玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

アイドルマスター劇場版感想5 映画の時をかける少女、千早の映画演出

これまでも感想をいくつか書いたように、劇場版THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!はグレートな映画だ。
ラブストーリーではなく、一つのライブに取り組む20人の少女たちのアイドル活動を通して、スタンダードな人間の普遍的な友愛や人間的精神の成長のドラマも描き切った作品だ。


だが、真にこの映画が超グレートな映画になっている所は、肝心なところを「描いていない」ことだ。過程をすっ飛ばして結果だけ描くという演出術!グレートですよ!
もちろん、映画と言うのは編集が要なのだが、だからこそそこが映画らしいと言える。
世阿弥風に言えば「秘するが花」


そして、それは冒頭の「眠り姫」に示されているように、魔法少女まどか☆マギカと、マリア様がみてるに通じる所がある。
そう言うわけで、「眠り姫」は単に学園百合ドラマと魔法少女アニメのパロディと言う一発ネタだけでなく、「この映画では、まどか☆マギカみたいなトリックを使って、少女たちの愛情を描くぞ!」という宣言とかチューニングとも取れるわけ。そういうチューニングを観客に施したうえで、映画を見せる。
だから冒頭からお笑いだけでなく、きちんと意味があるんだ。


もちろん、以下はネタバレだ。



一番重要な所を具体的に言うと、可奈に春香が傘を差しだすところと、アリーナで集合した時の志保の言葉から765プロの全員が涙目になっているところが省略されている。
このディレクションの意図を読み取ることが、映像体験をさらに豊かにする!
そして、その両方のシーンで重要な役割を果たしているのは如月千早だということだ。
そう、如月千早はこの映画において、映画の外で行動する、舞台装置の世界の外の魔女だと言える。
表の主人公が天海春香だとしたら、裏の主人公は如月千早だ。
この構図、魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語の鹿目まどかと、暁美ほむらの二人に似ている。
魔法少女まどか☆マギカでは、鹿目まどかは同族の魔法少女達を救うために奇跡を起こし、ほむらはそのまどかを助けるために時を超えた。
で、THE IDOLM@STER 輝きの向こう側へ!では天海春香は魔法は使えないけどアイドル候補生を救い、如月千早はその春香を支えた。


ビジュアル的にも、まどかと春香はダブルリボン主人公で、ほむらと千早はクールビューティーのロングヘアなので似ている。

figma 魔法少女まどか☆マギカ 鹿目まどか

figma 魔法少女まどか☆マギカ 鹿目まどか

似ているんだが、THE IDOLM@STERは奇蹟も魔法もないリアルな世界観での人間ドラマに徹しているのが違う。アニメなんだからいくらでも奇蹟は描けるのに、それをしないで人間ドラマだけに徹している作り手の姿勢が力強い。
だが、単に人間のキャラクターの行動をのんべんだらりと描いただけでは、こんなに面白い映画にはなっていない。そこで機能するのが演出である。
で、前項で注目したのが、視線や情報や現在と過去を絡み合わせる「鏡」のモチーフの演出である。このようなテクニックを使うことで、場面の緊張感と密度を保っている。
そして、今回紹介するのは、鏡のような繋げる演出ではなく、「断ち切る」省略の美学だ。


天海春香はアイドルの結束を繋げる小さな奇跡を起こした。
そして、如月千早はその奇蹟を映画の世界から切り取っていった。ここに、千早と暁美ほむらの類似と相違を感じ取ることが出来る。

魔法少女まどか☆マギカに於いて、暁美ほむらは「何度も同じ時間を繰り返している」とか「自分の心の中の結界に世界を作り出した」と言う点で、他の登場人物と違い、メタプレイヤーとして出てきた。
THE iDOLM@STERもゲームはループ性があるしアイマスのコンテンツはパラレルワールド型だが、アニメのアイドルマスターは基本的に一本のドラマであり、タイムスリップや魔法のようなSFファンタジーガジェットはない。
だが、劇場版THE IDOLM@STERでは千早が写真撮影が趣味になっている、と新しい設定を盛り込むことで、暗示的に千早がメタプレイヤーだと示している。千早は春香に対してまなざしを注ぐ人である。
アイドルマスター劇場版 感想4 鏡演出〜後編 距離と視線で春香の成長を見る その1(千早編) - 玖足手帖-アニメ&創作-
↑以前のブログで長く解説したが、千早は序盤から合宿の終了までは春香の隣や後ろにいる。しかし、春香が可奈に視線を向け始めることで、千早は春香から離れ始めた。
合宿の帰りの車では千早は春香の隣にはおらず、ミニライブで失敗した後輩を春香が気にしている時も千早は春香を無視してあずささんと話していた。
愛のあまり悪魔になった暁美ほむらはインターネットで「クレイジーサイコレズ」と呼ばれることが多いが、如月千早はクレイジーサイコというほどではないが、「百合」的な雰囲気を持っている。
この千早の眼差しの変化は、メタプレイヤーとしての千早の劇中での立ち位置と感情の変化と見れる。

