面白かったけど、ガバガバでした!
たしかにこれは評論家とファンの意見が別れるだろうという感じでした。
そして、みんなが言うように全体的に KING OF PRISM -PRIDE the HERO-でした。
- 映像で面白かった点
怪獣が登場したり必殺技を放つシーンが雲とか煙とか稲光とかビームとか宗教画のような構図でかっこよかったです。
ですが、IMAXで見た感想としては、100メートルを超える上に激しく暴れまわる怪獣と人間が同じフレームに入っていて迫力が有ったカットを推したい。人間は小さいので怪獣の足とか尻尾がちょっと触ったら死ぬんですが、一生懸命人間が怪獣の足元でうろちょろしてて迫力満点でした。
後、怪獣のプロレスがいろいろと工夫が有って面白かったです。まあ、怪獣なのであんまり賢い戦術とかはないんですが、圧倒的な暴力のぶつかり合い(周りのものはほぼ壊れる)が面白かったです。キングギドラの首に個性があるらしいので、もしかしたら怪獣なりに戦法を考えていたのかもしれないけど、くそでかいのとめっちゃうるさいのでこっちも振り回されてる感じだったので、特に覚えていない。
- 怪獣バトルの面白かったところ
・ラドン
ゴマすりくそバードでしたねー。でもメッチャ人を殺してた・・・。飛ぶだけで衝撃波で街が滅ぶ。戦闘機をついばんだり蹴ったり、あと超級覇王電影弾みたいに回転して戦闘機の編隊を全滅させてて普通に怖かった。火山のマグマみたいな体液が光るのもかっこよかった。今回の怪獣はよく光るので噴煙が巻き起こっていたり暗かったりしても逆にかっこよくてよかった。
ラドンとキングギドラの戦いはなんか人間をボコボコにしている流れでウワーって感じで終わった印象。人間は基本的にボコボコになる。ラドンはキングギドラに負けて軍門に降ったのか、謎音波で洗脳されたのかよくわからないけど、まあ、怪獣だからな・・・。そんなに気持ちは考えなくても・・・。
まあ、今回のラドンはモンスターバース地球の怪獣は王に支配されるという習性があるということを説明する感じの役割ということなんでしょう。メッチャ人を殺してたけど。
・モスラ
幼虫がかわいい。でも糸を吐いて人間を貼り付けにしたりする。
今回は南の島ではなく中国の神殿出身。
レジェンダリー・ピクチャーズが中国の大連万達グループに買収されたからなのかもしれない。中国人女性博士は双子の姉妹らしく、小美人を思い起こされる。次回作にも出るらしい。
劇中では多分最初に登場。なんか人間が干渉したので目覚めて滝で繭になった。なぜ滝・・・。昇り龍?
成虫になってからは便利なヒーラーというRPG的な役回りをしていた。結構ゲーム感覚なところが多い。ゴジラに友好的らしい。怪獣の女王らしい。すごい光るので、プリズムジャンプしながら現れたりする。
VSモスラの放射能火炎拡散鱗粉も結構好きなんですが、今回は珍しく接近戦をしてて面白かった。でもなんかいつの間にか死んだ印象。モスラとラドンが戦ってる横でキングを争うキングギドラとゴジラがドッタンバッタン大騒ぎしているのでちょっと雑に扱われた面もあるような。死んだよね?
誰だお前
前作のギャレゴジはゴジラを期待して見に行ったらなんかMUTOというポット出のつがいが暴れて繁殖がどうのこうのとか進化がどうのこうのとか小難しい事を言っていてあんまり好きじゃなかったムートー。今回はゴジラがキングになったら頭を下げに行くので低姿勢。恨みは消えたのか?生態系は・・・?
しかし、今回のキャッチフレーズは「王の覚醒」だったのだが、前作のゴジラは覚醒してない状態でムートーをボコにしたの???
