玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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伝説巨神イデオン31 故郷は燃えて

脚本渡辺由自 絵コンテ菊池一仁 演出滝沢敏文 作画監督昆信ノ介
あらすじ
http://www.sepia.dti.ne.jp/stillness/ideon/story/television31.html
今回は、父親たちの星条旗というか、アメリカ軍人の映画っぽい感じでした。
戦場の現実を知るがゆえに軍部に反発するベス、戦意高揚と軍備増強のために出世をちらつかせる軍高官、家名を重んじる厳格な父、息子が社会に認められて欲しい母親。
古典的というか、本格的というか。
アメリカっぽいなー。
一応、今回の部隊は地球連邦軍ヨーロッパ本部なのだが。
ベスは明らかにアメリカ人だな。
ジョーダン家の一人息子で両親の期待を一身に背負って、大学時代はアメフトの選手、優秀な成績で幹部候補生として前線に送られ、将来を期待されていた。
って、典型的なアメリカ軍人のそれだ!
いやー。ロボットアニメでやっちゃうんだー。
うわーー。


また、常々私はロボットモノの主人公って、両親が居ないか、両親が開発者、と言う両極端なんだよなあって思っていました。
っていうか、結論から言うと、ロボットに乗って戦うなんて子どもっぽくて恥ずかしいじゃないですか。視聴者的にも、親と言うのは「いつまでもアニメなんか見てないで・・・」っていう存在な訳ですな。
で、萬画アニメにおいての親は、初めから居ないか序盤で死ぬ、あるいはロボットの制作者になってて、どっちにしても重要なのは主人公がロボットに乗る事に文句を言わない存在である、と言う。
ギャルゲーの親とかもそんな感じでしょうか。
というか、まあ、普遍的に、ロボットとかに限らず、親と言うのは子どものやってる事や仕事に対しては全くの門外漢の癖に、子ども自体は一番理解しているのだと言う生物的原体験(トラウマ?)による思い込みが激しい。
ので、子どもが勝手をしたいときには色々と出足をくじくというか、テンションが下がるというか。
と言う訳で、アニメの中でも特にはっちゃけているロボットアニメというジャンルでは、親は邪魔で厄介な存在なのである。
で、まあ、対策として、死んでたり、逆に積極的にロボットへの動機付けになってたりする。
一番現実的に多いパターンである所の、「親が健在で、子どもとは別の事をしている」というのが一番厄介で描きづらい上につまらん上にうっとおしい!


でも、イデオンはやります。
っていうか、ここらへんの雰囲気はやっぱり海外SFドラマに近いと思った。
少年のコスモではなく、青年でリーダーのベスを通して親からの自立を描いている。スタートレックヴォイジャーのトム・パリスのような感じ。
「再会、母よ…」とも似ているんだが、対象が年長のベスに成っているし、軍を代表とする社会と家族の関係がより明確に描かれている。
大人のドラマだし、大人になっても子ども扱いされるリアルでありがちな人間関係の描写を、爽快感が売りのロボットアニメでやっちゃうんだもんなー。
しかし、それを、あえてロボットアニメでやる、というところで、何がしかを破壊する快感がありました。
わかりやすくいうと、
「またイデオンがやらかしたなー!」という。
ちなみに、ロボットに乗る主人公の職場に親が来て恥ずかしい思いをする、というシークエンスは僕もいつか描こうと思っていたので、またトミノに先を越されて、むかついています。生まれる前から。
富野はいつもオレの前を行っている!40歳も年上だし。
ヌゥーッ!




そういえば、織田裕二の「卒業旅行」で「俺今、一発だから!」っていうのも同じような感じですかね?あの映画のあのシーンはかなり好きです。


親と言うのはなかなかデリケートで、視聴者にもショックを与える代わりに作家も本気になればなるほど描きにくくなる題材なので、イデオン頑張ったなあと思います。


しかし、ツッコミを入れると、「俺だけが親を思うエゴに負けたらイデに飲み込まれて、拡大したイデが両親まで焼き尽くして云々」という電波な理由で親に顔も見せないベスはどうかと思うなー。
地球軍も、ムーンランドや植民星を見捨てたり、地球防衛が官僚の自己保身になっているような(富野アニメらしい)色々と問題のある組織であることは散々描かれているけれども、
ベスに出世と親というカードを使っているのはソロシップを当てにして、バッフ・クランとの戦いに際して、軍部も弱気になっている証拠でもある。
そこを上手く利用して、ベスも交渉を一切拒否しないで、
地球側からは上手く補給を取りつけながら実戦の主導権は自分たちが持てるように、
というか、とにかく一度落ち着いてイデとバッフ・クランについてもっと話し合うべきだと思うんだが。
もっと話せよ。
情報開示やホウレンソウは大事ですよー。



が、やっぱり、相手の今までの行いで相手が話すに足らない人物だと思ったら頑なになってしまう、という気分も分かるし。
ソロシップの人たちが一度は戦争とイデを地球に任せようと思っても、地球の人がすごいダメだったので、自分たちしか頼れないと思うのも当然か。
つまり、ソロシップの人たちは今までの放浪で傷つききって、自閉しているのかも。
うーん。
そういう気分が、客観的、全体的利益を見えなくして、行動を制限するって言うのはよくあるし、結局人間が多少なりとも認識できて支配できるのは自分だけ、というのも当たり前。
当たり前ゆえに見てるほうもなんだか他人事ではいられない気分に成って、アーーーー。どうしたもんか。



ベスが「親を思うエゴがイデを増大させるので、親を思わないことで親を助ける」という判断がまた、エゴとなってソロシップを孤立させていく。
という、一つの視点での正解が、別の価値観では間違いになって、そういうモノが積分されて共鳴して、世界があらぬ方向に行ってしまうんだなあ。
教えて!ジッドゥ・クリシュナムルティ先生!
セカイ系とか決断主義はシンプルでいいっすね。物語としては特定のキャラクターだけで動くほうが古典的でもあるのだが。



えーと、他の事を短く書くと、
今回の敵はイデオンのエネルギーを吸い取る敵でした。
エネルギーの定義をまず述べろ。バカめ。
電気か?熱か?
っていうか、イデそのものを吸収する機構を発見したのか?バッフ・クラン?
とりあえず、イデオンのエネルギーがデカかったのでマンガのセオリーどおり爆発。
あと、今回はコスモがイデオンに乗ってません。別にいいのか。


今回のサラリーマン劇場〜
敵の組織からソロシップに転職したカララが、以前の部下のギジェが捕虜になっているのを見て、「この船に必要な存在である事を示さなければならない」と言って、ベスとコスモの救出を手伝う所。
あと、この二人がソロシップの中では特に役職がなくって、今回動かせるキャラクターだったという事でもあるが。
そんな二人をクルーが脱走したと考えて射殺しようとするのをシェリルさんが止めるのが良いね。
シェリルさんは優しさを理屈のオブラートに包んで意見を言う所が可愛い。


ダラム・ズバの遺品を整理する、という名目で派閥争いに利用できる情報を探すルクク・キルがまた、生々しいなあ。
あー、ハルルさまがどんどんお怒りに。