アイドルマスター劇場版 感想4 鏡演出〜後編 距離と視線で春香の成長を見る その1(千早編) - 玖足手帖-アニメ&創作-
百合的に考えると、可奈にサインした春香の報告を聞く時、顔ではほほえみながら千早は「私と言う物がありながら、後輩にサインをねだられたくらいでデレデレして…くっ…」と考えていたのかもしれない。劇場版アイマスの感想で、とにかく「千早は春香を支える正妻」と言われることが多いのですが、寝取られ百合視点で見ると、千早の正妻っぽさも実は安定しておらず、距離が開いたりするのです。
合宿中の春香は千早から離れる態度が多いです。前述のとおり、序盤から千早は春香の隣に居たがるのですが、リーダーとして周りに気を遣うようになった春香は千早から離れる機会が増えます。
千早が隣にいるのに、春香は挨拶の時、可奈に個人的に「よろしくね」と言います。
1日目の食事シーンでも、最初にテーブルに就いていた時、春香はお誕生日席で千早の隣に居ました。でも、春香は雪歩と一緒に後輩組のテーブルに移動して後輩を励まします。千早は佐竹美奈子ちゃんと横山奈緒ちゃんの後ろで背中合わせです。そして、春香が後輩を励ましている間、千早は無言です。目を合わせようともカメラに顔を向けようともしない。真は千早と同じくカップリング対象の雪歩が移動してるんですが、横山奈緒の後ろで移動した雪歩の方に振り向いて「萩原先輩って感じだね」って雪歩が後輩を見ることを認めて、箱崎梨花ちゃんに「ちゃんと食べておかないと明日がきついよ」と体育会系の先輩らしく声をかけてやります。
この、千早と真の、マリみて的な接し方の差、ホント百合です。マリみて的に考えると、体育会系の真は完璧に黄薔薇様(ロサ・フェティダ)の支倉令さまです。対して、リボン主人公の春香が福沢祐巳だとすると、千早は紅薔薇ロサ・キネンシス小笠原祥子さまです。年齢は逆ですが、千早と祥子さまは才能があるくせに人づきあいが不器用ですぐに拗ねたりするし、髪型も似てます。
祥子さまはまだ年上だしリリアン女学園では卒業や上下関係からの規範意識があるのですが、千早は春香と同世代の百合カップルです。そう言うわけで、春香が後輩の面倒を看ると、千早は嫉妬、したでしょうね。
しかも、千早は自然に春香の隣に行きたがるのに、春香の方から後輩の方に離れていく行動が合宿中にあって、メンタルの繊細な千早からは、春香のそういう無自覚な他人への優しさが「私から離れて…くっ…」と言う気持ちの積み重ねになったのかも。


真くんはボーイッシュだし、真自身が面倒見のいいタイプなので、雪歩が後輩の心配をすることはあまり気にしない。でも、千早は春香が後輩に話しかけている間、ほとんど無言です。


合宿最終日も千早は春香の隣でスイカを一緒に食べてたのに、ぽっと出の矢吹さんに呼び止められてホイホイいって、プロの癖にサインをしてやって、その上デレデレして自分に報告に来るとか、当てつけてんの???
(とか、千早、顔には出してないけど思ってたかもしれない)
この、映画に描かれてない部分での、意図的に画面で見切れている千早の無言ぶりがほんと、いいです。
NTR千早スパイラル、かわいそうだけど萌えます。

  • その裏で遠ざかる千早

合宿の帰りの車で千早が春香の隣に座らなかった所から兆候は見えていたのだが、この池袋サンシャインシティ噴水広場でのミニライブは春香、千早、あずさ+バックダンサーである。
転倒した場面には千早もいた。だが、このシーン、千早は無言である。
そして、春香が走り去る可奈を呆然と見つめる後ろで、あろうことか千早はあずささんと談笑か打ち合わせをしていた!
プロ意識の高い千早のこと、ミニライブとはいえ春香との大切なステージを後輩に泥を塗られた形である。千早も悔しい気持ちがあっただろう。だが、春香はまたしても千早ではなく後輩の方を見に行った。
そして、千早はあずささんと話す。春香を励まそうとか、春香と後輩の仲を取り持とうとはしない。百合的には当てつけとも取れる行動だ。


