玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

カオス ヘッド最終回

冴えないオタクの西条拓海とメンヘル女子が世界を救いました。
という話として見たら、たしかにダメなアニメだ。
テキストゲームを一クールアニメにする際にかなり切り捨てたのだろうからいろいろと薄い。
脳内彼女の星来オルジェルたんより生身の女を名乗る美少女アニメキャラの方がいい(分かりにくい表現(笑)というテンプレ展開だし。
おいおい、脳内恋愛ってそんなに都合の良いものですか?現実でかまってくれる女が沸いたら、今までの脳内恋人との思い出は忘れられるの?忘れることが成長なの?脳内恋人は自分の一部じゃないの?簡単に捨てていいの?共に歩めないの?
井上敏樹脳内恋愛のことがちっともわかってない!*1
僕、思うのですけど、アニメは夢を売るものなのに、アニメが「現実に戻れ」とか言うのは違和感です。そんなに夢を後ろめたく思わなくてもいいのに。
まあ、けいおん!ひだまりスケッチらきすたのように「現実で疲れた人を癒すように適度に調節された女の子のリアルと言うファンタジー(分かりにくい)」のようなものもあるのでいろいろですね。ムント様とかもあるし。
まー、妄想を中心にした話なら決着をつけるためにラストを現実女にするのがバランス感覚かも。NHKにようこそ!とか。
しかし、別にそんなに現実と空想を色分けをしなくても、夢を見るために現実でがんばるカレイドスターみたいなのが感動しますが。



だが、それが本筋ではない。
たしかにダメな男主人公が実は勇者で、世界を救うなんて願望充足でしかない。
敵を倒して現実に適応するって言うアニメはありがち過ぎである。ダメなオタクの弱い所を好きになるヒロインとか。あまりにもぬるい。ぬるいおたくのぬるま湯だ。



だが、主人公が西条拓海ではなく将軍ならどうだろうか。
つまり、ダメな視聴者が共感すべきなのはオタクのタクではなく、本体の西条拓海である将軍だ。なんか病気でキモくて死にそうでやる気がない。生きてても仕方がない。世間の家族のお荷物。
しかし、オタクで気が弱いけど健康で背が高くて顔もそれなりの脳内自分のタクを妄想して超能力で具現化させて、自分は脇役になって自分の代わりに世界を救う勇者を演じさせて、タクに自分の記憶を引き継いで将軍はひっそり死ぬ。
将軍が死んでもみんな少ししか悲しまない。むしろ、健康な妄想のタクを女は選ぶ。
この将軍(というか将軍に感情移入しているであろう原作者)の邪気眼的自己否定感覚がすごいな!むしろ、その悲しさに関心した。
将軍の妄想として覚醒して、将軍の妄想物語の設定を説明しながら戦うだけの勇者になったタクには僕はあまり魅力を感じない。でも、虚構の主人公はタクだ。
つまり、ダメなやつは作中の人物には敵わないし、劇中現実の美少女も作中の主人公を選ぶ。ダメな奴にできることは作中の主人公を妄想するだけ。しかしそこに作者の居場所はない。
と、いうのがカオスヘッドの主張であり、弱い所だ。
ぶっちゃけると、俺の妄想の方が強い。
俺の脳内恋愛は俺の居場所だ!俺が最強だ!だって参加者は俺だけ(笑)
商業作品は一人で戦えないからかわいそうだね!


ちなみに自分だけを見るのがダメだと他人に言う人はつまり、自分を見て欲しいからそんな事を言うんだと思うよ。みんな自分が好きなのさ。
いや、厳密には自分だけ見てるわけじゃない。信号も見てる。

*1:普通わからんだろうけど(笑