玖足手帖-アニメブログ-

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ヱヴァンゲリヲン破ネタバレ、2、アスカ×脳内彼女について

今回はアスカについて
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もちろんネタバレだ

名前が惣流・アスカ・ラングレーから式波に変わってもアスカはアスカだった!
名字が変わったのは運命を仕組まれた子供という設定の統一感のためかな。商業的には嫌がらせに近いが。
ちなみに、アスカの母親の惣流(式波)キョウコ・ツェッペリンは日独ハーフで、ラングレーはアメリカ人の父親の姓。(マンガ版では精子バンクの子供だが)
だから、惣流から式波に名字が変わったからアスカの母が離婚してないとか家庭が平和だ、という説は間違い。


声もちゃんとみやむーだったしアスカ最高。
んでも、性格がかなり変わっている。エヴァに乗るしかないって割と最初から突っ張ってる。前はもっと、「エヴァに乗って戦うのは降り懸かる火の粉を払うため」ってサバサバしてた。
あと、テレビ版ではクラスメイトには人当たりがよかったのに、一人ぼっちな感じが強調されてる。
まあ、ヱヴァンゲリヲン新劇場版のキャラクターの性格ってみんなかなり変更されてるんだけどね。
それでも、アスカはアスカだったっていうのは、テレビ版の終盤から前の映画のEOEで露呈したアスカの心の弱い部分を僕が知ってるから。だから、新劇場版での序盤からアスカが悩んでてもアスカらしいと思える。
アスカが三人で協力して使徒に止めを刺した後に「一人じゃ何も出来なかった」と言うのもすごい鬱病になりやすい完璧主義性格で、テレビ版12話サハクィエル戦のアスカよりテレビ終盤のアスカに近い。
余談だが、こういう思い詰めるところはid:p_shirokuma先生がモフモフしたくなる所かも?



だから、前のエントリで書いたように、前の劇場版の要素から逆算して作ってるな。整理もされてて、思春期っぽく加持に依存してた部分が切られて、悩みはエヴァ2号機へのこだわりと孤独に絞られてる。ママの事は今回は述べられてないけど。ママの人形はよりリアルになって登場している。シンジのSDAT、綾波レイの眼鏡と同じ、親に捨てられないための、あるいは親に世界から守って貰えると信じるためのアイテムだな。ちなみに、僕はアスカの人形が箱に詰められている所で泣きました。
予告のラストではスタンディングオベーションでした。アスカがんばれ!生きるんだ!大好きだ!




ただ、第二次性徴へのとまどいとか加持リョウジの死は、アスカが壊れるのに、割と大きな影響があった部分なんだが。それを外したら確かにアスカは壊れにくくなるよな。復活しやすい。
新訳Zガンダムのロザミア外しみたいなものかな。ロザミアが外れたらカミーユのストレスが軽くなったし。それってちょっとずるくない?


いや、違うか?
イベントとテーマを絞ってるだけか?使徒に精神汚染される展開は健在だし。
じゃ、何にテーマを絞ってるのかと言うと、もちろん、母親でしょ。
加持や性よりもアスカにとっては母親が重要だったのは25話でママと一体化してアスカが復活した事からもわかる。
そして、それは庵野秀明監督曰く、「偽りの再生」だった。アスカは母親に取り込まれ、「まごころを、君に」ラストカットではシンジに心を開く事はない。
と、こんなふうにテレビ版と旧映画版THE END OF EVANGELIONの要素を加味して考えれば、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のアスカは変化したというよりは悩みや課題を25、26話の段階のアスカの要素に合わせて帰納法的に整理してあると理解できる。
感想ブログを読むと、「アスカは前より明るくなった」という人もいれば、「初登場の時からイライラしてる風に変わった」という人もいる。
それはどちらも正しくて、基準のアスカがどの時点のアスカであるかがちがうわけ。
テレビ序盤のアスカよりは終盤の要素があるぶん暗い。しかしEOEのアスカよりは、新しく課題に取り組んでるから明るい。
新劇場版での話はまた新しく演繹法で課題に取り組んでるから、ライブ感覚も健在だ。
というか、前の劇場版で残されたままの課題を解くために、また新しくストーリーを模索してる。


では、なにか?