その後、ダンススタジオに入るシーンがあるが、レッスンスタジオで春香を迎える千早はグループの端っこで、半分見切れている。そして無言。
そのレッスン中にプロデューサーも来て、春香はリーダーとして中央に居るところに、面倒見のいい先輩として合宿中に振舞った菊地真に、ダンサー組の年長者の佐竹美奈子から「ダンサー組の練習が上手くいっていない」というメールがくる。当然みんな驚く。真はリーダー春香とプロデューザーに携帯電話を見せる。自然に他のメンバーも集まる。
が、千早は動かない。輪の外にいる。


ここで恐るべき鏡のレイアウトがあるのだが、ダンスレッスンスタジオの壁は練習のために鏡張りだ。だが、部屋の入り口の1スペースはカーテンが引かれている。で、カーテンで鏡が隠れている所にみんなが集まっているのに、千早だけその外のスペースに居て千早だけが壁の鏡に映っている!

この鏡の演出で千早だけが鏡に映っているというのが、映像の暗示的演出技法としてかなり重要で、ダンサー組のレッスンが上手くいっていないというメールにみんなが集中している中で、千早だけが他の目線にいるとか、千早はみんなのトラブルをメタ的に外側から見ているとも見れる。


魔法少女暁美ほむらと違って、本編の如月千早は魔法は使わない。だが、如月千早はこのように「映像演出」を魔法のように使って、無言で感情を表現している。

また次の日も、ダンススタジオでレッスン。ダンサー組の体力差が目立ってくる。特に箱崎梨花が汗だくでぶっ倒れてしまったりする。
この合同練習の途中、千早は帽子をかぶってダンススタジオに入ってくる。帽子をかぶっていたのは、歌の収録の仕事の帰りと言うサインだと思うが、このスタジオ練習では千早は一切春香に視線を合わせず無言。
よく考えたらライブの後は千早は海外レコーディングと言う重大なイベントを控えているから、千早にしてみれば海外が2回目だとしても、もうちょっと春香に振り向いてほしい、気をかけてほしい、という無言のアピールなのかもしれない。千早は無言の圧力をかける女である。でも、春香は後輩の問題やリーダーとしての役割意識で頭がいっぱいになって、そんな余裕がない。
まるで、千早と入れ違いになるように、春香は別室に行き、伊織、あずさ、亜美、貴音と後輩たちの処遇について相談する。


テレビ版11話でも似たような状況になって、雪歩とやよいがダンスの足を引っ張った。春香もボーカルレッスンで苦労していて、それを支えたのは千早だった。持ちつ持たれつだった。そして、劇場版の中盤、悩む春香と千早の距離は、遠い。

  • 学級委員長の春香と副長の千早

貴音に言われて、アイドル全員をダンススタジオに集め、ホワイトボードの前で今後の方針をダンサー組の皆に聞く春香。できない組に合わせてダンスのレベルを下げるか、このままで行きたい人がどれくらいいるか、挙手を求める。

高校2年生の春香にとって、話し合いは学級会で挙手、と言う所に春香の幼さが見える。ここでリーダーと言うか学級委員長のような感じでホワイトボードの前に立つ春香の隣に、千早がいる。リーダーを補佐する位置だ。だが、どこか視線が春香もダンサー組も見ておらず、無言でぽつんと立っている印象。


そして、煮え切らない多数決、奈緒と美奈子との衝突で方向性が揉めて、春香は「可奈ちゃんが戻ってくるかもしれないし」と、甘いことを言う。
志保はそんな春香に反論する。
ここで千早。

「くっ・・・」
だが、無言を貫く。千早も春香のことを心配しているのだ。春香が後輩の方を向くことでちょっとした嫉妬もあったかもしれない。だけど、千早は春香の不幸を願っているわけではない。むしろ後輩のせいで春香が苦境に陥ってしまった現状、そこまでこじれるまで春香を支えずに離れてしまった自分への後悔、それが入り混じった千早の悔しそうな困ったような表情。


そのタイミングで杏奈は春香に可奈からの「ライブを諦めます。ごめんなさい」というメールを見せて、春香からのサインの入ったマスコットを可奈が要らないと言っていたと、突き返す。
「あんまりだぞ!」とか響が立ち上がって、やよいや亜美真美も心配そうにメールを見て春香に近づく。キツイことを言った志保も、一方的にメールで諦めた可奈の態度に怒って立ち上がる。
「今進めるものだけでも進めないと、みんな駄目になってしまう」と志保は詰め寄る。みんなが春香に視線を合わせて中央に集まる。だが、千早は最初の位置から動かない。硬直。千早は春香が好きだ。だけど、人見知りしがちで、後輩と春香の間を取り持つ、と言う器用なことはできないのも千早。