偽りの王。地球外生命体なので地球の自然と調和しない偽りの神という散々な言われようで悪役になったキングギドラ。新聞の映画批評ではシン・ゴジラの批評性に比べて悪役を排除するだけでいいのか?と言われていたけど、基本的にキングギドラは宇宙怪獣なので・・・。ていうか、僕はシン・ゴジラの「(東京駅の近くのすごく邪魔なところで凍っている)ゴジラと共生していかなければならない!」もかなりのガバガバセリフだと思っている。
モンスターゼロと呼ばれているのもX星人オマージュで面白い。
何故か南極に封印されていた。謎。神話が得意な中国人博士によると人類が忘れたい記憶の忌まわしい怪獣なので伝承が残っていなかったらしいけど、途中でやっぱり伝承が残っていて「ギドラ」という名前だーってなった。ガバガバだ。忘れたのか残ってたのかどっちやねん。
後述する狂った女博士によって復活させられる。その後はのこり17体の地球に眠っていた巨神というか怪獣を謎音波で復活させて地球を大混乱させる。なんでそんなことをするのかは謎・・・。そもそも怪獣なので王位を争って何の得があるのか全くわからない。
ガバガバだけど稲妻というか引力光線?を口とか全身から出すのがかっこよかった。あと首が再生するのがすごかった。まあ、爬虫類だしな。今までのキングギドラではよく破かれる翼が結構丈夫で、関節も有って腕のように使われていて格闘戦の幅が広がっていたのも良かった。
なぜ王になりたいのかはわからないけど、地球を家来の怪獣とともに荒らし回って君臨しようとする。すごい。その割に小娘が使う謎音波機械で誘導される。ちょろい。まあ、歴代キングギドラもたいてい宇宙人や未来人に操られているしな・・・。
・ゴジラ
怪獣王。主人公。平成ガメラと同じく地球の環境のバランスを守る守護神らしい。日本のゴジラと違って首周りと下腹が太い。腕も太くて格闘戦も強い。意外と足も速い。
調和を乱すキングギドラから地球を守ろうとするけど、怪獣なので人間に嫌われ気味で特に伏線もなく出てきたオキシジェン・デストロイヤーで死にかける。キングギドラには全然効いてなかったので人類がピンチになる。ガバガバ。
そのあと、ゴジラと共生していた超古代文明が作ったっぽい地球空洞説の洞窟の中の神殿(ゴジラの実家)の放射能が恒常的に湧き出る泉(風呂)で休んでいたところ、渡辺謙が潜水艦でスーツケース大の核兵器を持ってきて自爆したら放射能が充填されて復活する。原理は謎。キンプラで言うところのカレーライス。渡辺謙はコウジなのか、プリズム(放射能)の使者?そもそも地球空洞説の海底洞窟の中の神殿というのがコテコテに設定盛りすぎで引く。ふしぎの海のナディアじゃん。
渡辺謙が命がけで応援したら眼鏡の博士に「ゴジラは筋トレしたのか?」って言われるくらいパワーアップする。筋トレというレベルじゃなく強くなっている上に渡辺謙が死んでるので、不謹慎ジョーク。ボコボコにキングギドラを殴る。
普段は青く光っているけど、終盤はVSデストロイアのバーニングゴジラみたいに放射能がオーバーロードして赤く光ったりするのがカッコイイ。全方位に赤いオーラバリアを放出してキングギドラを圧倒するのもかっこよかった。周りの人はメッチャ死ぬと思う。
そして、主人公の少女(よくわからんかったけど、設定では、この娘が主人公らしい)が謎音波機械で呼び寄せた野球スタジアムでキングギドラと戦う。
野球かーーーーーーーーーー!
日本の怪獣映画だと怪獣ランドや富士山麓とか鉄塔とか城とか駅とかの近くが怪獣バトルに選ばれるけど、ボストンの野球場が決戦なのがアメリカ人にとってテンションが上がるポイントなのだろうか・・・。怪獣大リーグ・・・。まあ、怪獣バトルなので会場はボコボコに壊される。ここもキンプラっぽい。
ボコボコに壊れるけど、ゴジラがキングギドラをバラバラにして口にギドラの首を入れて放射能火炎で滅却して王位を示して戴冠したら、死んだふりしてたラドンとか集まってきた怪獣がゴジラの周りを取り囲んで祝福する。キングオブプリズム-PRIDE the HERO-だ・・・。
あと、キングギドラをぶちころす時にゴジラはバーニングゴジラになって臨界核爆発を起こして衝撃でキングギドラの真ん中の首以外は消滅させるけど、ゴジラ自身は全く無事。ガンダムWのガンダムサンドロックの自爆かよ・・・。ガバガバだ。
・キングコング
今回は名前だけしか出てこなかったけど、エンディングのガバガバ新聞記事で髑髏島に怪獣を集めているという情報がリークされる。次の映画で新団体を設立してキングのゴジラに挑戦するらしい。ココらへんもキンプラだ・・・。大和アレクサンダーみたいな感じなのか。
