玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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誰が何と言おうが、富野とGレコには富野らしくいてほしい。しかしそれも錯覚か?

今回の記事は、15話の感想の前振りとして書いたんですが、アホみたいに長くなったので、特に読まなくていいです。
チラシの裏です。


最近ベロチュー写真流出で話題になった還暦も近いダイエットおじさんの岡田斗司夫さんも若くて太っていた時はイデオンのコスプレお兄さんでしたね!昔はそう言う人がガンダムファンの主流だったんですが、岡田斗司夫さんは1話からGレコアンチになってしまいましたね!

「富野さんが好きだったら、みんな止めようよ!」って思うんですよ。
Gのレコンギスタは富野由悠季監督が好きだったら、みんな止めようよ! - FREEexなう。

は?
富野由悠季はほぼ全ての作品で抑圧されてきたんで、富野由悠季監督が死ぬ前に一回くらいは全力で唯我独尊しちゃう作品を見たいので、僕は止めるつもりはないし、加速しろ!絵コンテの密度が圧縮されてもついて行く!僕は速聴ウェルニッケ中枢プログラムを使って、富野アニメの音声を4倍速で聞き取る訓練を受けた!しかも脳波コントロールできる!しかもそのせいで他のアニメも2倍速で見なければ退屈になる体質になってしまった!(蟲師は質アニメなのでゆっくり見ます)


  • 読み飛ばしてもいい富野アニメ抑圧の歴史

海のトリトン手塚治虫原作
勇者ライディーン監督更迭長浜忠夫監督に下る
無敵超人ザンボット3サンライズの初作品なので金とノウハウが無い
無敵鋼人ダイターン3→自由だ!自由でシネフィル趣味が出過ぎたね
機動戦士ガンダム←打ち切り
伝説巨神イデオン←打ち切り
戦闘メカザブングル←なんでガンダムイデオンの劇場版の同時進行をしていた富野監督が企画の途中から入ったのか
聖戦士ダンバイン←スポンサー倒産
重戦機エルガイム←新人を育成しようとしたら永野護が天才すぎた→ファイブスター物語ゴティックメード
機動戦士Zガンダムガンダムやりたくないのにやれって言われてキレて狂人をモチーフにしてやった!エルガイムの途中でごたごたした企画の内容が二転三転
機動戦士ガンダムZZ←企画がさらに変わりZガンダム逆襲のシャアまでやろうとしたけど映画が決まったので引き伸ばしに
機動戦士ガンダム逆襲のシャア←金髪を孕ませようとしたら怒られたのでかっとなって隕石を落として使い捨てヒロインを殺したった
機動戦士ガンダムF91←打ち切り
機動戦士Vガンダム村上克司天皇と売り言葉に買い言葉でバイク戦艦、セーラームーンをかっとなって皆殺しにした。そして更年期から鬱病
ガーゼィの翼←病気が酷い。そして中途半端なメディアミックス。サンライズ以外のスタジオとの不一致。そして、尺。
闇夜の時代劇←尺と予算が
ブレンパワードWOWOWのノウハウが足りない
∀ガンダム←アナザーガンダムを全否定しつつ全肯定するという縛りプレイ
オーバーマンキングゲイナー←新人を育成しようとしたら大河内シリーズ構成は正直まだ未熟だったし、伏線とか設定のモチーフは回収できてないのもあり
新劇場版Zガンダム←キレるカミーユ世代を成仏させつつ古い作画を使い、時間も90分ずつと言うスポンサーの予算配分
リーンの翼←ネット配信の実験台。しかも尺が
リング・オブ・ガンダム←慣れないモーションキャプチャー、あと尺が5分


と、言うわけで、富野由悠季が外圧や新人育成と言う言い訳や未熟な脚本に抑圧されないで富野が富野として突っ走ったテレビアニメ作品は今のところ、ダイターン3くらいしかない!ダイターン3もちょっとパロディでふざけすぎた所があるので。星山脚本も良いんですけど、富野が富野過ぎるところに対してはよく正反応をしてたので。(ファーストガンダムニュータイプの設定を途中まで黙ってた富野監督も悪いんだけど、富野監督は監督なのに人間不信なのか設定やモチーフを自分と作品の中だけに留めて人に教えない所がある)
なので、富野過ぎる富野アニメってGレコくらいですよ。
1年やれるアニメは今、ほとんど玩具キッズ枠なので、26話を分割せずにやり切るGレコは本当に貴重だとわかるんだよ!

