必要なのでは?
1期だったらギャラックス内にいろんな意見の党派が発生しそうなものだったけど。2期は徹底して個人主義を奨励していた印象。


クラウズ論壇アニメって言う面もあるGATCHAMAN CROWDS insightだが。大衆が論壇として論議する場面は3人組のトークとちょっとしたガッチャンネルのコメント欄で「考えようぜ」って言うだけの描写で、具体的にどう考えたり論議を深めたのかという場面がなかった。
あと、ゆる爺の花火につばさのデザインが反映されるって言う展開はゆる爺とつばさの和解でもあり、つばさが花火という芸術をはじめと「みんな」に見せて意見を表明する、という風な描き方にして感動的に描くこともできたと思うんだが。ちょっと花火大会は普通のアニメだったらもっと尺を使って盛り上げそうなのにあっさり終わって残念だった。

  • 社会はどこに向かいたいのか

選挙結果は物語的に出来レースっぽくて、ちょっと都合が良かった気がするが、まあ、ヒーローアニメだからいくらでも設定は作れるんだが。
ガッチャマンにおまかせ」が少なくて、賛成と反対が均衡してみんなが考えたということも示しつつ、ゲルサドラが地球に残る、というラストは出来レースっぽい。だって、ゲルサドラが宇宙に追い出されるラストだとハピネス感が無くなるからゲルサドラは地球に残るのは物語の作り方として当然っぽい。
だが、それは物語の作り方であって、作中の大衆にとってゲルサドラやくうさまと共存することがどういう意味を持つのか、それがあまり伝わらなかった。
くうさま、野球ゲームをしてる時にクラウズに破壊されたり、いきなり消えたりするし。その割に中途半端に残っているし。
くうさま依存症の人はいなくなったの?
なんかくうさまに対する人々のリアクションが依存から無視に変わってる感じというか、くうさまに対して人々がどう思っているのかほとんど描かれないラストなので謎。
まあ、社会がどこへ向かうのかはあえてぼかして、想像させるという手法なんだろうけど。想像させる、一人で考えさせる、というメッセージ性が強かったし、それは分かったのだが。
だが「考えれば、想像すれば必ず正しくなる」というのも暴論では?
そういう論理を使っていれば「俺は正しく考えたのに、相手は意見が違うので、相手は考えが足りないし、俺は間違ってない」という争いの火種にならないかなー。
安全保障法案に対する各陣営の各陣営に対する「自分は沢山考えているが、相手は売国奴か悪人」というやり取りを見ていると、「個人として考えてください」という態度が果たしてどれだけ効力を持つのか疑問だ。
まあ、相手の立場や事情まで総じて想像して汲み取ってやる想像力や思考力があればいいのだが、そこまで公平に膨大な情報量を人間が正しく思考で処理できるとも思えないんだよなあ。
「いろんな意見もあるけど、多数決で決まったらそれに従う」って言うのも微妙だし、そもそも三択で決まるような話なのか?

  • サブキャラ

まあ、三択では政治は済まないので、結局1期で破壊された国会議事堂を再建して菅山首相は普通に野次られながらも国会をすることにしたんでしょうけど。本当に菅山首相が便利キャラと言うかいい人すぎてビビる。
鈴木理詰夢は脱獄してるのに堂々と白昼で白衣を着ていて、大学も中退っぽいのにこれからどうやって生きていくつもりなのか。VAPEのヒモになるのか。
梅田と阿蘭が死んでたらゲルちゃんが許されなかったので生き返って良かったけど、これはこれでくうさまの設定が便利すぎて都合よく生き返った感じでなんか、雑さは感じる。

  • 演技としての感想

いや、これ、声優さんの演技にめちゃくちゃ助けられてるでしょ。
内田真礼たそのはじめちゃんのボコられながらも信念を貫く感じの真剣な叫びとか、
石原夏織さんのつばさちゃんの演説とか、
はじめを斬る時の逢坂良太さんの清音の微妙な息遣いとか、
そういう役者の真剣さが物凄い大雑把なシナリオに辛うじてリアリティとか存在感を与えていて、そこは素直にすごいなーって思った。
ベルク・カッツェの宮野真守さんも最後の復活の元気な声で、憎たらしいけど元気でよかったなーって思えたし。
はじめちゃんは「その時だけの気持ちに流されたらだめっス」って言うけど、声優の演技のエモーショナルな瞬発力に支えられてる面もあるよなー。


うーん。
なんか煮え切らないんですけど、まあ、自分で考えるのは大事なんですけど、そこまで人間の思考力や観測能力を僕は信用してないのでなんだかなーって言う感じですね。

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