玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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#GATCHAMANCrowds 12 はじめはなぜカッツェを釣れたのか #クラウズ論壇

一ノ瀬はじめはなぜベルク・カッツェを殺さなかったのか?
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539


「クラウズ論壇」と言うバズワードを言い出したid:dokai3さんのブログからインスパイアされて書きます。
そして、中村健治監督が宇宙人を釣るアニメのつり球にも共通点が多いので書きます。

いま私ははじめをヒーローと表現しましたが、本当はどっちかというと「思想家」だと思っています。
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539

そうなんですよね。
はじめの勝利は「思想的勝利」なんですよねー。
っていうか、思想的に勝たないとベルク・カッツェには勝てなかったんですよねー。そして1年後も勝ち続けないとまたカッツェが暴れだす、って言うのが面白いところですね。
ベルク・カッツェの能力を見ると、どうもベルク・カッツェは相手の心を読めるみたい。特に弱みや暗い気持ちに付け込んで、そこを切っ掛けにしてコピーして読み取るみたい。
だから、はじめはベルク・カッツェに正直に心を読ませつつも、「コピーの切っ掛けになる弱みを一切見せない」っていう思想を保ち続けなければいけないって言う思考の戦いなんですよね。境界線上のホライゾンのトーリみたいな。
で、これってヒーローバトルや宇宙人とのバトルとしても面白いけど、「テレパシーで心が読める敵との精神バトル」っていうエスパーバトルとしても面白いんですねー。
ガッチャマンクラウズは思想的な部分とか問題提起的な部分も面白いけど、「ヒーローがこういうピンチに陥ったらどうなるか」っていうヒーローシミュレーションを色々やって「それでもヒーローは勝つからすげえ」っていう爽快感やアイディア勝負の楽しさみたいなのも出してる。難しい設定も多いけど、娯楽作品として見ても面白いので良くできている。笑いも多いし。


前回のブログで「はじめとカッツェはお互いに論理ゲームで詰将棋をしてるのが面白い」って書いたんですが。
#GATCHAMANCROWDS 11 Gamification ゲーム的戯画化?将棋・外交など - 玖足手帖-アニメ&創作-


将棋として考えると、はじめが一年たってもベルク・カッツェと一心同体になってるのは、つまり将棋で言うと千日手(永遠に戦い続ける)状態に成ってるってことなんです。だから累も「本当はまだ終わってないんだよね」って言うし、はじめも「ヒーローってなんすかねえ〜」「なれるんすかねえ〜ヒーローってなんすかねえ」って歌う。その「なれるんすかねえ〜」っていうモチベーションを維持し続けるって精神の戦いなんだね。

はじめとカッツェの対決と言う点においては、はじめはベルク・カッツェに「ボクはヒーローになりたいっす」という気持ちを示し「続け」るって言うのが勝利条件で、そういう意思を持ち続けたはじめちゃんのメンタルの強さが本当にすごいしアニメの主人公として面白いキャラだなーって思う。
だからこそ、ヒーローなんてアホらし!って辞めたったカッツェにはすごくダメージ。
だから、厳密には完全勝利ではなくて、勝ってなくて、はじめはベルク・カッツェを千日手に引きずり込んで止め続けている、って言うレベルなんだね。


で、結局O・Dとはじめが前回企んでいた「例の件」ってのは「カッツェを立川CAGEに誘い込んで累のノートを奪う」ってことで、それが千日手開始の条件。

(くっそ汚い字だが手書きではなく、音声入力である)



そこで面白いのが、ベルク・カッツェの能力が「幸災楽禍」のNOTEというところ。

こうさい-らくか【幸災楽禍】
他人の不幸を喜ぶこと。人の災いを幸いとして喜び、災いを楽しむ意から。
▽「幸災」は人の災難を幸福として喜ぶこと。「楽禍」は災いを招くことを楽しむこと。ここでは他人の災いを見て楽しむこと。
「わざわいを さいわいとし わざわいを たのしむ」と訓読する。
「楽禍幸災らくかこうさい」ともいう。

生命体を挑発し混乱させ、相争わせる事に特化した能力。
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/character/katze.html