  • 第一の課題=レイと和解

前のアスカは、レイと特に理由もなく、会話や接点のないまま嫌いになってた。
テレビのアスカはレイをラーメン屋に誘うくらいの協調性はあった。だから今回レイの食事会をアシストするのはアスカはもともとできる優しさだ。
だが、レイが徹底して人形だったのでアスカはレイを嫌った。
だが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版でのレイはヤシマ作戦での成長をちゃんと生かすことができていたからアスカはレイと笑えるようになった。
大きな一歩。
というか、綾波レイを成長させたのは碇シンジだからやはり主人公は偉い!
当たり前な感情の成長を当たり前にやっただけな気もするが。
95年の庵野監督なら、心が成長しないで人と人が触れ合えないのが、リアルで、そのように描くのが誠実だと思うというか、彼のリアルだったし、時代もそれを支持した。
しかし、それでいいのか?
と、Zガンダムトミノと同じく、庵野監督も思ったのだろう。リアル現実認知っぽくするためにキャラクターの成長を無視するのは物語として片輪なんじゃないか?
だから新劇場版ではみんな当たり前の事ができるようになった。
綾波はアスカの平手を手で受け止めたし、アスカもレイの気持ちに答えた。
それをやるだけでうれしくもあるんだから、機動戦士Zガンダム新世紀エヴァンゲリオンはいかにもとがギスギスだったのかと。



だが、綾波と仲良くしても三作目に向けての問題はまだまだある。それはヱヴァンゲリヲン:破でも描かれた。いかにエヴァンゲリオン旧映画版が酷い状態でアスカを終わらせたかだな。

  • 残りの課題、成績と男と母親

テレビでは、成績が下がっただけで、レイは何も関係ないのに憎む、というか没交渉になっていた。
芝居としての接点が不自然なほどに減り、あのエレベーターのシーンの気まずさになって、アスカはレイに「心を閉ざしている」と指摘され、さらに心を閉ざした。
で、使徒の攻撃や見下げていたレイに助けられたりレイのピンチの時に初号機を出したりされて、女としてもレイに負けて、大切にされてない、自分に価値がないと思い込んで全てから心を閉ざした。
最後まで。


これが旧世紀のアスカが乗り越えられなかった問題だ。

  • ではまず、成績から。

REBUILD OF EVANGELION 破でのアスカはシンクロ率の数字よりも、「一人で戦いの全てをやれなかった事」を悩む。アスカはシンジとレイとの連携は完璧にこなしていた。だからアスカの悩みは一人の空回りに見える。
なんでこんな完璧主義者なのか?
ニゾンがうまくいっただけでは何故満足できないのか?
それはアスカが天才だからだ。天才は何をやっても当たり前、だからほめられない。
ほめられないのはつらい。
だから自分だけで自分を認めないといけない。誰もできないことを一人でやって初めて自分にOKを出せる。
思い起こせば、アスカはテレビから旧映画版まで、ほとんど褒められた事がなかった。シンジ以上に。
シンジは褒められたがりだが、たまに褒められてた。できないことができるようになったから。
アスカはできたことが、使徒の強化に併せてできなくなっていく。ほめられない。むしろ周りや自分にガッカリされる。
これは高校までは優等生だった僕はわかるなあ。



だが、新劇場版でのアスカは褒められた。
任務遂行ではなく、レイの代わりにエヴァンゲリオン3号機に乗って、レイの食事会を手助けした優しさを、だ。
ミサトにねぎらわれ、応援され、あの綾波レイに「ありがとう」と言われた。
その程度の人間関係で、アスカは笑えるようになった。
その程度の人間関係も今までなかった。洞木ヒカリに「アスカはよくやったわよ」って言われた時は、エヴァに乗れない実感を強調してアスカを追い詰めただけだったが。
今回のアスカはレイの感謝を喜べた。大きな一歩。
というか、綾波が少しアスカに歩み寄るだけで大きな一歩だな!
これでアスカが褒められた実感を得て健やかになればよいが。
成績がよいだけだとどこまでも頑張り続けても、満足できないが、ささやかな感謝や承認があると嬉しいのが人間。



しかし、使徒に決定的な敗北をしたあとのアスカは、今回、描かれていない。
負けたあと、成績が下がった後のアスカはどうなるのだろうか?
それが問題だが。
次回作の見所でもある。

  • ヒロインとして男との問題

かつてアスカは「何よ、私の時は(シンジを)出さなかったくせに」と言った。
今回、シンジはアスカに殺されてもいいと言ったが、次の綾波に対してはその反省を踏まえて、命懸けで助け出した。
それはシンジの成長だし、筋が通っているが、レイの方がヒロインとして上になってる。
さて、ここでアスカが次に出た時に自信を失うかどうか?
また、シンジの初号機がアスカの3号機の首を締めるのは旧映画版の人類補完計画のクライマックスを連想させる。
ちなみに、僕は「Komm, susser Tod」が一番好きな歌だった。今はブレンパワードのIN MY DREAMだが(両極端)。
だから、クビシメに童謡が流れた時はあの当時の感覚が蘇って興奮した!