そうやって千早は硬直していたが、志保の「どうしてあなたがリーダーなんですか・・・」という言葉に対してストップをかけて、志保と春香の間に立ったのは千早ではなく、伊織だった。
伊織は春香に「そろそろリーダーとしてみんなのまとめる覚悟を決めて」「あんたがリーダーなんだから、しっかり決めなさい」と釘も刺す。

ここで、また千早は無言で辛そうに、あるいは睨みつけるように?春香を見る。千早も自分がちょっと拗ねて無言でいた間に春香が追いつめられていることを辛く思ってるようだし、その事態に責任の一端を感じているのかもしれない。
そして、あずささんの一声で、ミーティングは解散となり、仕事に行くメンバーとスタジオに残るメンバーに分かれる。
ミーティングが不完全燃焼に終わり、みんな暗い面持ち。そして、タクシーに乗る前、千早はレッスンスタジオの階段を振り返る。

この映画は春香が後輩との関係を経て自覚的になる話だが、千早もまた、「春香と私の関係」だけでなく、後輩も含めて広い人間関係を持ちつつ春香への愛に能動的になる、それに気づく、という成長を見せている。(ここら辺もマリみて的に考えると白薔薇姉妹の片手だけ繋いでを連想しますねー)
春香が悩んでいる間、ほとんど千早は無言で、春香との距離感くらいしか感情表現をしていないのだが、距離が近づいたり離れたりするだけで、千早にも千早なりの葛藤と決意と成長があると伝わりました。

映画は絵とセリフと音楽で構成されるものです。
ですが、このような集団劇に於いては、「みんなが動いてる時に動かない」「映っていない」「別の所に映る」「何も言わない」ということも、行動と同じように意味を持つ。
劇場版の中盤の千早は春香が悩んでいるにもかかわらず、何もしてない。
だが、その、千早が何もしていないということが重要で、そこに演出意図があるのだ。それが映像演出の技法であり魔法なのだ。


世阿弥の能の真髄を説いた風姿花伝において、「秘するが花」と言う言葉がある。

風姿花伝 | 聴いて、わかる。古典の名作・名場面
世阿弥は「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」と書いています。

「花」=「面白いこと」=「珍しいこと」です。「観客を面白がらせ、魅了すること、感動させること」と理解していいと思います。

つまり「秘すれば花」とは、「隠して秘密にするからこそ、観客を感動させられる」ということです。


この花の口伝の書においても、「ただ珍しいことをやるのが面白いのだ」とみんなが思っていれば、「きっと今から珍しいことをやるな」と思って待ち構えている観客の前ではたとえ珍しい芸をしたとしても、観客の心には珍しさは沸き起こらないだろう。


どこで観客を面白がらせるかという、役者の意図が見えないからこそ、面白がらせることができるのだ。だから観客はただ「すごく面白い名役者だ」とばかり見て、そこにある役者側の意図をさとられないことこそ、役者として最良な花である。

そういうわけで、人の心に思いもよらない感動を催す手立てを「花」と言っているのだ。

THE IDOLM@STERのアニメはアイドルアニメでショー映画である。であるから、ショーを見せるのだ、と言うのは観客の待ち望んでいる花であり、分かり切ったことだ。
それ以上の感動をこの映画が提供できたのは、観客が予想していなかった後半のシリアス展開でストレスをためてからラストのライブで爆発させるカタルシスがあったこと。
そして、如月千早が、この「役者の意図が見えない振舞い」や視線の表情をすることで、場面場面を引き締めたり、セリフに出さないながらも距離や態度で感情という百合の「花」を表し、匂わせることで感動を催させているのだ。
(だから、こうやってブログでその千早の感情の流れを解説するのは、「秘するが花」に対する「野暮」というものであり、あまりほめられたことではないのだ)
でも、そうやって秘められた百合の花の感情をブログで解きほぐすことには映画鑑賞の快感が伴うって言うのもあるんですよ。


そのような千早は言葉に出せない秘めた百合の花のような感情を春香に対して持っていたが、それがカフェでの二人のラブシーンにつながって、春香の自信を取り戻させることになったのは言うまでもないでしょう。
「鏡の演出の感想その4後編の千早編」で書いたが、カフェでは千早と春香は最初は鏡に映った互いの顔を見て会話していたが、「そうじゃなくて、春香らしい答えなら…」と、千早がキーになる言葉を伝える時は目と目を見合わせていた、と言うのが分かりやすく重要なラブシーンの演技ですね。
この交差したり混じり合ったり逸れたりする視線の感触が百合の繊細な感情を醸し出していて良いです。

