玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

イデオンに足りなかったもの、生まれたもの

イデオンは良い映画なんだと思いますよ。
見たら恋がしたくなるので。
でも、だからといって、イデオンが富野監督の最高傑作で、以後の作品は凡作だ、などといいたくもない信者心。

やっぱり、観念的に触れすぎたって言う所とか、絵的に堅かったところからザブングルが生まれたんだろうし、
ドバと姉妹の業を描いたが、母親の業を省いたので、ルーザ・ルフトを描かなければならかなったんだろうなー。(逆に、ダンバインを見たときは武家の跡取のリムルが一人っ子なのは疑問すぎたけど、それはイデオンで消化していたのね)
エルガイムはよく知らないけど。
主人公の普通の父親、と言う事でF91も在ったんだろうし、
第六文明人のアイディアからVガンダム
また、「赤ちゃんが生まれる力が強い!」って無邪気に次世代に期待していたら、期待をかけられすぎた子どもが鬱屈する時代になったので、「頼まれなくても生きてやる!」というブレンパワード。あと、大人と敵対するだけではないキングゲイナー
リング・オブ・イデオンとしての∀ガンダム
リーンの翼は死者の力と現代っ子に対する落とし前かなあ?
そーいうわけで、イデオンはそれだけで完結した話ではなくって、その後の富野作品の課題にもなっているんだと思う。
ただ、イデオンでのやり残し、と言う事でイデオンよりもこじんまりとしてしまった、と言う印象を受けることも否めないかも。

  • たとえば、知的生物だけが進化して良いのか?と言う不満。

せっかく、ドウモウとか珪素生物とかおもしろい生物がいたのに。
ま、シュタイナー的に言うと進化の基本法則では人間に成らないものもある、と言う事らしいが。
また「アカシャ年代記より」からの引用ですがね。

太陽紀に鉱物人間は胚珠の暗い眠りから目覚め、そして生命を賦与された。鉱物人間が植物人間になった。そして人間は植物界を通っていく。----しかし全ての鉱物人間がこのように生命を賦与されたのではない。それはありえないことなのである。なぜなら植物人間が生きるためには、鉱物と言う存在の基礎が必要なのだから。

こうして人間は高次の領域へ進み、一方その仲間の一部は低次の領域へ突き落とされる。われわれはこの経過がその後の進化の諸段階にもなおしばしば繰り返されるのを知るであろう。それは進化の基本法則に相応しているのである。

ここまで富野監督が考えて、バッフ・クランの戦艦をラストの発動直前にDSドライブさせたのだとしたらすごいし、考えているような気がする。勘でやってるとしてもすごい。
ダメな奴は、ダメだよー。
そういう風に、進化の反対として堕落していく世界も在り、それが世界を複雑化、階層化させていっているかもしれない。
そういう要請から、バイストン・ウェルの構造が出来たのかなあ?
で、富野由悠季監督は

ダンバイン」はいつも頭がつっかえてる。どうやっても気持ちよくないんです。僕にとっての「ダンバイン」とか「バイストン・ウェル物語」というのは、ひどく恣意的な世界だった。というか、恣意的に作りすぎてる。

と、反省してたりもする。
でも

やばいな、と思いながら、それこそ好きな作品、好きな設定でしたし、本当に下世話な気分で好きな世界だった

バイストン・ウェルというのは、落ちるだけなんだよね、あれ。だから堕落を描くためには、格好の世界だろうと思うけれども

ともおっしゃってるので、それはそれで持ち味でしょう。
堕落したゆえに元気で可愛い妖精が主人公の「ファウ・ファウ物語」は変な文体だけどいい話だったなー。実写化しねえかなあ。


と言う事で、一応のイデオン感想は御仕舞。


でも、小説版が在るんだよ・・・。
あんまり違ってないといいなー!