- 人間ドラマ
ガバガバでした!前回のゴジラの暴れのせいで兄妹の片割れのアンドリューが死んで離婚した女の子のマディソン・ラッセルが主人公らしい。ガメラ3じゃん。
離婚した家庭を取り戻す父親ってハリウッド映画のいつものアレという感じなので、親父が主人公かと思ったら、娘が主人公らしい。ちなみにこの家族は前作のギャレゴジには出てない。
主人公なので人質になったり謎機械を盗んだり謎機械でキングギドラやゴジラを誘導したりする。音声データで怪獣を復活させたり操るという謎機械もかなりガバガバなんだが、VSシリーズのバイオテクノロジーとか超能力者とかスーパーXもガバガバだったので、その系譜っぽい。
あと、この作品の人間の特徴として悩んだり葛藤したり恐れたりというシーンがほとんどなく、マディソンは謎機械を盗もうと思ったら速攻盗んで脱走する。行動力の化身。途中で母親が困ってるのを見るけど、無言でスルーする。ここらへんの割り切り感覚がこの作品の人間観。
父親はアルコールに溺れて狼の写真を撮ったりする人になっていたけど学者らしい。母親も怪獣の学者で怪獣とコミュニケーションとか誘導をする謎機械「オルカ」を作ったり、怪獣を調査したりするモナークという謎組織の一員。
で、その母親と娘が元イギリス軍人のアラン・ジョナ(白髪のおじさん)率いる環境テロリスト軍団に拉致されて謎機械でキングギドラを復活させろ!ってさせられるけど、母親のエマさんは「人類は愚かで環境汚染とか戦争をするので地球環境のバランスを取る怪獣に統治してもらうべき」とか言ってノリノリでキングギドラを復活させる。行動力の化身。
でも割と死にかける。
でもキングギドラは極悪怪獣だったのでエマさんが思っているように怪獣に優しく統治してもらう感じじゃなくていきなり人類全滅のペースで暴走されるので諦めた。
父親も娘が誘拐されたことでモナークに復帰して色々頑張る。モナークのV-22を複数搭載できる超大型全翼機「アルゴ」(ガンダムのガウ攻撃空母くらいでかい飛行機。なんでそんなのを科学組織が持ってるの・・・)のハッチが開かなかったら、そこに格納庫に吊ってあった無人のオスプレイを上から落として穴を開けたりする。行動力の化身。
ていうか、今回、メッチャオスプレイが活躍する。暴風がガンガン吹いてるのに元気なオスプレイ。現実より高性能では?あんなものなの?
ていうか、アルゴとか戦闘機とか、独自の軍隊を持って、全世界に怪獣を封印している基地を持っているモナーク、エヴァンゲリオンのネルフの影響が強い。
あと、シン・ゴジラとか空母いぶきみたいな日本の憲法9条の生ぬるい映画と違って、モナークは米国主導の謎組織で正式な軍隊ではないのに、怪獣が現れたらほとんど全く迷いなくマシンガンをぶち込むし戦闘機部隊も突撃させて撃墜される。行動力の化身。日本の社会派映画は武力を使うのに迷ったり閣僚会議をするけど、この映画は怪獣娯楽映画なので手続きとか関係なくボコボコ武器を使うし、コロコロ殺される。
そして、基本的に主人公の両親ともに屑なので、怪獣が戦っている戦場で行方不明のマディソンを探している時にモナークの兵士に「こんな親なら俺も家出する!」って言われる。でも、それがヒントになってマディソンが見つかるので、すごいガバガバ。ギャグだった。
というか、マディソンとその両親が中心で重要に描かれているけど、他にガンガン殺されていく一般市民にも軍人にも家族がいるのに、マディソン中心で描かれているのがガバガバだなあって感じでした。
避難もできてたりできてなかったりするけど、特にシン・ゴジラみたいに悩むこと無く人間もミサイルをぶち込むし怪獣もめちゃくちゃ暴れる。
エマは人類をメッチャ殺したし、謎機械とともに死ぬのは普通に贖罪というか逃避に近いけど、勧善懲悪としては妥当。
イギリス人のエコ・テロリストはしぶとかった。
・渡辺謙
前作にも登場した芹沢博士。モナークのマッドサイエンティスト。というか、モナークはだいたいマッドサイエンティストの集まり。リクレイマー。父親が被害を受けた広島の原子爆弾の時間で止まった時計を大事にしている。
でも、「心の傷を治すためには、傷を与えた悪魔と和睦するのだ!」と言って、都合のいい不具合で時限装置が作動しない核爆弾をゴジラに与えて「さらば友よ」って言って死ぬ。
そしたらゴジラが復活する。うわぁ。
ていうか、そもそもゴジラが弱ったのも人間(米軍)がオキシジェン・デストロイヤーをぶち込んだせいなので、マッチポンプ感がある。いや、米軍とモナークは対立気味だけど。 ていうかオキシジェン・デストロイヤー、作れたんかい。芹沢大助博士の死の意味とは・・・。
