玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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【第9話】さらざんまいの愛は無力?

 なんかすごい辛いので(そして低気圧なので)しんどくて感想書けない・・・。


 あんまり賢い感じの考察はかけなくて申し訳ないですけど、一応イクニファンのノルマなので書きます。


 ただ、今回はラストに向けていろいろなピースがハマっていく感じの回だったので、久慈兄弟の事件以外はそれほどインパクトはなかったかもしれない。
さらざんまい 音楽集「皿ウンドトラック」

  • ケッピと燕太の復活

 吾妻サラちゃんはテレビで二度とラーメンに胡椒をかけたり愛する人を蹴り飛ばしたりしないと誓ったけど、手術シーンでやっぱり胡椒を使った。いや、使わねーだろ・・・。どんなに辛い回でもギャグを入れるんだ!という演出家の強い信念を感じる。ていうか、ホモばっかり出てくるけど吾妻サラちゃんは普通に可愛いし春河にもやさしい・・・。
 それでケッピは一度メチャクチャな体になったけど復活した。豆腐かナタデココで出来てるのか?



 燕太も復活する。復活というか、生と死の間にあるというカッパの設定をうまく使ってきましたね。頭に死のタイマーがついてるのはメッチャ怖いけど。
 一稀の春河と仲直りしたいとか、燕太のサッカーをまたやりたいという願いはかなったので、あと久慈誓は死んだので、希望の皿の使いみちは燕太を人間として生き返らせるために使うのかな。地球平和とかを願うタイプの作品ではなさそう。いろいろな整理がついて、物語が終局に向かっていく感じがする。


 それにしても、燕太の姉の先生、いい人だな・・・。あずまんが大王の先生みたいなふざけた担任に見せて、泣かせてくる。あと美人。


 サッカー選手の「Lionel KaPPa」は久慈悠の過去の部屋にもポスターが有ったし、やっぱり三人組はカッパになる前からサッカーという球でつながっていたんだね。まあるい円の中心に一稀がいるって春河が言ってたけど、立体の玉になったりはするんですかね?あー、尻子玉・・・。ラストは尻子玉サッカーシュートするの???

  • 新星玲央と阿久津真武

 人形焼の味で真武が復活した!(謎理論)と思った玲央がいきなりウェストサイド物語を踊りながらホモカップルをメッチャ喜ぶ。もう、ホモすぎるけど感覚が麻痺するくらいホモだな。

カワウソイヤァ

カワウソイヤァ


 でも、玲央の欲望の概念の影(謎理論)でカワウソが玲央の姿になった。プリキュアとの類似をこのブログで言ってるけど、ラストに近づくと敵の幹部も追い詰められたり闇の力が増幅したりするよね。
 黒田崇矢カワウソ玲央が全裸真武を弄ぶのがすごくホモでした。カワウソ帝国はもっと組織的な感じかと思ったらホモ寝取られをしてくるホモライバルという個人的な恋の話になってしまった(?)
 カワウソが象徴する概念とは何か、っていう謎はあるけど、ホモの恋に翻弄される玲央の方がインパクトが強い。そして、はじまらないおわらないつながらない円の中に玲央が立つのだが、玲央がカパゾンビになるのだろうか?(ある意味、欲望はカワウソに影としてすでに搾取されている?)プリキュアでも終盤で幹部が自分で変身したりするのはよくあるので、プリキュアだ・・・。


 でも、プリキュアには愛があるけど、玲央は一稀たちにとっては希望の皿を奪った上に燕太を銃撃した邪悪マンなので、プリキュアの愛で浄化されるプリキュアの幹部に比べると、玲央は普通に殺されそうだな。まあ、カパゾンビもプリキュアに浄化される怪獣に比べると普通に尻子玉をかっぱらわれて殺されていたからな・・・。欲望搾取された時点で死んでるけど。尻子玉を消化されたら世界から存在が抹消される・・・。