で、ガンダムデザインのあきまんさんは色々とアクが強い人だ。
でも、キングゲイナー直後のあきまんスレの住民としては、安田朗さんほどガンダムやSFの気分を知っている人はそうそういないと思う。
そんな彼が「富野監督は自分でやるのが一番面白い」と言っている。どっかに書いてあったと思う。で、安田朗さんは今回のガンダムのパックとかデザインで、「どうしたらさらにトミノっぽいか」を富野監督の外部記憶として増幅回路の役割を果たそうとしている気がする。そのせいでシナリオが終わった後にバックパックを増やして怒られたりフォトン装甲は装甲そのものがモニターになっているとか変なアイディアを出したりしているんだが、結局富野監督も監督権限でそれを許容したので、それは監督の判断だからな。
だから、デザイン面でも富野らしさが強化されていくんじゃないかなーと思う。ハッキリ言ってあきまんさんは僕なんか及びもつかないくらい富野オタクなので。その人が「監督の要求に120%答えるぞ!」ってやってて、そこを監督もチェックしているので、それで富野らしくなるんならそれでいい。


アニメブームの一時期、富野監督は「君臨してた」と言っていたけど、それでも十全と言える作品は少ない。(ダンバインのやけくそな核戦争とかカミーユの転落振りとかハマーン様の凋落とか好きなんですけどね)
一回くらいは富野監督が「富野過ぎた」作品があってもいいと思う。
岡田斗司夫さんは

 富野さんはさ、「ガンダムの時に自分が抜きん出ていたものがなんだったかというと、ものすごい“当てた”ことだ!」っていうふうに思ってるんだよね。で、「きちんと整った環境さえあれば、もっとすごい大ヒット作を作れるはずだ!」と。だから、「ハリウッドの監督並みの制作環境で自由に作らせてくれ!」っていうことをずっと言い続けてるんですけども。だけど、ヒットするかしないかっていうのは、狙って作るとか作家の能力というよりは、その時代の空気のようなものや運みたいなものが大きいから、なかなか狙えるもんじゃあない。でも、富野さんはそれを狙っちゃうわけですよ。

って言うんだけど、「狙ってもできないから止めろ」って言うのはファンじゃないよね。それは岡田斗司夫さんがプロデューサーで策を弄する人だからそう言う考えになるんだと思うけど。
僕みたいな無責任なファンは「人生に一回くらいは万全の態勢で狙ってる所が見たい」と思う。いや、まあ、他のアニメ監督も色んな制約の下でアニメを作ってるし、むしろ束縛を受けることで富野のオーラは練り込まれたって言う側面もあるんですけどねー。


しかも、富野監督はニュータイプとかイデとか理念し過ぎた作品が多いし、「俺がサンライズガンダムシリーズを正しい方向に持って行かなくては」という責任を負わされた作品も多い。
だが、Gレコはそうじゃなくて「エンターテイメント(自称)。元気のG(自称)」
しかも、富野監督はガンダム00が放送される前から「一回くらいは全否定とか全肯定とか、そう言うテクニックを使わないでエンターテインメントとしてのガンダムを作りたいです」って証言していた。これが2007年の杉井ギサブロー監督との公開対談での証言
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20070216/1171648985


そこで、杉井ギサブロー監督は「僕は次も当てますよ」って言って、グスコーブドリの伝記を自分の好きなように作った。
だったら、富野監督も好きなようにやってもいいじゃないですか。宮崎駿監督も風立ちぬを好きなように作ったし。高畑勲監督もかぐや姫の物語だったし。
スチームボーイに比べたらGレコなんかさあ!
しかも、富野監督はこれで燃え尽きず、ハリウッドとの提携も控えてますからね!