渡辺謙は組織の中心的人物で頭脳も重要そうなのに、ほとんど迷いなく特攻を志願する。そして他のメンバーもあんまり引き止めない。いや、頭脳が惜しくはないのか・・・。形見のノートを残してくれたからいいのか?そこら辺、サバサバしている。初代芹沢大助博士は引き止められないように自殺することを最後まで周囲に隠していたけど・・・。
芹沢がゴジラの前で死ぬシーンは特別にウェットに描かれるが、人間同士の関係はわりとハリウッド映画テンプレの家庭崩壊家族ルーチンと悪の傭兵軍団などの類型的でさらっと描かれているというか、マイケル・ドハティ監督、人間に対して興味が無いんじゃないかなあ。(そういうわけで、家族ドラマは重視されている割にどっかで見たいつものハリウッド映画と言う感じで退屈っぽかったし、父親も早めに死んでも良かった気がした)
この作品は狂人の集まりだと言われることが多いけど、むしろ「段取りや葛藤」をすっ飛ばして行動力の化身でドラマをサクサクすすめることを重視していると感じた。それでも132分もある。
あと、テロリストに撃ち殺されたり怪獣の足元でボコボコ殺される人命はメッチャ軽いわりに、人質になった娘や偶然オスプレイに拾われたメキシコの子ども(他の町の人はほとんど死んでる)などを助けるために軍隊やモナークの兵士が頑張るシーンが多かった。なので、ちょっと生命倫理がアンバランスなのだが、最低限娯楽作品にするために子どもの命は大事にする、というのが強調されているのかなあ。という点で、若干キッズアニメっぽさはある。
- 核兵器と自然
Q:芹沢猪四郎に対する思いをお聞かせください。
渡辺:芹沢は、ある種の願いを託す相手はゴジラだという思いを持っています。もちろんゴジラが信じるに足りる存在か、誰にもわかりません。そもそも、どういう行動原理で動いているか理解できないですから。ゴジラは核をエネルギーにしていますが、彼の父親は広島で被曝しています。自己矛盾を含め、複雑で苦しい思いを持って演じました。
監督:芹沢はゴジラの本質を伝える役割を担っています。彼だけが、ゴジラが人間と怪獣が共存するための鍵だとわかっているんです。芹沢はゴジラと向き合い、恐れず触れ合うことさえしています。なぜなら彼はゴジラを理解し、敬意を持っているからです。僕にとっては、誰よりも共感を覚える人物ですね。
監督:もし怪獣が出てくるボタンがあったら、ためらうことなく押しますよ(笑)。僕が思うに、ゴジラたち怪獣は自然界を象徴する存在。だから人類は、彼らと調和し共存しなければなりません。大昔から人類は自然災害を神話として伝えてきたし、神として崇めた文明もありました。それが忘れ去られ、いまやおとぎ話になってしまった。自然との共存について、僕らはもう一度考えなければならないと思います。
www.cinematoday.jp
と、ドハティ監督は語っているけど、なんか怪獣が好きすぎておかしな人って感じですね。
というか、渡辺謙さんが葛藤したと言っている原爆について、ドハティ監督は日本人に比べて圧倒的に無邪気に見える。
というか、アメリカ人にとって核兵器はやっぱり信仰の対象なのかなあって感じ。
日本のゴジラって水爆実験によってのんびり海(とか戦時中の南国)で生きていたゴジラが奇形化して自然からはみ出してしまって人類に復讐するという要素があった。
ドハティ監督は「ゴジラは自然の象徴!」って言ってるけど、日本では、それはむしろ平成ガメラで、ゴジラは歪められた自然で核で遺伝子が壊れたミュータントなんですが。ドハティ監督解釈のモンスターバースのゴジラは「太古の昔はもっと自然に放射線濃度が濃かった(出典謎)ので、それが自然だし、その頃にゴジラは全盛期だった」という解釈。まあ、初代ゴジラが原子力怪獣として異常すぎて、やっぱりヒーローっぽく(特に思想もなく)(ヘドラは時事問題風刺が有ったけど)いろんな怪獣と戦うゴジラ映画のほうが多いんですけど。
日本人は被爆国ですし、核兵器や原子力に対して「進みすぎた文明の象徴」と思う人も多い。その核兵器でミュータントになった日本のゴジラも文明や戦争の被害者としてのニュアンスがある。(2001年のゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃の怨霊ゴジラも)(シン・ゴジラは放射能を出しはするものの、生誕のきっかけはむしろパトレイバーっぽいので伊藤和典氏の影響が強い)
