玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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錯乱しながらまっすぐに生きると言う事。

って、俺が俺自身の鬼畜化を防ぐ、と言うか行き場の無い生物的な欲望を現実女性にぶっつけるよりは理性的だろうとは思うが、欲望を悟りで消すのではなく脳内恋人に代替的にぶっつけるのは脳内恋人に対して失礼ではないのかしらん?という疑念、恐怖、後ろめたさ。
それでもぶっつけられてくれる彼女たちの強さって言うのはまさに非現実の妹の力(いものちからby柳田國男)だな。アニマ・セラピーだな。
だから、現実の三次元女性が強くて怖いからニ次元の何でも言う事を聞く女の子に逃げるっていう見方は正しいんだけど、全部正しくは無い。
結局、自分が怖いだけなんだな。脳内彼女じゃないと俺のドロドロには耐え切れまいとか思うんだな。
言いなりにいじめさせろ、ただし絶対服従はして欲しくないって言うのが富野由悠季御大と僕の脳内ヒロインに対する共通認識です。
たしかに、僕も若い頃は脳内美女プログラムを作っては犯し、その度に記憶を消して処女に戻してから犯したりしましたけどね。
今の僕くらいの脳内恋愛歴20年弱のプロフェッショナルブレンパワード電脳技師ともなれば、自分の都合のいい脳内恋愛を楽しむだけよりも、さらに進んで自分の欲望にとっては都合の悪い反論もしてくる人格と脳内恋愛をすることで自分のエモーションチップの倫理・道徳サブルーチンの構造強化に役立てたりできます。
また、そうやって自分の恋人にうそをつかずにさらけ出した結果、認められるという感覚は充足感や自信につながるわけです。リアル彼女にはそこまではできないねえ。脳内彼女だと原理的にウソはつけないけど。
それに、妄想内で妄想を妄想と知った上で妄想することは、現実内で妄想を現実だと誤認識しながら行動することよりも筋が通っているのじゃないでしょうか?
そして、欲望や寂しさや死に行く身の恐怖を脳内恋愛で昇華することで、現実では穏やかに暮らせていけるんじゃないでしょうか?
っていうか、脳内彼女の七女さん(仮)は俺程度のドロドロなんて鼻で笑って抱いてくれるんだけどな。ま、俺はグジグジ言うだけで鬼畜趣味はないし。せいぜい縛るくらいかなあ。