  • 久慈兄弟

 久慈誓、殺害にためらいがなく、ガンガン殺していく。生き延びるためには10歳だった弟が殺した相手を手土産にしたり、舎弟を殺したり、生き延びる意志が貪欲だ。しかし、生き延びて何がしたかったのかっていうのは見えなかったので、彼なりに閉塞感が有ったようだ。弟だけ塗りつぶせなかったつながりの写真が辛い・・・。
 久慈悠もヤクザを殺害した。6話では一稀を助けて生かすために拳銃を使ったけど今回は普通にヤクザを殺害する。誓を助けるためだが、中学生なのに覚悟が決まってる。
 しかし、そんな弟をも誓は切り捨てようとしたのか?というのは死んじゃったので本当の気持はよくわからんけど。でも、出来の良い弟に対する反社会的な兄のコンプレックスっていうのは輪るピングドラムの高倉冠葉みたいでもあったな・・・。
しかし、弟を守るためにデリンジャーでロングヘッドショットを決めた誓はすごいな


 カワウソバッヂで罪は誓になすりつけられたけど、誓が死んでしまったので、今度は悠に今回の4人くらい死んだ銃撃戦の罪が被されるのかもしれない。
 死に瀕して錯乱した兄に「メシ代をなんとかしろ」って一万円をもらったのに、兄が死んで何百万円も入っているっぽいカバンもどうでもいい!って捨ててしまうのが、金よりも愛が大事っていうメッセージを感じて泣けた。


 でも、愛があっても命は助からない!燕太の家族も春河も燕太を愛していたけど、それでは助からない!
 そして、愛が伝わるのは死ぬ間際で、生きている間は意地の張り合いとかで素直に愛は伝えられない。つながりたいけど、伝わらない。
 (舎弟のマサは誓に愛情というか尊敬が有ったみたいだけど、生き残れなさそうだったので殺される。愛がない敵のヤクザも殺す)
 一稀は6話で生まれ変わったけど、その前に死ぬような思いをしなかったら意地を張ってしまって春河と気持ちがつながれなかった。今回も、燕太(の人間としての体)が死ななかったら気持ちが伝わらなかった。カッパにならなかったら意地を張り合って喧嘩別れで死別するところだった。カッパになってラッキー。


 やっぱり、幾原邦彦監督らしく、愛の話だと思うんだけど、愛は死ぬ間際にならないと、命をかけないと、伝わらない、という厳しさのようなものもある・・・。

 この世界では悪いやつが生き残る、というのはロスジェネが棄民されてゆとり世代も使い潰されて、というさとり世代の25歳の久慈誓の気持ちだったのだろうか。
 その彼が死ぬ間際に子供の頃の地元のお祭とか、悠にサッカーボールを買ってやった幸せな思い出を思い出す。地域社会に愛があったころ、みたいな感じか。まあ、誓の年齢的には、誓が十代の頃にはすでに日本は長期不況で地域社会は壊れ気味だったとは思うけど。


 ともかく、昔は地域にも家族にも愛があったけど、今は愛が伝わらないし、警察も信用できないし、残酷な弱肉強食に社会がなってしまった・・・。と言う感じの描写だ。


 ユリ熊嵐ではファンタジーとして愛を持って世界を統治していたクマリア様が爆死したという描写で旧来の共同体の価値観の崩壊をメタファーで描いたけど、さらざんまいでは普通に人間社会が冷たくなっていると描かれている。
 (関東大震災とカッパ王国の崩壊が重ね合わされているけど、シャッター街とか地上げなど、人間界の冷たさはカッパ王国の変化とはあんまり関係ないような・・・。カワウソ帝国(地上げによって建てられた東京スカイツリーの地下に存在する)が影響したせいで人間が冷たくなった、と言うのはファンタジーすぎるだろう)


 ちなみに、東京スカイツリーと地上げについては風水が関係しているらしい。

http://skytreemap.com/zatugaku.html
具体的に言うと、東京スカイツリーのある押上を軸として、南から右回りに商業集積や繁華性の高い商業地が形成される可能性があり、つまり、押上の南にある錦糸町、南東にある両国、東にある浅草など、これからの注目スポットとしてワイワイ栄える可能性があります。