だが、ドハティ監督はゴジラは自然の正当な守護神と語るので、そこが日本人と少し解釈違い。まあ、ドハティ監督はゴジラのオタクでおそらく昭和ゴジラのゴジラが味方なシリーズのフォロワーなのではないだろうか。僕はVSシリーズ世代で一番好きなのがビオランテ。また、ミュータントがヒーローとして扱われるのはアメリカではよくあること。
そこで、決定的に解釈違いだったのが、今作で、オキシジェン・デストロイヤーによって弱体化したゴジラを復活させるためにカンフル剤として核兵器を芹沢博士が使うところ。
日本人とか富野由悠季のオタクから見ると核兵器はやっぱり危険なものだし、自然には存在しない人工物の極みと感じられるのだが、ドハティゴジラでは核エネルギーで動くことに対して特に疑問もなく自然なものとして捉えられている。ゴジラオタクのドハティ監督はゴジラの設定は当然のものとして考えているのだろうか。
また、パシフィック・リムのラストも核兵器で個人的に脱力だったけど(最後までパンチで戦ってほしかった)、今回も核兵器が「事態を打開するためのスーパーアイテム」として描かれている。なので、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下正当論のように、アメリカ人(少なくともドハティ監督)にとって核兵器は正しいものとして感じられているようだ。
1954年版『ゴジラ』の芹沢大助博士は、破壊のかぎりを尽くしたゴジラを殺すべく、海中でオキシジェン・デストロイヤーを起動させると自ら命を絶つ。それから65年後の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』にて、芹沢猪四郎博士はゴジラを蘇らせるために最期を迎えるのだ。一人はゴジラを殺すため、もう一人はゴジラを蘇らせるために単独で海中へ潜るのである。この対比は、ドハティ監督いわく「もちろん非常に意図的なもの」だという。
「本作の、新たな芹沢博士は、かつての芹沢の失敗を正すために行動しているのだと考えたかった。今回の芹沢博士も、オリジナルの芹沢博士と同じような道のりを歩んでいます。しかし1954年版の芹沢はゴジラを殺した。我々自身の神を殺したわけです。本作の芹沢は前回とは違って、自分の神を救おうとしています。
ですから今回は、芹沢という人物を、初めてゴジラの身体に触れる人間として描きました。これは大きな意味のあることで、芹沢は愛情をもってゴジラに触れることになる。ゴジラにほとんど謝罪をするような行為でもあるわけです。」
【ネタバレ】『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』 芹沢博士の◯◯の意味、ラストシーン解説 ─ マイケル・ドハティ監督インタビュー https://t.co/g32C3C6b2v
— ナ月 (@nzk_indori) June 5, 2019
芹沢の対比は本当に美しいんだけど1作目ラストの芹沢の行動を「失敗」と考えているあたりドハティ監督はかなりクレイジーかもしれん…
他のゴジラならいざ知らず一作目の災害そのものであるゴジラのラストの芹沢の行動を失敗だと考えるのはゴジラを本気で神だと思ってる人間かあるいはゴジラ本人だけだろ。
— ナ月 (@nzk_indori) June 5, 2019
機動戦士ガンダム逆襲のシャアや機動戦士Vガンダムや∀ガンダムでも核兵器が肯定的に使われる場面はあるが、富野ガンダムにおける核兵器は「ギリギリまで人知を尽くして仕方なく使う叡智と技術の結晶」という感じであり、危険性も同時に描かれている。
対してドハティ監督の解釈では核兵器と核エネルギーで動くゴジラは正当で天然自然なものとして扱われている。
ドハティ監督はインタビューで「第1作の芹沢博士は人類の神であるゴジラをオキシジェン・デストロイヤー(という間違った科学の産物)で殺害した。今回の芹沢博士は(間違った軍が使用した)オキシジェン・デストロイヤーで弱った神様のゴジラを核兵器(という正当で自然なもの)で救う」と言う。
初代芹沢大助博士は言う。
もしもいったんこのオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。
必ず、これを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらに、この新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや、一個の人間として許すわけにはいかない。
芹沢大助にとって、ゴジラよりも原爆や更に強い兵器を使用する人間が恐怖だ。研究データを完全に抹消するためゴジラとともに自殺を決意する。