  • そして、雨の中を走る

そしてこの項の冒頭で書いたシーン、雨の中で傘を捨てて走る矢吹可奈天海春香を、如月千早箱崎梨花は追う。千早は春香の傘を拾い、星梨花は可奈の傘を拾う。橋の対岸で可奈を見つけた横山奈緒も傘を捨てて走る。
そこで、可奈は雨の中で自分の顔と体と心を春香に向かってさらけ出して号泣する。その可奈に向かって「大丈夫だよ」と、春香が傘を差しかけてあげる。
これだけでも感動的だ。


そして、省略されているのは、千早が春香に傘を渡して「矢吹さんにかけてあげて」と促す段取り。
これは可奈を映すカメラの外で行われている。
なぜ、千早はカメラに映らなかったのか?ここにもすごい意味があるんだよ!
単に、流れでそうなったというだらしのない演出ではない。時間的に考えると、傘を差しかける余裕はある。
実際、横山奈緒の傘を拾ってあげた菊地真君は奈緒に追いついた後、自分の傘を奈緒に差してあげている。こういう配慮が自然にできる所が、真君の王子様っぽい魅力なのだ。本当に真君は常識的な配慮ができるいい先輩だ。
だが、千早は違う。
春香が可奈に真剣に向き合って話しかけて、可奈も必死で自分を振り絞って声を上げている間、千早は春香の傘を持ったまま、差してあげない。距離を置いて待っていて、二人が雨に濡れるに任せている。
それは、千早が「雨が降っている時には相手に傘を差しかけるという常識」よりも、「二人の感情の流れ」を重視して、二人の会話を止めないで傘を渡すのを待っていた。(可奈の傘を拾った星梨花は最年少だし、雨の中を走って息切れして、可奈と春香の言い合いが始まったことで硬直してしまったようで、そこも彼女の幼さを上手く表現している)
菊地真君のようにすぐに傘を差してあげるのも先輩としての配慮だが、傘を差さずに待つ、話している二人の間を大事にして見守る、と言うのも愛情なのだ。
そして、カメラに映っていない所で、絶好のタイミングで、春香に傘を渡す千早。
千早は春香が後輩を気にかけて、千早から離れていたことに軽い嫉妬心を持っていたかもしれない。そんな千早が可奈と春香の会話を見守り、春香の傘を手渡して可奈にかけてやる、という事で、千早は春香と可奈の関係を認めたと感じられる。
だから、単に春香が自分の傘を可奈に差しかけてやったと言う以上に、春香の気持ちだけでなく千早の感情も込められた傘なので、感動が倍増するのです。


だが、それはカメラには映されない。
この省略の美学!
画面の中で演技するというだけでなく、画面の外で動くことで感情を描くのではなく、連想させる千早。
映画編集のマジックの繋ぎの外側にいるような魔力を感じさせる。直接描かないで連想させることで、千早の感情の揺れ動きに「映すことが出来ないほどの醜さと美しさの愛憎」を感じさせるので、実にぞくぞくする。
これは古めの人情派の人間ドラマ映画では特に珍しくもなく、むしろ普遍的な手法かもしれない。だが、はっきり描いて派手さを演出することが多いキャラクターアニメ映画というジャンルで、こういう間接的心情演出を用いるのは、一種の違和感と共に相乗効果をもたらしている。
だから、アイドルマスターというキャラクターの映画を見たな、と言う娯楽的満足感と同時に「人間ドラマを見たな」という充実感が得られるのです。千早、ほんといいポジションにいます。
近年、人間ドラマを中心にした実写映画でも、恋愛や難病や事故や殺人などの派手な事件を興味の中心として映画を構築することが多いです。でも、このTHE IDOLM@STER MOVIEはキャラクター映画と見せかけて、キャラクターの魅力で観客を呼び込みながら、本質的には派手な事件は起こらず、さりげない心情を丁寧に丁寧に描いていた映画なのです。
近年稀に見る繊細な映画と言えるのではないでしょうか?(単に私が繊細な映画を他に見てないだけかもしれないけど・・・)
千早の感情が画面の中で映されている以上にいろいろと移り変わっていると考えると、だいたい笑っていた双海亜美真美や元気な高槻やよいなど、一見出番の少ないアイドルも、色んな事を考えていたんじゃないかと言う想像が働いて、より細かい表情や演技の流れに注目する気持ちになって、さらに映画が豊かになります。