だから、ベルク・カッツェは挑発してはじめの心を暗くさせて、それをきっかけにはじめを乗っ取ろうとして付きまとい続けたんじゃないかと見る。
はじめにカッツェの姿が見えなかったのは、逆にはじめが心の暗い部分を一切カッツェに見せなかったから、とも取れる。
カッツェを見た者は、カッツェにキスされて乗っ取られる。カッツェの攻撃は基本的に見せて驚かせてからの不意打ちキッス。その不意打ちキッスをさせなかったはじめの乙女のポリシーのパワーがすごい。貞操!
「カッツェがはじめに不意打ちキッスをなんでしなかったのかなー?」ってのがすごく素朴にすぐ湧き上がる疑問なんですけど。「カッツェがはじめたんが好きだから」って理由と、はじめがキスするスキを与えなかったから、っていう乙女力の高さもあると思います。
また、はじめはカッツェが気絶した清音にキスをしようとしたとき、「この変態がーっ!」って回し蹴りでキス阻止して清音先輩の童貞を守った。
だから、はじめが自分を餌にしてでっかい釣針にカッツェを引っかけた、っていう精神的「釣りアニメ」=「つり球」としても見れる。この釣りの見立て、互いに引っ張り合ったり、餌やブラフを飛ばし合うはじめとカッツェの会話の釣り合戦は緊迫感がある。

また、一ノ瀬はじめっていう、アイドルマスター声優 内田真礼たそ声の乙女が、宮野真守宇宙人うたのプリンスにキスをさせずに処女を守るゲームって言う風に見ても緊迫感があって面白いなー。
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 006 神崎蘭子

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 006 神崎蘭子

うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE2000% アイドルソング(7)一ノ瀬トキヤ

うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE2000% アイドルソング(7)一ノ瀬トキヤ

オトメ一ノ瀬VSイケメン一ノ瀬w

  • 一ノ瀬はじめは乙女!

カッツェの「愚かなる頂の王が、約束の地に舞い降りる。」っていう予言ポエムから、私は予想して、「カッツェが累を取り込んで精神の崖に侵入する」のかなーって思った。が、爾乃美家累本人は取り込まなくって累のノートを持ったカッツェが侵入した。で、精神の崖にガッチャマンとしての翼をもがれたはずのカッツェがどうやって入るのか、って言うのが問題で、僕は「ガッチャマンとして覚醒した累のノートのIDを偽装して、ガッチャマンに成り済まして精神の崖に入る」って思ったんだが、それもハズレ。(アニメの最終回では予想が外れた方が面白い)
最終回では、はじめがカッツェを立川CAGEまで案内したという流れ。ただし、カッツェははじめを乗っ取りたがってたみたいに付きまとっていたが、はじめは乗っ取らせなかった。心の隙を見せなかった。すごい乙女だ。
今まで僕はブログで「はじめちゃんってニコニコしてるけど、心の底には誰かを傷つけたいとか消えたいとか、不幸慣れしたりとか、神様や他人を信じてないとか、メンヘラっぽい部分があるんじゃろ?心の底には真っ黒い部分があるじゃろ?自分の不幸にも意味があるって思うのは負け犬の発想じゃろ?」ってカッツェみたいに煽って書いてた。
ガッチャマンクラウズ1〜4話感想 中篇 僕らとガッチャマンとはじめたちの善悪モヤモヤ - 玖足手帖-アニメ&創作-
でも、一ノ瀬はじめちゃんと演出のすごい所は「そういう暗い部分が胸の内にはある」という事をにおわせつつも、それ自体は見せない、っていう乙女の礼儀作法を貫いたところ。
僕は「ほらほら、はじめちゃんも新世紀エヴァンゲリオンの弐拾参話の綾波みたいに心の闇をさらけ出すんじゃろ?本当の自分と向き合えますかぁ?」って思っていたゲス野郎だけど。
はじめちゃんは乙女だからそういう汚い部分を見せなかった。それもテレパシーで相手の心の底の闇をコピーするアルミサエル系の能力を持つベルク・カッツェに対して、精神感応のレベルで自分の心を装い続けた。この乙女のメンタルの強さがすごいと思って、僕は最終回でやっとはじめを主人公として認めた。
僕は「どうせ自分を偽って装ってるだけのメンヘラ女なんでしょ!」って思っていたが、はじめはそれを徹底的に装い続けたのが、ほんとすごい。
演出的にもはじめの不幸や個人的事情を描かなかったのがすごい。
「はじめは神を信じてない」
「はじめは電波や電池が届かなかった状況に陥った経験がありそう」
「はじめは親から離れて暮らしている」
「はじめは本当は一ノ瀬っていう苗字ではないかもしれない」
「はじめはうつつの心の闇に共感できるし、エンディングテーマの冒頭は暗い言葉」
「はじめはふくしまや被災地ボランティアなどと関わりがあるので、東日本大震災被災者か、遺族関係者っぽい」
というヒントはあるけど、はじめの不幸を書かなかったのがすごい。
「はじめはこういう不幸を乗り越えたからすごいんだー」って描いたら、楽なんだろうけど、そうしたらはじめの個人的事情に物語が囚われて狭い作品になってしまう。でも、ヒーローってのは特別なんだけど、ガッチャマンクラウズは初代ガンダムみたいに「みんながヒーローに成れるかもしれない」=「特別じゃなくて普通に居そうな主人公」っていう雰囲気を目指したので、はじめ個人の事情は描かなかった。その「描かない」というラインの設定に工夫が見られてよかった。
(まあ、アムロ・レイの個人的な家庭の不幸は小説版で堪能できるし、本編でもヒントはあるし、アムロは最終的に異能者になるし、ガンダムの話は始めるとヤバいので今回は書かない)