軍拡競争に対する反抗である。戦後9年の敗戦国の気持ちだろう。そして、オキシジェン・デストロイヤーを発明した芹沢大助にとってゴジラは戦争によって生まれた現象の一つで、排除する対象でしか無い。(一説によると芹沢大助博士は作中で一言も「ゴジラ」と言わないらしい)
対して、ドハティ監督はゴジラシリーズのオタクなのでゴジラを神として見ている。
これは間違った見方というわけではない。初代ゴジラから昭和ゴジラシリーズを監督した本田猪四郎監督も、小笠原諸島返還を受けて、ゴジラたちを小笠原諸島の怪獣ランドに住まわせて、キングギドラなどの外敵と戦わせた。これはある意味、日本を守る土地神として解釈されている。
なのだが、ドハティ監督としては全人類の神としてゴジラを見ているようだ。
僕は、時計という存在は人類の傲慢さを象徴しているものだと考えています。母なる自然の法則を人類の尺度で計る。8時15分は広島に原爆が落ちた時刻。つまり、人類が自然を壊した時です」
「科学技術の発展は確かに素晴らしいけれど、人間の傲慢さも有している。行き過ぎれば、代償が伴う。だからこそ、芹沢博士は失敗の象徴である8時15分で止まった懐中時計を持ち続けてきた」
「この作品では、芹沢博士のゴジラに対する想いを描きたかった。広島で父を亡くした彼が、原水爆から生まれた神とひとつになって世界を救うようにしたかったんです。人間が初めてゴジラに触れる。コミュニケーションをとる。その描き方は、とても慎重に意義深いものにしました」
渡辺謙扮する芹沢猪四郎博士はエマの夫に「傷を癒やすには傷をつけた悪魔と和睦することだ」と言った。つまり、核兵器保有国のアメリカのいちばん大事なものであり、日本人を傷つけたものである核兵器を日本人の手でゴジラに捧げることで、「核兵器を人間の失敗の象徴から、神に認められた象徴」と書き換えるという意味を持たせている。
まあ、実質的にアメリカの核の傘に入っている日本にとっては今更といえば今更なのだが、核兵器を日本も受け入れてほしいという意味があるのだろうか。
神話について語られることも多い今作だが、聖書の影響もあるらしい。僕は聖書は一回通読しただけで、特に信仰はしていないのだが、核保有国のアメリカ人にとって核兵器は神が与えたもうた正当な光として認識されているのだろうか?
僕は広島と長崎に住んでいたこともあり、親戚にも被爆二世などがいるのだが。そういう日本人の僕としては核は正当な自然の恩寵というよりは人為的な暴力としてしか思えないのだが。
シン・ゴジラでも、ゴジラそのものよりもゴジラに撃ち込まれるかもしれない弾道核ミサイルの方を恐れていたようなニュアンスもあり、そこはアメリカ人と日本人の感覚の違いだと思った。まあ、庵野秀明監督のフェチズムも偏っているのだが。
もちろん、国内のネバダ州などで核実験を繰り返し、ヒロシマ、ナガサキで被爆者のデータを取ったアメリカには原爆後遺症の知見はあるのだろうとは思うが。ドハティ監督がどの程度放射線を意識しているのかはよくわからない。というか、劇中の人物はゴジラやゴジラの放射能熱線の近くにいたので、絶対めちゃくちゃ被曝している。
なので、リアリズムで考えるとおかしいのだが、今作ではゴジラは正しい神であり、神が原子力で動いている以上、原子力も正しい、という論理展開があるっぽい。
キリスト教的ないし聖書的な考え方が強く根付いているアメリカではこのように、核兵器を「黙示」「啓示」のようにとらえる傾向があり、当然この中でもアメリカ人である自分たちは生き残ると考えています。
その一方で、アメリカは核兵器を抑止力として必要不可欠なものであるとして捉えているように思われます。
アメリカ映画には、核兵器の正当性や是非について問うような映画が非常に少ないんですよ。
つまり、アメリカ映画において核兵器は扱い方や誤作動等に気を付けるものはあれど、それを保有するべきではないとは考えられていません。芹沢博士はゴジラに、人類に「啓示」をもたらすものとしての、そして核兵器大国アメリカにとっての自国の最大の武器としての核兵器を持参し、献上したんです。
これって「王への謁見」と捉えられませんか?
まさに自分たちの最大の武器であり、そして「啓示」をもたらすある種の信仰の対象をゴジラに献上してしまうというシチュエーションなんですよ。
芹沢があの長い階段を登っていくシーンもまさに王の下へと向かう様でしたよね!
前作の『GODZILLA』において人類の敵として登場したのは、ムートーという怪獣でしたが、この怪獣の設定を覚えていますか?