また、マリみて勢としては、この傘の受け渡しで気持ちが通じ合うのは、レイニーブルーからのパラソルをさしての流れにも通じるものがあって、百合としても王道展開で、いいです。
春香は福沢祐巳さんみたいなダブルリボン主人公だし。後輩の矢吹可奈さんとのスールになる感じで良いですね。
マリみて福沢祐巳さんは釘宮理恵さんの演じる松平瞳子ちゃんと姉妹になるんで、伊織ルートとは違う選択肢と言うか云々…。伊織や瞳子みたいなお嬢様じゃなくて、地味な矢吹可奈を選ぶって言うのがアニメTHE IDOLM@STERの庶民感覚なのかなー。

ダブルリボン主人公だと、まどかマギカも同じで。まどかとか天海春香は広く大きな人に愛を注ぐ概念とかアイドルというのが共通してる。それに対して、デビルほむらは愛の名のもとに独占しようとして世界を作り替えた。アニメの如月千早は悪魔になり切れなくて、春香が他の子を助けるのを最終的に傘を渡すってことで肯定したけど、それは映画のカメラの世界の外でやって、画面には映さない。
魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語は面白かったけど、世界改変の瞬間まで銀河をカメラの世界の収めて、はっきり「愛」って言っちゃうあけすけで説明過多な所があった。
THE IDOLM@STER MOVIEは大きな奇蹟や魔法は使えないけど、その代わり「カメラに映さない」と言う映画編集の魔法を使って感情的な深みを出している。
また、まどかマギカ新篇は大人になる門は固く閉ざされてる中学生のレズカップルが君の銀の庭へ〜って言うニュアンスがあるのに対して、アイドルマスターはアイドルが男性プロデューサーや後輩アイドルと交流して、人間を愛することを通じて人間性を深めて成熟していくって話なので、ダブルリボン主人公という共通点を持ちつつ、対照的であり面白い。
少女アイドルと言うのも魔法少女みたいに「永遠の若さ」みたいなのを期待されてる職業かもしれないけど、そこで「人間関係の広がり」とか「内面の成熟」などの要素を話に組み込んできているTHE IDOLM@STER MOVIEはアイドルの年の取り方とかにも自覚的だなあ。(プロデューサーの「春香は十年後、どんなアイドルになってるかなあ」という発言とか)
自覚しつつ、あまり強調し過ぎないで匂わすにとどめるという演出の距離感が良い。

  • そして、アリーナでの春香の説得の後の涙の省略

涙は見せない!
びっくりした。
春香が可奈を説得した後、志保が「このステージは私が思っていたよりも、大きかったから」と、言った後、おそらくシナリオ上は、春香が「大丈夫だよ!こんなに大きなステージでも、私たちが一緒に頑張れば、成功できるよ!」とかそういうことを言ったんだと思う。
それから、春香は「だって、これが、プロデューサーさんも海外に行っちゃう前の最後のライブだから、プロデューサーさんのためにも・・・」とか言って、多分、この時点で春香さんは泣きます。
そして、765プロの他のメンバーもつられて泣く。
初期に出たMASTERPIECE 04のボーナストラックでもみんな同じように泣いていたし、765プロの皆は一人が泣いたら泣く。
合宿の最終日に「プロデューサーが海外に行く」という告白を受けて、765プロメンバーは寂しくて全員泣きそうになった。それを、春香が元気づけて明るくさせたんだけど、最後の最後のこの場面では涙腺が決壊した。
765プロのメンバーは後輩のバックダンサー組のミリオンライブ組のキャラクターよりは安定感のある先輩として描かれていいたが、アリーナに立った時、やっぱり彼女たちもステージの重さを実感してプロデューサーとの別れとか不安感や責任感がうわーっと押し寄せて、泣いたんだろう。
合宿最終日には春香はリーダーとしてみんなを元気づけた。
でも、この時の春香は可奈と志保を説得するために、

「誰か1人でも欠けてしまったら次に進めない。」「私は、『天海春香』だから」
「私はみんなと一緒に駆け抜けたい。今の…全部で!このライブを成功させたいの!」

と全力で自分の気持ちをぶつけた所で、もう春香の緊張の糸はギリギリに張りつめていたから、もうリーダーとしての役割とか理性が吹っ飛んで、可奈だけでなくバックダンサーのみんなも協力して仲間になってくれた、って言うだけで、言葉が通じただけでうれしくてうれしくて、泣き崩れてしまったんだろうなあ。
この後のシーン、最初から泣いてた可奈と、春香だけが鼻まで真っ赤になってたので、春香が一番たくさん泣いたんだと思う。



だが、この映画はそれを描かない!
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のA-1 Picturesなのに!
アイドル映画なのに!
この意味は大きい。
あの花アイドルマスター XENOGLOSSIAの監督の長井龍雪さんはあんまり関係ないと思うけど。)


あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のラストの見せ場と言えば、号泣大会である。
泣きながらキャラがいろいろ本心を暴露して、それでキャラ立ちもする。見せ場にもなる。
けど、この映画はそれをやらないでカットして「泣き止むところ」で一言づつ短く言わせてキャラ立ちと泣きを短い時間に圧縮している。プロデューサーとの別れに対してさびしがるってのは合宿中で一回やってるし、繰り返さない。
尺が足りないとか、そう言うネガティブな理由でのカットじゃないんですよね。中盤の可奈が不在の時とかメールを待つ時のもどかしさとかでは、じっくり時間を取ってるし。
じゃあ、なんで涙を見せなかったのかと言うと、泣いて感情を解放しちゃうとそこでカタルシスが得られてしまうからなんですね。
でも、このアニメは人間ドラマであると同時にアイドルドラマだから、カタルシスの解放感はライブシーンまで溜めて圧縮しておこう、と言う演出判断が働くわけです。
ここの感覚がすごく上手いなあー。
あの花」は幽霊ドラマでありつつ青春人間ドラマだから「泣き」と「手紙」で感情を解放してラストに流れて良いんだけど、アイマスはそこを我慢して「ライブ」まで溜めてるんだな。
このブログでは「アイマス劇場版は人間ドラマだ!」って書いてきたけど、同時にやっぱりアイドルアニメでもあるんだよ。その両輪のバランスを取っていく構成に色々な工夫がみられる。
人間ドラマとしても深いけど、人間ドラマだけに引っ張られてもアイドルのキラキラ感が減じてしまうので、テンションを調整している。むしろ、人間ドラマパートで思い出のテンションを高めて、それを利用してライブシーンでの爆発感に利用しようという感情のコンバート回路が上手いことやってんなーって言う感じです。


同時に、やっぱりアイドルがグズグズに泣いちゃう所は見せられないよ!という線引きでアイドルの煌めきを保持しようという意思もあるのかなー。
先月のメガミマガジン3月号ではTHE IDOLM@STER MOVIEが巻頭特集で石原章弘ディレクター×鳥羽洋典アニメプロデューサーと中村繪里子×木戸衣吹対談が載ってて、天海春香役の中村先生は「仲間に自分の全部が届いたから泣いたんです」って仰ってる。

だけども、その春香の「全部」の泣き顔を見ていいのは仲間とプロデューサーだけで、映画を見に来た観客には見せない!
これもアイドルを育成するのが主眼のアイドルマスターらしさなのかな。アイドルを守るプロデューサーの意識があるから、アイドルがレッスンしたり苦労したり人間関係がこじれたりと言う題材を扱いながら、プライベートや本当に大事な感情は観客に見せない、という意識があるのかもしれない。


今月のメガミマガジン4月号では、同じくアイドルアニメのWake Up, Girls!の山本寛監督と丹下社長役で元アイドルの日郄のり子さんの対談が掲載されている。

山本寛監督は「アイドルって、歌や踊りが上手いから評価されるわけじゃないんですよ。アイドルに大事なのは物語なんです。実際のAKB48とか、アイドルの子がガチでぶつかってステージに立てないくらい泣いちゃったり、呼吸困難になるまで緊張するっていう物語があるから感動を呼ぶんですよ」と仰ってた。
でも、THE IDOLM@STER MOVIEは最後の最後で春香の泣き顔は隠す。アイマス神前暁さんとか、ウェイクアップガールズ!と共通項が多い作品だし、人間ドラマの物語やアイドルが直面する困難で押していくスタイルであるのに。
見せ場になりそうなアイドルの号泣なのに、そこは編集でカットする。カットするけど、泣いたんだな、って言うのは匂わせていくって言う二重三重のテクニックを使っている。
アイドルの舞台裏を見せていく、って言う点でウェイクアップガールズとアイマスは共通する部分も多いけど、微妙にアイドル観の違いがうかがえる。
実際の三次元のアイドルさんも昔の雲の上で銀幕の向こうの存在だったトップアイドルやスタァの時代とは違い、最近のアイドルは親近感とか楽屋裏を見せて売っていくスタイルが増えてきている。
なんだけど、劇場版アイマスはギリギリでそれをやらない泣き顔カット演出が渋い。


で、それはアイドルのアイドル性を保つとか、ライブシーンまでテンションを引っ張るって言う効果もあると同時に、やっぱり千早の千早ちゃんっぽさの醸成にもなってる。


鼻が真っ赤になるまで、可奈以上に泣いたであろう春香の泣き顔は編集とタオルで隠されているけど、その春香の背中をさすっていた千早ちゃんはその春香の涙を一番近くで堪能したわけですよ。
そんで、春香の背中をさすって千早自身も涙をこらえながら、こんな顔をする。