でも、それでも富野監督が爆死してサンライズが吹き飛ぶことになっても、最初から狙わないで言い訳を残すよりはマシ。「やらない後悔より、やって後悔」です。ベルリ・ゼナムもいろいろやっちゃってから後悔したり言い訳したりするので。最初から言い訳して歩き出さないのは良くないので。その過程でぐちゃぐちゃになってもいいじゃないか。
もう73歳ですよ!破滅したって寿命で死んだってことでなんとかなる。

  • 富野は勘違いをしているのか?

で、
Gレコは、富野監督が基本的な勘違いと、設定に酔って道を間違えた作品 - Togetterまとめ
って言う人も出てくる。


基本的な勘違いをしてるわけないだろ。
ちゃんと放送されてるし、動画も繋がって見える。背景とキャラとメカと効果の絵があって、ちゃんとBGMと効果音と声が入っている。チャージマン研!だってDVDになったんですよ。そのレベルが出来てたら俺は許すよ。

  • 設定が分からない?

は?
俺は結局、セレクターインフェクテッドウィクロスや凪の明日からを全部話見たけど全くルールが理解できてないんだが?先週のコナンのヒントも覚えられてないんだが?サザエさんは発狂した家族なんだが?ドラえもんクレヨンしんちゃんも動画が暴走しているんだが?
結局、ヴァルヴレイヴやアルジェボルンを逢坂良太さんがどういう理屈で動かしていたのか、燃料は何だったのか、全く理解できてないんだが。
全く設定やルールが理解できないまま何となく見れるのが最近のアニメじゃないですか。
その反面、「Gレコ」。
「ロボットは空気と水の玉とバッテリーで動く」
「最低限の動力源はログインボーナスで運営から無料でもらえる」
「課金装備を過去データを盗んでチートで作った騎士団が抗争したり、運営とも対立してる」
「主人公は親が重課金だったので、すごい強い重課金ロボを動かせる」
「主人公は運営に恵まれてるし優秀すぎるし若いし人生をまだ知らないので、好きな女と親と地元のために好き勝手やる」
「地元や運営も同時進行で抗争して流動的に自体が変わる」
「困ったので、諸悪の根源っぽいログインボーナスアイテムを作ってる運営まで事実確認に行く」
「何で主人公がそれをしなければいけないのかって言うと、すごい強いから」
そんだけ。
強い奴が強いことをして強い奴を倒して栄光と挫折を味わったり、破局と調和をもたらすのは物語振興の基本過ぎてめっちゃわかりやすい。
騎士道小説とか神話の文法として正しすぎる。