そうなんです。ムートーは人類が製造した核兵器を食べて、それをエネルギーにしていました。
そう考えると、ムートーが前作において人類、とりわけアメリカの敵として立ちはだかるにおいて、彼らの最強の兵器であり、彼らが最高の抑止力と考えている核兵器を無力化するという絶望感は計り知れません。
そして『GODZILLA キングオブモンスターズ』においては、人類ないしアメリカがゴジラに屈するという構図を示すために、核兵器を献上して、ゴジラを復活させました。
さらには、ゴジラという生物が地球の王として君臨し、「アポカリプス」をもたらしました。
確かに日本人の核兵器観から考えると、本作の核兵器の描き方は少し受け入れがたい部分も孕んではいるんですが、ハリウッド映画としては当然の描き方とも言えるでしょう。
僕は富野アニメのオタクで、中途半端にニーチェを読んでいる超人思想なので、核兵器はあくまで「熱と放射線を出す道具」として考えている。原子力発電所も煎じ詰めれば、効率よくお湯を沸かすシステムにすぎない。(まあ、本当に技術も含めてコストパフォーマンスがいいのかは政治的議論が待たれるところだが、もんじゅの失敗は手痛かった)
で、僕はアニゴジは目に見えて地雷だったので見ていないのだが、引用したサイトの言うようにゴジラが神であるというニュアンスは怪獣ランド時代から有ったという意見には賛成だ。
なのだが、2001年の怨霊ゴジラなどもあって、日本人の感覚では神は荒ぶることもあるし人間を気まぐれでメッチャ殺す。ちはやふる神は宥め賺して何とか去っていただくものなんだが。
今回のKOMでは中国人博士が神話学者で、東洋の龍は叡智を授けるという意見を出したりしていて、日本のゴジラ観、神学だけでなく中国の思想も入っているのだが。レジェンダリー・ピクチャーズの資本的にも。
僕は鉄腕アトムや鉄人28号の流れをくむガンダムとかを見てるオタクなので、核兵器ロボも所詮は人間の都合で良くも悪くもなると思っている。むしろ、初代ゴジラの芹沢博士や機動戦士Vガンダムを見ると「荒んだ心に武器は危険」だと思う。
さらに日本の特撮界においては、人類(と米軍)の軍拡はウルトラセブンの「ノンマルトの使者」で自己批判的に描かれていた。核兵器を正当化して、怪獣による環境の復活の恩寵を受けて神の僕を自称するかもしれないKOMのアメリカ人は「ノンマルトの海底基地は完全粉砕した! われわれの勝利だ! 海もわれわれ人間のものだ! われわれの海底開発を邪魔する者は二度と現れないだろう!」と叫ぶキリヤマ隊長よりも主体性がない分、邪悪ではないのか?
そもそも博士の異常な愛情や猿の惑星シリーズで核兵器信奉はアメリカでも自己批判されていたような気がするが、最近はまた核兵器信奉が強まったのだろうか?
と、意地悪に思ってしまうガンダムのオタクとしては。
あと、国立物理学研究所で働いていた時期もあるので、僕はやっぱり核兵器は物質にすぎないし、そういうデミウルゴスの被造物に神の意志は特に無いんじゃないかなあって思う。むしろ僕はグノーシス主義者なので、人間の心の芯に神的なものを見出す修練を積むことのほうが大事なのではないかと思う。
- エンディングのガバガバ新聞
しかし、核兵器が神の恩寵とか哲学とかそういう小難しいことは、特に関係ないのかもしれない。渡辺謙が恍惚とした表情で自爆するインパクトが凄かったのでいろいろ考えてしまったけど。
キングオブプリズム・プライド・ザ・ヒーローのラストの国立競技場の建築費が1200億円浮いた!とかのボンクラ週刊誌新聞記事演出みたいに、ゴジラ・キング・オブ・ザ・モンスターズのエンディングもボンクラガバガバ新聞記事輪転機演出だ。
「ゴジラが通った後に生態系が治った!」「怪獣のお陰で砂漠に花がさいた!」「怪獣のお陰で燃料エネルギー問題が解決した!」とか、もう、キングオブプリズムSSSの「天然ガスが出たー!」と同レベルのガバガバ能天気奇跡の連発だからなあ・・・。
あんまり難しく考えてはいけないのかもしれない!怪獣は凄い!なんでも解決する!プリズムジャンプを飛べばなんでも解決する!同じ!
いや、キンプリというか、プリティーリズムシリーズは人間ドラマはちゃんとしてますけど!
速水ヒロ様は王位戴冠した後も潔くグッバイ青春して普通に芸能活動してて偉ぶっているところがないのが偉い。(まあ、速水ヒロ様の場合、偉ぶらなくなったことが成長なんですけど)
シン・ゴジラのラストで都合よく新元素の放射能の半減期が超短いというのが僕は個人的に気に食わなかったのだが。(なんでかというと新元素と言うからには重い元素であることが予想されるわけで、重い半減期が短い不安定な元素が崩壊すると、すぐに無害になるのではなく、やや軽い別の放射性元素に変わるのを続けるだけなのではないかと思うから)
なのだが、実質キンプリくらいカジュアルに奇跡が起きてるゴジラキング・オブ・ザ・モンスターズはこれくらいご都合主義で適当でもいいのかなあーって思った。
記憶を失った人もいるのよ!