  • はじめの釣り

はじめが自分を餌に、テレパシー能力者のカッツェを見え見えのでっかい釣り針に引っかけて、O・Dとの決戦の場所(星を一つぶっ壊すレベルのODの破壊力でも地上まで被害が及ぶまで数秒猶予がある地下)の立川CAGE精神の崖まで誘導した釣りがすごい。
そして、これは言葉による論理ゲームでもある。

しかし、私はここでのはじめの「デートしましょう」に、聖人的な「愛による許し」ではなく、思想家的な「観念の戦い」を見ます。どういうことか?
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539

って土塊さんは書いてるけど、やっぱりこれは思想的な戦いですね。そして、それは「思想的にはじめが正しいから勝った」、って言うんじゃなくて、
「思考を読まれてるのに、はじめは信念が揺るがなかったから勝った」というジョジョの心理戦みたいな論理ゲームとして見れる。

 しかしはじめは「殺さないっす」と宣言した。なぜでしょう。あるべき社会像を構想する場合は、具体的な人物を倒しても、敵対者の思想を「乗り越えた」ことにならないからです。カッツェを殺せば犯罪者はひとり減るが、現にいて、これからも生まれうる数百万の「クラウズ」(悪の予備軍)は減らない。じゃあどうするのか。現実を踏まえた上で、どんな社会に誘導していけるのか。
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539

クラウズ論壇の内部紛争ですが、私はカッツェをはじめが思想的に乗り越えた、って言う知識人ゲームとしては見たくないです。私にとっては、これは単なるバトルアニメです。アニメの中でヒーローが正しいって言う正義はどうせ、はじめの中での正義にすぎず、僕たちの世界とは違う次元の話です。アニメの中で正しいことはこちらの世界では正ではない。物理法則も違うし。具体的には変身できないし。


(もちろん、演出技法として、アニメの中で正義として語られる思想が視聴者に共感できる、あるいはできない、と言う風に興味を持たせて、虚構に過ぎないアニメに説得力を持たせるツールにする、という事に対しては賛同します。中村健治監督もアニメ雑誌のインタビューで「登場人物たちのものの考え方を見て、共感できる人やできない人を見つけてください」って言ってるし)


簡単に言うと、はじめはベルク・カッツェに対して「釣り」を仕掛けたんすよ。

ガッチャマンクラウズ #12 Collage ( アニメーション ) - ψ蒸気の街ψ - Yahoo!ブログ
「皆大好き甘〜い甘〜いものって―」

「人の不幸っすか?」

議題の共有によって、まず会話にカッツェを引き付ける。

「誰かの幸せな話何分聞いてられるぅ? 不幸な話 何時間も聞けるっしょ〜」

「そういうもんなんすかねぇ」

意見を明示せず、反意を示す。こうやってODとはじめの戦略を読もうとしてるカッツェとの会話を引き延ばしつつ、誘導。

ここで、はじめが橋の暗い部分に入る前に、一瞬止まる。なんで止まるのかって言うと、

橋の向こうに進んだら人が燃えて死んでる臭いがするからです。だからはじめちゃんは精神の均衡を保つために一旦停止。いや、燃えてるのは車だけで中の人は逃げたかもしれんが。
人の焼ける臭いを嗅いだらはじめちゃんは「わたモテ」のモコッチみたいに泣いちゃってカッツェに弱みを見せて心を乗っ取られるかもしれないからです。
はじめの釣りは「心の平静を保ったまま」カッツェをまとわりつかせつつも、キスはさせないし弱みも見せないことが条件。ジョジョの奇妙な冒険の精神系スタンドバトルみたいですね!荒木飛呂彦よりも全然ルール説明しないのがかっこいい。
ちなみに、はじめがなんでそういうルールを設定したのかは謎だが、多分「カッツェは相手の心を読むのよー」くらいはODに聞いたんだと思う。ODに「絶対にカッツェに弱みを見せちゃだめよ」くらいは打ち合わせで言われただろう。
ただ、それではじめが「カッツェに本心を見透かされてはいけない」っていうバトルをしてる、って説明をしちゃうと説明臭くなって緊迫感が無くなるので、あえて画面の白黒コントラストと、宮野と内田真礼さんとの会話のコントラストだけで説明せずに緊迫感だけを伝えるって言う演出技法です。感心。精神ルールバトルを思いつくと、宮野が主演の夜神月を演じたデスノートみたいに説明して面白さを自慢したくなるのが物書きと言うものだが、言葉で説明せずに絵とカット変わりの演出だけで感覚に訴えるって言うアニメ演出の妙を感じる。

