∀ガンダムの第一話と世界の中心で愛を叫ぶの朔は萩原朔太郎の月にほえると言う詩集からの引用だと言う事。
『世界の中心で、愛をさけぶ』という作品について、読んだ事も観た事も無いので内容に関しては全くの無知なのだけど、そのタイトルから「世界の中心で、愛をさけぶ」という図を想像すると、何故か『∀ガンダム』の第一話でロラン・セアックが月に向かって「地球は良い所だぞお!」と吠えているシーンを想い描いてしまう。
「何故か」と言ってみたけど、実は自分で理由は分かっていたりする。
個人的なイメージで、「おまえが好きだ」というニュアンスより、「地球は良い所」であったり、別れた月の仲間に想いを馳せる感情の方が、『愛』に近いと考えるからでもあるが、もっとストレートに『∀ガンダム』第一話の「月に吠える」というサブタイトルは萩原朔太郎からの引用で、また『セカチュー』の主人公の名前も萩原朔太郎からの引用だから、おのずと連想してしまうのだ。
しかし、朔太郎の『月に吠える』は、世界の中心で愛を叫んでいるわけではない。 詩集『月に吠える』の冒頭にある該当箇所を引用すると下記である。過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無爲と惱める心肉との不吉な惡夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽靈のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。というわけで、僕には『セカチュー』の主人公が朔太郎と名付けられた理由には全く見当がつかないでいるが、富野由悠季が『∀ガンダム』の第一話のサブタイトルを「月に吠える」とした理由ならば、理解できるような気がする。
自分にとって不吉な悪夢であった過去を、永久に自分のあとを追って来ぬよう、月夜の地上に釘付けにしてしまいたかったからだ。 が、これは結論ではない。
ロランは月に向かって愛を叫び、黒歴史は掘り返される。
ちなみに最終話のサブタイトル「黄金の秋」とは、日本人が「食欲の秋」というような感覚で、ロシア人が一年で最も美しい季節として、紅葉に染まる秋を「ザラタヤ・オーシン(黄金の秋)」と呼ぶところから来ているとすれば、富野の心は一足早く『オーバーマン・キングゲイナー』の舞台であるシベリアの大地を踏みしめ「富野全開!」と叫んでいたのかもしれない。
と、しゃあぽさんがゆってたんで、ふぅんと思って、買って読んで見た。
http://char-custom.net/cgi/site.cgi?entry_id=95
ターンエーガンダムは深い。ハリーの災難も見なければ。
で、詩集だが。
なんというチラシの裏。
こういうあれです。こういうメンヘルっぽいポエムのブログを書いてる人っていくらでも居ると思うんだ。
なんでこんなのが教科書に載ってたんだろう?ダメ人間じゃないですか。落第生だし。27歳で大学を諦めるとか。
そんなのを憶えさせる国語教育は謎だ。
ダメ人間なんかは存在ごと抹殺すべきなのだが。すくなくとも、公的教育機関で教える事じゃない。
というかんじで、結構共感できました。
というか、萩原朔太郎氏は精神病で痛みを常に抱えていたと書いてある。
お前は俺か。
私は、昨日、久しぶりに学校で授業を受けました。
人が怖かった。声も。
まあ、勉強してない自分が悪かったんだが。
それも込みで、気分が最悪になった。
ものすごく目眩がして、ふらついて、震えが止まらなかった。脳みそがごぼごぼと泡立つように揺れた。
そのうえ、心臓に何かを埋め込まれたような痛みに襲われた。「キラキラと輝くもの」か。
とりあえず、サードチルドレンのように、「座っているだけでいい、それ以上は望まんよ」という風に頑張った。
ああ、学校はイヤだ。
普通の人は普通にできているのに。
普通の人は怖い。
ボクはスケジュールを立てることもできてないので精神病院の予約をする事もできない。
薬が足りない。
薬が効いている気がしない。
というか、僕が普通の人がやっているとおりに生きてこなかったのが悪い。
がんばってない。
のか?
いや、僕は頑張ってる。いつもやることがあるし。ただ、頑張る方向が定まってないだけだ。
ああ、なんで年賀状をあんなに熱中して描いたのだろう?しかしそうしたかったんだ!
生活のための勉強よりも、生きることは脳内妹を描く事だ!
ただ、愛のためにだけ生きてる。
というかんじで、病気の詩人は共感できる。
いや、詩人の詩はよっぽど美しく、色々なイメージの刺激を受けて面白かったです。こういう体感的な読書も面白いものだな。
しかし、今よりも精神病に対する知識も薬も無い時の神経症は大変な恐怖だったのでしょう。診断名が無くても症状はあるよなあ。
あとがきに寄稿した室生犀星はすごいホモい。
ホモいというかやおい。
朔太郎の事を兄と呼ぶ。
ああ君の魂に祝福あれ
大声でしかも地響きのする声量で私は呼ぶ。健康なれ! おお健康なれ! と。
とかいう。
神経症から健康になろうとする過渡期の朔太郎に、富野監督が自分を重ねたと言う事はあるのかもしれないし、全く無いかもしれない。
僕が好きだな-って思ったのは、
人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。
人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。
あるとき人間が馬のやうに見えること。
人間が人間の愛にうらぎりすること。
人間が人間をきらふこと。
ああ、厭人病者。
ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと厭人病者の話が出て居た。
それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。
心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪悪の思想であらう。なんたる醜悪の病気であらう。
おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない、
ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄らしい言葉を言つたことすらもない。
ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。
おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。
おれはときどき、すべての人々から脱れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつて涙ぐましくなる。
おれはいつでも、人気のない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑閙を思ふのがすきだ。
遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故郷《ふるさと》の公園地をあるくのがすきだ。
ああ、きのふもきのふとて、おれは悲しい夢をみつづけた。
おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。
おれはくるしくなる。
おれはさびしくなる。
心で愛するものを、なにゆゑに肉体で愛することができないのか。
おれは懺悔する。
懺悔する。
おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。
利根川の河原の砂の上に坐つて懺悔をする。
脳内恋愛をするといいヨ。脳内恋愛以外に突破する方法が無い。
文章は青空文庫からいただきました。
で、なかなかに不思議な詩で、意味がどうとか考え込むとまたしてもドツボにはまるし、しゃあぽ氏の言う事で十分な気もするので、とりあえず、「月」「吠える」「犬」が出てくる詩を列挙します。
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓《こころ》はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳《め》はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水《みづ》のうへの月《つき》をみる。
ありあけ
ながい疾患のいたみから、
その顔はくもの巣だらけとなり、
腰からしたは影のやうに消えてしまひ、
腰からうへには藪が生え、
手が腐れ
身体《からだ》いちめんがじつにめちやくちやなり、
ああ、けふも月が出で、
有明の月が空に出で、
そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、
畸形の白犬が吠えてゐる。
しののめちかく、
さみしい道路の方で吠える犬だよ。
猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづき[#「みかづき」に傍点]がかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
白い月
はげしいむし歯のいたみから、
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つてゐた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を泥だらけにしながら、
つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえてゐる、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
[#地付き]幼童思慕詩篇
見しらぬ犬
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具《かたわ》の犬のかげだ。ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもの[#「いきもの」に傍点]のやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後《うしろ》のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後《うしろ》で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせ[#「ふしあはせ」に傍点]の犬のかげだ。
月と言うのは己の不幸を浮き彫りにする断罪者の光なのだろーか?
精神病者は己を見てうめくものだ。月に吠える。
ロラン・セアックは己に何ら恥じる事の無いしあわせな美しい少年!超ニュータイプ!