- ユダヤ教的価値観
しかし、キング・オブ・ザ・モンスターズとして日本で考案されたゴジラが君臨するのは気持ちがいい部分もあるが、グノーシス主義者としては気に食わない。
というか、怪獣をタイタンと呼ぶのはいいのだが、世界中のタイタンを、(アメリカの核兵器を祝福する)ゴジラがキング・オブ・ザ・モンスターズとして頭を垂れさせるのは、異教の神々を悪魔として支配していったユダヤ教的価値観なのではないかと思った。(それを言うとガメラ2のレギオンなんかそのまんまなんだけど)
そして、今のアメリカのトランプ大統領はユダヤ人に親和的だ。買収されたディズニーも含めて、世界的な映画の配給会社もほとんどがユダヤ資本だ。
そう考えると、米国の国策映画なんじゃないのか?と斜めから見てしまう発想も生まれる。
クールジャパンカルチャーで中国資本も入っているエンターテインメントだが、大衆の無意識を扇動するようなものになっていないか?
『ゴジラKOM』は圧倒的な暴力によって総ての人間に平等に死を伝える映画だ。あまりに極端な暴力に曝されたとき、人は死を恐れない。死を美しく、尊く思うようになってしまうのである。太古の人間は災害や病気、飢饉を神と同一視し、崇めたという。今日、2019年5月31日になるまで、私はその感覚がわからなかった。だが私は知ってしまった。ゴジラによって。
barzam154.hatenablog.com
モンスターパニック映画として、怪獣の足元で蹂躙される感覚をアトラクション的に楽しむのは楽しかったのだが。ユダヤ教を念頭に考えると宗教画のように美しい構図も罠なのではないかと思ってしまう。
宗教映画として、人間は神様の足元で何も考えられなくなって、ただ祈って崇めるだけになりなさい、と言うメッセージはあるのだろうか?
宗教画のように美しいのもGのレコンギスタのオタクとしては「権威付けじゃないのか?」とか思ってしまう。
そして、神に選ばれた核兵器を保有する国家の民族が神に祝福されて、新しく生まれ変わって環境汚染という罪を許されて住みやすくなった地球の利益を享受する。
これは地球人を家畜にする宗教思想ではないか?そして反対意見を言うものを暴力と神の威光で潰していこうという軍の策略ではないのか?実際にはゴジラも神も架空の存在なのに。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
— Aki@LetTheRogueOneIn (@akihiko89) June 3, 2019
芹沢博士が○○○○○○○○○○○○○○場面に流れるバビロニア語コーラスの歌「○○○○○○○○○○○○○○○○○○」の歌詞抄訳(英語歌詞作詞:ベアー・マクレアリー)。 https://t.co/JBFzYpomta
古代神殿の内部でバビロニア語で歌がかかるらしい。バビロニアの宇宙人アヌンナキによる人類創造説とか、バビロン捕囚によるユダヤ教の成立とユダヤ民族の自意識の高まりなど、歴史的に僕が詳しくないものもあるのだが。古代文明の宗教的な祝福を核兵器が受けて原爆の失敗も正当化される、と言うのは日本人としてはかなり恐ろしい思想だ。ユダヤ資本が支配者として自分たちを正当化するのをアメリカ発の大衆娯楽映画で肯定させられてしまうと言うなら、それはあまりおもしろくない。ユダヤ民族と漢民族の資本のもとに世界は調和すべきだ、なんてのはまっぴらだね。俺は個人主義でニーチェかぶれの引きこもりのオタクだ。
ドハティ監督の言う、自然や他者との共生が白人至上主義の支配に飼いならされた下での調和ではなく、本当に個人個人が尊重し合う共生であることを祈ります。
そう考えると人の意思を示しながらも、大怪獣が地球を救うこともなく、ただ浮いているだけのささやかなエンディングにとどめたブレンパワード(初期案ではオルファンが地球のエネルギー問題を解決するオチだった)は素晴らしいなあ。ブレンパワードもある意味怪獣アニメだし。核兵器論もあるし。
と、富野信者は結局、牽強付会してしまうのです!
ブレンパワードのBlu-ray出してほしい・・・。
あと、同じ古代文明でもイデオンは核爆発すらバリアーで無効化するので、ゴジラよりイデオンのほうが強い!
(オタクはすぐ最強論争する・・・)
- 音楽
伊福部昭の音楽が素晴らしかった。というか、もっとたくさんかかっても良かった。
怪獣の鳴き声は重厚でリアルになった分、旧作よりも区別がつきにくくなった。
ていうか、実質キンプリなので、ビームを出す時に必殺技を怪獣語で叫んだりしても良かったのに・・・。(小並感)
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