「え? え? え? はじめたん泣いてんの? いつもニコニコなはじめたんまさかの涙目ぇ?w」

「泣いてないっすよ」


カッツェははじめを泣かせて乗っ取ろうとしてるけど、はじめは泣かない。はじめの表情筋がビキビキって引き攣りそうになってるけど、カッツェの釣り針にはかからない。

「はじめたんのいい所は正直な所っだよぉ〜。
正直になってみ?
今超ムカついてるっしょ?w ミーが死んだら嬉しくて堪らないっしょ?w」
「(無言)」

この駆け引きの緊迫感がすごい!
答えたら負けな時は沈黙で答える乙女の作法がかっこいい!
また、はじめはベルク・カッツェに対して嘘をついてもいけないのだ。
はじめをベルク・カッツェが特別視しているのは、はじめが正直でかわいいからだ。


☆追記:補足
#ガッチャマンクラウズ 最終回のベルク・カッツェをすげこま君として - 玖足手帖-アニメ&創作-


だから「チューしたい」と言いつつ、カッツェはキスしない。はじめが「嘘をついた」っていう罪悪感を持つと心が黒くなって、そこからカッツェに取り込まれるから。
詳しくはジョジョ4部の小林玉美(ザ・ロック(錠前))のスタンドバトルを参照。

本体の周囲で罪悪感を感じた人間から自動的に現れ、対象の持つ罪悪感に応じて大きくなり、心身に重圧を与える。複数の相手に同時に取り付けることも可能。精神作用から相手の自殺を誘発することさえあるという。罪悪感を持たない相手には効果がなく、錠を取り付けられた場合でもその素である罪悪感が無くなれば解除される。

あと「嘘つきのパラドックス」とかも。
で、はじめは正直なままカッツェをエレベーターまで誘導して、(はじめかODのIDでエレベーターを開けて精神の崖までの道を開いたみたいだけど、ID認証の描写はカット)カッツェだけをエレベーターに乗せた。
ここで、はじめはベルク・カッツェに見え見えの釣り針を出している。というか、釣りで言うとエレベーターはタモ網に入れた感じ。
カッツェはODの誘いだけでは来なかったと思う。オーディーの挑発に対して「おこだお!」って言ったけど。そして、ODもJJに「はじめちゃんをガッチャマンにしてくれてありがとう」って言ったので、やっぱりこの作戦のカギははじめちゃんの強固メンタル。
はじめはトンネル崩落の時にロード君に素顔をさらしたのはその場の感情ではなく、ちゃんと考えてやったと言ってた。
はじめとベルク・カッツェが頭脳戦をしているとしたら、カッツェは愉快犯だが、感情ではなく計算で戦っている。かなり論理ゲーム。カッツェとはじめは互いに読み合い、読ませ合いをしてる。人の心の底を暴く能力のカッツェと、逆に心の装いをデザインする能力のはじめ。


だからはじめはカッツェに対して「殺さない」って言う必要がある。「見え見えの釣り針に引っかからない」って言うカッツェを安心させて釣る必要がある。丈さんがカッツェに負けたように「ぶち殺す!」って言う暗い殺意をカッツェに見せたらはじめも乗っ取られて負ける。

「ボクは君を殺さないっす。 約束するっす!」

「ウッソwクサw」

「嘘じゃないっすー!」

「嘘じゃないっすぅぅぅw あーホンマ反吐が出るわ! 死ね!」

同時に「殺さないっす」って宣言してカッツェを釣り針に誘導してる。
また、カッツェは人の心が折れるのを見るのが好きなので、はじめの精神が堕落して汚染されるのを見たい。だから、はじめが「殺さないっす」って言っておいてカッツェを殺したら、はじめは嘘をついたことになるので、死ぬ。
オーディーも言ったけど「ベルク・カッツェは誰かに成りすまさないと何にもできないチキンちゃん」であり、成りすますためには相手の悪意の側面が見えないとダメ。ただし、はじめちゃんは不幸慣れしているからかメンタルが強すぎるからか乙女として心を装う力が強いからか、カッツェに弱みを見せなかった。
だから、立川CageまでのエレベーターっていうODとのガチバトルを強いられる場所まで、はじめにつきまとって来たのにはじめを落とせなかったカッツェは焦ってキレて「死ね!」「ワロスワロスwワロス!」を連呼するしかなくなった。(他に人間が居たら、そいつに乗り移ってはじめを攻撃したかもしれんが、はじめは人の少ないところを選んで通った様子。総裁Xの情報もあるし)