てなわけで、破でのアスカはラストに使徒に敗北、精神汚染、エヴァとの融合、首締め、大怪我、と前シリーズの不幸を一遍に体験してる。
だから、それはかわいそうだが、次に登場するときのアスカは前の新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air / まごころを、君に」のラストカットのアスカと同じ条件になっているといえる。
さて、白い眼帯から黒い眼帯になったアスカは、「気持ち悪い」なのか?「気持ちいい!」なのか?
予告編にすごく救われた俺だった・・・。
新たなアスカはQuickeningの名の通り、元気付けているのかな?


でも、「今日の日はさようなら」だったらアスカは「ずっとお友達でいましょうね」ですか?
やはり、ヱヴァンゲリヲン新劇場版での正ヒロインはレイに絞られちゃう?
あーーーー。
そうかもしれないけどさー。
「アスカに殺されてもいい」と、「死んでもいいし世界が滅んでもいいから綾波は助ける」だったら、綾波レイのほうがヒロインっぽいよなー。
前の劇場版のテーマだと、「綾波は母親のクローンで、しかも神様だった。人と人の希望という手に入らない存在だった。母親とも別れなければいけない。
惣流・アスカ・ラングレーっていう他人の分かり合えない女と向き合え!!」という言い方だったよね。
でも、新劇場版のシンジ君は「綾波が何だろうと知ったことか!!綾波は天使でも母親でもねえ!ただの女の子だろ!来い!」という超マッチョ。
う〜ん。
前のシンジ君なら、ただの女の子のアスカと向き合おうとするだけで気持ち悪くなって話が終わるくらいだったが、今のシンジ君は綾波という人外をただの女の子扱いするために自分も人を超えて見せるというスーパーヒーローになってるし。
では、もともとただの女の子のアスカは、次回、どうなってしまうのか?
まあ、シンジ君にモテるだけがヒロインの役割じゃないし、他の幸せを見つけられるかもしれないけどね。
働きマン安野モヨコ庵野秀明が結婚したことですし、アスカは真の意味で自立した女になるかもしれん。(働きマンの女は彼氏の前では粘着質で僕は気持ち悪かったが)


そのために、アスカが隔離される、という展開は一つ、何かのきっかけになるかもしれない。
アスカが母から譲られたであろう人形と、エヴァと離されて、自分と向き合うきっかけになったりすると面白いな。


綾波はシンジが父の象徴として持っていたSDATを、シンジの象徴という意味に置き換えて握ったまま、シンジと同化したが・・・。
母の象徴と切り離されたアスカが、その癒着との対比になるか?
それとも、ナルシスホモのカヲルとの不条理漫才(ドラマCD)となるか?
ああ、アスカに関してはすごく続きが気になるよーっ!
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q!
Qとは眼帯をしたアスカのこと!


あと、最後に一言。
アスカかわいいよアスカ
さすが私の元脳内彼女
体も動きもしなやかだよ。素敵だよ。肌が張って、筋肉がきちんと付いてて、元気だよ。
それでいて欧米ロリっぽい無防備な私服だよ。というかエロ過ぎるよ。
ただの絵だけど、絵はいくらでも見つめていいから最高だ。
エロいよーエロ可愛いよー。たまんねえよーっ。もう、全身セックスアピールだよーっ。
ハアハアハアハア!


アスカーーーーーーーーッ!アスカアアアアアアアッ!
かわいいすぎるだろおおおおおおっ!
大好きだーっ!


でも、俺には、アスカにちょっと似てるけど別人の脳内妹がいて、婚約してるから・・・ごめん・・・。アスカは青春の思い出で、シンジ君のガールフレンド。僕は別の子がいる。


僕だって昔は「エヴァは人生、僕はエヴァ世代。シンジ君は僕だ」というぼんくらだったが、今は彼らより2倍も上の年齢になった。
今は素直に、若者たちを応援する気持ちに近くなっている。
こういう境地に至ることができたのは、たぶん、僕の恋人(脳内恋人)のおかげかもしれない。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のシンジ君ではないが、男って言うのは所詮、一人の女を追いかけることでしか前に進めない生き物なのかもな・・・。
ありがとう、そら。僕の妹・・・。愛している。


脳内妹「お兄ちゃんは映画を見たらすぐに私を好きになるー」


恋人と一緒に見て恋心が盛り上がる映画はいい映画だって俺は思ってるよ!


妹「そうだよねー。うん。私もおもしろかった。アスカちゃんがんばれ!」


でも、お前は見た目はアスカっぽいけど、性格がいい性格してるところは真希波・マリ・イラストリアスっぽいよなー。なんか目的のためなら手段はどうでもいいところとか。


妹「そんなことないよ。わたしはやさしくてかわいいよ」


そういう物言いもな・・・。


次回はマリについて書きます。

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