あーーーー。
百合だー。


そう言うわけで「アイドルの泣き顔を視聴者に見せない」という演出であると同時に、「春香の泣き顔を見ていいのは千早だけ」っていう千早の特別さも感じさせてくれてるんですよ。
この映画は千早と春香の距離がほんと大事な映画なんですが、ここでアリーナの舞台の中央で泣いた春香に一番近づいて慰めたのが千早なんだって言うのが、ほんと、すごい百合。
でも、それはカメラには映さない。
暁美ほむらソウルジェムの中に固有結界を作って鹿目まどか独占しようとして、それを「愛」って宣言したし、それがあの映画の舞台装置の魔法だったけど、千早は「春香の大事な所を映画には見せない」という編集の魔法を使って「愛」って明言しないで春香の涙を映画のフィルムの外に閉じ込めたわけですよ。ここも対照的な百合感覚ですね。
百合は魔法なんだなー。


砂沙美☆魔法少女クラブとかリリカルなのはとか。うん。魔法だねー。THE IDOLM@STER MOVIEは魔法少女ものではないけど、映像のトリックを使って魔法っぽさを醸し出していて、芳醇だなー。

  • リボ春

で、可奈の練習風景をオーバーラップさせながら、春香と千早は坂道を上って千早の母にライブの招待状を投函しに行く。この時、このシーンだけ、この映画で春香さんのリボンが膨らんでる。この映画での春香さんのリボンは大体薄かったのに、千早と歩く並木道ではふんわりとした特別なリボンです。
春香さんの本体はリボンなので、ここでリボンが膨らんでるってことは、この二人はこの日・・・ということを察しざるを得ない。
春香さんは可奈とメールでやり取りして一緒には練習しない。可奈はバックダンサー組と練習する。
このメールでやり取りする距離に戻るってのが、アケマスっぽくて春香さんが可奈のプロデューサー役をしてる感じがします。
春香さんが「早く皆に会いたいなー」って言う時に、千早が「矢吹さん達に?」って切り返すのもちょっとした嫉妬感やじゃれ合いが匂わされていて、最後まで気が抜けない千早。で春香さんは「それもあるけど、ファンの皆にも!」って返して、パーフェクトコミュニケーションの返答!思い出をありがとう。

可奈がテンション下がって欠勤というアイマスらしい問題を発生させて、それをプロデューサー役の春香が解決したけど、その後は可奈たちミリオンライブダンサー組には自主練をしてもらって、春香自身は千早ちゃんとのコミュニケーションをやり直す。この複数の女の子とのコミュニケーションの時間配分の考え方も実にアイマスらしいなあ。
プロデューサー役の赤羽根Pから春香へのバトンタッチがテーマの映画だったので、春香から可奈へのドラマが一段落した後は、バックダンサー組が相互プロデュースしあってTV版の765プロのように絆を作り直す、という構図でもある。だから、ラストのライブ前に春香たちが可奈たちと離れているのは普通の練習のスケジュールとしては一見不自然だけど、バックダンサー組も互いを見ることが出来るように成長している、と示す描写ですね。
で、やっぱり同時進行で春香さんが「後輩の面倒も大事だけど、千早ちゃんも大事だよ」って一緒に手紙を出すので、夫婦っぽさがある。

この映画は春香と千早の距離感がくっついて離れてくっついて、ライブではプロの技を見せるって話だった。
うーん。アニマス映画、実に味わい深いはるちはだったな・・・。そして、映画ってやっぱり魔法なんだよね。その魔法を使う千早はやっぱり新たな眠り姫なんじゃよねー。
そしてダブルリボンは百合。


(この場面で春香さんのリボンに注目させておいて、ライブ前のあずりつのリボンコミュにもつなげてるので芸が細かいよな。百合にはいろんな可能性があるよね。ライブで貴音春香のレアなデュオも見せてくれて。うむ)



そう言うわけで、初見で思いついた感想は大体これくらいです。



さて、ブログ感想もひと段落したので、映画のリピーターとして純粋な気持ちで見よう。
あーもう今月はプリティーリズムプリキュアの映画もあるんだよなー。


はるちはの濃度が強くて、それに注目して感想を書いたけど、基本的の私はビジュアルクイーンの星井美希ちゃんが一番好きなんですが。映画ではミキのハリウッド行きに向けての不安感とか覚悟とかはあんまり描かれてなかったかなー。
でも、やっぱりそれもそれで、描かれてないけど、「できることをするの!」って言って表に出さないで行動するって言う美希のプロ意識の描写なのかなー。美希はカッコいいな。