まあ、正直僕も「ロボット多すぎだろ」(泣きながら各陣営のロボットの出撃数と撃墜数を数えたので、辛かった)「1話で2回以上戦闘を入れられると疲れる」とは思う。密度が濃いのは分かる。(そして、俺は個人的にそう言うクドイ作品が好きでもある)
でも、そこにも一定の配慮はあって、それがBGMの使い方で整理されている。
「日常シーンな穏やかなテーマ」「CMに入りそうなAパートの盛り上げのテーマ」「ピンチのテーマ」「天才のサンバ」「主役ロボが逆転しそうな太鼓ドンドコ」「各話の締めの音楽」は割とパターン化されている。これは長浜忠夫ロマンテンプレマンネリロボットアニメで鍛えらえた面もあると思う。大河ストーリーは長浜忠夫ロボットにもあったけど、基本的には1話完結。
で、Gレコは大河ストーリーアニメとして全体は作られているけど、各話の音楽付けなどの演出は1話完結でも分かるというか、「第何話では何をしたか」ってのが分かりやすく作ってある。
(泣きながら各陣営のロボットが毎回どこから出撃してどこに戻ったのか整理したのでわかる)
演出面では意外と整理してあるんですね。じゃあ、なんでわかりにくいのかって言うと、現実が分かりにくいからですよ。リアルは地獄だし、カオスの中からも見つけ出そうって話だからですよ。って、エンディングテーマで説明してるだろうが!そう言う話なんだよ!
っていうか、最近はNHK大河ドラマでも主人公が何分もかけて「人間はなぜ学ぶのか〜〜〜」とか一人で長台詞をしていて、そんなの自然な会話やドラマじゃないじゃん!周りも棒立ちで主人公のセリフを聞いてて、自意識が無いのか!
って思う。
いや、僕もつかこうへいなどの長台詞芝居が好きだった時期もあるんですが。富野台詞はみんな「変だ」って言うけど、言い切りとか言いそびれのリアリティを劇進行とすり合わせればそうもなろう。
少なくとも、設定や理念をキャラクターが朗読してるだけの脚本よりは好きです。
僕自身、「ベルリは自分に言い訳してんなー」「ディスコミュニケーションをしてるなー」って感想を書きましたけど。だからと言ってベルリやGレコが悪いとは思ってなくて、そういう不完全性も人間らしさだとも思う。
まあ、「サボテンが花を付けている」とか「ウーイッグはこういう風に焼かれてよかったんです」とか、富野アニメの台詞は数十年単位で分からんかったところもある。(全部は見たけど未だに全部は分かってない)
でも、何となくでいいんじゃないっすかね?
15話ではベルリとクリムとアイーダがお互いの親の作戦がどうとか言うシーンでのセリフの意図が理論レベルでは全然わからなかったのだが、ベルリがクリムをテキトーにおだてて姫のアイーダに主権をゆだねながら月の勢力にも牽制をしたい、っていう気分のレベルは分かった。情報のセリフと、感情つけのセリフの違いもありますねえ。
まあ、僕も神ではないので富野脚本が唯一絶対正しい流儀とは言えない。演劇に置いて意味が分かりやすいセリフが良いのか、あるいは深みや含みを持ったセリフの方が優れているのか、分からん。
演劇は分かることが大事なのか楽しむこと、あるいは美しさが大事なのかもわからん。俺は何もわからんのじゃあ…。
なんとなく、富野作品は他のアニメよりも単位時間当たりの感情や情報の量が多いですね、という印象は分かる。それの良しあしは分からん。でも、富野監督がそうしたいんなら、一回くらいはやっていいじゃないですか。今まで富野監督が炸裂したアニメはほとんどないんだから。炸裂させようぜ。その結果、色んなものがダメになったとしても、全く売れなかったとしても、全力で爆死して言い訳ができないって言う経験もきっといい思い出になる日が来るさ。それは、ファンとして見守りたい。
まあ、富野は老人だし死ぬとして、バンダイの人とかサンライズの若い人は今後の生活が厳しいかもしれないけど、それは……。他で儲かってんだから一回くらい爆死したっていいだろ!

  • Gレコは間違っている?

あと、Gレコが分からないんじゃなくて「道を間違えてる」とか言う人、
「自分の理想の作品と違う」とか「こういう作品を富野は作るべき」という枠や幻想に囚われているだけなんじゃないかな。
なので、「こうすればよかったのに〜」とか言う。

10〜15歳がアニメを見るとしたら、「北斗の拳」や「進撃の巨人」のように、バイオレンスで過激(性的などを含む)で大人の社会を感じさせてくれる話題モノだけだろう。
中学生に見せたいなら、進撃のガンダムにすれば良い。私がH・R・ギーガーに魅せられたのは小6の時だ。子ども相手に本気で殴り掛って、子どもは初めて嬉しがる。