また、カッツェがODの見え見えのでっかい釣針に引っかかって精神の崖に来たのはもう一つ理由があって、カッツェは人の心がダメになるのを見るのが好きなので、ODと戦ってはじめが「殺さないっす」って言ったことが嘘かどうか「自分で確かめたい」っていう愉快犯ならではの心理状態に追い込まれたからだ。
ODが殺意を見せてカッツェを攻撃して、それを生き延びたらカッツェははじめに「結局暴力大好きじゃないっすかwww」って言える。それはカッツェの悦びなので、カッツェはODとはじめの殺意があるか自分で確かめなければいけない→戦いを強いられるという論理ゲームなんですねー。
ここら辺、全然説明が無いのに絵と演技とカット割りの緊迫感だけで、はじめとカッツェの言葉による詰め将棋の雰囲気が醸し出されているのがほんと面白くてたまらん。


そういうわけで、ODとカッツェの戦いは、すごい迫力だけど、実はそれ自体も演出的なブラフ。視聴者に対するブラフであり、カッツェに対する殺意の見せ札で、本気の殺意ではない。
また、ODの能力が制御不能って言うことを視聴者もカッツェも知っているって言うことも、カッツェほどの疑り深い悪い宇宙人のベルク・カッツェに「これは本気の殺意か、それとも違うのか?」って思わせる見せ札になってる。カッツェは好奇心旺盛で祭り好きなので、そこをはじめとODに付け込まれた。

ODさんが本気の殺意を見せたらいつでもカッツェのNoteを破壊できる位置にあったけど、殺さないっす。
破壊神ODさんは破壊神なのに殺意ではなく、「アンタには想像もつかない明日が待ってるから!」と、カッツェには想像できないことを思っているから乗っ取られない。うつつへの思いを一回利用されたが、乗り越えた。


だが、JJから奪ったハサミでODはやられた。

J・J・ロビンソンは「地球の人類はどうせ滅びる」って裏設定で考えていたらしく、

その考えがカッツェの最後の武器として利用されたのかもしれん。単なるバトル上の設定かもしれん。
(だから、JJは最初から指示が投げやりだったのか…。パイマンは七つの星を逃げ続けたダメ管理職で、ODは父の星を吹き飛ばして母親のコネで地球に飛ばされたので、地球は宇宙評議会にとって左遷先かもしれんw JJもカッツェみたいな悪いガッチャマンを生み出した責任を取らされて飛ばされたのかもしれん。半沢直樹かwww)


ただ、JJのハサミを使うことで、最後までカッツェは自分の手は使わず、他人の殺意が無いと戦えないという所を見せたのは偉い。
(そうしなければ、一人で生身のはじめをカッツェが殺さずに「死ね!」って言うだけだったことが論理的に成り立たない。はじめには殺意が全くなかったから戦えなかった。あとはじめは「死ね!」って言われてもスルーする人間だと事前に示されている)



また、この釣りを仕掛けるにはODが本気の殺意を見せるかどうか、カッツェに疑心暗鬼を持たせることが大事なので、「ODがカッツェにやられるまで本気で戦う」っていうのを見せないといけない。そう考えると、ODがやられることも作戦の予定の範疇なので、それを想定した上で全く悪びれずに心を読むカッツェに対峙していたはじめちゃんはマジで鬼畜で奇策士だと思う。でも、ODもそれは了解済みだったみたいですね。父の故郷をカッツェにやられた因縁もあるし、傷つく覚悟はあったみたい。その因縁もカッツェに対する餌の一つだったんだな。


で、ODの翼は立川CAGE上の公園を吹っ飛ばしただけで、ODは累に明日を託して戦線離脱。


同時に、カッツェに「今頃世界は真っ赤に燃えてますねえ〜〜〜wwwwwwwww」と信じ込ませて、立川クラウズゲームが盛り上がるまで、穴の底でマターリ回復させる時間を稼ぐという、はじめとODと累の二重三重の心理戦。

ODみたいな核爆弾級の破壊力を「心理ブラフ」に使うってのが超能力バトルアニメとして面白いアイディアだと思う。ちなみに、枇々木丈さんのフェニックスダイブは「ガッチャマンのバトル、超間近で見れちゃうよ!」って累の宣伝に使われる背景です。
フェニックスダイヴwwwwwwwww
プロレスリスペクトw


で、「想像のできない明日」ってのは「累の超能力アプリをインターネットでみんなが気軽に入手できる明日」。
1999年のガメラ3邪神覚醒という映画のラストでは、「世界の姿が書き換わるので現実に怪獣が現れたら、という路線で続編を作るのは困難」という事になった。それに似ている。
だから、このアニメは「インターネットでみんながヒーロー超能力を気軽に手に入れられて社会問題化しつつも世界がギリギリ動いています」という所で終わる。終わらざるを得ない。なぜなら「想像もできない明日」はアニメで描けないから「想像もできない明日」なんだよ!というパラドクス理論。描かないからこそ「なんかすごいことになっちゃったねー」「僕の想像なんか超えちゃってるよ」という事に説得力を持たせるって言う、離れ業。超美技なのじゃ!