逆に言うと、これらの地域は住宅地域としては不向きになり、商業ビル建設のために地上げ屋が跋扈するようになるかもしれません。

 幾原監督がどの程度、風水とか浅草にまつわるオカルトの数々を意識したのかはわからないけど、浅草の下町情緒が東京スカイツリーの未来的な建築(や外国人観光客)によって再開発されて潰されていくんじゃないか、みたいな気持ちはある。


www.super-groupies.com
── カッパと命の話?
幾原監督
みなさん、妖怪ってなんだと思いますか?生者と死者の間にいる生き物が、妖怪といわれるものなんじゃないかと思ったんです。命の話をするとき、生者と死者の間にいる何者かが、なにかをぼくたちに語りかけてくる。それはそれでおもしろいですし、そこに長い歴史を感じることができれば、なおのこといい。


── 妖怪であるカッパと歴史ある町である浅草。物語のキーワードに「つながる」がありますが、幾原監督の中でさまざまな断片がつながったわけですね。その「つながる」が意味することについて教えてください。


幾原監督
いまの現代に照らし合わせると、「つながる」ということは日常的になっていると思うんです。昨今のインターネットやAIはその代表的なものですね。SNSなんかによって、みんなの気持ちが日常的につながっている。でも、その日常的なつながりが、これからのぼくたちをどう変えてしまうんだろうか?つながり続けることによって、ぼくたちの感性がどんなふうになるのかをやってみたかったんです。


それともうひとつ。ちょうど元号が変わり、古いものから新しいものに移行するはざまにあります。「つながる」を通して、移り変わる意味のようなものも盛り込みたいと思いました。

 東京スカイツリーはさらざんまいではよく映るけど、東京スカイツリー自身が何かをしたことはないので、何を象徴しているのかはまだわからない。鳳学園学園長室のように、社会的成功とか、社会資本を象徴しているという想像は成り立つけど。


 しかし、その社会は愛が伝わらないし、人間が冷たくなっていく社会。


 さらざんまいでは鳳暁生や渡瀬眞悧や世羅晶午やイタルのような世界を知った上で絶望しているラスボス的な人物は出てきていない。ある意味、誓は世界に絶望していた大人なんだが、普通のヤクザとして終わった。


 しかし、今回登場した概念としての東京スカイツリーの地下のカワウソは、今までの幾原作品のボスであった個人ではなく「社会の悪意の概念(欲望の負の側面)」として描かれるのだろうか。悪のラスボスの個人的糾弾ではなく、もっと広い社会全体を覆う、愛を蝕む冷たい欲望の影に対するものとしてのさらざんまいになるのか?
 東京スカイツリーのテレビの電波が世界の冷たさを撒き散らしている、っていうのは少女革命ウテナというよりむしろアキハバラ電脳組 2011年の夏休みだ。


 だがしかし、カッパ三人組もレオとマブも世界平和を願うようなタイプじゃないし、そういう作品でもなさそう。世直しとかは考えていないというか、やっぱりキャラクター個人に近い愛情が重視されるのが幾原邦彦作品らしい気がするんだが。
(こどもブロイラーも百万本の剣も存在するのが仕方がない物として放置されたし)
 世界を革命して、人が健全な欲望しか抱かない良い生き物に進化する、っていうのは気持ち悪すぎるし・・・。(そもそもウテナたちは個人的に内面世界で成長したけど、社会や世界は革命してないですしね)


 プリキュアは割りと世界平和とかを願うんですけど。(そもそも大体のテンプレートとして異世界の妖精の国が滅ぼされて、それを助けるのがプリキュアって感じだし、プリキュアは世界を救う)(ただ、プリキュアのラスボスの心の闇が救済されることは作品によってまちまち)
 でも、さらざんまいではカッパ王国の再建とかはケッピ自身も特に興味がない感じだし、特にカッパ王国のためにどうこう、と言う発言はない。カパゾンビは逐一倒していたけど、それがどういう世界的な意味があるのかは言ってない。


 愛と世界の冷たさの対決は描かれるのか、どうなるのか・・・。


 ていうか、その前に一稀たちは久慈と合流できるのかとか、どうやって希望の皿をキレてしまった玲央から取り戻すのかとか、そもそも燕太を生き返らせることが本当の願いなのかとか、ドラマ的な、サスペンスとしても緊張のテンションが高いので、ドキドキしますね。

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