甲賀志 @hiroujin 4日前
若者に受けている作品は、遅い時間でもちゃんと視聴率出しいる。進撃の巨人辺りになると、深夜帯にも関らず、12歳未満のKIDS層の視聴者までいる。



甲賀志 @hiroujin 5日前
Gレコの視聴率の推移を見ると、富野監督が視聴者層として想定していた中高生などの未成年層はだいたい0.0%で、誰も見ていない状態。最近では20代〜40代の今までガンダムを支えてきた男性層のGレコ離れも激しい。かろうじて中年女性層が残っているだけという有様。


まー、ぶっちゃけ、俺は何で超たくさんある萬画の中から進撃の巨人がたまたま売れたのか、全く理解できてないので「売れたから正しいんだ!」って言う人は結果論者でトートロジーだと思ってる。
売れるかどうかなんかわからないで富野がウワーーーッ!!!って作るのが楽しいのであって、「売れるように作りました。売れました」つまらないよね!!!

  • 富野は異常だ

「Gレコのテーマが分からない」とか「ベルリの行動原理が分からない」って言う人の話にも関係するけど、
富野アニメの主人公が戦う理由なんかいろいろあるけど、ものすごく広く言うと「異常者だから」。
なんたらの子孫も、ニュータイプも掟破りも聖戦士もリクレイマーもゲームチャンプも、ひとくくりにしたら「異常者」。異常者がすごいって言うのも神話の異常出生神話などで分かるように基本でもある。異常だけども。
そして、富野監督もそのエッセイや評判を読むと異常な経歴の持ち主だ。なので、富野アニメは異常者が作ってる異常者が出てくるアニメなんだから。だから異常なのは当たり前だろ。
今回のGレコは前述したように富野要素が濃いので、異常性も増している。で、僕のような異常者が喜んでいる。
それに対して「異常者が出ているからダメ」とか「異常な状況だからダメ」とか「敵味方がはっきりしないようにわざと演出を異常に処理しているからダメ」とか言うのは違うと思う。
確かに富野監督の映像の原則は彼なりに筋道を立ててある。富野監督の演出や理念は理屈が通っている面もある。通ってない所もある。
なので、変なんです。
変なんですけど、変なものに対して「変なことを止めろ!他と同じようにしろ!」って言うのはどうかと思うなあ。
大体、アニメを作るっていうこと自体が変な行動なんだし。
その中でも富野監督は異常者の癖に73歳まで現役で生存したという異常個体ですよ。日本大学藝術学部映像学科の劣等生ですよ。
イレギュラーに対して「イレギュラーを止めろ!」って言うのは「死ね!」って言ってるのと同じですし。
僕は別に富野監督が死んでもいいんだけど、死ぬ前に一回くらいはむちゃくちゃやってほしいし、それを期待している。


こう言うと「富野監督は”普遍性”を理念にしているから、異常なわけがない」とか「富野監督は公共に対して訴えると言っているから、異常なわけがない」と反論をされることも予想できます。
でも、それは富野監督が自称する富野監督の中の「目標」です。「普遍的なことをしたいなー」って願う人が願うだけで出来るほど世の中は甘くないのだ。
で、僕が「富野監督のアニメって変だけど好きだなー」と思うのも、僕と言う異常者の中の幻想でしかないのかもしれない。もしかすると、「富野アニメは異常アニメ」と言う言葉づかいも正しい言葉ではないのかもしれない。だが、ここはチラシの裏だ。というか、正しい言葉づかいなど、それこそニュータイプや超能力者にでもならなければできない。未だに人々は言った言わないとか、ちょっとした新聞記事で殺人までするのだ。そう言う生き物なのだ。
そんな生き物が、「作品はこうすべきだった」「こうすれば売れたのに」とか「あいつは勘違いしている」とか断定するのはおこがましいとは思わんかね。
富野監督がインタビューで答えたことが正解かって言うとそうも言えない。富野監督もなんとなく答えた所とか、思惟を日本語にする際に微妙に噛み合わない所、リップサービスのために嘘をついていたり格好をつけている所もあるかもしれない。本人自身が「僕の言うことを額面通りに受け取らないでほしい!」って言っている。
なので、誰が何を言っているのか、何が正しいのか、わかんねーよ。人は流れに乗ればいい!