つーか、クラウズは累がカッツェから引き出された超能力だし、累が死んだらクラウズは消えそうなので100年も持たない現象ですねー。
あと、インターネット経由だし、累の気分で配信停止はできるっぽい。ルイルイ、指パッチンでクラウズを消去してたし。
でも、消さないのがカッツェを千日手に繋ぎとめる策でもある。


インターネットでも「荒らしはスルー」ってのが一番ダメージを負うんだが、同時にカッツェは愉快犯なので自分の成果を確かめずにはいられない。
エゴサーチ大好き。(僕も荒らしやTwitterのRTで不安を煽るのが好きなので、この心理はわかる)
自分の煽りで他人が右往左往するのを見るのが楽しいので、自分が与えたクラウズが常時発動していると気になって、スルーされても見に行ってしまう。それで、疲れる。また、他の星を狙いに行くこともできず、地球にカッツェは足止めされる、と言うことになります。


☆追記
で、カッツェはクラウズを無料配布されてるクラウズ祭りに興じる人々を煽ろうとするけど、この人たちは「カッツェには想像もつかない明日」を生きているし、カッツェを立川CAGEまで釣った時のはじめほど心を装う必要もないくらい、祭りを楽しんでいるから、カッツェが煽れる悪意を表に出さない。悪意よりも目の前の祭りとか、人助けに夢中。だからカッツェは人々の心を読めないし、コピーや煽りも中途半端にしかできなくなる。と言う考察は別に付け足さなくても分かることですね。
カッツェはODの捨て身の攻撃で瀕死になった時に「ODがキレるほど、悪意が世界に満ちた。だから今頃世界は真っ赤に燃えてますねー」って信じ込んでマターリしすぎた。その間に、逆に世界にクラウズ祭りが満ちてしまい、カッツェの居場所がなくなってしまった。そんで、はじめちゃんへの復讐心とデートの約束から呼び出しに応じてしまい、取り込まれてエンド。
人の心から完全に悪意がなくなったわけではなく、1年後までにクラウズによる犯罪も起こっている。だけど、そのころにはカッツェははじめに拘束されてるから煽りに行けない。
☆追記終わり


本当ははじめの心情を、作品内部の手がかりから推測し説明しないといけない。しかし、手がかりは不足している。あえていえば、はじめはカッツェという人物と1対1で向き合うことで、「カッツェを殺すことは、現にある、GALAXが浸透した長所も短所もあるネット社会を全否定することになる」という心境に至ったのではないか。こう推測したのである。
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539

社会学を勉強している土塊さんは作品内部からは説明できない、って言ってるけど、僕はアニメばっかり見てる糞アニメオタクなので、「えっ、こんなの見ればわかるじゃないっすか。見え見えのでっかい釣り針っすよー」って言って、解説して見せた。
そういうブログの飛ばし合いをするのがクラウズ論壇なのだ。こうやってアニメの見方を相互にアップデートさせていくのが論壇なのだ。
俺が見えるか、悪党ども 実体もなく忍び寄る白い影が
クラウズ論壇は、クラウズの話をしている所にどこにでもあらわれるぞ!クラウズ論壇アンチもクラウズの話をしている段階で自動的にクラウズ論壇だ!もう、みんながクラウズ論壇っすよ!

  • ED

ガッチャマンクラウズのEDがあらすじそのままの歌詞でワロタ - 玖足手帖-アニメ&創作-


清音の事は胸にしまわれて思い出になってしまうんだろうか?死ぬの?ジョーさんは死亡フラグをダーツのように刺しまくってるけど。


はじめの大き目の胸は、人との出会いを思い出としてためているんだろうか。

って、8月の頭には予測したけど、まさかはじめちゃんの胸にしまわれるのはエンディングテーマに登場しないカッツェで、その背景がMESSだったとは!予想がつかなかった!

