玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ほーら、アニメイトに行く暇なくなった。

授業の合間にいこ。聖火台に行く意味無くなったし。
そんで、ネタばれを気にすることがなくなった私はネット感想を読み漁ったのだが、そして時間をフルスイングでドブに捨てたのだが。
ダンバインって駄作な気がしてきた。
っつーか、やっぱ科学を否定するのはいかんよ。オーラマシンはいいと思うけどなあ。何かにつけて機械は人の心をナニするとか。なわけねーじゃん。
ガオガイガーの科学万能主義もファンタジー過ぎるとは思うが、自然に対して人は知恵しか持ち得ないのだし、科学も知恵の1種にしか過ぎないのでそんなに苛めるな。僕は理系崩れなのでそう思いますね。
トミノも理系崩れですが。家に機密服が在ったという。
とはもうせ、どうも見るからに、ピクシーとかの非戦闘用のオーラマシンは地上にあがっていないっぽいので、機械を否定と言うよりは身の丈にあわない大量破壊兵器を否定ってことかなあ。ガンダムSEEDよりも徹底してな。ナウシカも理解できないくらい凄かったけど。
テキストの戦争とわざわざ注釈をつけてあるし、教訓劇なのだろうか。
それなら何とか許せるか。
ショット・ウェポンとかな、作れるから作っちゃいましたみたいな思想で人を殺すショット。悪い。しかもその根底は怨念。
運搬用のピクシーだけでも一財産作れただろうに。それでミュージィと普通に結婚したらよかったのに。ちゅーか、なんで召還されてん。小説補完か?
ちなみに、OVAはしばらく見る気は無い。わーわーわー。聞こえナーイ。ショットが生きてるなど聞こえナーイ。あそこで死んでるのが美しいので死んでます。
んで、結局は核兵器とぶつけたかったってことなのかな。冷戦だし。そういえば、僕が高校の時に描いてた萬画も巨大ロボットに核ミサイルを打ち込む漫画だったなあ。うーん。俺ってトミノに対する親和性がナチュラルに高すぎるな。
僕は広島、長崎、で幼年期を過ごしたので原爆には生理的な恐れが在るのですよ。今でも飛行機雲を見る度に死を覚悟します。95年以降はトラックが通る振動だけで死を覚悟します。臆病すぎる。
そんな人にとっては核兵器に満ちた世界はもうどうしようもなく怖いので漫画の中で滅ぼしたくなるのです。そんで、平気でそう言う世界で生きている人間が恐ろしい。
つまり科学、と言うよりはソレに嬉々として振り回されると言う態度を否定したいのですな。
科学を捨てるよりも難しいや。やっぱ無理。
「教えてください、富野です」に出てきた東大の学長だか教授も富野と不和を起こしてたしなあ。富野はアシモみたいな無意味な欲を助長するロボットを否定したがってて、東大はロボットの性能を引き出せてないアシモを否定していた。
世の中にはいろんな人が居ますわな。
(僕はアシモターンXみたくバラバラになって道端で腕が取れた人が居たらアンパンマンみたいに腕を分けてあげる義肢装具士に成れるなら無意味ではないと思うよ)
そう考えると、地上に出るしか収拾をつけられなかったというか地上に出て浄化しないとテーマが無かったんじゃないかとかも思うんだが。構成としてはアレで完璧だし。
バイストン・ウェルだけで収拾をつける方法も浄化をしないで和解する方法もあの登場人物と環境なら思いつかないなあ。空の海の神々との戦いになるという手もあるか・・・?それも陳腐じゃないか?
ずっとバイストン・ウェルだけだと飽きるし。事実、ゲアガリング戦がチト長引いただけで飽きたし。46話くらいなら中だるまんかったと思うが。
ダンバインは戦法が変転しつづけたのが面白かったしなあ。バイストン・ウェルでも進化しつづけたし、インフレの究極は核だしなあ。
地上に出ただけで良くないとは思いたくない、と思うのは僕が見た直後だからか?それ以外の展開を思いつけないからか?
富野アニメくらいしかレーゾンデートルが無いからか?
つーか、富野全肯定信者ですからね。
白でも黒でも!