  • 若者が見ているのか売れているのか

あと、Gレコが若者に受けてないって言うのが全然わからなくて、僕のTwitterのタイムラインでは高校生でGレコを楽しみまくっているし、その前から富野作品が大好きって言う人がいる。
なので、「若者や子供は見てない」って言う人は「白いカラスはいない証明」のパラドクスにはまっていますね。

TOMINOSUKI / 富野愛好病 【随時更新】『ガンダム Gのレコンギスタ』を見たお子さんは集まれ! ちびっ子たちのG-レコ感想をまとめてみた

居るじゃないですかあああ〜〜〜。一人でもいればそれでいいんじゃないですかねえ。
主題歌も初動売上1位取ったし。


あと、円盤が売れてないって言う話、7000枚売れたらしい。
アナと雪の女王は66万1000枚らしい。
でも、アニメは5000枚売れればいいって言う説もあるし。
キルミーベイベーはDVDは686枚でもBDBOXは4000行って復活と言われる。
売りスレの価値観は分からん。とりあえず、俺はGレコが26話放送されればいいというラインのハードルの低さなので。
うーん。5000売れない作品の方が多いのに、なんでアニメ業界はそれで成り立っているのか。いや、売れすぎた作品を他に回して、動かし続けないと死ぬ業界というのは風のうわさで知っている。


大体、7000枚も売れてるのに「1位じゃないからGレコはダメ」とか、爆死アニメをなめてんのか????一生巨人軍の優勝パレードの録画だけ見てろよ!!!!
「作品の評価は売り上げの数字が証明する」とか、ふざけるなよ。電子計算機がアニメを楽しむんですかね?

  • いろいろ言ったが結論

じゃあ、なんでこれを15話の前振りとして書かざるを得なかったのかって言うと、
「Gレコはジェネレーションギャップの話ですよね。」
って言いたかっただけです。
富野監督と岡田斗司夫さんのギャップ。富野監督とスタッフ、大人のネットに書き込みするような視聴者、書きこまない視聴者、子供などのギャップ。
「老人が若者向けに作っても、若者は見向きもしない」と、若者ではない人間が言うのもジェネレーションギャップを孕んでいます。
富野監督が「見てほしい」と言った富野監督が想定する「お子たち」と、富野作品の中の「若者たち」の創作と、僕らが見ている「お子たち」と、現実の「お子たち」の実態は全て微妙にジェネレーションギャップや想定のずれがあります。
それをして、「富野監督は勘違いをしている」と、観測をまとめることもできるし、「俺の方が勘違いしているのか?」と思うこともできる。
自分が勘違いしていると思いたくない人は「自分の意見はともかく数字が示している」と言いたくなる。
僕はそのどれが正しいのか全く分からないので、僕は個人的な感想を書くにとどめたいのですが。
ただ、その個人的な感想の中にも「ジェネレーションギャップの話題を書きたい」という欲があり、それもまたギャップを大きくするんだろうなあ。と言うニュータイプになれない哀しみがある。
そして、そのギャップがまた、人間関係の位置エネルギーの差として励起したり遷移したりもするので、それがネットの炎上だったり、創作ドラマの原動力になったりもするんでしょうね。

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と、小島アジコ先生が本業のマンガを書く前にはてな村奇譚を書いて脳をエクササイズする程度の前不利で、すでにもう夜中になってしまったので、寝ます。僕は本当にダメな人間ですね。睡眠リズムも壊れているしなあ。
続きは寝てから書きます。