  • で、Cパート。

一年後2016年の夏。
3年生になったはじめと、私服姿の清音と、目の光が消えたパイマンと、おっぱい星人になったベルク・カッツェはマンションで爛れた同棲生活をしていた。


私はかねがね、「ガッチャマンクラウズクレヨンしんちゃん劇場版だ!特に1999年の爆発!温泉わくわく大決戦の自衛隊描写と、その前作の電撃!ブタのヒヅメ大作戦のサイバー描写に影響を受けている!」と、クラウズ論壇で誰にも信じてもらえない珍説を唱えてきたのですが。
まさか、野原しんのすけのケツだけ星人をリスペクトして、ベルク・カッツェがオッパイ星人になるとわwww
はじめちゃんの微妙なランクの可愛さやちょっと下膨れた感じとか、表情を見せない演出とか、しんのすけっぽいです。
また、しんのすけは「人生経験が足りないので、純真無垢で誰も想像できない明日を作る子供」として描かれてるけど、はじめは「人生が一回終わって二周目のような達観ぶりで、心を見せない乙女なので、逆に明日に賭ける」というふうに、しんのすけとはじめは年齢と性別に違いを見せている。


GALAXは日本国の議会運営のガラス張り化ツールとして使われているので総裁Xは健在。アメリカの銃社会みたいな問題や議論はあるみたい。でもクラウズで引きこもりから社会復帰した人もいて、性善説でも性悪説でもない、全員が直接ネットで民主主義にアクセスできるけど、善と悪のどっちが勝つかは常に人類みんなが戦って、自分の信念に賭け続けるっていう、決断主義で自分の正義を押し付け合う世界ではなく、想像もつかない明日のなにかに賭け続ける博打主義の世界になった。
累は「みんなを信じる」って言ってたけど。
しかし、「事件や事故の解決をハンドレッドのクラウズの責任でやろうって」抱え込んで責任感に苦しみ、血が流れることにいちいち傷ついていた累なのに、「累が自分の価値観で選定したエリートでの革命」を放棄して「全員に配布するぜ!」「すげえだろ!」「ヤバかったらすぐやめれるし!」「血が流れようと知るか!」「君は僕じゃないから!」って善意も悪意も煽りまくって「想像のできない明日」のカオスを吹き上がらせる時の、責任感や他人の痛みへの恐れから解放されて、傷つけることも気持ちよくさせることも肯定できたルイルイは吹っ切れた感じで一段大人になった感じ。



実際可愛い。(だが、男だ)
っていうか、2億人の超能力者に力を分け与えるとか、スタンド能力として累の精神力の総量はどうなんだ…?
累は「総裁Xと出会えてよかった」って行って「作れてよかった」とは言ってないので、人工知能Xの心も精神力?Xは丹下桜さんだし、実際可愛いし、友達だよねー。
一ノ瀬はじめも爾乃美家累累も枇々木丈も橘清音もパイマンもO・Dもうつつも、ベルク・カッツェも自分のやりたいことは全部やることにして吹っ切れた終盤です。ベルク・カッツェがオッパイ星人になったのはいつかはじめを絶望させてやろうって復讐に燃えつづけてる感じだし、それが新しいやりたいことになったんだろ。
総理も自分の仕事をやりたくなった。
ここら辺、ハッピーエンド臭くて嘘くさいんだが、それ以上におにぎりを握りまくる怪獣とか草野球チームの怪獣とか現れて絵的にシュールすぎるし、カッツェの真っ赤な血以上の「お祭り」が続いてクレヨンしんちゃん劇場版のようなおバカさで押し切る!という熱意があって、楽しく見れた。


新しい世界にはガッチャマンもいる。総理の会見の意見の書き込みを見ると「国民で議論しよう」って人もいるし「ガッチャマンとみんなで決めた方がいいとおもいます」っていう子供もいる。だからガッチャマンの公表して、活動してるみたい。
だから、ガッチャマンは社会に認知された。クラウズの力が流通しまくって、世界が変わったけど、そもそも宇宙人がテロをして、宇宙人から力を授けられたヒーローがいるって世界に知れ渡ったんで、そりゃあ世界の形は変わるよねー。
だからこそ、もう想像もつかない明日になっちゃって、この物語は終わる。余韻の想像力を楽しむだけになる。
事故的に災害に遭ったり、偶然に宇宙人にさらわれることが可視化された世界なので、大衆も軽く強い力を得てもいいんじゃない?今まで、ヒーローものだと民衆はヒーローが隠れるために(現実の世界をそのままの形で守るために)ヒーローだけが民衆から離れて戦うって言う話が多かったけど、戦える奴は全員戦え!っていう。それが世界だ!

クラウズの件も問題は間違いなくあるのだろうけど、民衆と繋がるヒーローへアップデートしたいという試みは肯定したい。
 異能伝奇系の作品なんかは「異能者(ヒーロー含む)」と「民衆」が断絶していて、民衆を守る義理もなければむしろ正体を知られたら記憶や生命を消すとかしなければいけない事から、異能者と民衆はむしろ敵対関係にすらあった。その結果、身内以外の他人は踏みつけてもいいとまでなってしまった。
ガッチャマンクラウズ最終話:「民衆と敵対した異能ヒーロー」から「民衆とヒーローが繋がる世界」へアップデートされました - ふわふわスマイル

