玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ピングドラムの幾原監督の虐待親子論

幾原邦彦監督は

季刊 S 2011年10月号(36号) [雑誌] ?

季刊 S 2011年10月号(36号) [雑誌] ?

のインタビューで、「不況とか、原発事故とか、世の中がダメになってるけど、みんな犯人捜しをしてばかり。誰も悪い人なんかいないのにね。ただ、みんな弱いだけなのにね」
と、言っている。


で、先日のこの記事を読んだ。

なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。


、今の日本社会の構造は機能不全家庭そっくりだ。そういう家庭に育った子供は親に主張しない。言っても無駄だと思っているから。この国はいわば機能不全社会なのだ。
いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

@niger112 (^_-)-☆

機能不全家庭の子供側の一つの解決策に「同じ土俵に立たない」があると思う。表面上だけ取り繕って影で脱出する準備をする。そうすると、親側からは何も主張がないように見える

http://twitter.com/#!/niger112/status/127301646148579328

 

@niger112 (^_-)-☆

例えば、高校までは我慢して県外の大学に行くことで家庭の問題を放置したままで自分の状況を改善できる。機能不全社会なら海外就職すれば日本社会の問題は放置できる。どうして親側の人は、いつまでも自分と同じ土俵に立ってくれると信じているんだろうね。

http://twitter.com/#!/niger112/status/127302631206027264

自分たちの精神を一時的に慰撫するために、若者の精神を押し潰してしまったのは、より状況を悪くしてしまったとしか言いようがない。それすらも、人間は弱いのだから、つい自分より弱い者に当たってしまうのだ、仕方がないのだと言うのなら、その結果として、若者世代が年長者に対して何を思うのか、どういう態度を取るのかも、仕方がないと受け入れて頂くしかないだろう。


問題を抱えた親が子供に当り散らし、物理的にも精神的にも子供を「受け皿」にし、その結果、子供の心が親から離れてしまうのも、機能不全家庭にはありがちなことだ。


かつて年長者に猛反発した世代は、今やその時代の年長者以上の抑圧者になっている。ということは、今の若者世代も、余程気を付けなければ、将来抑圧者になりかねないということだ。
若者は何も言わず、ただ去るのみ - yuhka-unoの日記

ゆりが突然父親を消した桃果に惹かれたり、夏芽家の呪いを消すために自分も死のうとした真砂子とか、両親の起こしたテロの罰を背負わされている高倉兄妹とか、ノケモノと花嫁のヒツジ父娘とか、こういう世代間の負債の継承と蓄積を、幾原邦彦監督は輪るピングドラムというアニメを通して描こうとしているようだ。
しかし、親子の連鎖を断ち切ればいいのかというと、そういう話でもなく、新しい家庭を作るために結婚した夏芽真砂子の父が逃げて行ったり、新しい家庭に荻野目苹果の父が消えて行ったり、高倉両親が失踪したり、ゆりの父が消えたりするし、苹果のプロジェクトマタニティーやゆりと多蕗の結婚も、ただ幸せで正当な物、というわけでもない。
新しい家族で作られた子供にとっては、そこもまた因縁なのだ・・・。子供にとって強くあって欲しい両親も、ただ自分を愛しているだけの弱い個人なのだ。


富野由悠季監督のブレンパワードを思い出したりもする。
ブレンパワードも復帰作だしね。