でも、ガッチャマンクラウズは(累の能力のコピーだが)世界の人の性質全体が変わってしまった。まあ、インターネットが出来た時点でも変わったし蒸気機関でも変わったから、そんなもんでしょ。
そんないっそうカオスになった世界だし、小さな不幸は起きてるけど、最初からはじめはニュースの人の自殺に接しても絶望しなかったし、はじめは絶望しないぞ!という信念とDIYの部屋の可愛さと先輩の暖かな童貞オーラとかわいいパンダに囲まれて、カッツェとの精神バトルを続けるのだ。


ちなみに、はじめが歩く立川の町は崩壊の跡が無く綺麗なのだが、車や人の通りが一つもない。若干、セミの音に混じって車の音のようなものが聞こえるかもしれないくらいだ。
隔離されているの???
でもはじめちゃんは楽しそうだから何よりです。はじめちゃんは3年生の制服を着ているから、多分学校はある。行ってるふりかもしれないけど。明日は海に行くから夏休みなのか休日前かはわからん。先輩も元気そうです。カッツェはおっぱい星人


なんでオッパイ星人として、カッツェがはじめの中に取り込まれたのか、どういう経緯と原理なのか、詳細は語られなかったので、よくわからない。
が、はじめがベルク・カッツェに対して嘘をつかず殺意も無いというのが、この見え見えの釣針から始まった千日手バトルの大前提なので、殺意のなさを証明続けるには共に生き続けることが一番かもしれない。
ベルク・カッツェは精神の暗い部分を読む能力なので、ベルク・カッツェには想像もつかない明日の明るさで胸がいっぱいのはじめの心を読ませ続けることで、無害化しようって言う作戦なのか。
カッツェは外の世界は見えなくて、はじめの明るさの装いに満ちた心を通じてしか世界を認識できないみたい。
GS美神極楽大作戦のナイトメアの回やキングゲイナーの嘘のない世界みたいに「読みたくない心を読ませ続ける」ってのは精神を読む系の敵に対する一つの解決策だよね。バトル萬画的に考えて。
そうやって、この千日手は、「いつも暗いことを胸の中で言い続けるベルク・カッツェ」と「それをスルーして明るい世界を楽しみ続けるはじめ」の対局で、いつも一手だけはじめがリードしている、と言うバランスで成り立ってる。
もし、カッツェがはじめとの平和な生活が楽しいって思ったら、カッツェの完全敗北。
はじめがやっぱり人類は糞だから滅ぼそう。って思ったら、負け。カッツェに取り込まれる。
闘いは続く。
でも、もうこのアニメの世界は想像もできない明日に進むので、終わります。
こういうぶっ飛んだ終わり方、嫌いじゃないです。

まあ、超能力者が国家運営に取り込まれるってのはONEPEACEや軍に取り込まれた強化人間のガンダムみたいな感じで描く余地はあるので、SFはまだ広がりがある。
そう言う新しい作品にも、楽しみが広がりますね。

はじめは道で席を譲らない若者や暴走する車や自殺する人にも「事情があるんじゃないっすかね」「そう考えると、怒る気減りません?」って言う女の子だった。
僕はそれに対して、「自分の不幸に意味があるとか考えて、頭の中の空想で満足するのは、いじめられっ子の発想ね!」ってちょっとはじめは嘘つきだと思っていた。うつつちゃんのように。
でも、はじめはついに超悪いベルク・カッツェと融合して話し合い続けることを選んだ。つまり、「ヒーローになれるっすかね〜」っていう願望とか「悪い人にも事情がありそうだから許すよ」っていう気持ちを、想像や考えだけでなく、行動で、カッツェと言う極悪人に嘘抜きで正直に示し続ける道を選んだ。それで、はじめもヒーローに近づけたのではないかと。なれるんじゃないっすかねー。
ぶっ殺すって言うんじゃなくて。対話。
この対話は大魔神カノンのブジンサマがイパダダ(スゴイ悪い悪霊)と対話を続ける事で、ゆっくりと恨みの消滅(成仏)を待ったのに似てる。でも、はじめちゃんは女子高生だし、動きを止めた大魔神と違って、ガンガン動く!海でスイカ割りもする!そこに爽快感!


(ちなみに、大魔神カノン仮面ライダー響鬼の高寺プロデューサーの作品ですが。枇々木丈さんのGスーツが響鬼っぽかったり、橘清音のスーツが響鬼後半に出た変身忍者嵐っぽいって言う…)

  • しかし、このエントリを書くために6時間かかったんだが、

1時間で3回見れるので、もう20回も最終回を見てしまった。それでも飽きないのが面白アニメだからいいよなー。
俺はニート不眠症だからブログで徹夜しないとダメなんですよ。昼間に起きてたら、鬱病で泣いてしまうので…。
でも、アニメを見てる時だけは生きてるって感じるんです!